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    大空澄人

    Author:大空澄人
    これまで自分の探求してきたものを 「いのちの波動」 というページ上で表現してきましたがPCのトラブルによりこのページに引き継がれました。一時的にご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます。

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    意識すると繋がりが出来る

    2012.08.30 14:14|インスピレーション
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    自分が意識していないものはその人にとって無いのと同じです。人が意識してそこに焦点を合わせた時、それが存在意義を持つのです。つまり意識することによってそこに繋がりが出来、エネルギーが通い合うようになります。人間は一人ひとりが自分の意識が作る世界に住んでいてそれは一つとして同じものはありません。


    自分にふさわしい所

    2012.08.26 14:39|インスピレーション
     

    あなたが今見ている世界は自分の到達したレベルに相応しい所であり、何一つ理不尽なものはありません。人は皆自分に相応しい環境に置かれます。進歩すれば周りがそれに応じた環境になっていきます。人はそうやって少しずつ進化していきます。


    悲しみのエネルギー

    2012.08.22 17:25|体験集
     

    去年の春、私の遠縁にあたる女性の夫が他界した。彼女の生家は家の近くにあり、子供の頃はよく連れて遊んだものである。彼女の夫は私の高校時代の同級生であったが顔は知っていたけどあまり親しい間柄でもなかった。私がその知らせを聞いたのは彼の死後一月くらい後であった。前から病気がちなのは知っていたがその知らせを聞いた時はやはりという気がした。

     

    親戚なので知らぬ顔をしていることも出来ないので私は知らせを聞いた翌日お悔やみの為に彼女の家を訪問することにした。その前の晩に神棚のある祈りの部屋でちょっと瞑想してみた。私は何か大切な事がある時は瞑想して日常的自我から一時退避して自分の深い所にある自我を再確認することにしている。重大な判断をしなければいけない時にはそれによって自分が決めたことは果たして正しいのかどうか再確認してきた。

     

    心がそういう状態になった時には亡くなった人の心境なども把握しやすくなる。しかしそれは何時でもというわけではなく何の繋がりもなかった人の場合はまず難しい。その時、他界した彼の心境というものが少し伝わってきた。彼は長い闘病生活から解放されて喜んでいるようであった。自由になれて嬉々としている状態のように私には思えた。今まで大変だったね。解放されてよかったね。と私は彼に念を送ったのである。

     

    翌日私は彼女の家を訪れ、祭壇のある部屋に通された。しかし彼女は悲しみで押しつぶされそうになっていた。彼女はずっと泣きながら私と応対したのである。まだ一か月、無理もないなと思いながらも私は少しずつ霊的真理について話をした。死んだと思っている人は実際にはそれまでの肉体を捨てて波長の違う世界に行っただけであり実際には死んでいないこと、その後もずっと家族を見守ってくれること、家族がいつまでも悲しむことは彼のその後の進歩の妨げになること等を話した。そして彼は今は苦しみから解放されてほっとしているであろうことも付け加えた。

     

    しかし彼女はそういう話は今までに聞いたことがなく、「ウソー! 本当にそんなことがあるの?」と信じようとはしない。また私が時々父と交信する話をしても信用しない。そして死後も尚彼は苦しみ続けているに違いないと思い込んでいてそんな彼が可哀そうでたまらないとまた涙を流すのである。坊さんが来ても唯、拝むだけでそういう話はしないと言う。

     

    「彼はもう自由になっていて行きたいところにも自由にいけるんだよ」と私が言うと彼女は「それ本当? 私は死んだ人は49日の間は家の屋根の上にいるものと思っているよ。そう聞いているから」と言う。子供の頃からそういうふうに教えられ、信じ込んでいるのである

     

    「そんなことはないよ。死ねばそれまでよりはるかに自由になれるんだよ。だから家族が足を引っ張ってはいけないんだ」。

     

    彼女はとにかく毎日墓に行きそこで時間を過ごしているようで家と墓を往復するのが日課になっているらしい。「そんなに墓ばかり行かなくても彼はいつもお前の近くにいるんだから。私のお墓の前で泣かないでください、そこに私はいませんと歌でも言っているじゃないか」。 気心が知れているので何でも言える間柄である。

     

    などなどそういうやりとりをしながら我々はその部屋で時間を過ごしたがとにかく彼女の悲しみの念がその場を支配していて部屋が真っ暗に感じられる。悲しみのエネルギーがあまりにも強いので死者が何かを伝えようにも寄り付けないだろう。強い悲しみの念は霊的世界との間にバリアーを築いてしまうのである。そこで私は「この部屋は暗すぎるぞ。彼でなくお前の気持ちが暗くしているんだよ。もっとカーテンもあけて明るくしたほうがいいと思う」とアドバイスした。

     

    彼女は生真面目な性格なので昔教えられたことを信じ込んでいてそれが迷信だとは疑わない。とにかく霊的真理に対する知識が全くない人の場合は極めて難しく下手をするとこちらがデタラメを言っているかのような雰囲気になってしまうのである。そんな彼女も一年経った今では少しずつ元気になってきているようである。

     

    このケースでは霊界からの手配のようなものは感じられなかった。もし配慮があったならもう少しスムースに行ったかも知れないがそれでも自分の出来ることをしたのでそれで良しとしなければならない。

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    無限の叡智の営み

    2012.08.18 16:08|インスピレーション
    夕日 

    人の死は自然現象の一つであり季節の移り変わり、潮の満ち引き、天体の運行と同じことです。植物で言えば地中に埋められた種が発芽して地上に出て成長し、花を咲かせて実を結び、やがては枯れていくという一連の営みが大宇宙のなかで一つの摂理のもとに行われているのです。自然界のすべてのものはこの一糸乱れぬ統制に中にあります。人間がこの世に生まれてそれぞれの人生を過ごし、やがては肉体の寿命が尽き本来の居場所である霊界に帰っていくのも大自然の営みの一つに過ぎません。

     

    葬儀や法要の席で僧侶が拝もうが拝むまいがその営みに何らかの影響を及ぼすことはありません。高価な墓や戒名を作ったからといって死後の進路に何ら影響を及ぼすことは出来ません。人類には洋の東西を問わず人が死ぬと宗教者が来て一連の儀式をしなければいけないという固定観念が出来ているのです。それは大自然の摂理の働きとは無関係に人間が地上的発想から作ったものです。人間も他の生き物も全ては無限の叡智によって定められた摂理の通りに生まれては死んでいくだけです。


    盆、先祖、風習

    2012.08.14 15:01|随筆集
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    今年も盆が来た。昨晩は夜中過ぎから雷雨となり久しぶりの潤いになった。ひと月近くもかんかん照りが続き畑も地面も干上がっていたので恵みの雨ということで自然界のものもほっと一息ついているように見える。昼間はまさに灼熱地獄で連日35度くらいの日が続き外に出るとクラクラ、一層目眩がして外出するのをためらうような状態が続いてきた。若い時は真夏の海で一日中過ごすようなことをしてきたが当時はこれ程暑くはなかった。せいぜい最高で32. 3度くらいではなかっただろうか。近頃は軽く35度を超えているので2.3度くらい温度が上がっているように思う。

     

    盆といえば子供のころに母から聞かされた話がある。母が子供のころに母の祖母に聞かされたという話である。盆の時にある人が家の外でひそひそと人の話し声がするので耳をそば立てたところ次のような会話が聞こえたという。

     

    「さっき自分の昔住んでいた家に行ってみたらワシら先祖をきちんと祀っていないから腹が立ってそこに寝ている赤ん坊の首を絞めて殺してやった」。

     

    それは先祖同士の会話であったそうで先祖をきちんと供養しないと先祖が祟るという話である。私はそれを聞いて先祖と言うものは何と恐ろしいものなのかと思い、その思いはずっと抜けなかった。先祖とは恐ろしいものなのだ。日本(日本だけではないだろうが)の土着信仰では祟り神、祟る先祖などという発想があり未だに人の心のどこかにそういうものが残っているような気がする。また次の話も子供の頃よく聞かされたものだ。

     

    「盆を過ぎたら海で泳ぐものではない。“しょうろさん”(精霊のこと)が足を引っ張りに来る。溺れて死んでしまうぞ」。

     

    それは子供にとっては恐ろしい話であり、事実盆を過ぎると海で泳ぐものは殆ど誰もいなかった。盆を過ぎると確かにクラゲは増えてくるがまだまだ盛夏、盆を過ぎたというだけで海に行けないというのは納得できないなと私は子供心に思っていた。今の子供は殆どプールに行くので海で泳ぐ子供は非常に少ないが私の子供時代にはプールはなく海しかなかった。でもその海は今とは比較にならないくらいきれいだったのである。盆を過ぎると海には入れないし、学校の宿題のことが気になり始めて夏休みも次第に楽しくなくなってきたものである。

     

    高校生、大学生くらいになっても盆過ぎに海で泳いで背の立たないところに行くとこの“しょうろさん”の話が頭の片隅に残っていて少しばかり気味が悪かったものである。

     

    子供の頃に聞かされた話は年をとっても頭のどこかに残っているものである。しかし先祖の機嫌を損ねたら子供が絞め殺されるなどという話を現代に生きる人が受け入れたりすることはあり得ないし、盆過ぎに海で泳いでいるとあの世の者が足を引っ張りに来るなどと言う話も同様であろう。それを見れば当時の人々の理解度が推察されるし、まだまだ迷信が残っているとは言え、今の時代は当時に比べて進歩していると言えるだろう。


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    我が家の荷役

    2012.08.11 18:35|日々の暮らしの中で

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    長年家族の下支えをしてきた日産キャラバンもついに終焉の時がきた。今から18年前、行きつけの車屋さんで廃車にしてあるキャラバンを見つけた。ディーゼルエンジンの商用車でありその時点で年齢は7歳、走行距離18万kmであった。当時私は子供たちのモトクロス用のバイクを積むのに適当な車はないか探していたのである。それ以後この車は幅広く活躍してくれた。モトクロス、トライアル、マリンジェット、大きな2匹のコリー犬、果ては粗大ごみの運搬、そして物置と万能的な働きをしてくれた。タヒチ旅行の時これで大阪空港まで高速道路を走ったこともあった。空港の駐車場に1週間ほど置いていても何の心配もない。少々ボディーを傷つけられても痛くも痒くもない。




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    海で遊んで海水を垂らしながら平気で乗り降りしてきたので方々が錆だらけ、最近は夕方に愛犬を散歩に連れて行くのがこの車の仕事になっていたが、この間異音がするので見てもらったらラジエーターから水漏れしていて殆ど空に近い状態になっていた。よく焼け付かなかったなとびっくり!代わりのワンボックスを見つけたが納車までの期間、乗るたびに水を入れて何とか走り続けた。ディーゼル車は単純でタフ、壊れるところが少ない。 一度このキャラバンに乗って検診に行ったら物売りと間違われてしまった。


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    長い間彼の動く別荘になってきたキャラバンも


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    ついにお役御免の時が来た。 もうお別れだね!
    チョコさん何思う?


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    代わりにこのコンパクトなのが来た。マリンジェットを20万円で売り、これを20万円で買った。
    かかりつけの車屋さんの社長に話をしたら丁度これが18年前にキャラバンが置かれていたのと
    同じ場所にあった。私は納車と引き換えにマリンジェットを売った代金の20万円を即金で払った。
    翌日フロントガラスに小さな傷があるのに気づき社長に言うと「交換させて頂きます」とのこと。
    相手を信頼して取引すれば相手も誠意で応えてくれる。

    マリンジェットとこの車の価格は全く同じ、まるで待っていたかのようにこの車が家に来た。
    キャラバンの最後の大きな仕事はマリンジェットを売りに高松へ運んだこと。
    私はマリンジェットをかなり安い価格で売ったが程度が良かったので相手も気に入ってその場で買ってくれた。
    高い値段をつけていると なかなか売れないしそうしているうちに夏が終わってしまう。
    いろんなことがスムースに運んだ。自然の法則に逆らわずに出来たのかなと思う。










    私を支えてくれた人

    2012.08.09 15:00|体験集
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    数日前に関係の深かった人の母親が亡くなった。その人(彼女)は私が開いていた歯科診療所の元従業員であり約半年前まで一緒に仕事をしていたのである。4年前から彼女の兄、次には父親と2年ごとにこの世を去り、ついには彼女の最後の肉親である母親も一か月ほどの入院を経て逝ってしまうことになったのである。彼女はたった一人でこの世に残されることになった。安易にその心境を察するような言葉は控えたいが、妻と私は葬儀や初七日の終わった数日後に供え物を携えて彼女の家を訪ねた。葬儀は家族だけで密葬に近い形で行われていたので私たちは出席していない。妻は長年御詠歌を通じてお通夜や中陰の仏事などで地域に奉仕してきたので、今回は彼女の母の供養の為に詠歌のお勤めをすることが主な目的であった。

    祭壇を飾ってある部屋に入るとともに彼女のお母さんの気配を感じた。それはこの世の重荷から解放されて晴れ晴れと、むしろ喜びすら感じている人のそれであった。その人のこの世に残す唯一の思いは自分の娘の今後のこと、それだけのようであった。彼女の母のもとへは当然、元の夫や息子さんたちが案内に来てくれて色々と導いてくれていることだろう。あちらへ行くことをためらうものは自分の娘の行く末だけだろうと思うがとにかくサバサバしていて重いものが全然感じられなかった。

    私はその事を彼女に伝えて今後困ったことがあれば相談するよう話をした。彼女は私と長年一緒に仕事をしてきて私は今までに霊的真理について十分話をしてきた。相当に理解力が身についており、こういう時でもうろたえたりしないのは大したものだ。喪中の人は大概悲しみと心労に打ちひしがれており、泣きはらした顔など身体がその感情を表現しているものだがそういうものがない。殆ど普通の状態といっていい。

    私は彼女に正直に言った。「お母さん長患いでなくて良かったね」。

    「そうです。本当にそうでした」と彼女は笑顔で答えた。

    普通なら「あなた一人で残されてこれからは大変だね。もっとお母さんが生きていてくれたらね」と言うところだろう。上のようなやりとりは少ないと思う。もっとも夜一人でいると寂しさがこみ上げてくることもあるに違いない。でも彼女はきっとそれを乗り越えて行けると思う。思えば彼女は長年私の診療所を支えてきてくれた。しかも安い給料で….。私は十分その誠意に応えてきただろうか?

    オーラの話

    2012.08.05 15:41|真理を求めて
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    盛夏の季節、島でコンサートがあった。今年で10回目となるが毎年島外からハワイアンやジャズのミュージシャンを呼んでいる。今年はハワイアンとボサノバである。兄の会社が主催ということもあり私は毎年行っているが今年も体調がすぐれないけど見に行った。メニエールの為に右の耳に聴力障害があって以前のようにいい音が聴き取れないけどコンサートに行くのは何より気分転換になる。

    ここで注目はダンサーの体を取り巻くオーラです。ちょっと目のフォーカスを調節してみると白っぽくやや青み(薄い緑色?)がかったものがダンサーの頭や体を覆っているのが見えます。厚みは10から15cmくらいでしょうか。肉眼で見えたので写真を撮ってみました。何も意識せずに見たら気が付かないでしょうがやはり写真にも表れます。オーラを見るにはちょっとしたコツがありますが基本的には元来人間に備わっているサイキックな能力です。ヨガなどの訓練で発現してくるようですがオーラが見えるといっても大したことではないのです。




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    この帽子を被ったダンサーの頭の周囲も青みがかったもので覆われています。光を放っているようにも見えると思います。丸い光の中に頭部があるという感じで昔から西洋の絵画でそういうものが表現されています。腰から下は照明が明るすぎて見づらいと思います。 これらの写真は昔のデジカメで撮ったものなのでもう一つですがあまり感度の良すぎるカメラには写りません。

    これらの写真でご自分のサイキック能力を試してみてください。動物などは日常的にこういうものを見ていると思います。オーラを見るには凝視することなく肉眼で見ながらもちょっと意識の焦点をずらしてみるような感覚(ぼんやりとした状態)がいいと思います。



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    これは有名なハワイアンバンドの皆様ですがステージの前に楽器や装置の調律をしているところです。本当は幕を下ろして観客からはこういうところは見えないようにするのですが、そこはローカルな会場、観客も気心が知れているので問題にはなりません。 この3名のハワイアンバンドは今年で3回目の小豆島公演ですがボーカル、ギター、ベースとどれを取っても超一流で聴いていると時間を忘れます。

    照明が暗いのでオーラが見やすいです。特に右側のギタリストの頭や全身の周囲が輝いています。真ん中の女性やピアノ、譜面台なども同じように白っぽいもので覆われているのがお分かりかと思います。オーラはバックの色を反映するのでその色を見て判断したりするのは同じ条件でないと難しいです。オーラは人間だけではなくすべての生き物や器具類にもあり、そのものが持つ磁気的エネルギーです。

    こういう場面で見えるオーラは殆どが肉体の発するエネルギーなので霊的エネルギー所以のオーラは簡単には見えないでしょう。相当に厳選された条件下でかなり霊的にレベルの高い人(サイキックなものを超えて)でなければ無理だと思います。その人のオーラを見てすべてがわかるというレベルの人間はこの地上世界にはまずいないだろうと思います。

    今日は無断で彼らの写真を載せてしまいましたがそこはご容赦願いたいと思います。



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    真夏の作業

    2012.08.03 09:59|日々の暮らしの中で
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    今から丁度一年前の8月、私は急に思い立って家を直すことにした。離れの川沿いの壁の外板が腐ってボロボロになっていたのを今まで放置していたのだ。台風が来る度に横殴りの雨が壁の内部まで浸透するようになり放っておく訳にはいかなくなっていた。普通は業者を頼むところだがこのときは何故か自分で出来るような気がして毎日夕方になると少しずつ修理を始めた。全体の一割くらいをやってみてこれなら全部出来そうだという自信がわいてきた。ホームセンターでトタン板を買ってきては毎日出来る範囲で修理をした。



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    何しろ足場が狭く幅が数十センチしかないので、うっかり後ずさりをすれば川に落ちる。低いところは危険はないが高いところは梯子をかけて作業をしなければならない。トタンを釘で打ち込む時バランスを崩すとあっという間に川に転落してしまうので緊張した。命綱をかけて金槌のふり幅を小さくし手首だけで釘を打ち込んだ。 プロなら足場を組むがそこまでは出来ない。

    蚊が来るので足元には蚊取り線香を付けて、真夏だというのに長袖の作業ズボンにシャツという出で立ち、自分は歯医者だったのかな?人の口の中の修理をするのが本業じゃないの? いくら本業が暇とはいえ。思わず自分に問いかけてみた。 隣のお婆さんも不思議そうに眺めていた。牛歩の歩みでも毎日積み重ねていけば何時かは完成する。盆も過ぎて8月も終わりに近づく頃、ついにここまで出来た。
    総費用は材料費3万円也。



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    実はこの物置から先に修理してみた。ここも痛みが激しく板が破れてそこから野良猫が出入りしていた。トタンの波板を買ってきて傷んだ箇所を直してみたら意外とうまくいったので、それならということで上の写真にある離れを修理した。細い横木が走っているところに釘を打たないといけないのでこれがポイントだ。外すとトタンに穴を開けただけになってしまう。

    とにかくこの時自力で家の修理をしたが今では到底無理だ。今年から出来なくなるので去年やったのだろう。よく観察すると無意味にやっていることは一つもない。きちんと自然の法則の通りに物事は進んでいるようだ。うまくできていると思う。日頃の生活すべてにおいて自然の法則が働いているのだから人間はそこに調和することだけ考えていればいいと思う。一言でいえば法則があるだけ。他のものは人間が想像のもとに作り上げた人工的な世界なのだから。