あちらからのメッセージはテレパシーで飛んでくるのでそれを受信できる人間は少数かもしれない。守護霊からは頻繁に指導の為のテレパシーを受けている筈だが殆どの人は気が付かない。反面テレパシーの送信は誰でもが出来ていて自分の出した思念は地上界、霊界の隔てなしに飛んで行き誰かがそれをキャッチしているのである。思念による意志交換は物質の影響を受けないので自由自在である。時間の制約も受けない。
私たちが他の誰かに対し辛抱強く思念を送り続ければ相手は顕在意識で気付いていなくても潜在意識に蓄積され何らかの形で出てくる可能性があるのではないだろうか。守護霊がテレパシー(思念の照射)によって付いている人間を導こうとしていることを考えると理解しやすい。
それには回路が存在することが必要になるが今回のケースでは私の知らない間に回路が出来ていたということだろう。高峰さんの顔が浮かんできたけど私は高峰秀子さんという人をこれまでに映画や写真で見ていてそれは潜在意識に記憶されていたからすぐに誰かわかったのであり、全く知らない人の場合はわかりにくいと思う。しかし何らかのエネルギーは感知しているだろう。
犬の散歩コースに墓地があり犬の散歩の時にそこの道を歩くと必ず胸が重苦しくなりしばらく続く。何回通っても必ずそういう状態になるがつい忘れて通る事があり、ああまたやってしまったと思う。誰か地縛霊がいることは間違いないと思うがイメージは浮かんでこないので相手は知らない者なのだろう。相手にしないと離れていくが私のオーラが目立つから近づいてくるのかもしれない。長い間さ迷っているようであるが私は相手にしないことにしている。その重い感触が気味悪いが救済をしたほうがいいのかもしれない。
前に私が歯科医をしていた時に朝の瞑想の時にある人の顔が浮かんできたことがあった。仕事場に赴くとその人が治療に来ていてなるほどと思ったことを思い出す。その人の歯医者に行かなければという思念がテレパシーで私のところに届いていたということになる。私はその人を良く知っていたのですぐにイメージが浮かんで来たのであろう。
とにかく思念は生き物であり我々が考える以上に身の回りを無数の思念が飛び交っていると考えるべきであろう。遠隔ヒーリングの場合もヒーラーの思念を回路としてエネルギーの伝搬が行われる。ヒーラーが受ける人に意識を集中したら距離に関係なく思念の回路が出来るというわけである。受ける側が知らなくてもヒーリングのエネルギーは到達する。
近年、イスラム過激派や極右など過激な思想に染まる人間が増えているのもインターネットを通じて感化されていることが取り上げられているが、それ以前に誰かが(顕幽の別なく)意図的に思念を流す事によって知らない間に親和性を持つ者の潜在意識にその思想が蓄積されているということも考えられる。思念はエネルギーを持っているからであり、強い思念を照射すれば必ず目に見えないところで何らかの反応が起きていると思う。
シルバーバーチの霊訓に「一人一人の人間の思想には自分オリジナルなものは殆ど無く自分の思想と思っているものも実際は外部から入ってきたものである。人間は思念の受信機であり送信機である」という一節があるがその通りであろう。その中でも守護霊の思想が最も反映されているのだろう
高級霊の通信によると地上の生物創造の任務に当たっている高級霊は強い思念の照射によって地球上の生物を創造するという。日本神話には素戔嗚の尊など創造の神の話が出てくるが、まんざら作り話ではないということになる。とにかく思念は強い力を持っていて死後の世界ではそれを使って生活するようになる。集中力や意志の力を地上生活中に十分に養っておくことが大切だろう。
23日に犬を連れて(どこでも愛犬がお供する)城山という桜の名所に行ってみた。二十四の瞳のロケが行われた場所である。そこには高峰さんと生徒たちが電車ごっこをしているシーンの石碑が置かれている。その場所で瞑想してみると高峰さんからのテレパシーを感じ取ることが出来た。その人が実際にその場所で活躍した場所はその人のエネルギーが残っているので通じやすい。
二十四の瞳電車ごっこのシーン
高峰さんより
「その頃は私の人生の中で夢中で駆け抜けた時代でした。二十四の瞳は生涯を通して最も思い出に残る映画でした」。
上記のメッセージからわかるように要点だけが伝わることになる。あちらからのメッセージは地上の者同士の会話のようにはならない。理由は一つのイメージがエネルギーとしてある人物に投射された場合、それは言葉ではない。その内容が受信した者によって自動翻訳された形で出てくるので流暢さを欠くことになる。今のところ翻訳者が持つ霊的エネルギーが翻訳の原動力ではないかと感じている。
始めまして私は何々です。突然お電話を差し上げて云々などという表現は出てこないのである。文章として表すとぎこちない感じになるのは仕方がない。また細かい事は伝えようにも伝えられないということになる。伝えたいことの核心だけということになる。また翻訳者の思想も多少は紛れ込んでくるので100パーセント伝えるなどということは不可能なことである。またあちらも地上への意志の伝え方を練習する必要があるようである。全く関心がなければそういう気も起きないだろうし、伝え方など知らないということになる。妻の父は生前技術関係の仕事をしていてそういう事に関心が強かったようで通信の仕方は上手なようである。
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