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    大空澄人

    Author:大空澄人
    これまで自分の探求してきたものを 「いのちの波動」 というページ上で表現してきましたがPCのトラブルによりこのページに引き継がれました。一時的にご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます。

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    地上のモヤ

    2017.04.22 09:32|インスピレーション
    外宮の遷宮跡地 
                伊勢神宮外宮 古殿地

    人間は肉体によって地上世界に繋がれている故に清浄な気分になれても一時的なものであり長続きしない。いずれは常にその清浄な気分で生きることが出来るようになる。この世特有のモヤモヤしたものは離れていく。

     

    モヤモヤしたものは地上の霧、濁りであり、肉体を離れるとそういうものも離れていく。

    地上は常にモヤに覆われているがそれは人の心の濁りが生んだものである。

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    霊的エネルギーは生命の源 

    2017.04.18 08:54|インスピレーション
    城山 2

    霊的エネルギーを取り入れる事が出来れば全ての悩み事は雲散霧消する。


    取り入れる事が出来ないのはまだ受け入れ態勢が整っていないから。


    自分で遮断しているから。


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    大きな目標に向かって

    2017.04.14 08:56|親族、友人の霊界便り
     城山 1 

    (叔父より)

    小さな出来事に目を奪われることなく自分の大目標に向かって進め。


    小さなことに心を奪われていると自分の一番大切なものを見失ってしまう。


    大半の人はそうなっているが小さなことは放っておいても自然に収束していく。

    自分が主、周りの出来事は従

    2017.04.10 08:53|インスピレーション
    大麻山 (2)

    人間は主体性を持って人生を生き抜くことが大切である。周りの出来事は回り灯籠のように次々と流れていくだけ。その中に没入するのではなく自分なりの価値判断をしていくことが大切。

     

    その中で本当に自分にとって大切なものは多くはなく、限られている。静かに見ていれば良いものが殆どであろう。



    霊界は愛と調和の世界

    2017.04.05 09:12|親族、友人の霊界便り
    高いものを目指せ

    父より

    こちらの生活と地上の生活との大きな違いはこちらが愛に溢れた世界であるのに対して地上は愛よりも争いやいがみ合いの世界になっていることだ。地上生活では常に利害関係が絡んでくるので人々はどうしても自分を守る為に身を固め、外に対して身構えていなくてはならない。だからなかなか愛を素直に表現することが出来ない。

     

    その原因は一人一人が異質な者同志なのでお互いを調和させることが難しいことにあるだろう。対してこちら(霊界)では異質な者と一緒に生活する事がないから意見の違いや争いが起きることがないということだ。

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    高いものを目指す

    2017.04.01 09:10|インスピレーション
    槍が岳 


    常に高いものを目指す事。

    過ぎ去った事、低いものを見ていてはいけない。

    それは自分を低い所に留めることになる。

    過去の事や嫌な事を回想する暇があるなら先のもの、高いものを見ていくように。

    現れては消えるもの

    2017.03.28 16:05|インスピレーション
    海坊主

    この世の出来事は永続性が無いのが特徴である。現れては消えるのであり、その事にこだわっている間もなく別のものが現れる。だから今のこの問題は何時まで続くのだろう等と案じる必要はない。一つ一つの出来事に対していちいち感情移入している暇はないのである。

    いつまでも一つの事を根に持ったり恨みに思ったりすることは無意味であり、それは自分で時間を止めているのと同じである。過去にしがみついていてはいけない。

    一つ一つの出来事をサラリと受け流す事が出来たら良い。実際に人は一つの問題に何時までもこだわっていることは出来ない。この世での自分の時間は限られているのであるから。

    自分の守備範囲の事を考える

    2017.03.24 08:49|インスピレーション
    自分の守備範囲

    世の中は複雑化してあまりにも気を揉むことが多すぎる。しかし人間は自分の守備範囲の事を考えていればそれでよい。色々と気にしても何にもならない。それはそれぞれの道の者がすることである。無用の心配をして自分の心を蝕むのは愚かな事である。

    考え過ぎは摂理の働きにそぐわない。殆どの者が無駄な事を考えて毎日を過ごしている。すなわち取り越し苦労を続けている。考え過ぎは雑念の海に自らを投じることである。

    不要なものを切り離す

    2017.03.20 08:55|インスピレーション

    どうでもよい事


    多くの人々はどうでもよい事に神経を使いすぎている。今の世の中あまりに雑多なものが多すぎる。

    人々はそれに心を奪われて肝心なものがおろそかになっている。少しずつ大切なものを失っている。

    出来るだけ不要なものを切り離すこと。

    真理に忠実に生きる

    2017.03.16 10:58|インスピレーション
    イエス


    いかなる時も自分が悟った真理に忠実に生きる事。そうすれば常に平和な心で生活できる。

    それによって自分が定まる。世の騒乱に巻き込まれることがない。

    真理を知らずに生きることは自分が世の中の騒乱に巻き込まれることである。

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    瞑想とは自分を霊の統制下に置くこと

    2017.03.12 09:30|インスピレーション
    IMG_0055.jpg 

    瞑想とは精神と肉体を霊の統制下に置き自分を神に委ねること。

    何故雑念が湧いてくるのか?
    霊が精神を統制出来ていないから。
    精神が肉体を統制出来ていないから。

    全体の流れ
    肉体とそこから生まれる煩悩を一時抑え込むことが必要になるので次の事をイメージする。あくまでもイメージであって直ちに瞑想状態に入れる人は以下のような手順は必要がない。

    一時的に肉体を切り離す、次に精神を切り離す、すると最後に霊が残る。地上世界から自分を切り離し霊的意識を取り戻すことによって霊的世界に入ることが出来る。具体的には次のことをイメージするが基本的に各自がこれと思う方法を取れば良い。

    ゆっくりと自分が上昇して行き三段式ロケットのように最初に肉体を切り離す、すると精神と霊が上昇していく。切り離したものは見ない、下を見ないようにすることが肝要である。自分の本体が地球の引力から自由になり、地面を離れて上昇していくような感触が得られたら良い。スローモーションのようにゆっくりと上昇していくイメージが大切。

    次に霊的意識が上澄み液のように浮上していき通常の意識(日常生活で使っている精神)と分離する。日常の精神と霊が分離し自然に霊の部分が浮上していく(顕在意識と潜在意識というふうに考えても問題はない)。そういうイメージが自然に湧いてくる。霊と精神を分けて考えるのが難しい場合は単純に心と肉体の二元論でも良い。

    到達したところは霊の世界、聖なるものを感じられる次元の違う世界である。インスピレーションを受けることが出来、霊界の人達と交流することも可能になる。

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    コンパスのない航海

    2017.03.08 09:59|インスピレーション
    目玉おやじ

    この世はコンパスを持たない航海、方向が分からない、先が読めない、そして道に迷う。そういう環境で自分自身を発見する、自分を磨き神性を見出す。

     

    霊界では方向性が常に示されている。迷う事がない。自分の進むべき道がわかる。神の威力を感じているので目標が定まっている。進歩と向上が命題であることを知っている。

     

    人は霊界で生活しているうちに自分の足りないところを発見しそれを学び取るためにこの世に来る。この世でしか学べないものがあるから。

     

    霊界の意志

    2017.03.04 10:05|真理を求めて
    IMG_0006.jpg  

    夕方の犬の散歩に城山に出かけてみた。国民宿舎から見る夕日は絶品であり駐車場にはよくカメラを構えてシャッターチャンスを待っている人を見かける。城山の遊歩道の傍に浜松市から送られた舘山寺桜が植えられている。二十四の瞳の映画監督である木下恵介氏は浜松市の出身であり彼の生誕百年を記念して小豆島に送られたものである。

    景色を眺め咲き始めた桜を見ながら道を進むと昔から花見で知られた場所に出る。私が子供の頃から桜が沢山植えられていて夜桜見物に来たことを思い出す。そこは前回の記事で映画のロケが行われた場所として取り上げたところである。

    その場所でちょっと瞑想してみる。前回に高峰さんからのテレパシーを感じた場所なので今回も何かあるかもしれないと思ったのである。するといつもの額や手のひらの痺れ感(霊的エネルギーは痺れとして感じる)とともに脳裏のスクリーンに現れたのは先ほどの木下恵介監督の姿であった。そして直ちにメッセージが伝わって来た。以下のような口調に感じ取れたが高峰さんや壺井さんとはかなり違う。

    IMG_0004.jpg 
               舘山寺桜

    「二十四の瞳には霊界の意志が込められているんだよ。壺井さんの小説は実際は霊界の後押しで書かされたようなものなんだ。私は監督としてあの映画を監修し、役者は役者として自分たちの仕事をした。皆がそれぞれの役割を果たした結果、あの映画が出来たけど、それらの背後には霊界の力が働いていたというわけ。事実上の監修者は霊界だったということだけど、そっちの人は気が付かなかっただろうね。
    当時私はそういうことには全く気が付かなかったけど、こちらに来てみたらそれがわかった。二十四の瞳は戦争の悲惨さを訴え、二度と人間が戦争をしないようにとの霊界の願いが込められた映画なんだよ。一般に不朽の名作などと呼ばれているものは例外なく霊界の力が働いているんだ」。

    そして
    「映画監督なんて自分の考えを役者さんに押し付けるんだから独裁者なんだよね。私も監督時代はさんざん無理を言ってきたと思うよ」。

    今回は木下恵介監督登場となった。彼の言葉は今回のストーリーを総括するものであり霊界通信の目的と全容が露わになったような気がする。霊界側の意図を感じさせるものがある。それは最初に雛人形を見に行ったらある人に「こちらにも展示されていますよ」と言われて壺井栄文学館に入った時から始まったようであるがそれが無かったら文学館には入っていないだろう。そこから次々に扉が開かれていったようである。

    IMG_0005.jpg

    その二日後再び犬の散歩にその場所を訪れたがこの時は最初から何かあると感じていた。歩いていると次のメッセージが入ってきたのである。私は歩きながら受けることが多いがリラックスして力みが抜けているからだろう。それは高峰秀子さんであった。

    「私たちは地上の人生で思い入れのあった場所には時々戻ってきて当時を懐かしむことがあります。ここ城山は私にとって思い出の場所なのです。当時に比べてかなり変わりましたが以前の面影が残っています。私たちを思い出してくれる人がいるのはとても嬉しい事です。そこに愛を感じるからです。それから木下監督は気配りの出来る人でしたよ。私たちを色々と気遣ってくださいました。それからあなたはあまり体調がすぐれないようですが余生を楽しんで生きてください」。

    二十四の瞳には霊界の願いが反映されているという事は私もこれまで考えた事はなかった。殆どの人は壺井栄さん自身が反戦思想家だからその小説を書いたと思っている事だろう。壺井栄さんの反戦の思想が霊界側に伝わり大きな後押しが得られたからあの小説が出版されて世に知られるようになり、そのわずか2年後に映画化され一世を風靡することになったのだろう。あの映画を見て涙した人も多かったと思う。それは霊界の力が働いた結果であろう。

    二十四の瞳映画村 

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    思念は生き物

    2017.02.28 09:43|真理を求めて
    一反木綿

    あちらからのメッセージはテレパシーで飛んでくるのでそれを受信できる人間は少数かもしれない。守護霊からは頻繁に指導の為のテレパシーを受けている筈だが殆どの人は気が付かない。反面テレパシーの送信は誰でもが出来ていて自分の出した思念は地上界、霊界の隔てなしに飛んで行き誰かがそれをキャッチしているのである。思念による意志交換は物質の影響を受けないので自由自在である。時間の制約も受けない。

     

    私たちが他の誰かに対し辛抱強く思念を送り続ければ相手は顕在意識で気付いていなくても潜在意識に蓄積され何らかの形で出てくる可能性があるのではないだろうか。守護霊がテレパシー(思念の照射)によって付いている人間を導こうとしていることを考えると理解しやすい。

     

    それには回路が存在することが必要になるが今回のケースでは私の知らない間に回路が出来ていたということだろう。高峰さんの顔が浮かんできたけど私は高峰秀子さんという人をこれまでに映画や写真で見ていてそれは潜在意識に記憶されていたからすぐに誰かわかったのであり、全く知らない人の場合はわかりにくいと思う。しかし何らかのエネルギーは感知しているだろう。

     

    犬の散歩コースに墓地があり犬の散歩の時にそこの道を歩くと必ず胸が重苦しくなりしばらく続く。何回通っても必ずそういう状態になるがつい忘れて通る事があり、ああまたやってしまったと思う。誰か地縛霊がいることは間違いないと思うがイメージは浮かんでこないので相手は知らない者なのだろう。相手にしないと離れていくが私のオーラが目立つから近づいてくるのかもしれない。長い間さ迷っているようであるが私は相手にしないことにしている。その重い感触が気味悪いが救済をしたほうがいいのかもしれない。

     

    前に私が歯科医をしていた時に朝の瞑想の時にある人の顔が浮かんできたことがあった。仕事場に赴くとその人が治療に来ていてなるほどと思ったことを思い出す。その人の歯医者に行かなければという思念がテレパシーで私のところに届いていたということになる。私はその人を良く知っていたのですぐにイメージが浮かんで来たのであろう。

     

    とにかく思念は生き物であり我々が考える以上に身の回りを無数の思念が飛び交っていると考えるべきであろう。遠隔ヒーリングの場合もヒーラーの思念を回路としてエネルギーの伝搬が行われる。ヒーラーが受ける人に意識を集中したら距離に関係なく思念の回路が出来るというわけである。受ける側が知らなくてもヒーリングのエネルギーは到達する。

     

    近年、イスラム過激派や極右など過激な思想に染まる人間が増えているのもインターネットを通じて感化されていることが取り上げられているが、それ以前に誰かが(顕幽の別なく)意図的に思念を流す事によって知らない間に親和性を持つ者の潜在意識にその思想が蓄積されているということも考えられる。思念はエネルギーを持っているからであり、強い思念を照射すれば必ず目に見えないところで何らかの反応が起きていると思う。

     

    シルバーバーチの霊訓に「一人一人の人間の思想には自分オリジナルなものは殆ど無く自分の思想と思っているものも実際は外部から入ってきたものである。人間は思念の受信機であり送信機である」という一節があるがその通りであろう。その中でも守護霊の思想が最も反映されているのだろう

     

    高級霊の通信によると地上の生物創造の任務に当たっている高級霊は強い思念の照射によって地球上の生物を創造するという。日本神話には素戔嗚の尊など創造の神の話が出てくるが、まんざら作り話ではないということになる。とにかく思念は強い力を持っていて死後の世界ではそれを使って生活するようになる。集中力や意志の力を地上生活中に十分に養っておくことが大切だろう。

     

    23日に犬を連れて(どこでも愛犬がお供する)城山という桜の名所に行ってみた。二十四の瞳のロケが行われた場所である。そこには高峰さんと生徒たちが電車ごっこをしているシーンの石碑が置かれている。その場所で瞑想してみると高峰さんからのテレパシーを感じ取ることが出来た。その人が実際にその場所で活躍した場所はその人のエネルギーが残っているので通じやすい。


    nijyuusi.jpg 
     二十四の瞳電車ごっこのシーン


    高峰さんより

    「その頃は私の人生の中で夢中で駆け抜けた時代でした。二十四の瞳は生涯を通して最も思い出に残る映画でした」。

     

    上記のメッセージからわかるように要点だけが伝わることになる。あちらからのメッセージは地上の者同士の会話のようにはならない。理由は一つのイメージがエネルギーとしてある人物に投射された場合、それは言葉ではない。その内容が受信した者によって自動翻訳された形で出てくるので流暢さを欠くことになる。今のところ翻訳者が持つ霊的エネルギーが翻訳の原動力ではないかと感じている。

     

    始めまして私は何々です。突然お電話を差し上げて云々などという表現は出てこないのである。文章として表すとぎこちない感じになるのは仕方がない。また細かい事は伝えようにも伝えられないということになる。伝えたいことの核心だけということになる。また翻訳者の思想も多少は紛れ込んでくるので100パーセント伝えるなどということは不可能なことである。またあちらも地上への意志の伝え方を練習する必要があるようである。全く関心がなければそういう気も起きないだろうし、伝え方など知らないということになる。妻の父は生前技術関係の仕事をしていてそういう事に関心が強かったようで通信の仕方は上手なようである。


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    高峰秀子さんと壺井栄さん

    2017.02.24 12:43|体験集

    二十四の瞳
              映画二十四の瞳

    私は妻と二人で2月22日「二十四の瞳映画村」を訪れた。ひな祭りの展示をしていると聞き一度見に行こうということになったのである。映画村の古い家屋の中に昭和初期の雛壇が展示されていたが私自身が戦後生まれで子供の頃に見慣れたものであったので特別なものは感じなかった。

     

    土産物店で妻が封筒を買って外に出ると「あちらにもお雛様が展示されていますよ」と声をかけてくれた人がいたので見るとそこは「壺井栄文学館」であった。私はこれまでに何度かそこに足を運んだことがあり栄さんからのメッセージを受け取ったことがあった。それをこのページでも紹介したことがある。

     

    館内に入ると壺井さんが実際に住んでいた家の内部を再現し展示している場所がある。そこに行くと壺井栄さんが大切にしていたひな人形が展示されていた。それは普段は展示されていないが男雛と女雛ペアーの極めて素朴なものであった。私がそれを見ていると霊的エネルギーに包まれてきた。いつもの手のひらや額がジンジンする感触であったがそれはかなり強いものであった。これまでに壺井栄さんからはそういう強いエネルギーが伝わってきたことはなくその雛人形からよほど強いものが出ているのだろうと思っていた。妻も強いエネルギーを感じていたようである。

     

    そのうちに以下のメッセージが感得されたがそれは壺井さんからのものではなかったのである。この種の事は言葉で表現するのが極めて難しい。眼前にパッとある人のイメージが浮かび上がり、それは視野一杯に広がった。それは何と二十四の瞳の大石先生を演じた高峰秀子さんであった。ちなみに高峰さんは2010年に他界されているがその時の姿は若々しく大石先生を演じた頃のようであった。


    高峰秀子さんのメッセージ

    「栄さんは私の恩人、栄さんのお蔭で私は女優として成長することが出来ました。あの二十四の瞳の映画のお蔭です。私は栄さんに大変感謝しています」。

     

    次に壺井栄さんのメッセージ

    「私の書いた二十四の瞳は高峰秀子さんという優れた女優さんに巡り合えたことによって全国的に知られるようになりました。彼女は私の恩人、大切な人なのです」。

     

    壺井栄 
       壺井栄さん

    その場の強いエネルギーは壺井栄さんのものではなく主に高峰秀子さんのものであったようである。壺井さんから感じるエネルギーは静かで控えめであり強いものが無いのでかなり集中していないと感得するのが難しい。一方で高峰さんは鮮明で華やか、強い波動を持っているようで、とにかくはっきりしている。さすがに昭和の大女優だけのことはあると感じさせられるものがあった。今回はお二人でその場に現れたというか私と壺井栄さんの間には回路が出来ていたのでそこから高峰秀子さんに繋がったのかもしれない。

     

    そして夕方帰宅して瞑想の間に入ると再び高峰さんのイメージが目の前に浮かんできた。あたかもその場に一緒にいると表現するのがふさわしいかもしれない。正直に言うとその時は別の目的で瞑想の間に入ったのだが目の前が高峰さんのイメージで一杯になった。高峰さんの霊的エネルギーには強いものがあり、こちらを引き付けるようなところがある。そして次のメッセージが伝わって来た。

     

    「私は今もこちらで演劇の仕事をしています。地上時代の延長ということです。俳優は人々に感動を与える事の出来る仕事です。私と栄さんには似たところがありますがそれは一途なところです。俳優でも作家でも一途なところのない人は成功しません」。


    高峰秀子さん 
             高峰秀子さん

    翌朝私はこの日の出来事を書き留めた用紙を取りに瞑想の間に入った。普段瞑想をする場所であり、このブログのインスピレーションは殆どそこで感得したものを書き表したものである。部屋に入るとすぐに昨日の続きが入ってきた。その時は当人が眼前にいるという感じはなく自分の潜在意識に残っていた彼女のメッセージが流れ出たのかもしれない。テレパシーでメッセージを受けてそれを一度に言語化するのは難しいので溜まっていた残りの部分が翌朝出てきたということかもしれない。瞑想の間に入るということが自分の潜在意識を刺激して溜めていたものが流出した。あるいは寝ている間に再度受けたものが朝出てきた可能性もあるだろう。

     

    「一途な人間は時には人とぶつかることがあります。しかしそれを恐れていては結局何もできません。あなた方は人の為になることをしていますね。それは立派なことです。私とあなたは似た波動を持っています。それで通じ合えるのです」。

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    霊と精神と肉体の調和

    2017.02.22 09:07|インスピレーション
    209.jpg

    どうでもよいことばかり頭に浮かんでくる時は霊と精神と肉体とがバラバラな動きになっているから。調和が取れていないから。

     

    肉体が精神のコントロール下に置かれ、精神が霊の支配下に置かれている状態が理想である。それらの調和が取れている時には雑念は湧いてこない。

     

    調和を乱す動きは肉体から始まる。肉体の欲求が精神の不安定を招き霊にまで及んでいく。五感を通して気分のいいものや不快なものが入ってくる。実に様々なものが肉体を通して入ってくる。そして心(精神)が動揺することになるがそれは肉体が心よりも上位にあることを示す。

     

    悟りが進めば心が肉体より上位に来て統制が取れた状態となる。それが理想であるが容易な事ではない。肉体が無くなれば五感を通して不快なものは入って来ない。故に平穏な気持ちでいられるようになる。

     

    地上生活においては常に肉体を通して入ってくるものに影響を受ける。それらに負けない強さを養うことがこの地上生活の大きな目的である。

    導きの糸

    2017.02.18 09:31|インスピレーション
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    この世の悩み事は自分を磨く磨き粉。

    怖れるものは何もない。不安に思えるものも何もない。

    唯導きに従って生きればよいだけ。

    導きの糸が見えるか見えないかそれはあなた次第。

    重いもの

    2017.02.14 09:48|真理を求めて
    地獄界  


    自分の中に何か重苦しい塊のようなものがあると感じることはないだろうか?理由もなく常に何か重いものが存在しているように感じる。祈りや瞑想に入ると次第にそれが消えていき爽やかさに満たされる。

     

    重く感じるもの、それは地上世界の波動である。それが肉体を通して入ってくる。肉体が活動を停止すればそのエネルギーは弱まり清浄な気分になる。人間は肉体を通じて地上世界とつながっているので地上世界の重さや暗さが肉体を通して伝わって来る。つまり重く感じるものとは肉体を通して感じる地上世界のエネルギーなのであろう。

     

    朝、テレビやインターネットを付けた途端に地上世界の重苦しいものがこれでもかというくらい入ってくる。何という事だろうと暗い気持ちにさせられるが祈りを始めるとそういうものはどこかに行っている。自分が祈りや瞑想によって次元の違う世界に移動するからだろう。




    夢の暗示

    2017.02.10 10:02|夢の話
    妖怪も泣いている
               妖怪も泣いている

    先月末、私は意味ありげな夢を見た。それは次のような内容であった。

    私は以前乗っていた車で旅をしている。ホテルの中のような場所を道路が走っていて進行方向左側が川になっていた。走行中、突然前方に金属製の大きなシャッターが降りてきて進路を塞がれてしまった。これは困ったと思い仕方なくバックし始めた。すると今度は後ろ側もシャッターが降ろされてしまった。閉じ込められて、にっちもさっちもいかなくなってしまったのである。丁度小旅行に行く数日前だったので今回は気を付けないといけないなと思っていた。しかしその後の旅行は何の問題もなく無事に終わった。結局その夢は自分の事ではなかったようである。

     

    そして昨夜は鮮明な夢を見た。私は幽界を旅しているようであったがかなりリアルな内容であった。どこかはわからないが、ある道を歩いていると左側に急な崖があり良く見ると斜面が大きくえぐれている。どうやら土石流が起きているらしくそれも大規模なもののようだ。地面の深くえぐれた場所は気味の悪い様相を呈している。その近辺に住んでいる住民が外に出ていて私は話をした。こんなになっているけどあなたの家は大丈夫?と私が尋ねるとそのおばさんは、こんな状態になってしまったけど私は他に住む場所もないからねとあきらめ顔で言う。

     

    大変だなと同情しながら私はその場を離れた。次に気が付くと私は海岸沿いにある美しいリゾートにいた。どうやって移動したのかはわからないが瞬時に移動している。幽界や霊界では移動の手段は必要が無く行きたいと思っただけで直ちに移動が出来るようである。そのリゾートは海がきれいで透明度も高くそこで泳ぐのはとても気持ちがよく水も冷たさを感じないし、第一海に入っても体が濡れることが無く水着も必要が無い。

     

    次に場面が変わり私はそのリゾートのカフェにいた。カフェは建物の二階にあり窓が無くて全部吹き抜けになっており周囲が見渡せる。私はテーブル席にゆったりと腰かけテーブルには注文したものが置かれている。そこはすべて無料であり注文するとすぐにウエイターが料理を出してくれる。あっという間であり待ち時間というものがない。実に快適、第一金を払う必要がない。他にも何人かの客がいてゆったりと料理や景色を楽しんでいる。何と気持ちがいいのだろう、ここは極楽か? 私は存分に羽を伸ばしていた。

     

    すると向こうからこちらに向かって大きくて角ばった頑丈そうな車が猛スピードで走ってきた。30年くらい前に流行ったアメリカの大型のオフロード仕様の車、フォードブロンコのような外観であり色は黒であった。とにかくあたり構わずガンガン走ってくるが、その車の進路前方にはコンクリートの塊か大きな岩のような障害物がありそのまま進めば激突してしまう。「あっ、危ないぞ!」というその様子を見ていた他の客の叫び声が終わらぬうちに車は障害物に激突して大破した。何と馬鹿なことをする奴がいるのだろう、こんな場所で.....。私は呆れてしまった。そこでその夢は終わったのである。


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    本当の幸せとは

    2017.02.06 09:27|インスピレーション
    013 バス停で、お月さん現る

    人間は神(大霊)の意志に調和して生きることによってのみ本当の幸せを感じることが出来る。それ以外のものはもろくも崩れる。永続性のあるものはそれ以外に何一つ無い。

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    何事にも摂理が働く

    2017.02.02 09:47|インスピレーション

    281.jpg

    何か問題が起きた時には何事にも摂理が働くことを思い出すべき。自分の努力と摂理の働きという相互作用によって物事は動いていく。自分の力だけで動くのではない。そこにはそういう機構が働いている。人の出来る事は摂理の働きによって制限を受けるので何事も精一杯のことをして後は摂理の働き(神の働き)に身を委ねれば良い。そうするしかないのである。

    真理に目覚める時

    2017.01.28 10:48|インスピレーション
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    一生のどこかで人は真理に目覚める時が来る。霊的自我は表面に出てくる機会を窺っていてその時期は一人ひとり違う。肉体の活動を鎮め精神活動も鎮めて日頃の雑事から自分を疎開させると自然に霊的意識が表に出てくる。何一つ形式的なものは必要としない。形式や儀式は地上の人間が考えたものである。

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    境界線を越えて

    2017.01.24 09:12|インスピレーション
    高妻山  

    心を静かにすると物質と時間の影響を受けない世界が存在することがわかる。人間はその境界線を行ったり来たりしている。境界線を越えればそこは平穏な世界、戻ると騒がしい物質の世界。

    両方の世界は背中合わせになっていて人は両界を行ったり来たりしているが殆どの者は気が付かない。人はやがては物質界での勤めが終わり平穏の世界に戻っていく。

    地上は故郷ではなく一時の生活の場、本当の故郷は平穏の世界、すなわち霊界にある。

    井の中の蛙大海を知らず

    2017.01.20 14:34|インスピレーション
    アマゾンの野鳥

    肉体に宿り物質世界という環境で生活するとどうしても意識がその中に限定される。見えないところでは大きな霊としての意識が働いているがそれは自覚されることはない。為に物質界で体験する事が限定された意識で捉えるとことさら重大な事として捉えられる。一人一人の人間は霊界という大きなものに包まれているがそれがわからない。自分の姿がわからない。「井の中の蛙大海を知らず」なのである。



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    真理は静かに浸透していく

    2017.01.16 09:36|インスピレーション
    アマゾンの花

    真理の普及においては社会の中で目立たないほうが良い。目立つと必ず反対勢力が抵抗して来てそういう者との対応に追われることになる。無駄な労力を使う事のないようにしなければならない。

     

    真理の一片を聞いた者はその時に受け入れられなくても必ずいつかはその事を実際に思い知るようになる。その時にあなたの渡した真理の一かけらが生きてくる。心のどこかに残っているからである。

     

    真理とはそういうものであり、その人にとって様々な条件が整った時に初めて受け入れられる。社会の中で目立つような事はしないこと。真理は人目に触れずに静かに少しずつ浸透していくものであるから。


    この世の人生は抵抗帯の中を進むこと

    2017.01.12 09:32|インスピレーション
    田園風景

    この世の人生は抵抗帯の中を進んで行くようなものであり、通過するのに大きなエネルギーを必要とする。邪魔が入り事が進まなくなる。進んだり引いたりきわめてゆっくりしか前進できないがそれでも少しずつ前進していく。

     

    一方、霊界では邪魔する者がいない。異論を唱える者もいない。調和のとれた世界なので事が迅速にスムースに進む。

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    自分にとって真に価値あるもの

    2017.01.08 09:20|インスピレーション
     白い鳥2 



    世間を気にしての行動は自分にとって真に価値あるものではない。本当に意味のあるものは自分の真心から出た行動である。それが後々自分の財産になるものであり、次の世に持っていけるもの。本心を隠して表面を繕うような生き方は結局何も残らない、空しいものである。

     

    世間に迎合するような生き方は楽、しかしそれは自分の為にはならないごまかしの生き方である。

    本当の自分自身は不動

    2017.01.04 11:53|インスピレーション
    くれ

    つまらぬ事で心が動揺するようではまだ修行が足りないということ。常にこの世の騒ぎを高い所から見なければならない。そうでないと次のステージは務まらない。地上はそれに備えて自分を鍛える場である。

     

    本当の自分自身、霊としての自分は不動のものであり、地上環境に害されるようなことはない。この信念が根付けば何事も克服することが出来る。


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    価値観の違う世界

    2016.12.31 09:10|親族、友人の霊界便り
    国民宿舎の夕日

    叔父より

    家族はお互いに尽くす事が大切だ。この世では何でも自分の思うようにならないものだ。人間はそういう環境の中で精一杯のことをしたらそれでいい。私が長年教師をしてきて一番嬉しかったことは何だと思うか?それは教え子が自分を慕ってくれたことだ。それが教師として一番の喜びであり後々まで残る事だ。

     

    お前はこちらの人間に近い所があるが、そちらの世で生きる上で大切な事は物事を見る目を養うことだ。見抜く力をつける事だ。私はこちらで良い人達に囲まれて生活している。心から分かり合える人達だ。そちらでは逆で色々と苦労も多かった。無理を言う者が多かった。

     

    私は今地上時代の家族とは少し距離を置いているが互いに価値観の違う世界に住んでいるから自然にそうなってくるのだ。今はこちらで子供たちに音楽を教えるのが一番の楽しみになっている。音楽はこちらでは地上より盛んで方々で音楽会が開かれている。剣道や居合など刀を振り回すようなことは精神統一に役立てる以外こちらでは一般的ではない。自然にそういうものからは遠ざかっていくものだ。

     

    妻との関係は地上時代とは違う。地上時代は夫婦二人が共同して子供を育てたり家を守ったりしていたが、こちらに来るとそういう必要がないから夫婦と言っても全く質の違うものになる。必要な時には会って心の交流をするが常に一緒に暮らすような事はない。こちらの世界では地上の縛りから解放されるのだ。何事も本心で行動するようになるということだ。

     

    より真実に近い世界だから地上時代の宗教的行事などは意味がないわけだ。地上の者は事実を知らないからそうやって宗教的行事を続けているわけで、事実を知ったらそういうものに意味を感じなくなるだろう。お前みたいに......


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    一時の姿

    2016.12.27 18:28|インスピレーション
    夕日と海

    この世は一時の場、仮の場所。色々と不自由な事がある。理不尽な事に遭遇するでしょう。しかしそれは一時の事、ずっと続くものではないので今の事を引き摺ってはいけないのです。

     

    時が来ればあなたは水を得た魚のように自由に生き生きと生活するようになります。重苦しいものは肉体と共に消えます。

     

    自分で自分を閉じ込めないように。多くの人がそうしています。本来の人間としての姿を知らない人が多過ぎます。人間はあなたが考えるよりはるかに大きな存在です。今のあなたは仮の姿、この世で生活するための一時の姿なのです。