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    高峰秀子さんと壺井栄さん

    2017.02.24 12:43|体験集

    二十四の瞳
              映画二十四の瞳

    私は妻と二人で2月22日「二十四の瞳映画村」を訪れた。ひな祭りの展示をしていると聞き一度見に行こうということになったのである。映画村の古い家屋の中に昭和初期の雛壇が展示されていたが私自身が戦後生まれで子供の頃に見慣れたものであったので特別なものは感じなかった。

     

    土産物店で妻が封筒を買って外に出ると「あちらにもお雛様が展示されていますよ」と声をかけてくれた人がいたので見るとそこは「壺井栄文学館」であった。私はこれまでに何度かそこに足を運んだことがあり栄さんからのメッセージを受け取ったことがあった。それをこのページでも紹介したことがある。

     

    館内に入ると壺井さんが実際に住んでいた家の内部を再現し展示している場所がある。そこに行くと壺井栄さんが大切にしていたひな人形が展示されていた。それは普段は展示されていないが男雛と女雛ペアーの極めて素朴なものであった。私がそれを見ていると霊的エネルギーに包まれてきた。いつもの手のひらや額がジンジンする感触であったがそれはかなり強いものであった。これまでに壺井栄さんからはそういう強いエネルギーが伝わってきたことはなくその雛人形からよほど強いものが出ているのだろうと思っていた。妻も強いエネルギーを感じていたようである。

     

    そのうちに以下のメッセージが感得されたがそれは壺井さんからのものではなかったのである。この種の事は言葉で表現するのが極めて難しい。眼前にパッとある人のイメージが浮かび上がり、それは視野一杯に広がった。それは何と二十四の瞳の大石先生を演じた高峰秀子さんであった。ちなみに高峰さんは2010年に他界されているがその時の姿は若々しく大石先生を演じた頃のようであった。


    高峰秀子さんのメッセージ

    「栄さんは私の恩人、栄さんのお蔭で私は女優として成長することが出来ました。あの二十四の瞳の映画のお蔭です。私は栄さんに大変感謝しています」。

     

    次に壺井栄さんのメッセージ

    「私の書いた二十四の瞳は高峰秀子さんという優れた女優さんに巡り合えたことによって全国的に知られるようになりました。彼女は私の恩人、大切な人なのです」。

     

    壺井栄 
       壺井栄さん

    その場の強いエネルギーは壺井栄さんのものではなく主に高峰秀子さんのものであったようである。壺井さんから感じるエネルギーは静かで控えめであり強いものが無いのでかなり集中していないと感得するのが難しい。一方で高峰さんは鮮明で華やか、強い波動を持っているようで、とにかくはっきりしている。さすがに昭和の大女優だけのことはあると感じさせられるものがあった。今回はお二人でその場に現れたというか私と壺井栄さんの間には回路が出来ていたのでそこから高峰秀子さんに繋がったのかもしれない。

     

    そして夕方帰宅して瞑想の間に入ると再び高峰さんのイメージが目の前に浮かんできた。あたかもその場に一緒にいると表現するのがふさわしいかもしれない。正直に言うとその時は別の目的で瞑想の間に入ったのだが目の前が高峰さんのイメージで一杯になった。高峰さんの霊的エネルギーには強いものがあり、こちらを引き付けるようなところがある。そして次のメッセージが伝わって来た。

     

    「私は今もこちらで演劇の仕事をしています。地上時代の延長ということです。俳優は人々に感動を与える事の出来る仕事です。私と栄さんには似たところがありますがそれは一途なところです。俳優でも作家でも一途なところのない人は成功しません」。


    高峰秀子さん 
             高峰秀子さん

    翌朝私はこの日の出来事を書き留めた用紙を取りに瞑想の間に入った。普段瞑想をする場所であり、このブログのインスピレーションは殆どそこで感得したものを書き表したものである。部屋に入るとすぐに昨日の続きが入ってきた。その時は当人が眼前にいるという感じはなく自分の潜在意識に残っていた彼女のメッセージが流れ出たのかもしれない。テレパシーでメッセージを受けてそれを一度に言語化するのは難しいので溜まっていた残りの部分が翌朝出てきたということかもしれない。瞑想の間に入るということが自分の潜在意識を刺激して溜めていたものが流出した。あるいは寝ている間に再度受けたものが朝出てきた可能性もあるだろう。

     

    「一途な人間は時には人とぶつかることがあります。しかしそれを恐れていては結局何もできません。あなた方は人の為になることをしていますね。それは立派なことです。私とあなたは似た波動を持っています。それで通じ合えるのです」。

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    竹馬の友

    2014.03.09 16:26|体験集
    IMG_0020.jpg
    このところ実家を離れて暮らす事の多い私は実家を訪れて色々と雑用をすませた。そこでふと1月に他界した竹馬の友の家のほうに行ってみたくなった。彼の家は直線距離にして100mもなく歩いて1、2分のところにある。我が家の裏木戸を出て竹やぶの道を進み彼の家に近づいていくと案の定彼の気配を感じ始めた。製麺所の下の細道で立ち止まりいつものように霊の世界に向かって自分のセンサーをオンにする。それは竹馬の友そのものと言っていいなつかしさで一杯のエネルギーであった。あれから約2か月経って彼は落ち着き安らかになっている。あちらに行ってから色々な事が理解できたのだろう。

    彼のメッセージをまとめてみると次のような内容であった。
    「気が付いたら死んでいた。もう自分はこの世には帰りたいと思わない。自分なりに十分に堪能することが出来た。またあの苦労を味わいたいとは思わない。家族には家の稼業は無理に継いでもらわなくてもいい。一人ひとりが自分の人生を大切にしてほしい。今は僕は家族の皆に何かしてやろうにもどうすることもできない。

    僕の事を仏様みたいに拝んだりされるのは不自然でありおかしなことだ。普通に話しかけて欲しい。そのほうが遥かに嬉しい。そっちの者は皆少しもわかっていない。何回も形式的な事ばかりしなくていい。そんなものは必要がないのだ。
    もっと皆と直接触れ合いたいと思っているのに全然わかってくれなくてうんざりする。

    子供のころから君とはよく遊んだ。大阪で暮らしている頃よく君のアパートに行って飲んだな。それから島に帰ってからは一緒にヨットに乗って遊んだね。思い出が一杯あってすごく懐かしいよ。君は僕にとって掛け替えのない友だ。君が来てくれると懐かしさで一杯になる」。

    家の中から子猫の鳴き声が聞こえてきた。彼は猫が好きで死ぬ少し前に子猫を飼い始めたばかりでよく腹の上に猫を乗せていたという。そのネコなのだろう。彼のメッセージを受けて心が満たされて我が家に帰りかけたがふと寄り道がしたくなり少しばかり遠回りをしてみた。すると向こうから彼の妻の親友が歩いてくるのが見えた。

    挨拶を交わしちょっと会話が始まる。
    彼女が言うには他界した友人の妻は彼がどういう心境でいるのかを知りたがっているという。なるほどやっぱり。
    起きるべくして起きた出会いであったのだ。前にも似た状況があったがその再現である。2012年の6月24日付で「日暮れの墓地で」というコラムがあるがこのときはメッセージを伝えた相手は当人、今回は友人というわけである。

    私は聞いたことをすべて彼女に伝え、一番大切なことは他界した人の行く末よりも残された人たちがどう生きるかであることを念を押した。彼女はそこで私と逢えたことを喜び丁度知りたかったことがわかってよかったと言ってくれた。
    私は背後の霊団の配慮に対して感謝の意を送り実家を後にした。あたりは次第に夕暮れの闇に包まれつつあった。

    母を送って

    2013.11.14 16:03|体験集
    IMG_0048.jpg 

    晩秋の雨の夜に母は旅立った。99歳と7か月、あと少しで100歳になるところであった。
    私がカナダにいた8月の終わり頃、母は夢に現われたり昼間もフワーッとイメージが現われたりしていた。
    これは少し予定を早めて帰ったほうがいいのかなと思ったが私は予定通り9月に帰国した。

    私が帰国した翌日、母は介護施設で転んで大腿骨を骨折した。そのままにしておくと寝たきりになってしまう可能性が高いので高齢ではあるけど後の事を考えて手術を受けさせることにした。母はそれまでは施設の中を自力で歩いていたし大正琴を弾いて老人たちの歌の伴奏をしたりしていたのである。

    手術自体の経過は順調であったが食欲が無くなり目に見えて衰弱が進んできた。病院ではそれ以上治療をすることが無くなってきたので介護施設に戻り2週間待たずに母は静かに旅立った。

    通夜や葬儀の内容は予め考えていたのでその通りに行う事が出来た。家族葬にして参列者は親族のみ、儀式を執り行ったのは私と妻の二人で寺など宗教関係者の介入はない。通夜は二人で読経(母が読経が必要と思っていた場合を考えて)と妻のご詠歌を奉納した。

    翌日の告別式は妻の詠歌で始まった。詠歌の中には故人を送り出すにふさわしい内容のものがあり、意味のよくわからない読経より旅立とうとしている人と残った人双方に対してはるかに心に訴えるものがある。

    次に孫や私の姉からのメッセージをナレーターに朗読してもらった。メッセージの内容がとても感動的で参列の人たちの涙を誘う。最後に私が自分でメッセージを朗読した。当事者が自分で読み上げるというのはどうしても感情がこみ上げてきてサラッとはいかない。一度練習していればよかったかもしれないと後で思った。しかしこういうものは自分をありのままに出したほうがいいだろう。後で子供たちは、お父さんはよく泣かずにあんなのが読めるねと言っていたらしい。
    棺を皆で生花で一杯にして最後に全員で「ふるさと」を斉唱して告別式を終えた。葬儀に「ふるさと」を斉唱するのもなかなか良いものである。母は小学校教師をしていたので自分も子供たちと一緒に「ふるさと」を歌ったことだろう。

    母を送るにあたって私たちは世間でやっていることに左右されず自分のやり方を通した。都会では形式にとらわれない葬儀も増えているらしいが田舎では自分流のやり方は少しばかり勇気が必要かもしれない。葬儀は何より遺族の愛を表現できるものでないと意味がないと私は訴えてきたがそれを実行することが出来た。

    中陰の供養も特にやっていない。毎日のように家族が母の祭壇の前に行って心の交流をしているのであえてそういうものをやる必要はない。白木の位牌を一応作っているがそこには俗名が書かれている。生前戒名もあるけどあえて俗名にした。そのほうが個人を偲ぶ時に親しみがこもりイメージしやすくこちらの思念が伝わりやすい。そして何よりこちらの思念を個人に送るには遺影を見るのが良いと思う。

    他界した人に対して遺影を見て呼びかけるのが最も効果的であろう。必ず何らかの反応を感じるはずである。

    今私は母がこれまでになく身近になってきた。朝の犬の散歩、祭壇のある部屋、それ以外のどこにおいても母がすぐそばにいることを感じる。母の懐に抱かれているように感じられるのである。それはまるで自分の幼少時代に戻ったような感じがする。その安心感と心地よさは言葉で表現するのが難しい。

    すでにここ数十年の老いた母の姿はどこにもない。それは仮の姿だったのである。認知症などで老いた姿の裏には霊としての本体がちゃんと控えていて死後肉体を離れると本来の姿に戻るのである。
    母はここしばらくの間は私の傍にいたいようである。母が年老いてからは長い間心の交流が疎かになっていたことを私は反省している。それが今出来るようになった。生前よりもはるかに深い所で触れ合うことが出来るようになったのである。

    最後に母からのメッセージを載せたい。

    「ヒロシ、ヒロシがいたから私はここまで頑張る事が出来た。ありがとう」

    私は若いころさんざん母を悩ませた。私が何をやっても許してくれた母、いつも味方になってくれた母。
    母は偉大なり。私は今になってそう思う。

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    悲しみのエネルギー

    2012.08.22 17:25|体験集
     

    去年の春、私の遠縁にあたる女性の夫が他界した。彼女の生家は家の近くにあり、子供の頃はよく連れて遊んだものである。彼女の夫は私の高校時代の同級生であったが顔は知っていたけどあまり親しい間柄でもなかった。私がその知らせを聞いたのは彼の死後一月くらい後であった。前から病気がちなのは知っていたがその知らせを聞いた時はやはりという気がした。

     

    親戚なので知らぬ顔をしていることも出来ないので私は知らせを聞いた翌日お悔やみの為に彼女の家を訪問することにした。その前の晩に神棚のある祈りの部屋でちょっと瞑想してみた。私は何か大切な事がある時は瞑想して日常的自我から一時退避して自分の深い所にある自我を再確認することにしている。重大な判断をしなければいけない時にはそれによって自分が決めたことは果たして正しいのかどうか再確認してきた。

     

    心がそういう状態になった時には亡くなった人の心境なども把握しやすくなる。しかしそれは何時でもというわけではなく何の繋がりもなかった人の場合はまず難しい。その時、他界した彼の心境というものが少し伝わってきた。彼は長い闘病生活から解放されて喜んでいるようであった。自由になれて嬉々としている状態のように私には思えた。今まで大変だったね。解放されてよかったね。と私は彼に念を送ったのである。

     

    翌日私は彼女の家を訪れ、祭壇のある部屋に通された。しかし彼女は悲しみで押しつぶされそうになっていた。彼女はずっと泣きながら私と応対したのである。まだ一か月、無理もないなと思いながらも私は少しずつ霊的真理について話をした。死んだと思っている人は実際にはそれまでの肉体を捨てて波長の違う世界に行っただけであり実際には死んでいないこと、その後もずっと家族を見守ってくれること、家族がいつまでも悲しむことは彼のその後の進歩の妨げになること等を話した。そして彼は今は苦しみから解放されてほっとしているであろうことも付け加えた。

     

    しかし彼女はそういう話は今までに聞いたことがなく、「ウソー! 本当にそんなことがあるの?」と信じようとはしない。また私が時々父と交信する話をしても信用しない。そして死後も尚彼は苦しみ続けているに違いないと思い込んでいてそんな彼が可哀そうでたまらないとまた涙を流すのである。坊さんが来ても唯、拝むだけでそういう話はしないと言う。

     

    「彼はもう自由になっていて行きたいところにも自由にいけるんだよ」と私が言うと彼女は「それ本当? 私は死んだ人は49日の間は家の屋根の上にいるものと思っているよ。そう聞いているから」と言う。子供の頃からそういうふうに教えられ、信じ込んでいるのである

     

    「そんなことはないよ。死ねばそれまでよりはるかに自由になれるんだよ。だから家族が足を引っ張ってはいけないんだ」。

     

    彼女はとにかく毎日墓に行きそこで時間を過ごしているようで家と墓を往復するのが日課になっているらしい。「そんなに墓ばかり行かなくても彼はいつもお前の近くにいるんだから。私のお墓の前で泣かないでください、そこに私はいませんと歌でも言っているじゃないか」。 気心が知れているので何でも言える間柄である。

     

    などなどそういうやりとりをしながら我々はその部屋で時間を過ごしたがとにかく彼女の悲しみの念がその場を支配していて部屋が真っ暗に感じられる。悲しみのエネルギーがあまりにも強いので死者が何かを伝えようにも寄り付けないだろう。強い悲しみの念は霊的世界との間にバリアーを築いてしまうのである。そこで私は「この部屋は暗すぎるぞ。彼でなくお前の気持ちが暗くしているんだよ。もっとカーテンもあけて明るくしたほうがいいと思う」とアドバイスした。

     

    彼女は生真面目な性格なので昔教えられたことを信じ込んでいてそれが迷信だとは疑わない。とにかく霊的真理に対する知識が全くない人の場合は極めて難しく下手をするとこちらがデタラメを言っているかのような雰囲気になってしまうのである。そんな彼女も一年経った今では少しずつ元気になってきているようである。

     

    このケースでは霊界からの手配のようなものは感じられなかった。もし配慮があったならもう少しスムースに行ったかも知れないがそれでも自分の出来ることをしたのでそれで良しとしなければならない。

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    私を支えてくれた人

    2012.08.09 15:00|体験集
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    数日前に関係の深かった人の母親が亡くなった。その人(彼女)は私が開いていた歯科診療所の元従業員であり約半年前まで一緒に仕事をしていたのである。4年前から彼女の兄、次には父親と2年ごとにこの世を去り、ついには彼女の最後の肉親である母親も一か月ほどの入院を経て逝ってしまうことになったのである。彼女はたった一人でこの世に残されることになった。安易にその心境を察するような言葉は控えたいが、妻と私は葬儀や初七日の終わった数日後に供え物を携えて彼女の家を訪ねた。葬儀は家族だけで密葬に近い形で行われていたので私たちは出席していない。妻は長年御詠歌を通じてお通夜や中陰の仏事などで地域に奉仕してきたので、今回は彼女の母の供養の為に詠歌のお勤めをすることが主な目的であった。

    祭壇を飾ってある部屋に入るとともに彼女のお母さんの気配を感じた。それはこの世の重荷から解放されて晴れ晴れと、むしろ喜びすら感じている人のそれであった。その人のこの世に残す唯一の思いは自分の娘の今後のこと、それだけのようであった。彼女の母のもとへは当然、元の夫や息子さんたちが案内に来てくれて色々と導いてくれていることだろう。あちらへ行くことをためらうものは自分の娘の行く末だけだろうと思うがとにかくサバサバしていて重いものが全然感じられなかった。

    私はその事を彼女に伝えて今後困ったことがあれば相談するよう話をした。彼女は私と長年一緒に仕事をしてきて私は今までに霊的真理について十分話をしてきた。相当に理解力が身についており、こういう時でもうろたえたりしないのは大したものだ。喪中の人は大概悲しみと心労に打ちひしがれており、泣きはらした顔など身体がその感情を表現しているものだがそういうものがない。殆ど普通の状態といっていい。

    私は彼女に正直に言った。「お母さん長患いでなくて良かったね」。

    「そうです。本当にそうでした」と彼女は笑顔で答えた。

    普通なら「あなた一人で残されてこれからは大変だね。もっとお母さんが生きていてくれたらね」と言うところだろう。上のようなやりとりは少ないと思う。もっとも夜一人でいると寂しさがこみ上げてくることもあるに違いない。でも彼女はきっとそれを乗り越えて行けると思う。思えば彼女は長年私の診療所を支えてきてくれた。しかも安い給料で….。私は十分その誠意に応えてきただろうか?

    日暮れの墓地で

    2012.06.24 15:26|体験集
     


    2007年の10月に入ったばかりのある日暮れ時、私はふと散歩に行きたい衝動に駆られて家を出た。歩いているといつの間にか海辺の墓地の横の道にさしかかった。折から東寄りの風が吹き、それは先月50過ぎで亡くなった人物の墓に立ててある銘記(故人の名前を書いた旗で確かこの辺りは49日が済むまで立てる風習がある)を大きく横にたなびかせていた。そのシーンがいかにも何かを訴えているかに見えたので私はちょっとそこに立ち止まり、いつもの感性を集中してみたのである。彼は先々月病気で亡くなったが以前からの知り合いであり、道で会えば会話を交わす程度の関係であった。

    その場で伝わってきた彼の念は 「僕は残念だ、悔しい! Oさん、僕はあなたがうらやましい。自由に生きられるあなたがうらやましい」。というものであった。

    すると向こうから彼の妻が夫の墓参りするために歩いてきたのである。私がそこに気を引かれて数十秒後くらいだったろうか。その人はまるで示し合わせたかのようにその場に現れた。私は積もる別離の悲しみで泣き腫らした彼女の顔を見つめて型通りのお悔やみの言葉を述べた。そして一瞬躊躇したが今聞いたばかりの彼からのメッセージを彼女に伝えたのである。

    すると「ええ、彼は死期が近いことを知って悔しい、残念だとよく言っていました。彼もあなたみたいに自由に生きたかったのです。その生き方がうらやましいと日頃から言っていました。そうですか、彼は今もそう言っているのですか? あなたはそういうものが分かるのですね」と彼女は答えた。

    彼女は夫の死後毎日のように墓参りに来ているようでこれまでの深い悲しみが心身に刻み込まれているようであった。そして続ける。

    「お寺の坊さんは葬式に来て、さも分かったような顔をして拝んだりしているけどそういう事が分かった上でやっているのかしら?」

    「多分わかってないんじゃない」と私。

    「もっと生きたかっただろうに、私は彼が可哀そうでなりません」と彼女。

    「でもこれから彼はちゃんと導かれていくから心配ないよ。あなたが悲しそうにしていることが彼を悲しませることになるからね。あなたが毎日元気に暮らしていけば彼も元気になるよ。あなた次第だから」と私。

    等々私はその場で霊的真理を語った後で彼女の家に「シルバーバーチのスピリチュアルな生き方 Q &A 」という本と自分がこれから立ち上げようとしていたホ-ムページの材料の一部を持っていき何かの役に立てばと渡したのである。

    それから幾度か墓地で彼女と会ったが会うたびに彼女は元気になっているように感じられた。数か月後にシルバーバーチの本を返してくれて“ちょっと内容に難しいところもあったけどよくわかった”とのことであった。ある時彼が夢に現れたそうで「もう僕はこっちで結婚したからお前も好きなようにしたらいい」と言われたそうでサバサバした様子であった。「うん、その通りじゃない?これからはあなたも好きなようにしたら」と私。

    その後はたまに彼女の顔を見る程度だが、今では悲しみの痕跡は殆ど感じられないようになり元気に自分の人生を邁進しているようである。尚、他界した彼女の夫が私の事をうらやましいと感じていたのは私はこの村社会の中で周囲に染まることなくある程度自分の生き方を通してきたように見えたからであろう。この辺の人たちは常に他人からどう思われているかという事が価値判断の基準になっており、自分の信念を曲げてでも周囲と合わせている者が多い。それは自分を偽ることであり自らの魂の成長を阻害することではないかと思う。

    日本の田舎はどこに行っても大なり小なり相互監視、他人の生き方に干渉するような風潮があり息苦しさがある。都会に行けばそういう束縛感は少ないものの隣人は何処の誰だかわからないという不気味さがあって治安も良くない。昔父から聞かされた次の言葉をよく思い出す。

    「智に働けば角が立つ。情に竿させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。住みにくさが高じると安いところへ引っ越したくなる………」。夏目漱石の草枕である。

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    夏の夜の出来事

    2012.06.19 15:08|体験集
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    約23年前の8月、盆も過ぎた蒸し暑い夜の事である。田舎では真夏は窓を開けて寝る家が多いが我が家でもその夜は窓を全開にしていた。ぐっすりと寝込んでいた真夜中、私は裏窓からスーッと冷たい風が入ってきたのを感じた。その直後誰かが私の下半身(太腿あたり)にしがみ付いてきたのを感じたのである。振りほどこうとしたがどうしても離れない。一体誰なのか見ようにも頭が上がらないし肉眼で見えるものではなさそうであった。離せ!と叫ぼうにも声が出ない。

    一人でもがいている時間が非常に長く感じられたが、ようやく声にならない声を上げてガバッと布団から起き上がることが出来た。家族は3人の子供も含めて同じ部屋で寝ていたが只ならぬ様子を感じて目を覚ましてしまった。子供達は当時の事を今でも覚えていてその時私は「カッパー」と叫んで起き上がったと言う。それはいわゆる金縛り状態であったのだろう。その時は何故そんなことが起きたのか分からず気味が悪くてその後はなかなか寝付かれなかった。

    翌日の昼過ぎに家に電話が入り叔母さんが亡くなったという。アッそういう事だったのかと私はようやく昨夜の出来事を理解することができたのである。金縛りにあった前日の昼間、私は末期がんで余命いくばくもない叔母さんを病院に見舞っていたのである。すでに彼女は意識がなく意思の疎通は困難な状態でこちらを認識することは出来なかった。当時の私は霊的な知識もなく、見舞いに行ったので叔母さんが家について来たのだろうと考えたものである。

    彼女は昔、我が家で生まれ育ったという話を両親から聞いていたのでこの家への愛着があったのだろうと思う。人は亡くなる前は、特に意識が無くなってからは肉体を離れて(幽体離脱)繋がりのあった人のところへ挨拶に行くのだろう。霊感のある人間にはそれが感じ取れるが、そうでない人のところへ行っても何もわかってくれないということになるのだろうと思う。そういう事は結構あるはずだが大半の人は気が付かないということだろう。彼女は私のところに来る前には当然自分の夫や子達のところに行っているはずである。いわゆる霊媒体質と言われる人間はオーラが大きくてあちらに行った人から見て目立つので接近し易いらしい。旧ホームページの フォトギャラリー で自分のオーラを撮影したものがある。

    その叔母さんの姉も幼少時、我が家で過ごしたことがあり彼女はかなり昔に亡くなったがその前夜、私の母の夢に現れたそうである。母の話によると彼女が髪を振り乱してしがみ付いてきたそうである。翌朝母は恐ろしげにその夢の話をして聞かせてくれたが、その話の後長崎(彼女は長崎に住んでいた)から叔母さんが亡くなった知らせが入ったのである。現在98歳になるが母も霊的な感性があったのだろうと思う。

    足にしがみついたりするという事は非常に物質的な現象であり、それは極めてこの世で肉体を持って生活している人間に近いものであろう。まだシルバーコードが切れていない状態なのだから当然であり生霊という状態なのだろう。それにしても彼女の実の子や夫でなく私のところに来たのは特別に感情的なものがあったのではなく私が霊的に感受性があると見たからであろう。その後は叔母さんの気配を感じたりすることは一切なくなった。夢に出ることも無ければ我が家の仏壇や墓に行っても何も感じることはない。今頃は霊界で幸せに暮らしていることだろう。

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