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    晩秋に思う

    2012.11.26 17:20|随筆集
     

    家の近くの防火用水の中で育っていた蓮も晩秋とともにこのように枯れてきた。
    自然は秋から冬にかけて急速にそのエネルギーを落としていくので人間も
    影響を受ける。訳もなく物寂しい気持ちになったりしがちだ。

    今の季節は年中で一番亡くなる人が多いようだ。ここ小豆島でも毎日のように
    葬儀がある。


    P1020833_convert_20121126091738.jpg 

    この蓮も9月にはまだこんなに生き生きとしていて壁の上まで届く勢いがあった。
    蓮はよく”泥沼に咲いても清らかである”と観音様とともに表現される。

    穢れたこの世にあっても心はその影響を受けることなく観音様のように清らかであるべき。
    それには強さも必要だ。


    P1030116.jpg 

    海岸の景色もこのように移り変わってきた。山の上の雲が暗くて重そう。
    最近になって私は二人の友人が時々夢に現れるようになってきた。
    一人は3年半ほど前に他界した大学時代の友人、もう一人は1年半ほど
    前に自分でこの世の人生を終わらせた地元の友人である。

    今までに夢に現われなかったのは多分出てこられない理由があったのだろう。
    私が夢で船や電車などに乗っていると知らぬ間に彼らが隣に座っているのである。
    しかも全く不自然さがない。こちらもその時は夢であるとは気がつかない。
    恐らく彼らは自分が元気でいることを知らせたくて現われたのだろうと思う。
    実際私は毎晩のように夢を見てしかもそれを覚えている。

    夢を見ない日は少なく誰かが夢に出演してくるので、寝る前は今晩はどんな夢を見るだろう
    と楽しみである。今は行動が前のように自由自在ではないので一層夢を見るのが楽しみなのである。
    夢の中では全くそれは関係がない。多分病気そのほかで肉体的に不自由な人が霊界に行くと自由になれる
    のと同じ原理が働いているのだろうと思う。


    P1030113.jpg 

    エンジェルロードの様子もこのようになってきた。水が冷たそう。数日前に高倉健主演の「鉄道員」
    という映画のDVDを見た。12年前に一度見たが今回見てみたら彼が演じている”音松”?という人物
    が死ぬ何日か前から、幼くして亡くなった彼の娘が幼少時と12歳頃、18歳頃と姿を変えて計3回現われる。

    それは結局お迎えを表現したものだろう。3回目に娘がセーラー服を着て現われた後で彼は雪の積もった駅のホームで倒れて死ぬというフィナーレになっていた。12年前に比べてその時分からなかったものが理解できた。霊的な世界を上手に表現した映画のようだ。私などは夢やそのほか、常に父やその他のあちらの世界の人を身近に感じているが、常時お迎えが来ているということになるのだろうか?









    素敵な時間

    2012.09.17 15:18|随筆集
    DSC_0326.jpg 

    私にとって他界した父や叔父や義父との触れ合いは素敵な時間である。幸いにも私には少しばかり彼らと触れ合うことのできる能力があるようで、それがこのブログやかつてのホームページを開く原動力になってきたようである。私にはそういう能力が与えられている反面、物欲や権勢欲などが極めて少なくこの物質の世界で何事かを成そうという野心に乏しい。

    誰でも何らかの集団に属していると思うが私の場合、次は自分がそこの会長とかリーダーの役目が回って来そうになると不思議に状況が変わりその役が回避される。避けられないからやるしかないと決意していても土壇場でクルリと状況が変わる。この春も自治会長の役が回ってくるのは自然の流れだろうと思っていたら自分が病気になってしまい、結局そうならなかった。

    そういう法則が働いているのだろうと思う。誰しもこれまでに築き上げてきた思いや行為というものによって人生のパターンが出来る。そのパターンと親和性のないものとはお互いが共鳴しないのだろう。

    この間NHKのクローズアップ現代で「お迎え」の話をしていた。番組では死に面した人の40%以上が霊界の親族のお迎えを見ていることが統計上分かったという。現状では結論としてそういう現象は脳内の生理現象ということで片付けられてしまうかもしれない。それ以上は踏み込めないだろう。それでもNHKがそういう特集を組んだことは意味があると思う。僅かずつ生命の実相についての知識が浸透しつつあるのだろう。

    ところで素敵な時間とは言葉で言い表わすことは難しい。死に面した人たちも実は私が感じているのと同じように素敵な時間を過ごしているのだろうと思う。もちろん個人差はあると思うが、総じて死後ある程度浄化が進んだ人たちは清浄でこの世の穢れというようなものを感じない。そういう人たちと対話が出来るという事は何と幸せなのだろうと思う。それは本当に私にとって素敵な時間なのである。

    追伸
    以前の「いのちの波動」には魂の対話を載せた「死後の世界」「葬式仏教」があります。興味のある方はご覧になってください。

    盆、先祖、風習

    2012.08.14 15:01|随筆集
    P1020695.jpg 


    今年も盆が来た。昨晩は夜中過ぎから雷雨となり久しぶりの潤いになった。ひと月近くもかんかん照りが続き畑も地面も干上がっていたので恵みの雨ということで自然界のものもほっと一息ついているように見える。昼間はまさに灼熱地獄で連日35度くらいの日が続き外に出るとクラクラ、一層目眩がして外出するのをためらうような状態が続いてきた。若い時は真夏の海で一日中過ごすようなことをしてきたが当時はこれ程暑くはなかった。せいぜい最高で32. 3度くらいではなかっただろうか。近頃は軽く35度を超えているので2.3度くらい温度が上がっているように思う。

     

    盆といえば子供のころに母から聞かされた話がある。母が子供のころに母の祖母に聞かされたという話である。盆の時にある人が家の外でひそひそと人の話し声がするので耳をそば立てたところ次のような会話が聞こえたという。

     

    「さっき自分の昔住んでいた家に行ってみたらワシら先祖をきちんと祀っていないから腹が立ってそこに寝ている赤ん坊の首を絞めて殺してやった」。

     

    それは先祖同士の会話であったそうで先祖をきちんと供養しないと先祖が祟るという話である。私はそれを聞いて先祖と言うものは何と恐ろしいものなのかと思い、その思いはずっと抜けなかった。先祖とは恐ろしいものなのだ。日本(日本だけではないだろうが)の土着信仰では祟り神、祟る先祖などという発想があり未だに人の心のどこかにそういうものが残っているような気がする。また次の話も子供の頃よく聞かされたものだ。

     

    「盆を過ぎたら海で泳ぐものではない。“しょうろさん”(精霊のこと)が足を引っ張りに来る。溺れて死んでしまうぞ」。

     

    それは子供にとっては恐ろしい話であり、事実盆を過ぎると海で泳ぐものは殆ど誰もいなかった。盆を過ぎると確かにクラゲは増えてくるがまだまだ盛夏、盆を過ぎたというだけで海に行けないというのは納得できないなと私は子供心に思っていた。今の子供は殆どプールに行くので海で泳ぐ子供は非常に少ないが私の子供時代にはプールはなく海しかなかった。でもその海は今とは比較にならないくらいきれいだったのである。盆を過ぎると海には入れないし、学校の宿題のことが気になり始めて夏休みも次第に楽しくなくなってきたものである。

     

    高校生、大学生くらいになっても盆過ぎに海で泳いで背の立たないところに行くとこの“しょうろさん”の話が頭の片隅に残っていて少しばかり気味が悪かったものである。

     

    子供の頃に聞かされた話は年をとっても頭のどこかに残っているものである。しかし先祖の機嫌を損ねたら子供が絞め殺されるなどという話を現代に生きる人が受け入れたりすることはあり得ないし、盆過ぎに海で泳いでいるとあの世の者が足を引っ張りに来るなどと言う話も同様であろう。それを見れば当時の人々の理解度が推察されるし、まだまだ迷信が残っているとは言え、今の時代は当時に比べて進歩していると言えるだろう。


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    過去を引きずらないこと

    2012.06.12 10:16|随筆集
    朝夕の犬の散歩は娘の入院以来、私の仕事になった。我が家の犬は室内犬なので散歩を済ませる毎に足を洗ってやらなければならず、雨の時は濡れて足が一層汚れてしまう。妻の手が空いている時は犬の足を洗ってくれるが、今は半々というところだろうか。しかし手がかかるとはいえ、私にとって犬の散歩は運動にもなり日課の中で楽しみの一つである

    月、木の朝は燃えるゴミを出す日である。ゴミ袋を下げ(これが結構重い)犬のリードを引いて酒に酔ったようにふらつきながら歩いていく。どうしてもまだメニエールのふらつきが取れない。この状況は若い頃なら大きなストレスになることだろうが、私の場合は年齢的なものもある上に、元来が野心のようなものが薄かった。人と争ってでも自分の野望を果たすなどというような生き方とは無縁の人間であったと思う。また若いころから結構自分のやりたいことをしてきたので今では特に何かをやりたいというものも無い。あるいは無気力状態と受け取られるかもしれないが。このまま死んでも思い残すことは無いなどと言えば他人には理解されないだろうが本当にそうなのだから仕方がない。世の中は何が何でも死にたくない、とにかく生きたいと考える人が大半だろうと思う。

    朝は家の近くを回ることにしていて歩く距離は数百メートルほどだろうか。以前は早足で1km以上は歩いていた。今は速く歩くことが出来ずゆっくりしか歩けない。夕方は車で少し離れたフェリー乗り場の公園や林道に連れて行くことにしているが犬もゆっくり歩くペースに慣れてきたようである。林道は高いところにあるので眼下に私の住む地域が見渡せる。去年まで校医をしていた中学校や歯科医師会の奉仕活動の会場になっていた建物がよく見える。最初に見たときは懐かしさがこみ上げてきたが、そのうちにそういう感情は薄れてしまった。人は人生のある時期を過ごした場所には特別の思い入れがあるかもしれない。その思いの強さは人それぞれだろう。

    全ては一つの通過地点であり人間はいちいちそういうものにとらわれていては前には進めない。何年も前、西国巡礼で京都の善峰寺で「人間は過去のものを全て持っていては前に進めない。不要なものは捨て去らねばならない」というインスピレーションを受けたことがある。

    青春時代に流行った歌を歌って感慨に浸るのも悪くないかもしれないがそれも一時のものである。私は林道から見えるかつて自分が活動していた場所を眺めて数秒の間瞑想してみた。人間は個人差もあるが死後に振り返る生前の思い出というものは一つのエピソードとしては残るが次第に風化していくものであるということを直感した。以前のホームページで妻の父のメッセージがあった。”死後の世界”の中の 35 愛の心 というテーマで掲載したものであるが正にその通りだと思う。人間というものは常に新しい体験を求めて前進していくものであり、いつまでも過去を引きずっていては前には進めない。

    二人の父

    2012.05.20 20:55|随筆集
    法要以後、叔父は常に私が手を伸ばすと届きそうな所にいるように感じられるようになった。去年は法要が済むと全く気配が感じられなくなっていてそれは一年間続いた。彼は今日の朝の祈りの時にも現れた。ここで叔父から私に伝わってきたものを全て公表するわけにはいかないが(プライベートなことなので)要約すればこういうことである。

    彼は私の実の父であるが私を生後6か月のときに親戚に養子に出した。その後は私に愛情をかけたくても出来なかった。それは彼が存命中には出来ないことであった。そして今は生前出来なかったことが出来るようになった。つまり霊界から私を愛するということである。瞑想中ずっと彼の愛を感じて私は何とも言えぬ幸せを感じた。その心境をここで言葉で言い表すのは難しいが、そういう心境を他の人にも味あわせてあげられたらどんなにいいだろうかと思う。一度でもそういう体験をすれば人は霊界を身近に感じることが出来、いたずらに死を恐れることはなくなるだろう。また離別の悲しみがどれ程軽減されることだろうか。

    つまり私は二人の父親から愛され見守られているのである。私はよく夢で父(養父)と会っている。その時は実際に会っているのだろうと思う。夢から覚めたとき、あれっ 父がいない、ああ、あれは夢だったのかと初めて気が付くのである。そして昼間は度々叔父(実父)の感触に触れる。もしかして私はそんなに長くはこの世にいないので彼らと接近しているのかなと考えたりもする。しかしこんなに幸せなことがあるだろうか。自分は何と恵まれているのだろうと思う。もし私が仕事を辞めていなかったらこういう体験は出来なかっただろう。

    あちらに行った人の愛というものはあきらかに地上の人の愛とは違う。崇高で清らかな感じがするのは地上の穢れを浄化しているからであろう。最後に叔父からのメッセージを記したい。

    「人間60も過ぎたら物事に対するこだわりを出来るだけ捨てることだ。不要なものを離していくことだ」

    法要のあり方

    2012.05.14 21:31|随筆集
    叔父の葬儀から今年の3回忌まで兄弟親族が3年連続で集まることになった。5月にしては朝から肌寒く、去年は確か半袖で出席したのに今年は本当に気候が不順だ。私は葬儀以外はあの黒服、黒タイという格好が好きではなく、変わり者と思われているかもしれないが地味目のジャケットを着てノーネクタイで出席した。

    法要が行われる叔父の生家に着き仏間に入ってみるとすでに多くの人たちが集まっていた。叔父のひ孫たちも6人余りいるが私はその子たちの名前もろくに知らない。一度聞いてもすぐに忘れてしまうので聞くことにあまり興味が湧かない。去年までと違うところは仏壇の隣の床の間に豪華な5月人形一式が飾られていたことである。中央に大きな鎧兜の武者人形と武者の斜め前に巨大な張り子の虎が構えていてこちらを睨んでいる。思わずあれっと思ったが自分の家ではないので余計な口出しは無用である。

    型通りの僧侶の読経を中心とした儀式が進められていくが、私は病気のせいで目眩や気だるさがある上、目の前の五月人形の派手で物質的なエネルギーがその場を支配しているので霊妙な叔父の気配を感じたりすることは出来なかった。そこでついぼんやりと他の事を考えるようになってしまっていた。霊的なものを感じるにはやはりその場の環境がそれなりのものでないと無理である。

    その後、墓に行き線香や水を備えた後、我々はホテルに移動して会食が始まった。そこでは誰一人として叔父の思い出話をしたりする者はいない。主役は孫やひ孫たちでありその場は初節句のお祝いのような雰囲気になってきた。すでに3回忌ともなると故人の思い出は風化してしまうのだろうか。私は今まで法要の席には何度も出たがどこに行っても故人を偲んで思い出話に浸っているような風景を見たことがない。酒を飲みながらどうでもいいような世間話や中高年の間では特に健康の事が話題の中心になるようだ。

    私はメニエールのせいで今では缶ビール一本くらいしか飲めなくなった。また大量の料理が出されたが到底食べきれるものではない。このあたりの法要はそういうパターンが定着しており、静かに故人を偲んだりすることはしたくても出来ない。

    東京から来た姉と「今日は疲れたねー、法要って一体何なのだろうね。静かにお茶でも飲みながら故人の写真を見て思い出に浸れるような場に出来たらいいのにね」と話をしながら帰り道、車を走らせた。法要の主役は一体誰なのか?これからは何の感慨も湧かない型通りの儀式と飲んで食べてという宴席に疑問を持つ人が増えてくるだろう。しかし田舎では(全国的にも?)こういうものがまだ延々と続いていくのであろう。高知では葬儀の席でとことん酒を振る舞うらしく酒が少ないと後で陰口を叩かれるとか。

    ではそういうやり方を当の故人は一体どう思っているのだろうか?その夜神棚の前に行き瞑想してみるとようやく叔父からのインスピレーションを得ることが出来た。それは後程「親族の霊界便り」に掲載したい。

    人生の転機

    2012.05.08 13:17|随筆集
    2月の後半に私はメニエール病に罹ってしまいました。激しい眩暈と難聴、耳鳴り、吐き気などを主な症状とする難治性の疾患です。発症当時は一度眩暈の発作が起きると3時間くらいは全く動けなくなり発作が治まるまで寝ているしかないという状態でした。今ではきつい発作に襲われることは無くなりつつありますが、常に軽い眩暈があり足元がふらつくので行動が制限された生活を送っています。

    思えばここ1、2年視力の低下により歯科医の仕事が辛くなっていました。去年2度にわたり突発性難聴が発生し、それはメニエール病が発生する前触れでした。今回、ついに主役が現われたということでしょう。一点を凝視しなければならない歯科医の仕事は眩暈を誘発してしまいます。発病後何とか治療途中の患者さんを終わらせてあげようと頑張っていたら激しい眩暈が起きてその日は半日寝込んでしまいました。その時私は自分の仕事を断念する決心をしました。私が診ていた患者さんには申し訳ないことですが私には後継ぎもいないので島内の歯科医仲間に治療を引き継いでくれるようお願いをしました。それは今でも申し訳なく思っています。

    知り合いや妻はそんなに急いで引退しなくてももう少し様子を見たらということでしたが何時良くなるか分からないのに、治るまで待ってくれというのは患者さんにとっては迷惑な話です。それに私は自分の視力など以前から限界を感じていたのでこの病気に罹ることは天の声だなと感じていたのです。というのも2年前(61歳)の冬の夜、寝入り際に「64歳」という耳元で囁く声が聞こえました。それは今でも印象に残っていますがその時私はこれは自分の寿命のことかもしれないと感じました。ともあれ64歳になったら自分の人生に何か大きなことが起きるということを直感で感じました。私は64歳までにはあと4か月少々ですが考えてみると実際には人間は受胎の瞬間から胎児に宿ってこの世に現われる準備をするのですから、今の年齢に10か月を足せば霊的には正しい年齢ということになります。私の場合はすでに64歳になっているわけで、そういう意味では「数え年」のほうが真理を表していることになるでしょう。

    ”よくそんなに簡単に仕事を辞められるね”という人がいますが、私は結構直感に基づいて行動します。直感とか霊感が比較的効くほうなのでそれがこういうページを開くきっかけになっている訳ですが。去年霊界の父親から「もう仕事を辞めたほうがいい」というメッセージを受けていたことも今回の決断を後押しすることになりました。父は私が仕事で苦しんでいたのを知っていたわけですから。それから去年の秋にこのページでリンクさせて頂いているともしびの武本氏の奥様から「貴方は来年、自治会長になることはありません」というメッセージを頂きました。私は当時自治会の副会長をしていたので今年の役員改選の時には自治会長の役が回ってきそうだと感じていました。しかしこの4月、その予言通り私は病気という事で自治会の役員を外れました。

    そういうわけで私は今、人生の新たなステージに入ったところです。当分は静養して体調の管理をしながら、またこの病と戦うのではなく付き合いながら今後の人生を過ごしたいと考えています。実際、そうするしかありません。そうするうちに自分のやるべきことが見えてくるでしょう。