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    大空澄人

    Author:大空澄人
    これまで自分の探求してきたものを 「いのちの波動」 というページ上で表現してきましたがPCのトラブルによりこのページに引き継がれました。一時的にご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます。

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    人間は霊的存在

    2023.06.16 05:00|真理を求めて
    紫陽花


    瞑想などによって霊的な自分にアクセスすることが出来たら地上の諸々のストレスとは縁が切れた状態になり、爽やかな気分になれる。また指導的存在からアドバイスを受けることもある。その時の現象は別世界を覗いたように感じるだろう。ところが元に戻った途端に諸々のこの世の迷い事がべったりと付着してくる。それから考察するとその心境の時には霊的な自分(本当の自分)が一時肉体の影響から自由になった状態と表現すれば良いかもしれない。人間は日常生活(地上生活)では肉体によってがんじがらめに縛られている事を実感出来るだろう。

    夢では一時肉体を離れて自由になっているが残念ながら目が覚めて顕在意識に戻ったらその時の体験は人間の脳によって消化し切れず、忘れるか変形して妙なものになってしまっている。ともあれ人間は肉体を離れたらこの世のストレスから解放されるのであろう。一部例外はあってもそれは間違いないと思う。


    家の紫陽花

    煩悩はしぶとい 

    2023.06.04 08:46|真理を求めて
    IMG_20230603_152316.jpg


    少しくらい霊的真理の知識を得ても精神修養を重ねても、何か新たな事態に直面すると煩悩が頭をもたげて来て不安に襲われる。それ程煩悩というものはしぶとく根強いものである。人間が肉体に宿っている限り完全に切り離すことは難しいだろう。

    唯、知識を得た上で訓練によって一時の意識の切り替えで霊の心を呼び起こす事は可能になると思う。その時には煩悩は消えて爽やかな心境になっている筈であり、これまで何とつまらない事で悩んでいたのかと感じるだろう。本当の自分というものはそれまで考えていたより遥かに大きなものであり、地上世界を超えて霊界にも繋がっていることが直観でわかるからである。

    それが出来たらこの世での修行も一応成果があった事になるかもしれない。その声を道しるべとして残りの人生を過ごせば良いということになる。一方で一部には肉体を捨てた後も尚、霊的意識が目覚める事もなく煩悩を携えて生きている者もいて憑依という形を取って地上に悪影響を及ぼしているようである。

    何故わからないのか

    2022.10.22 05:00|真理を求めて
    瀬戸の夕焼け 2

    世の中の殆どの人が自分は肉体だけの存在ではないということが理解出来ないのは霊や霊界の存在を実感できないからであろう。重苦しいこの世が全てと思っている。この世とは違う霊妙な波長の世界を身を持って感じ取れるようになれば霊界が実在することがわかるだろう。本を読んだだけでは本当にわかったとは言えず、理屈でわかったら次は実体験ということになる。

    だが肉親や親しい人との離別を体験してもまだわからない人が多い。この世を去った人は肉体が滅びてしまって何も残らない、その人は消えてしまった。実際は肉体の五感で感じ取れないだけなのだがそういう風に受け止めているようである。霊や霊界の存在を実際に感じ取ることが出来たらこの世だけが全てではないことがわかるだろう。しかしそれは容易な事ではないのである。最近は日常生活の中でAIなど人工的なものが一段と勢力を増やしている事もあり霊的な話を持ち出したりすると怪訝な顔をされることが多い。現代人は自ら人の心の本質から遠ざかっているように感じるのである。

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    肉体は一時の借り物

    2022.06.28 05:00|真理を求めて
    漁師の家

    肉体が本当の自分自身でないことは様々な肉体の活動を観察して見るとよくわかる。肉体は自分の意思に関係なく様々な活動をする。生理現象はその代表的なものであろう。常に自分の思うようにはならない。睡眠や休息を要求して来るし、無理をすると必ずどこかに故障が起きる。肉体はその原理に沿って活動しているので人間はそれを無視して生活を続ける事は出来ない。一旦故障を起こすとそれが治るまで静養しなければならず、大きな負担を強いられる。

    それらを見れば分かるように人間は常に肉体を労わりながら生きて行かねばならない。下手をすると一生肉体に振り回されて人生を過ごす事にもなりかねない。これらの事は肉体を自分自身と思っている限り理解し難いだろう。が、肉体はあくまでも霊である人間が地上で人生を過ごす為の道具、借り物なのであり、時期が来れば地球に返して故郷である霊界に帰っていくことになっているのである。

    生にしがみつく人たち

    2022.06.24 05:00|真理を求めて
    水子地蔵

    人間は高齢になれば誰でも悩み事の尽きないこの世の環境にうんざりしてくるはずである。これ以上嫌なものを見たり聞いたりしたくないと考えるようになるのが大半の人ではないだろうか。その上、自身の身体が老化の為にあちこちに支障が出て悩まされることになる。死は確実に近づいていることはわかる。しかし死ねば全て終わりと考えている限り死ぬことは限りなく怖い。そこでこの世の生にしがみついているのが大半の人ではないだろうか。死後の世界を確信出来れば生への執着は消えるであろう。しかしそれは殆どの人にとって容易な事ではない。死後の存続について真顔で語るとそれまでの自分に対する相手の態度は変わる。大半の人がそうであり、その時を境に壁が出来てしまう。こちらをおかしな事を言う人だなと感じている事がわかる。

    人間は肉体を離れてしまえば現在抱いている悩みや不安の多くは消えてしまうであろう。何故なら肉体を持っていたことによって金や食べ物や家、その他、数々の持ち物(殆どの人が持ち過ぎ、その為に余計な悩みを背負い込んでいる)、またややこしい人間関係など物質世界特有のものに強く引き付けられていたからである。肉体を持っている限りその環境からは逃げる事が出来ない。肉体と別れてそういうものとは関係が切れてしまったことが分かれば自然に身も心も軽くなるというものである。住む場所が変わったのであり、肉体という牢獄から解放されるとはそういう事だろう。そうなると自然に心に浮かんでくるものは自分が生前行ったことに対する反省や後悔というものかもしれない。生前よりも物質世界の環境の中で抑え込まれていた良心が目覚めてストレートに表面に出て来るというわけである。あの時あの人にもっと優しくしてあげたら良かったのにとか自分の至らなかったことに気が付くようになるのではないだろうか。それが霊界の審判ということになるのだろう。

    補足
    瞑想をしてみるとよくわかるが意識のシフトによって一時的に日頃の煩悩から解放されるととても清々しい気分になる。しかし元に戻った途端それまでの煩悩に塗れた自分に戻ってしまう。それでも瞑想によって日頃の事に忙殺されている世界とは別の世界があることがわかる。生にしがみつくとは肉体にしがみつく事でもあり、シルバーバーチの言葉「肉体という牢獄に鎖で繋がれた地上の人間」を実感せずにはいられない。

    Can't skip Hope

    2020.04.11 14:17|真理を求めて
    risu.jpg

    世界中がコロナ禍の今、人間がそれに如何に向かい合い行動すべきかを表現した動画が知り合いの方から送られてきましたのでご紹介します。癒しのエネルギーが込められ、分かりやすく詩的に表現されていますので出来るだけ多くの人に見て頂けたらと思います。

    Can't skip Hope


    https://www.youtube.com/watch?v=70tcUNgd8IM&list=RDCMUC5D1TiKg5e0Q2FDzlBk2mdA&index=3


    エリザベス女王のメッセージ

    2020.04.06 15:02|真理を求めて
    夕方の雲 


    イギリスでは4万人以上が新型コロナに感染し、5千人近くが死亡しているとのことである。そんな折、エリザベス女王がイギリス国民に向けて演説したとの報道を目にした。今は大きな混乱の渦中にあるけれど国民の結束を持って今の苦境を共に乗り越えましょうという内容のようであった。私はその背後に霊界の力が働いているのを感じた。霊界側がエリザベス女王を通して国民にメッセージを出したのであろう。イギリス国歌 God save the Queen の通りである。

    各国家ごとに守護霊団が付いているので危急の時には救いの手を差し伸べる。歴史を振り返ってもそれを感じさせるものがある。キューバ危機の時、それから今年早々のイランとアメリカの一触即発の軍事対決など大事にならずに済んできたのは霊界からの働きかけがあったからではないだろうか。

    今のウイルス感染拡大は人間のこれまでの知識の範囲外の事なので人間は慌てている。歴史上、人類は常に様々な脅威に脅かされてきたがそれを克服してきた。今回もやがては解決の糸口が見つかり、それは人類の新たな知識として付け加えられることになるのだろう。

    本能寺

    2020.03.13 10:23|真理を求めて
    信長墓  
          静かに佇む信長公の墓石

    去年の暮れに私は京都を訪れた。清水寺など有名な観光地は中国系の観光客で溢れていてそれは賑やか、というより騒然としていて早くここを脱出したいと思うほどであった。1月10日の「さ迷う人々」と1月22日の「人は人」の写真はその時の二年坂の風景である。 騒然とした場所を離れて私は六波羅蜜寺や建仁寺に行ってみたら人は少なくやれやれという気持ちになれた。昨今は安易に京都の有名寺院などに行くものではない。

     

    翌日、去年も訪れた本能寺に行ってみたら境内に入っただけで霊的エネルギーを感じた。去年は信長公の廟の前に立つと感じたものが境内全体に充満していた。その時に身に受けたインスピレーションは次のようなものであった。

     

    「昔は話し合いで片が付かなかったら殺し合いをしてきた。しかし今は話し合いで片が付くようになってきている」。

     

    戦国時代から400年以上が経過して人間は霊的に成長したのかもしれない。物的欲望はむしろ増幅しているかもしれないとしても。少なくとも敵の一族郎党を皆殺しにしないと自分の身が危ないというような状況にはない。今でも世界を見渡すと一部に例外はあるかもしれないが。

     

    年明け早々イランとアメリカの間で戦争が起きるかもしれないと世界が危惧したことがあり、記憶に新しい。しかしこの時には双方が自重した結果大事に至らなかった。法則が働いたのかなと私は感じた。イランにはイランを取り巻く法則があり、アメリカにはアメリカを取り巻く法則がある。法則はその時の人間の進化に応じたものになるので以前ならば全面戦争になるところが小競り合いで済んだり、話し合いで解決出来るようになるのであろう。人間の取りうる行為にはその時その時の限界がありそれ以上のことは出来ない。それが法則の働きということになる。騒然とした世の中ではあっても裏では静かに人類の進化が進んでいるということになるのだろう。

     
    信長公廟 立札



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    守護霊の示唆

    2019.09.11 07:18|真理を求めて
    秋の雲と作品 


    素直で我の少ない者は守護霊から見て導きやすい。逆に我の強い者、つまりひねくれ者は霊的に未熟な者であり、この世で様々な軋轢を引き起こす。そのような者に付いている守護霊は苦労も多いがその者が更生した暁には大きな喜びを味わう。

     

    困った時には心を澄ませて守護霊に意識を向け指導を仰ぐ事。そうすれば何らかの示唆があるだろう。参考までに家などの物質的な問題が霊的に影響を及ぼす事は無い。

     

    守護霊はとても身近な存在であり付いている人間の事を誰よりも理解している。皆が守護霊の存在をもっと知り、感じてくれるようになったら間違いを侵さないようになるのだが。守護霊と共に人生を過ごしていることを忘れないように。






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    目を閉じれば

    2019.03.27 09:43|真理を求めて

    蜜柑 


    目を閉じればそこはこの世の喧騒とは無縁の霊的世界が広がり、その心地良さは言葉で表現しようがない。それを人間の五感で表現するのはそもそも無理なのである。だから霊的世界をこの世の言葉で表現するのは難しくその何分の一くらいしか表現出来ない。

     

    五感はこの世だけに通じるものであり、一旦この世を離れると力を失う。霊的世界を垣間見てこの地上世界に戻ると途端に不安、動乱の様が伝わって来る。このギャップは大きい。この世は物質の波動によって満たされ、常にざわついていて本当に心休まる場所はない。

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    心で触れ合う

    2018.08.15 18:01|真理を求めて
    朝焼け

    今年の2月初旬、朝の瞑想の時にYさんが現れた。そして「霊界ではお互いの目を見つめ合うと考えていることがわかるので言葉を交わす必要がないのです」と言う。このメッセージはもちろん地上の言葉ではなくインスピレーションとして受け取ったものである。

     

    この事は地上の言葉では表現することが出来ない。事実Yさんがすぐ傍に来ていることを感じてとても暖かいものを感じたが、これまた地上の生活においては無いものである。

    Yさんだけでなく霊界の人々は言葉ではなく心で触れ合いをしている。Yさんの場合は父や母、叔父達とはまた違うものを持っている。それぞれの個性が表現されていて霊界ではすぐに誰というのがわかるのだろう。肉体や物質の壁がない環境においては自然とそうなるという事だろう。あちらは感性の世界ということになるがそれをこの世の言葉で表現するのは難しい。

     

    とにかく人は殆どそういう世界に行くのだからそういう事を知っておく必要がある。この世とは全く別の世界なのだから。中には幽界の下の方でウロウロする者も多いが、そうならない為にはこの世にいる内から霊的事実を知っておかねばならない。

    実際には霊的事実を何も知らずに他界するケースのほうが圧倒的に多いのではないだろうか。そういう人たちはまず幽界の下の方で引っかかってしまうだろう。何とか生きているうちに知っておいて欲しいとこちらが願ってみても彼らは肉体としての自分と五感で感じるものしか理解出来ない。死後の世界の事等を大真面目に話すとこちらが変人扱いされてしまうのだからどうしようもない。将来困ったとしてもそれは自己責任なのだから仕方ないのだが。

     

    でも霊界ではそういう無知な新参者を教育して導かねばならないから大変だと思う。霊界の方でもあまりにも無知な新参者が殺到するので困っているのではないだろうか。シルバーバーチを始めとする霊界からの啓示においてはその霊的教育が一つの柱なのだろう。何しろ地球はビリから2番目に霊的進化の遅れた惑星のようだから。

     

    ともあれ相手が横に来ただけで心が満たされるということは地上生活ではあり得ないことであり、地上の人間関係は本当は浅いものであろう。肉体が邪魔をして真の心の触れ合いは出来ないのである。地上の人間は本当の心の交流をしていない。皆、孤独なのである。



    霊性心

    2018.03.23 09:46|真理を求めて
    IMG_0015.jpg 

    霊性心が表面に出て来るようになると自分の身の回りの事もそれに沿うようになってくるようです。不思議な事に嫌な事が減ってきます。自分の出す霊的エネルギーが周囲に影響すると共に霊達から守られ導かれるようになるからでしょう。逆に肉体的欲望が表面に出て来ると争い事に巻き込まれたり、身の回りに嫌な事が増えてくるのを実感します。それらを一言で表現するなら摂理の働きと言っていいのかもしれません。

    霊性心が自分を支配するようになれば自然に小欲知足の生き方をするようになるでしょう。肉体的煩悩に支配されて生きれば餓鬼の世界。霊性心、良心の声に従って生きれば仏の世界となるでしょう。落ち着き、静寂、これらは霊性心が表現するもので言葉で説明するのは難しい世界です。

    霊の心と肉の心

    2017.12.04 11:49|真理を求めて
    人の心

    晩秋に紅葉で知られた小豆島88か所の石門に行ってみるとこういう文句が書かれていた。
    これを霊的真理で表現するならば以下のようになるかもしれない。

    人は霊と肉体の二重構造になっているので、霊の心と肉体の心の間を毎日のように行ったり来たりを繰り返す。しかし地上にいる間は完全に霊の心で暮らすことは不可能なので基本的にこの事を理解していればいいのではないだろうか。それを知らないと煩悩にまみれた今の自分の心がすべてと思ってしまうだろう。

    仏様の心とは霊の心、鬼の心とは肉の心ということになる。



    晩秋の石門

    雑事の重荷 

    2017.10.19 06:46|真理を求めて
    吉野 2

    地上生活の特徴は昼夜があって毎日が一区切りになっていることであろう。色々あっても日が暮れるとひとまずは終わる。この世を去って霊界に行くとそういう区切りがなくなるので何かをやろうとすれば制限なくやれる。疲れたら休めばよい。反面,同種の苦しみがずっと続くことになる。地上では寝たら一応そこから離れることが出来るが地上を去ればそういう事は出来ない。

     

    この世の生活の特徴は日々の生活が殆ど雑事で占められる事だ。雑事に追われて一日が終わる。雑事に追われて一生を過ごす者もいよう。人間は物質の世界の管理人なのでその重荷からは逃げられない。これは一種の罰である。

     

    多くのものを持つほどその負担は大きくなる。故にこの世の生活においては必要最小限のものを持っておればよいという事になろう。人間にとって物質の世話をする事はこの世での義務であり、自らの修業なのである


    前進と後退

    2017.08.13 06:25|真理を求めて
    くれ

    人間は常に前進と後退を繰り返す。わかったと思っていたら再びわからない状態に戻ってしまう。しつこいくらいこれを繰り返す。この状態は人間がこの世では霊と肉体という二重構造になっている事に起因する。霊としての自分はわかっているのに肉体としての自分がすぐに引き摺り下ろそうとする。一日のうちにも行ったり来たりしている。

    やがては肉体を捨てて霊だけになってしまえばこのややこしい構図から解放されてすっきりする時が来るであろう。この世で人生を過ごすには肉体という乗り物が必要だが、それは様々な悩みを引き起こす。誰にも思い当たることがあるはずである。

    霊としての自分が本来の姿なのであるが人々はそれを知らず、また知ろうとせず、無知のままこの世の人生を過ごしている。そして肉体の重荷から解放された人をいたずらに嘆き悲しんでいる。

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    霊界の意志

    2017.03.04 10:05|真理を求めて
    IMG_0006.jpg  

    夕方の犬の散歩に城山に出かけてみた。国民宿舎から見る夕日は絶品であり駐車場にはよくカメラを構えてシャッターチャンスを待っている人を見かける。城山の遊歩道の傍に浜松市から送られた舘山寺桜が植えられている。二十四の瞳の映画監督である木下恵介氏は浜松市の出身であり彼の生誕百年を記念して小豆島に送られたものである。

    景色を眺め咲き始めた桜を見ながら道を進むと昔から花見で知られた場所に出る。私が子供の頃から桜が沢山植えられていて夜桜見物に来たことを思い出す。そこは前回の記事で映画のロケが行われた場所として取り上げたところである。

    その場所でちょっと瞑想してみる。前回に高峰さんからのテレパシーを感じた場所なので今回も何かあるかもしれないと思ったのである。するといつもの額や手のひらの痺れ感(霊的エネルギーは痺れとして感じる)とともに脳裏のスクリーンに現れたのは先ほどの木下恵介監督の姿であった。そして直ちにメッセージが伝わって来た。以下のような口調に感じ取れたが高峰さんや壺井さんとはかなり違う。

    舘山寺桜 
                           舘山寺桜

    「二十四の瞳には霊界の意志が込められているんだよ。壺井さんの小説は実際は霊界の後押しで書かされたようなものなんだ。私は監督としてあの映画を監修し、役者は役者として自分たちの仕事をした。皆がそれぞれの役割を果たした結果、あの映画が出来たけど、それらの背後には霊界の力が働いていたというわけ。事実上の監修者は霊界だったということだけど、そっちの人は気が付かなかっただろうね。
    当時私はそういうことには全く気が付かなかったけど、こちらに来てみたらそれがわかった。二十四の瞳は戦争の悲惨さを訴え、二度と人間が戦争をしないようにとの霊界の願いが込められた映画なんだよ。一般に不朽の名作などと呼ばれているものは例外なく霊界の力が働いているんだ」。

    そして
    「映画監督なんて自分の考えを役者さんに押し付けるんだから独裁者なんだよね。私も監督時代はさんざん無理を言ってきたと思うよ」。

    今回は木下恵介監督登場となった。彼の言葉は今回のストーリーを総括するものであり霊界通信の目的と全容が露わになったような気がする。霊界側の意図を感じさせるものがある。それは最初に雛人形を見に行ったらある人に「こちらにも展示されていますよ」と言われて壺井栄文学館に入った時から始まったようであるがそれが無かったら文学館には入っていないだろう。そこから次々に扉が開かれていったようである。

    IMG_0005.jpg

    その二日後再び犬の散歩にその場所を訪れたがこの時は最初から何かあると感じていた。歩いていると次のメッセージが入ってきたのである。私は歩きながら受けることが多いがリラックスして力みが抜けているからだろう。それは高峰秀子さんであった。

    「私たちは地上の人生で思い入れのあった場所には時々戻ってきて当時を懐かしむことがあります。ここ城山は私にとって思い出の場所なのです。当時に比べてかなり変わりましたが以前の面影が残っています。私たちを思い出してくれる人がいるのはとても嬉しい事です。そこに愛を感じるからです。それから木下監督は気配りの出来る人でしたよ。私たちを色々と気遣ってくださいました。それからあなたはあまり体調がすぐれないようですが余生を楽しんで生きてください」。

    二十四の瞳には霊界の願いが反映されているという事は私もこれまで考えた事はなかった。殆どの人は壺井栄さん自身が反戦思想家だからその小説を書いたと思っている事だろう。壺井栄さんの反戦の思想が霊界側に伝わり大きな後押しが得られたからあの小説が出版されて世に知られるようになり、そのわずか2年後に映画化され一世を風靡することになったのだろう。あの映画を見て涙した人も多かったと思う。それは霊界の力が働いた結果であろう。

    二十四の瞳映画村 

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    思念は生き物

    2017.02.28 09:43|真理を求めて
    一反木綿

    あちらからのメッセージはテレパシーで飛んでくるのでそれを受信できる人間は少数かもしれない。守護霊からは頻繁に指導の為のテレパシーを受けている筈だが殆どの人は気が付かない。反面テレパシーの送信は誰でもが出来ていて自分の出した思念は地上界、霊界の隔てなしに飛んで行き誰かがそれをキャッチしているのである。思念による意志交換は物質の影響を受けないので自由自在である。時間の制約も受けない。

     

    私たちが他の誰かに対し辛抱強く思念を送り続ければ相手は顕在意識で気付いていなくても潜在意識に蓄積され何らかの形で出てくる可能性があるのではないだろうか。守護霊がテレパシー(思念の照射)によって付いている人間を導こうとしていることを考えると理解しやすい。

     

    それには回路が存在することが必要になるが今回のケースでは私の知らない間に回路が出来ていたということだろう。高峰さんの顔が浮かんできたけど私は高峰秀子さんという人をこれまでに映画や写真で見ていてそれは潜在意識に記憶されていたからすぐに誰かわかったのであり、全く知らない人の場合はわかりにくいと思う。しかし何らかのエネルギーは感知しているだろう。

     

    犬の散歩コースに墓地があり犬の散歩の時にそこの道を歩くと必ず胸が重苦しくなりしばらく続く。何回通っても必ずそういう状態になるがつい忘れて通る事があり、ああまたやってしまったと思う。誰か地縛霊がいることは間違いないと思うがイメージは浮かんでこないので相手は知らない者なのだろう。相手にしないと離れていくが私のオーラが目立つから近づいてくるのかもしれない。長い間さ迷っているようであるが私は相手にしないことにしている。その重い感触が気味悪いが救済をしたほうがいいのかもしれない。

     

    前に私が歯科医をしていた時に朝の瞑想の時にある人の顔が浮かんできたことがあった。仕事場に赴くとその人が治療に来ていてなるほどと思ったことを思い出す。その人の歯医者に行かなければという思念がテレパシーで私のところに届いていたということになる。私はその人を良く知っていたのですぐにイメージが浮かんで来たのであろう。

     

    とにかく思念は生き物であり我々が考える以上に身の回りを無数の思念が飛び交っていると考えるべきであろう。遠隔ヒーリングの場合もヒーラーの思念を回路としてエネルギーの伝搬が行われる。ヒーラーが受ける人に意識を集中したら距離に関係なく思念の回路が出来るというわけである。受ける側が知らなくてもヒーリングのエネルギーは到達する。

     

    近年、イスラム過激派や極右など過激な思想に染まる人間が増えているのもインターネットを通じて感化されていることが取り上げられているが、それ以前に誰かが(顕幽の別なく)意図的に思念を流す事によって知らない間に親和性を持つ者の潜在意識にその思想が蓄積されているということも考えられる。思念はエネルギーを持っているからであり、強い思念を照射すれば必ず目に見えないところで何らかの反応が起きていると思う。

     

    シルバーバーチの霊訓に「一人一人の人間の思想には自分オリジナルなものは殆ど無く自分の思想と思っているものも実際は外部から入ってきたものである。人間は思念の受信機であり送信機である」という一節があるがその通りであろう。その中でも守護霊の思想が最も反映されているのだろう

     

    高級霊の通信によると地上の生物創造の任務に当たっている高級霊は強い思念の照射によって地球上の生物を創造するという。日本神話には素戔嗚の尊など創造の神の話が出てくるが、まんざら作り話ではないということになる。とにかく思念は強い力を持っていて死後の世界ではそれを使って生活するようになる。集中力や意志の力を地上生活中に十分に養っておくことが大切だろう。

     

    23日に犬を連れて(どこでも愛犬がお供する)城山という桜の名所に行ってみた。二十四の瞳のロケが行われた場所である。そこには高峰さんと生徒たちが電車ごっこをしているシーンの石碑が置かれている。その場所で瞑想してみると高峰さんからのテレパシーを感じ取ることが出来た。その人が実際にその場所で活躍した場所はその人のエネルギーが残っているので通じやすい。


    nijyuusi.jpg 
     二十四の瞳電車ごっこのシーン


    高峰さんより

    「その頃は私の人生の中で夢中で駆け抜けた時代でした。二十四の瞳は生涯を通して最も思い出に残る映画でした」。

     

    上記のメッセージからわかるように要点だけが伝わることになる。あちらからのメッセージは地上の者同士の会話のようにはならない。理由は一つのイメージがエネルギーとしてある人物に投射された場合、それは言葉ではない。その内容が受信した者によって自動翻訳された形で出てくるので流暢さを欠くことになる。今のところ翻訳者が持つ霊的エネルギーが翻訳の原動力ではないかと感じている。

     

    始めまして私は何々です。突然お電話を差し上げて云々などという表現は出てこないのである。文章として表すとぎこちない感じになるのは仕方がない。また細かい事は伝えようにも伝えられないということになる。伝えたいことの核心だけということになる。また翻訳者の思想も多少は紛れ込んでくるので100パーセント伝えるなどということは不可能なことである。またあちらも地上への意志の伝え方を練習する必要があるようである。全く関心がなければそういう気も起きないだろうし、伝え方など知らないということになる。妻の父は生前技術関係の仕事をしていてそういう事に関心が強かったようで通信の仕方は上手なようである。


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    重いもの

    2017.02.14 09:48|真理を求めて
    地獄界  


    自分の中に何か重苦しい塊のようなものがあると感じることはないだろうか?理由もなく常に何か重いものが存在しているように感じる。祈りや瞑想に入ると次第にそれが消えていき爽やかさに満たされる。

     

    重く感じるもの、それは地上世界の波動である。それが肉体を通して入ってくる。肉体が活動を停止すればそのエネルギーは弱まり清浄な気分になる。人間は肉体を通じて地上世界とつながっているので地上世界の重さや暗さが肉体を通して伝わって来る。つまり重く感じるものとは肉体を通して感じる地上世界のエネルギーなのであろう。

     

    朝、テレビやインターネットを付けた途端に地上世界の重苦しいものがこれでもかというくらい入ってくる。何という事だろうと暗い気持ちにさせられるが祈りを始めるとそういうものはどこかに行っている。自分が祈りや瞑想によって次元の違う世界に移動するからだろう。




    侵入者

    2016.12.23 09:05|真理を求めて
    まつたけ岩

    神の子として生きようと決意してもすぐにこの世の雑多なものが入り込んできて邪魔をする。それらのものは容赦なく侵入してくる。そういうものだとわかっているので自分の心を立て直す。すると元の清浄な状態に戻ることが出来る。

     

    常にその繰り返しが行われるのがこの世の生活の特徴であろう。真理への理解が進むほど(悟る程)立て直しに時間がかからなくなる。侵入者はどこかに行っている。この地上界の環境は自分の心を鍛えるのに最適なのかもしれない。

     

    雑多なものに捉われる時は視界が狭くなっている。そこから自分を解放すると視界が開けてくる。自分自身をしっかり確立しておけば侵入者の存在は小さくなる。自分がグラついていたりすれば大きくなる。

    注釈
    これはいつものインスピレーションではなく私自身の思いです。

    母の旅路

    2016.11.08 08:55|真理を求めて
    青い海と岩

    数日前に我が家で妻と長女と共に3年前に旅立った母を偲ぶささやかな催しを行った。世間で言う3回忌は去年子供や孫達全員が揃ったところで済ませている。それも我が家のダイニングルームでロウソクの灯りの元で静かなクラシック音楽を流しながら行った。去年も今年も宗教色は殆んどない。

    今回も同じように始めに私が母に語りかけ、その後各々が口に出さずに母に思念を送ろうということにした。始める前に適当な母の写真がないか探していたら両手のひらがしびれてきた。これは常に私が感じているもので霊的エネルギーを受けている時のサインである。そうなれば写真も必要が無い。通常、故人の写真を見る事によって自分の思念を集中出来る結果、霊界にいる相手に届き易くなる。

    その時には母はすでに我々がそういう催しをしようとしていることを察していたようである。このように縁ある霊界の人とは常につながっているので心配をかけたりするのは良くない。逆にこちらが喜びや幸せを感じている時にはそれを共有してくれる。大体において他界した人はしばらく経つと残してきた家族や財産への執着は無くなっている。彼らが望むことは残された家族が「元気に毎日を過ごす事、そして自分の人生を全うして欲しい」その一点に尽きるようである。

    地上時間で3年も経てば旅立った人はかなり進歩していて、それは地上の人間の成長よりも早いスピードで進んで行くようだ。母はその場に来てくれたが母の本質は変わっていない。しかし生前や他界当初の頃とは別人のように感じられるものがある。肉体から解放されると本来の霊性である自分の“大きな意識(霊的意識)”に戻っていくのだろう。意識の変容と言ってもいいかもしれない。地上人生においてはその“大きな意識”の一部しか表現されていないのでそれはその人物の全体像ではないのである。

    この世で表現している人物像は一時の姿、あるいは仮の姿ということになるだろう。私たちの本体はもっと大きなものなのだが肉体に宿ってこの世で生活している時には多くの制限を受けてその一部しか表に出てくることはない。

    我々はこの世では肉体を通して地上世界に繋がり、物質の波動の中でがんじがらめにされているということ、しかしその状況は自分の大きな意識が望んだ事である。このように人の意識には二つのステージがあり、日常、地上の人間は小さな意識(顕在意識)で生活している。大きな意識(潜在意識、真我)の片鱗をたまに感じることはあっても、それには気が付かない人が大半であろう。

    ともあれ霊的交流の場で感じる旅立った人達はおしなべて清々しく羽のように軽くて気持ちが良い。煩悩を生む肉体から離れるとこうも違ってくるのかと思う。この世の人達は地上世界を中心として見ているから感得出来ない霊界の事は夢、幻のように感じてしまうのである。そして異常なまでに死を恐れ、悲しむ。本当は逆であったことが分かるのは大半の人にとって死後になるのだろう。

    追伸
    感受性豊かな娘が自分のブログで母へのセレモニーについての感想を載せているので一読頂けたらと思います。人がそういうものを感じ取ることが出来た時、死生観は一変するはずです。

    「旅立った人はどんどん進んで行く」11月4日
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    公開ヒーリング体験記  その2

    2016.05.20 08:50|真理を求めて

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    さて私は見学者として参加していたが直接ヒーリングの申込者が今回は少なかったという理由で直接ヒーリングを受けるべく指名を受けたのである。来る前から何となくそういうものを感じていたがそれが現実になった。優しいヒーラーが私の横に座り左腕に手を当ててヒーリングを施してくれた。それは羽が触れたような感触であり私が祈りの時によく感じるもの、霊が隣に来てくれていると感じるものと似ていた。手を当ててもらっているところがだんだん暖かくなってきた。誰かに手を当ててもらうと手のひらからエネルギーが出て暖かさを感じるがこの時のものはあきらかに質が違い、しかも次第に暖かさが増していく。
    暖かさは全身に波及して行き、同時に手のしびれを感じた。手がしびれるのは朝の祈りと瞑想の時によく感じる現象であり霊的エネルギーを受けて体が反応しているのだろう。

    そのうちに動悸が始まった。自分でもかなり心拍数が上がっていることが自覚できた。脈拍数をチェックしてみようと思ったが腕を動かなければならないのでヒーラーさんの邪魔をしてはいけないと考えて止めた。ちょっと苦しいと感じるくらい脈拍数が上がっていたようでドックンドックンという心臓の鼓動が聞こえてくる。

    ヒーリングの時間は約10分であり、その間は瞑想状態を保っていたが終わりに近いと思われる頃につい他の事を考えてしまった。それは後で感想を聞かれた時に何と答えようかと思ったのである。何故なら私の心は喜びに満たされていてその気持ちを表現せずにはいられなかったのである。ヒーラーさんの生き仏のような態度や霊界の愛を直に受けて幸せの極致を感じていた私であったから。後で考えるとちょっと喋りすぎたかなと反省した。後の人のスケジュールに影響しなかっただろうかと…..。普段の私は無口なほうで余計な事は喋らないつもり。後で娘から「お父さんは状況を解説していたね」と言われた。
    そして「こちらと波長を合わせなさい」というインスピレーションを感じたが私がつい余計な事を考えてしまったからだろう。

    というわけで公開ヒーリングは私にとって至福の時であった。これまで霊的真理普及において一人で頑張ってきて(実際には背後霊の守護を受けてきたから孤独ではない)世間からあいつは変わった奴と思われたり、宗教者から敵視されてきた事もあった。今回のヒーリングでそれを補って余りあるものを頂いたのである。私は終わって会場を離れるのを名残惜しく感じた。自分の魂の故郷はこの世界にあることを実感することが出来た。

    尚、何故私が直接ヒーリングを受けることになったのか?その理由は自分の心の中ではある程度わかっているつもりだが今はあえてこの場で公表しないほうがいいと感じている。確かに私は持病を持っている。後になってその結果が見えてくるのだろう。

    3年半前に私は娘の病気の事でこのヒーラーグループに遠隔ヒーリングを依頼したことがあった。その時電話で申し込んだが相手の人と話をしている時に受話器を持つ左手が脈打っているのがわかった。その時に私は彼らがやっていることは本物であると感じたのである。電話をした時から霊医との通路が開かれるというのは本当である。そして娘が遠隔ヒーリングを受ける時間になると私も別の部屋で横になって瞑想状態にしてみたが普段手足の冷える私だが、体が暖かくなり愛に包まれている感じがした。紹介者にも霊的パイプが繋がっているようである。人間が感じる以上に霊界では様々なことが行われていると考えて間違いないだろう。

    ヒーラーグループによればヒーリングの最終目標はヒーリングを受けるその人の霊的覚醒であり、病気をもたらすものは心と肉体の不調和が原因であるから不調和が是正されれば肉体の病気は自然に治癒に向かうということである。また肉体の変調が治ったとしてもその元である心(霊、霊体)があるべき姿に戻らなければ病気はぶり返すことになる。病気はカルマが原因となっている場合があるのでその場合はいくらヒーリングをしてもカルマが切れるまでは治らない。カルマは神の摂理への違反の結果であるから誰もそれに手を加えることは出来ない。

    霊的治療は霊界の人類の浄化運動の一つの柱になっているようであり、そこに大きな力が注がれているということである。そしてこれはあくまでも霊界主導の事業であること。たしかに今回の公開ヒーリングを体験してそういうものを感じることが出来た。ヒーリングを受けたい人は前もってその内容をよく理解しておいたほうがいいと思う。ヒーラーグループのサイトを読むことによってその趣旨を理解することが出来る。

    この霊界主導の事業に携わるヒーラーグループは全員がスピリチュアリズム普及会のメンバーであり長年に渡って霊的真理普及の為に高い志を持って活動されている人達である。普及会もヒーラーグループも他に類を見ない高度な霊的知識を持ち、他のスピリチュアリストと呼ばれる人たちの模範であり、霊的真理の普及の為に献身的な努力を続けているサークルである。
    終わり                 

    公開ヒーリング体験記  その1

    2016.05.16 09:15|真理を求めて
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    私は先月、日本スピリチュアルヒーラーグループ主催の長岡京市で開かれた第13回公開ヒーリングに参加する機会を得た。公開ヒーリングは年に一度定期的に開かれ今年で13回目になる。これまでは横浜など関東地区で開かれてきたが今年から年に2回開催され、そのうち一度は関西圏で行われることになった。なるべく日本各地の人達が参加できる機会を増やしたいとのことである。私と娘は参加申し込みをしたが申込者が多いので抽選になるとのこと、参加出来るも出来ないも霊界からの指名によるだろうと思っていたが二人とも抽選が当たり参加できることになった。後で聞くと定員30名のところを90名の申込みがあったらしい。

    我々は小豆島に住んでいるので京都方面に行くには早朝出発しなければならない。開始時刻に間に合わせる為に当日は朝暗いうちに起きて早朝のフェリーに乗った。島はどこかに行こうとすると必ず船に乗らなければならない。その不便さはあるが自然環境はとても良い。

    家を出てからは額のアジーナチャクラと呼ばれる場所が長岡京方面から引っ張られているように感じた。吸引力が働き吸い寄せられているようであった。ヒーリングの会場に到着してその部屋に入ってみるとすでにそこは次元の違う空間になっていた。ヒーラーや関係者の方々とは初対面にもかかわらず、以前から顔見知りであったように感じられ全く違和感がない。お互いが無意識のうちにこれまでにテレパシーで意志交換していたかのような気がした。

    ヒーラーの方々は白い服を着ているが、とても物腰柔らかで初対面の相手を優しく包み込んでくれる。
    そして聖なる雰囲気が滲み出ていてこれは本物であると感じさせるものがあった。一般の医療関係者も白衣を着る(私もかつてはそうだった)がその雰囲気はかなり違う。医療関係の人間はどうしてもある種の緊張感を漂わせていて患者さんもそれを感じて緊張してしまうものである。彼らには一切そういうものがない。

    医療関係者はどうしても自分の力で患者を治さなければならないという思い込みがあるから肩に力が入り、それが緊張を生む。一方、スピリチュアルヒーラーは自分は霊力の通路であり、患者を治すのは霊界のドクターであると割り切っているから力む必要が無い。力みや自分へのこだわりがあると霊力の流れを妨げる。極力自分の我を抑えなければならないだろう。

    ヒーリングが始まり私は見学者としてその様子を正面から見た。場内に霊的なパワーが一段と充満してくるのを感じた。少し指の先に痺れを感じるがこれは毎日の瞑想の時の感触と同じである。そこで人のオーラを見る時の状態にしてヒーリングが行われている場面を見てみた。人のオーラを見るには自分の目の焦点を少しずらすような感じにすると見える。そうすると自然に軽い瞑想状態になり日常意識を少し離れることが出来る。オーラを見ようとすると自動的にそういう状態になるというわけである。

    ヒーリングが行われている場所の後ろは白い壁になっていたのでオーラを見るには都合がいい。壁を見ると人の形をした白っぽい影のようなものが何個も現れたり消えたりしている。また同時に丸い形をしたものも。そしてそれらが上下左右に動いていく。それは只ならぬ光景でありこれほどの規模のものを私は見た事がなく感動と興奮を禁じ得なかった。
    何人もの(10人くらいか?)霊医や関係者がその場に来ていて全員が一つの調和のもとに忙しく働いているのではないかと感じた。私が感じる所では彼らはやはり地上時代は医者であったためか優しい中にもそれなりの威厳がある。ちょっぴり厳しいところもあるような気がした。霊を身近に感じる時はその霊の個性や独自のエネルギーを感じ取るものである。女性の霊は優しくて包み込まれるような感じであり男性の霊は威厳や強さを感じることが多い。

    ヒーリングの部屋は神聖で強力なエネルギーによって満たされ、まさに霊界がその場に顕現していると表現するのがふさわしい。地上にありながら参加者は霊界を実感し、そこからの深い愛によって癒されるのである。そこには大きな魂の感動があり、その為泣いている人も多かった。人は感動を覚えると泣けてくるのである。                   
                                                                              続く


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    目的は果たせたか

    2016.03.25 09:33|真理を求めて


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    家族を守り、家を維持し、子を育てて一人前にし、自分の責任を果たした。社会への貢献も出来た。不正な事もせず真っ直ぐに生きてきた。

     

    時に煩悩から起きる衝動に負けることもあったがそれらは一般的な人間の行いの範囲内のことであった。全体としてみればそういう人間はこの世に生まれて来た目的は果たせたと考えればよいであろう。

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    一人ぽっちの人間はいない

    2016.03.09 10:39|真理を求めて
    八方池へ 

    あなたはたった一人で生きているのではありません。この世でも霊界からも常に見守られている事を忘れてはいけません。愛に包まれていることを知ってください。あなたはそのお蔭でここまで来られたのです。特に霊界からは無償の愛を受け続けています。どんな時にも決して見放す事なく守り、導いてくれている存在がいることを知ってください。


    限界

    2015.12.08 09:44|真理を求めて
    悟りの顔


    人は今の姿が限界であり、それ以上のものを表現することは出来ない。装うことは出来ない。社会的地位や職業に関係なく現在表現しているものがその人間の本来の姿である。

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    様々な姿

    2015.12.04 14:34|真理を求めて
    個性

    我がまま人間とは自分に都合の良い世界を作り上げてその中で生きている者。愛に乏しく、後でその修正を迫られる。


    とげとげしい人間は自分も周囲の環境もとげとげしいものになり、心穏やかに過ごせる時がない。


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    悪とは未熟な魂の表現

    2015.10.29 09:11|真理を求めて

    顔


    悪事を働く者(摂理に逆らう者)を憎む必要はありません。そういう者達には必ず神の裁きを受ける時が来ます。彼らにもあなたの目にもそれが見えないだけです。神は決して悪事を見逃すことはありません。


    そういう人間を待つ悲惨な運命を知れば、むしろ哀れみの感情が湧いてくるはずです。彼らは将来どういう境遇が自分達を待っているか少しも知らないのですから。


    悪とは未熟な魂の表現です。人間は神の一分子である故に未熟な者もいつかは向上して行かねばなりません。そのため摂理に逆らった罰として神のお仕置きを受けねばならないのです。それは神の大愛の表現です。


    目覚めた人は幸せ

    2015.09.11 14:47|真理を求めて

    日本海

    霊的に目覚めた人は幸せです。ようやくこの世に生まれてきた目的を達成できた事になるからです。それは次のステージに進級できるだけの資格を得たことになるからです。

    次のステージではより大きな仕事があなたを待っています。元々そのためにあなたはこの世に生を受け試練の期間を過ごしてきたのです。これからはつまらない問題に首を突っ込まないようにしましょう。

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    霊界から地上世界を見ると

    2015.08.14 06:45|真理を求めて
    風鈴

    霊界の人から我々を見るとどのように見えるのであろうか。彼らは人間の肉体を見ているのではなくそのオーラを見ているのである。つまり霊体を見ていることになる。霊体は肉体と重なり合っているので人間は死後霊体だけになってもその容姿は生前と何ら変わらない。

    死後は肉体が無くなるので五感で地上世界のものを認識することが出来なくなる。すると地上世界のものは何も見えなくなるのかというとそうではない。見えるけどその感触が違ってくるはずである。

    物質を認識できるけど固さがない、掴めない、動かせないということになるのではないだろうか。

    私はこの間、面白い夢を見た。いくつかの食器や家具類を掴もうとするけど掴めない。明らかに見えているのにフワフワでまるで気体のような感触がした。もちろん動かしたり持ち上げたりも出来ない。これはどう考えてもあちらに行った時のこの物質世界の感触を体験しているに違いないと感じた。

    オーラは人間や動物だけではなく昆虫などあらゆる生き物にある。それだけではなく鉱物など自然のものにもある。我々の身の回りのもの、ボールペンや携帯電話などにも全部オーラがある。オーラが見える人ならわかると思うが遠くの山を見ても山が薄ぼんやりとした色彩のものに囲まれている。木や葉も独特の色をしたオーラに包まれている。人の作った建築物にももちろんある。

    このように物質も二重構造になっているので地上世界の人間は物質の波長をキャッチし、霊的世界の人間は霊的な波長をキャッチしているということだろう。サイキックな能力があれば霊的な波長であるオーラが少し見えるということになる。ちなみにオーラは磁気的エネルギーであり人間が感知できるのはその一部に過ぎないようである。

    シルバーバーチの言葉の中に自分は地上世界の建物の壁を自由に通り抜けることが出来るというものがあるがそれは正に波長の違いによって物質は意味を成さなくなるということであろう。他界した人達は物質に影響されないのだから壁があろうがドアを閉めていようが自由に家の中に出入りすることが出来る。夜も昼も関係がない。

    地上の人間は物質しか認識できないので物質の世界以外は無の世界であり、死後の世界も認識できないから存在しないと思っている人間も多いがそれは実相の片面だけしか見ていないことになる。

    霊界からはその人間のオーラを見ているわけだからその人間の本質が見えることになる。オーラの色彩がその人間の進化の程度を現すので、霊界からはものを言わなくてもその人間の程度がわかるということになる。高級霊の目からはその人物が今までにどういうことをしてきたか一目瞭然ということになるだろう。我々は霊界の審判を待たずとも本当はこの世にいるうちから丸裸にされているのである。

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    自分が望む道を

    2015.04.13 09:29|真理を求めて
    西の浜

    自分が心からこうしたい、こうあるべきと思う道を選びましょう。他人の思惑を気にして自分の道を外すようでは人生を全うすることは出来ません。人にはそれぞれに摂理の枠が定められていますが摂理の許す範囲内で自分が望む道を進めばいいのです。