今はそちらにいた時のような苦しみがない。余計な事を気遣う必要がないからね。体の事を気にしなくていいのは本当に楽。死んだらその悩みから解放されるからね。
こちらから見て一番喜ばしい事は残った家族が皆、元気に生きていること。幸せを感じて生き生きと生活している姿を見ることが最も嬉しい。
逆に悲しかったり怒ったりそういう気持ちで生活している姿を見せることはこちらの者に心配をかけることになる。死んだ者は何も知らないと思うことは間違いでこの世にいた時よりもはるかによく知っているから。
大空さん
霊的真理に目覚めても、前回大空さんに言っていただいたように
「言うは易し行うは難し」です。
いまだについつい 悲しくなってしまう事があります。
その時は誰もいない家で思いっきり泣くことにしました。
5分泣いたそのあとに千秋には
「ごめん ごめん もう 大丈夫 気が済んだから。」
と笑って謝っています。
旧ホームページの「死後の世界」に自殺者は苦しみがさらに大きくなるというようなことを書いていらっしゃいましたね。あまりに一面的で浅薄な見方に怒りを覚えました。
私の息子は発達障害のうえ精神の病に長いこと苦しんで、ある日、親の不注意からあることがきっかけで発作的に自らの命を絶ってしまいました。息子は生きているときも苦しんで、死んでからはさらに大いに苦しということになるのでしょうか。救いようがありませんね。
息子を救えなかった私、適切な治療を怠り息子を死に追いやった医者、私たちは自殺さえしなければあの世で幸せ、ということなのでしょうか。
もしあなたに霊能力があるのでしたら、息子とコンタクトをとっていただけないでしょうか。
大空様
いつも暖かく、わかりやすく教えてくださりありがとうございます。
自分や亡くなった娘にあてはめてみて、頑張って理解しようとしています。
勿論、このホームページだけでなく、リンクされている方や、そこで紹介されている精神世界の本や、その他のところでも学んでいます。
霊的真理を理解することが、大切な娘を亡くした悲しみから解放されるからです。
小児がんになり、たくさん苦しんで、たくさん頑張った娘。
もうすぐ七年になります。
最近やっと私たち家族が、霊的真理を学ぶきっかけをつくるために、早く亡くなったんだなぁ~と思えるようになりました。
娘が病気と闘っている頃、人間は愛ある人と、鬼のような人との二つの種類があって、愛ある人には感謝して、鬼のような人には怒りを抑えきれない自分がいました。人を恨みました。自分のことも恨みました。
でも、こうして真理を学んでいくうちに、魂年齢だから仕方ないと思えるようになりました。
私たち家族が、真理を学んで理解し、幸せになり、みんなの幸せを祈り行動することにより、娘はもっと幸せになります。娘を愛しているからです。
自死された方も、ちょっと時間はかかるかも知れませんが、同じです。
いつも明るくいられるわけでもありませんが、繰り返し真理の本を読んだり、ここにお邪魔させていただいたりして、心を立て直しています。
かわいいチョコちゃんにも癒されています。
娘さんの素敵な言葉と写真に、心がお洗濯されてすっきりさわやかになります。
あいがとうございます。(^^)!
ぴょいぐるみさん
ありがとうございました。
子宮剄癌で痛みに苦しんだ妻が他界して8カ月が過ぎました。
ぴょいぐるみさんのコメントに勇気をいただきました。
私も霊的真理を学び続けて 妻に再会できるように魂を高めていきたいです。
前回の大空さんの言葉を印刷して 財布に入れています。
悲しくなったら読むようにしています。
大空さん ありがとうございました。
魂の旅は永遠
離別の苦難は魂を目覚めさせるためにあるのです。
目先の悲しみよりも永遠の魂の旅においては
魂の成長の方が意味があるのです。
別れたと思っている人とは必ず再会します。
離別は一時の悲しみ、魂の旅は永遠です。
池尾さん
他人が何を言っているかよりも自分が如何に理解していくかということが大切だと思います。自分が心から理解できることを受け入れることだと思います。全ての面で同じことが言えるでしょう。
自分の理解できないものは受け入れる必要はありません。拒否なさってください。
一つ言えることは私達の人生には絶対公正のルールが働いています。それは今生の人生だけでは到底わかりません。永遠の人生という尺度からみて初めて理解できることです。
自分の人生は理不尽である、不公平であると感じるのも無理はありません。
しかしそれは限局された視野から見ていることになります。
自ら命を断つ事はやはり神の定めたルールに違反していることになります。
しかし何事にも例外というものがあります。人の行為は神の摂理によって一つづつ裁かれます。その大きな基準になるものが動機です。
動機が純粋であることが何よりも意味があります。動機が純粋であれば罰せられることはないと考えてよいでしょう。
例えば自分が自ら命を断つことが他の者を救うことになる場合、こういうケースは情状酌量になるでしょう。それでもある程度の罰は免れることはできないでしょう。
それから自らが精神障害や肉体的障害がある場合、正常な判断力が働かないので遥かに罪は軽くなるでしょう。
自殺は全部が全部罰を受けるわけではありませんが総体的に見ればどうしてもそれなりの罰則(ペナルティ)免れることはできないでしょう。しかし例外もあるということです。
また精神的障害などを持ってこの世に生まれてくるケースで多いのが前世のカルマを解消するためであることがあります。あえてハンディを抱えてその苦難を体験することによってカルマを解消しようとするのです。そういう場合は前世を体験していて経験豊かな霊であることが多いようです。この世で表現していた自分というものは本体のほんの一部であり死後は霊に戻ると本来の自分に戻ります。ハンディを抱えてこの世で生活していたその人の個性は仮の姿に過ぎず重荷から解き放たれて自由になります。
このようにその人の生き様をこの世の目だけから見て判断することはできません。
それは私達に出来ることではありません。
自殺に関することを書いた書物はたくさんあります。
「シルバーバーチの霊訓」。カルディックの「霊の書」それからインペレーターの「霊訓」などなど多くあります。それらを得心するまで読んで見られることをお勧めします。私のブログのリンク先に「スピリチュアリズム普及会」があります。
そのサイトでそれらの書物を読むことが出来ます。
大空
ぴょいぐるみさん
見ていただいてありがとうございます。
人の心は浮き沈みがあり昨日はあんなに爽快な気分だったのに今日は落ち込んでしまう
ということがよくあります。そして自分の心は思うようになりません。
本当に灯台下暗しですね。
何度も浮き沈みを繰り返しながら何年か先に振り返ってみれば自分の成長の跡が見える
のでしょうね。
霊的真理の道を歩めばいつしか離別の苦難も軽くなっていることでしょう。
ご精進を祈っております。
コバチャン本舗さん
何事も実践できてはじめてわかったと言えるのですね。
それまで何度も何度も心が揺さぶられることでしょう。
それは私も同じです。
体験をするためにこの世に来ているのですから。
性根に入るまで!
お互いがんばりましょう。
私の言葉を大切にしてくださって本当にありがとうございます。
身に余ることです。
大空様
霊的真理を学んでいくと、生きやすくなってきました。
これからも精進していきます。
お返事をくださり、ありがとうございました。
コバチャン本舗様
ありがとうございました。
体に良いご飯をいっぱい食べて、しっかり寝て、ちょっとした運動をして、笑顔の練習をして、元気になって、奥様が笑ってくださるように(^^)
コバチャン本舗様の人生を歩んでください。
私も頑張ります。