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    大空澄人

    Author:大空澄人
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    死を恐れるなかれ

    2017.06.26 13:44|インスピレーション
    田浦夕焼け

    地上の人間は霊という自分の本体が強力に肉体と結合されている為に肉体の活動範囲内に思考と行動が拘束されている。嫌なものも見なければならないし、自分の気の進まぬ事もしなければならない。この世の人間は肉体を通じて地上世界に縛り付けられているのである。

    死と呼ばれているものはその拘束状態から解放されることであり、晴れて自由な世界に飛び立とうとしている姿なのである。それをこの世の人達は嘆き悲しみ恐れるが、それはどうにも理解し難いことである。

    それは霊という自分の本体を理解することが出来ずに肉体の目で見ていることの証明であろう。少なくとも霊の存在を理解できるならば、いたずらに死を嘆き悲しむことにはならないであろう。
    いたずらに死を恐れるなかれ。それは自分が霊的に無知である事の証明なのである。

    背後霊の導き

    2017.06.22 06:35|インスピレーション
     IMG_0011.jpg

    背後霊の導きを感じられるようになったら素直にその導きに付いて行けば良く、余計な事を考える必要はない。例え目先に障壁が現れたとしても気にする必要はない。

     

    後で振り返ればそれらはきれいに取り除かれていることがわかるであろう。

     

    視野の狭い地上の人間には一つの局面しか見えていないから些細な事で狼狽してしまうのである。

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    母より

    2017.06.18 06:43|親族、友人の霊界便り
    竜串 4

    ヒロシか?(朝の瞑想の時、こちらの呼びかけに答えて)。

    お前も元気にやっているようだね。体を大切に。今は仕事をしていないのだから安気に暮らせよ。こちらは何の心配もないから。私はとても楽しく暮らしているよ。お前も最近は昔のように癇癪を起すこともなくなったようだね。怒るのは体に悪いよ。私はよく歌を歌ったり琴を弾いたりして楽しんでいるよ。

     

    母は終始笑顔で。

    Sのおじさんとはよく会うよ。相変わらず楽しい人でよく冗談を言って笑わせているよ。こちらは本当に心配事のない世界。来てみたらわかるよ。そちらの人は死んだらそういうところに来られるのだからそれを楽しみにしていたらいいんだよ。大切な事は何でもいいから人や世の中の為になる事をする事だ。それと感謝の心を忘れない事。

     

    こちらは時間の事を気にしなくていいのが本当に楽。そっちの人は皆、時間に縛られているからね。こちらでは何かしたいと思えばいつでも出来るから。

     

    私はあれ以上そっちで生きなくて良かった。もうあれで十分。そっちの生活はしんどい。こちらに来られて嬉しい。こちらは何でもしたい事が自由に出来る世界。神に感謝しているよ。

     

    私に会いたければいつでも会えるからその時は呼んでおくれ。心の中で普通に話しかけたら電話のように通じているから。


    (昨年11月15日)

    猜疑心

    2017.06.14 08:56|インスピレーション

    顔 

    人間が猜疑心が湧いてくるのは真実が見通せないからです。目が塞がれているから実態が見えないのです。そこで余計な詮索をしてあれこれと余計な事を考えてしまう事になります。

     

    それは大きな労力の損失であり心が曇ってしまいます。神の法則が全てを支配していることを知れば余計な事は考えなくなります。この信仰心を持つことによって猜疑心は消えていきます。法則の範囲外の事は決して起きないからです。


    心のゴミ

    2017.06.10 08:52|インスピレーション
    白山洞門

    人はこの世で様々なものを体験しますが肉体を通して体験する為にその全容を把握することが出来ません。視野が限られている為に一部しか見えないのです。それらを持ち続けてもそれは間違っている事かもしれません。

     

    そういうものにこだわり続ける事は実際には意味がなく、心のゴミを増やす事になるのです。人は心のゴミを洗い流す作業が必要であり、いつまでも持ち続ける事は人生の自分の荷物を増やし歩みを妨げることになるのです。

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    汚れに染まらないこと

    2017.06.06 08:29|インスピレーション
     竜串 2 

    真理の道を目指す者は世の汚れに染まってはなりません。自然にそうなっていくはずです。


    この世の汚れは霊的交流を阻害し物的波動にしてしまいます。真理普及に携わる者は心を霊的波動にしておかねばなりません。

    物的波動のなかに入ると不快感を覚えるようになるのが普通です。


    人間の欠点

    2017.06.02 10:41|インスピレーション
    ジョン万次郎

    完全無欠な人間はどこにもいません。地上界はおろか霊界にもいません。


    完全無欠な存在は神だけです。

     

    一人一人の人間はそれぞれの欠点を抱えてこの世に来ています。

    人は自分の欠点に気付いて修正するように努力することに意味があります。

    それは容易ではないから努力を要するのです。


    人間の欠点は深い所から来ていて、その個霊の個性、あるいはそこから由来する癖というものがあるのです。

    際限のない向上 

    2017.05.29 08:17|インスピレーション
    朝のエンジェルロード

    高く憧れていた世界もそれが日常化すると普通のことになってしまいます。感動を覚えなくなるのです。

    全ての面でそういうことが言えますが、それは人間や宇宙の全てのものは常に進歩していくように作られているからです。

     

    人は同じ場所に留まっていることは出来ません。人間の向上には際限のないことがわかるはずです。それは神によってプログラム化されたものなのです。

    この世は仮の場所

    2017.05.25 09:41|親族、友人の霊界便り
    瀬戸内の朝
        
    (竹馬の友より)

    この世(地上界)は教訓を学ぶ為の場所であってそこが全てではないのだ。そこは仮の場所なのだ。そっちで生活している時にはわからないけどね。僕もそっちで生活している時にはそこが全てと思っていたよ。でもそこはこっちから見れば仮の世界であって本当の世界はこちらにあるのだ。そっちの人間にはなかなかわからないだろうけどね。

    (写真はエンジェルロード。彼とはこのあたりでよくヨットに乗って遊んだ)。


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    目線を上に

    2017.05.21 06:14|インスピレーション
    平和の鐘

    自分の手に負えない仕事は来ない。


    各自の能力の範囲内のものがあてがわれる。


    仕事があてがわれた時には全力で取り組めば良い。


    常に上を見よ。下を見てはいけない。


    目線を上に。


    迷い道

    2017.05.17 06:20|インスピレーション
    新緑のいずみ公園


    地上人生は迷い道、進路は自分で探していかねばならない。常に邪魔者が入り進路を遮られてしまう。


    そんな環境の中で自分の進むべき道を迷わずに見つけていくことが求められている。


    その中で人間は鍛えられて成長していく。次の世でそれが役に立つ。

    この世は体験することが大切

    2017.05.12 08:53|インスピレーション
    いずみ公園 

    この世のことは体験してみないとわからない。体験することに意味がある。

    人間は様々なことを体験する為にこの世に生まれてきたのであるから。


    人生においては様々な出来事があり、それらを体験する事が全て学びとなる。もしその体験が無いとしたら人は何も学ぶことが出来ない。成長することが出来ない。体験が人生を豊かにするのである。


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    大霊の法則

    2017.05.08 11:39|インスピレーション
    外宮を外から
             伊勢神宮外宮

    宇宙には大霊の定めた宇宙の法則があるだけ。どうあがいても人もその他のものもこの法則の範囲から出ることは出来ない。

     

    人の考えたあらゆる宗教も大霊の法則に何の影響も及ぼすことは出来ない。人は大霊の法則に沿って生きることを学ばされている。この世でもあちらの世でも。


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    摂理の働きは絶対的

    2017.05.04 09:29|インスピレーション
    伊勢神宮内宮
            伊勢神宮内宮

    摂理の働きをよく知りそこに調和していくことが成功の秘訣である。


    逆らう事をしていては決してうまくいかない。


    自分が信念を持って行動した後は摂理にお任せすること。

     

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    嫌なことは学びの材料

    2017.04.30 14:12|インスピレーション
    五十鈴川
           伊勢内宮五十鈴川      

    何一つ悩み事や心配事、嫌な事の無い世界を考えたことがあるだろうか?もしそういう状況に置かれるとしたら人間は何も学ぶ材料が無いということになる。考えるという事がなくなるだろう。色々と自分にとって嫌な事は必ず学びの材料となっている。

    肉体の目で眺めれば嫌な事も霊の目で見れば一つ一つが教訓となっているのである。それらは向上のための材料であり人間はそれを学ぶためにこの世に来ているのである。誰でも幸せな時や楽しい時には考える事がないし、その必要が無いが苦しい時には考えるものである。

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    霊的な自分は不動

    2017.04.26 09:03|インスピレーション
    伊勢神宮の大杉
         伊勢神宮の大杉


    霊的な自分は地上世界の様々な動きには左右されない不動のものである。


    静かに地上世界の出来事を観察していれば良い。


    地上に霊的な自分を脅かすものは何一つない。


    地上のモヤ

    2017.04.22 09:32|インスピレーション
    外宮の遷宮跡地 
                伊勢神宮外宮 古殿地

    人間は肉体によって地上世界に繋がれている故に清浄な気分になれても一時的なものであり長続きしない。いずれは常にその清浄な気分で生きることが出来るようになる。この世特有のモヤモヤしたものは離れていく。

     

    モヤモヤしたものは地上の霧、濁りであり、肉体を離れるとそういうものも離れていく。

    地上は常にモヤに覆われているがそれは人の心の濁りが生んだものである。

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    霊的エネルギーは生命の源 

    2017.04.18 08:54|インスピレーション
    城山 2

    霊的エネルギーを取り入れる事が出来れば全ての悩み事は雲散霧消する。


    取り入れる事が出来ないのはまだ受け入れ態勢が整っていないから。


    自分で遮断しているから。


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    大きな目標に向かって

    2017.04.14 08:56|親族、友人の霊界便り
     城山 1 

    (叔父より)

    小さな出来事に目を奪われることなく自分の大目標に向かって進め。


    小さなことに心を奪われていると自分の一番大切なものを見失ってしまう。


    大半の人はそうなっているが小さなことは放っておいても自然に収束していく。

    自分が主、周りの出来事は従

    2017.04.10 08:53|インスピレーション
    大麻山 (2)

    人間は主体性を持って人生を生き抜くことが大切である。周りの出来事は回り灯籠のように次々と流れていくだけ。その中に没入するのではなく自分なりの価値判断をしていくことが大切。

     

    その中で本当に自分にとって大切なものは多くはなく、限られている。静かに見ていれば良いものが殆どであろう。



    霊界は愛と調和の世界

    2017.04.05 09:12|親族、友人の霊界便り
    高いものを目指せ

    父より

    こちらの生活と地上の生活との大きな違いはこちらが愛に溢れた世界であるのに対して地上は愛よりも争いやいがみ合いの世界になっていることだ。地上生活では常に利害関係が絡んでくるので人々はどうしても自分を守る為に身を固め、外に対して身構えていなくてはならない。だからなかなか愛を素直に表現することが出来ない。

     

    その原因は一人一人が異質な者同志なのでお互いを調和させることが難しいことにあるだろう。対してこちら(霊界)では異質な者と一緒に生活する事がないから意見の違いや争いが起きることがないということだ。

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    高いものを目指す

    2017.04.01 09:10|インスピレーション
    槍が岳 


    常に高いものを目指す事。

    過ぎ去った事、低いものを見ていてはいけない。

    それは自分を低い所に留めることになる。

    過去の事や嫌な事を回想する暇があるなら先のもの、高いものを見ていくように。

    現れては消えるもの

    2017.03.28 16:05|インスピレーション
    海坊主

    この世の出来事は永続性が無いのが特徴である。現れては消えるのであり、その事にこだわっている間もなく別のものが現れる。だから今のこの問題は何時まで続くのだろう等と案じる必要はない。一つ一つの出来事に対していちいち感情移入している暇はないのである。

    いつまでも一つの事を根に持ったり恨みに思ったりすることは無意味であり、それは自分で時間を止めているのと同じである。過去にしがみついていてはいけない。

    一つ一つの出来事をサラリと受け流す事が出来たら良い。実際に人は一つの問題に何時までもこだわっていることは出来ない。この世での自分の時間は限られているのであるから。

    自分の守備範囲の事を考える

    2017.03.24 08:49|インスピレーション
    自分の守備範囲

    世の中は複雑化してあまりにも気を揉むことが多すぎる。しかし人間は自分の守備範囲の事を考えていればそれでよい。色々と気にしても何にもならない。それはそれぞれの道の者がすることである。無用の心配をして自分の心を蝕むのは愚かな事である。

    考え過ぎは摂理の働きにそぐわない。殆どの者が無駄な事を考えて毎日を過ごしている。すなわち取り越し苦労を続けている。考え過ぎは雑念の海に自らを投じることである。

    不要なものを切り離す

    2017.03.20 08:55|インスピレーション

    どうでもよい事


    多くの人々はどうでもよい事に神経を使いすぎている。今の世の中あまりに雑多なものが多すぎる。

    人々はそれに心を奪われて肝心なものがおろそかになっている。少しずつ大切なものを失っている。

    出来るだけ不要なものを切り離すこと。

    真理に忠実に生きる

    2017.03.16 10:58|インスピレーション
    イエス


    いかなる時も自分が悟った真理に忠実に生きる事。そうすれば常に平和な心で生活できる。

    それによって自分が定まる。世の騒乱に巻き込まれることがない。

    真理を知らずに生きることは自分が世の中の騒乱に巻き込まれることである。

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    瞑想とは自分を霊の統制下に置くこと

    2017.03.12 09:30|インスピレーション
    IMG_0055.jpg 

    瞑想とは精神と肉体を霊の統制下に置き自分を神に委ねること。

    何故雑念が湧いてくるのか?
    霊が精神を統制出来ていないから。
    精神が肉体を統制出来ていないから。

    全体の流れ
    肉体とそこから生まれる煩悩を一時抑え込むことが必要になるので次の事をイメージする。あくまでもイメージであって直ちに瞑想状態に入れる人は以下のような手順は必要がない。

    一時的に肉体を切り離す、次に精神を切り離す、すると最後に霊が残る。地上世界から自分を切り離し霊的意識を取り戻すことによって霊的世界に入ることが出来る。具体的には次のことをイメージするが基本的に各自がこれと思う方法を取れば良い。

    ゆっくりと自分が上昇して行き三段式ロケットのように最初に肉体を切り離す、すると精神と霊が上昇していく。切り離したものは見ない、下を見ないようにすることが肝要である。自分の本体が地球の引力から自由になり、地面を離れて上昇していくような感触が得られたら良い。スローモーションのようにゆっくりと上昇していくイメージが大切。

    次に霊的意識が上澄み液のように浮上していき通常の意識(日常生活で使っている精神)と分離する。日常の精神と霊が分離し自然に霊の部分が浮上していく(顕在意識と潜在意識というふうに考えても問題はない)。そういうイメージが自然に湧いてくる。霊と精神を分けて考えるのが難しい場合は単純に心と肉体の二元論でも良い。

    到達したところは霊の世界、聖なるものを感じられる次元の違う世界である。インスピレーションを受けることが出来、霊界の人達と交流することも可能になる。

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    コンパスのない航海

    2017.03.08 09:59|インスピレーション
    目玉おやじ

    この世はコンパスを持たない航海、方向が分からない、先が読めない、そして道に迷う。そういう環境で自分自身を発見する、自分を磨き神性を見出す。

     

    霊界では方向性が常に示されている。迷う事がない。自分の進むべき道がわかる。神の威力を感じているので目標が定まっている。進歩と向上が命題であることを知っている。

     

    人は霊界で生活しているうちに自分の足りないところを発見しそれを学び取るためにこの世に来る。この世でしか学べないものがあるから。

     

    霊界の意志

    2017.03.04 10:05|真理を求めて
    IMG_0006.jpg  

    夕方の犬の散歩に城山に出かけてみた。国民宿舎から見る夕日は絶品であり駐車場にはよくカメラを構えてシャッターチャンスを待っている人を見かける。城山の遊歩道の傍に浜松市から送られた舘山寺桜が植えられている。二十四の瞳の映画監督である木下恵介氏は浜松市の出身であり彼の生誕百年を記念して小豆島に送られたものである。

    景色を眺め咲き始めた桜を見ながら道を進むと昔から花見で知られた場所に出る。私が子供の頃から桜が沢山植えられていて夜桜見物に来たことを思い出す。そこは前回の記事で映画のロケが行われた場所として取り上げたところである。

    その場所でちょっと瞑想してみる。前回に高峰さんからのテレパシーを感じた場所なので今回も何かあるかもしれないと思ったのである。するといつもの額や手のひらの痺れ感(霊的エネルギーは痺れとして感じる)とともに脳裏のスクリーンに現れたのは先ほどの木下恵介監督の姿であった。そして直ちにメッセージが伝わって来た。以下のような口調に感じ取れたが高峰さんや壺井さんとはかなり違う。

    IMG_0004.jpg 
               舘山寺桜

    「二十四の瞳には霊界の意志が込められているんだよ。壺井さんの小説は実際は霊界の後押しで書かされたようなものなんだ。私は監督としてあの映画を監修し、役者は役者として自分たちの仕事をした。皆がそれぞれの役割を果たした結果、あの映画が出来たけど、それらの背後には霊界の力が働いていたというわけ。事実上の監修者は霊界だったということだけど、そっちの人は気が付かなかっただろうね。
    当時私はそういうことには全く気が付かなかったけど、こちらに来てみたらそれがわかった。二十四の瞳は戦争の悲惨さを訴え、二度と人間が戦争をしないようにとの霊界の願いが込められた映画なんだよ。一般に不朽の名作などと呼ばれているものは例外なく霊界の力が働いているんだ」。

    そして
    「映画監督なんて自分の考えを役者さんに押し付けるんだから独裁者なんだよね。私も監督時代はさんざん無理を言ってきたと思うよ」。

    今回は木下恵介監督登場となった。彼の言葉は今回のストーリーを総括するものであり霊界通信の目的と全容が露わになったような気がする。霊界側の意図を感じさせるものがある。それは最初に雛人形を見に行ったらある人に「こちらにも展示されていますよ」と言われて壺井栄文学館に入った時から始まったようであるがそれが無かったら文学館には入っていないだろう。そこから次々に扉が開かれていったようである。

    IMG_0005.jpg

    その二日後再び犬の散歩にその場所を訪れたがこの時は最初から何かあると感じていた。歩いていると次のメッセージが入ってきたのである。私は歩きながら受けることが多いがリラックスして力みが抜けているからだろう。それは高峰秀子さんであった。

    「私たちは地上の人生で思い入れのあった場所には時々戻ってきて当時を懐かしむことがあります。ここ城山は私にとって思い出の場所なのです。当時に比べてかなり変わりましたが以前の面影が残っています。私たちを思い出してくれる人がいるのはとても嬉しい事です。そこに愛を感じるからです。それから木下監督は気配りの出来る人でしたよ。私たちを色々と気遣ってくださいました。それからあなたはあまり体調がすぐれないようですが余生を楽しんで生きてください」。

    二十四の瞳には霊界の願いが反映されているという事は私もこれまで考えた事はなかった。殆どの人は壺井栄さん自身が反戦思想家だからその小説を書いたと思っている事だろう。壺井栄さんの反戦の思想が霊界側に伝わり大きな後押しが得られたからあの小説が出版されて世に知られるようになり、そのわずか2年後に映画化され一世を風靡することになったのだろう。あの映画を見て涙した人も多かったと思う。それは霊界の力が働いた結果であろう。

    二十四の瞳映画村 

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    思念は生き物

    2017.02.28 09:43|真理を求めて
    一反木綿

    あちらからのメッセージはテレパシーで飛んでくるのでそれを受信できる人間は少数かもしれない。守護霊からは頻繁に指導の為のテレパシーを受けている筈だが殆どの人は気が付かない。反面テレパシーの送信は誰でもが出来ていて自分の出した思念は地上界、霊界の隔てなしに飛んで行き誰かがそれをキャッチしているのである。思念による意志交換は物質の影響を受けないので自由自在である。時間の制約も受けない。

     

    私たちが他の誰かに対し辛抱強く思念を送り続ければ相手は顕在意識で気付いていなくても潜在意識に蓄積され何らかの形で出てくる可能性があるのではないだろうか。守護霊がテレパシー(思念の照射)によって付いている人間を導こうとしていることを考えると理解しやすい。

     

    それには回路が存在することが必要になるが今回のケースでは私の知らない間に回路が出来ていたということだろう。高峰さんの顔が浮かんできたけど私は高峰秀子さんという人をこれまでに映画や写真で見ていてそれは潜在意識に記憶されていたからすぐに誰かわかったのであり、全く知らない人の場合はわかりにくいと思う。しかし何らかのエネルギーは感知しているだろう。

     

    犬の散歩コースに墓地があり犬の散歩の時にそこの道を歩くと必ず胸が重苦しくなりしばらく続く。何回通っても必ずそういう状態になるがつい忘れて通る事があり、ああまたやってしまったと思う。誰か地縛霊がいることは間違いないと思うがイメージは浮かんでこないので相手は知らない者なのだろう。相手にしないと離れていくが私のオーラが目立つから近づいてくるのかもしれない。長い間さ迷っているようであるが私は相手にしないことにしている。その重い感触が気味悪いが救済をしたほうがいいのかもしれない。

     

    前に私が歯科医をしていた時に朝の瞑想の時にある人の顔が浮かんできたことがあった。仕事場に赴くとその人が治療に来ていてなるほどと思ったことを思い出す。その人の歯医者に行かなければという思念がテレパシーで私のところに届いていたということになる。私はその人を良く知っていたのですぐにイメージが浮かんで来たのであろう。

     

    とにかく思念は生き物であり我々が考える以上に身の回りを無数の思念が飛び交っていると考えるべきであろう。遠隔ヒーリングの場合もヒーラーの思念を回路としてエネルギーの伝搬が行われる。ヒーラーが受ける人に意識を集中したら距離に関係なく思念の回路が出来るというわけである。受ける側が知らなくてもヒーリングのエネルギーは到達する。

     

    近年、イスラム過激派や極右など過激な思想に染まる人間が増えているのもインターネットを通じて感化されていることが取り上げられているが、それ以前に誰かが(顕幽の別なく)意図的に思念を流す事によって知らない間に親和性を持つ者の潜在意識にその思想が蓄積されているということも考えられる。思念はエネルギーを持っているからであり、強い思念を照射すれば必ず目に見えないところで何らかの反応が起きていると思う。

     

    シルバーバーチの霊訓に「一人一人の人間の思想には自分オリジナルなものは殆ど無く自分の思想と思っているものも実際は外部から入ってきたものである。人間は思念の受信機であり送信機である」という一節があるがその通りであろう。その中でも守護霊の思想が最も反映されているのだろう

     

    高級霊の通信によると地上の生物創造の任務に当たっている高級霊は強い思念の照射によって地球上の生物を創造するという。日本神話には素戔嗚の尊など創造の神の話が出てくるが、まんざら作り話ではないということになる。とにかく思念は強い力を持っていて死後の世界ではそれを使って生活するようになる。集中力や意志の力を地上生活中に十分に養っておくことが大切だろう。

     

    23日に犬を連れて(どこでも愛犬がお供する)城山という桜の名所に行ってみた。二十四の瞳のロケが行われた場所である。そこには高峰さんと生徒たちが電車ごっこをしているシーンの石碑が置かれている。その場所で瞑想してみると高峰さんからのテレパシーを感じ取ることが出来た。その人が実際にその場所で活躍した場所はその人のエネルギーが残っているので通じやすい。


    nijyuusi.jpg 
     二十四の瞳電車ごっこのシーン


    高峰さんより

    「その頃は私の人生の中で夢中で駆け抜けた時代でした。二十四の瞳は生涯を通して最も思い出に残る映画でした」。

     

    上記のメッセージからわかるように要点だけが伝わることになる。あちらからのメッセージは地上の者同士の会話のようにはならない。理由は一つのイメージがエネルギーとしてある人物に投射された場合、それは言葉ではない。その内容が受信した者によって自動翻訳された形で出てくるので流暢さを欠くことになる。今のところ翻訳者が持つ霊的エネルギーが翻訳の原動力ではないかと感じている。

     

    始めまして私は何々です。突然お電話を差し上げて云々などという表現は出てこないのである。文章として表すとぎこちない感じになるのは仕方がない。また細かい事は伝えようにも伝えられないということになる。伝えたいことの核心だけということになる。また翻訳者の思想も多少は紛れ込んでくるので100パーセント伝えるなどということは不可能なことである。またあちらも地上への意志の伝え方を練習する必要があるようである。全く関心がなければそういう気も起きないだろうし、伝え方など知らないということになる。妻の父は生前技術関係の仕事をしていてそういう事に関心が強かったようで通信の仕方は上手なようである。


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