法要に向けて
2012.05.10 10:44|親族、友人の霊界便り|
時間は丁度夜の9時。私が夕食後、うたた寝をしていて目が覚めるとパッとスクリーンが目の前に広がっていた。それは目を開いていても閉じていても変わらない。背景はスカイブルーでその中心部に叔父の姿が見える。髪は黒々として去年現れた頃よりも一段と若々しく感じる。にこやかな表情で気分も良さそうである。そこで私は神棚を祀ってある部屋に移った。毎朝祈りをする部屋である。叔父はそこで意志を伝えてきた。週末(3日後)には叔父の三回忌があるので彼は地上世界に戻ってきているのだろう。去年の二回忌以来、約1年間全く音信不通(こういう言葉を使うのは変かもしれない)であり彼はあちらで忙しくしているのだろうと思っていた。こうして現れてくれるというのは感動的である。
「お前もよくやったな。でも歳を取った。歯医者の仕事は神経を使うからそれが元で今の病気を引き起こしたのだろう。ゆっくり静養しなさい」。
そこで私は握手がしたくなって彼のほうへ手を差し伸べた。すると彼は私に近づき肩に手をまわして抱擁してくれたのである。こういう現象を言葉で説明するのは極めて難しく本人にしかわからない感覚だと思う。第三者には幻覚を見ていると感じられても仕方がないだろう。
「Mちゃん(私の娘)も病気をしていて大変だがお前はちゃんと治るように助けてやれよ」。
叔父の姿が消えると直ぐに今度は父の姿が現れ、意志を伝えてきた。
「Mのことは心配ないからお前は親としてしっかり支えてやれよ。上から助けてくれているから大丈夫だ」。
明日は娘の検査の日であり父はそれを知っているし、去年の娘の入院の時と検査の時には現れて見守ってくれていたし娘もそれを見ている。翌朝の祈りの時に神の間に入ると再び父と叔父の気配が感じられ、二人は私と一緒に神に祈りを捧げた。私一人ではなく3人で祈ったのである。
それは去年の二回忌の時と全く同じパターンであり、やはり法要の時が近づくと彼らはこちらに帰ってくるのだろう。それは霊感のある人間にしか感じられないかもしれないが、一番大切なものは何と言っても遺族の他界した人への愛であろう。法要の真の意味とは単なる儀式をすることではなく本当は愛の交換の場であるべきだと思う。愛が両者を結ぶ絆となり、彼らは私たちに何か事ある時には必ず守ってくれているのである。
「お前もよくやったな。でも歳を取った。歯医者の仕事は神経を使うからそれが元で今の病気を引き起こしたのだろう。ゆっくり静養しなさい」。
そこで私は握手がしたくなって彼のほうへ手を差し伸べた。すると彼は私に近づき肩に手をまわして抱擁してくれたのである。こういう現象を言葉で説明するのは極めて難しく本人にしかわからない感覚だと思う。第三者には幻覚を見ていると感じられても仕方がないだろう。
「Mちゃん(私の娘)も病気をしていて大変だがお前はちゃんと治るように助けてやれよ」。
叔父の姿が消えると直ぐに今度は父の姿が現れ、意志を伝えてきた。
「Mのことは心配ないからお前は親としてしっかり支えてやれよ。上から助けてくれているから大丈夫だ」。
明日は娘の検査の日であり父はそれを知っているし、去年の娘の入院の時と検査の時には現れて見守ってくれていたし娘もそれを見ている。翌朝の祈りの時に神の間に入ると再び父と叔父の気配が感じられ、二人は私と一緒に神に祈りを捧げた。私一人ではなく3人で祈ったのである。
それは去年の二回忌の時と全く同じパターンであり、やはり法要の時が近づくと彼らはこちらに帰ってくるのだろう。それは霊感のある人間にしか感じられないかもしれないが、一番大切なものは何と言っても遺族の他界した人への愛であろう。法要の真の意味とは単なる儀式をすることではなく本当は愛の交換の場であるべきだと思う。愛が両者を結ぶ絆となり、彼らは私たちに何か事ある時には必ず守ってくれているのである。