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    誰もいない海

    2012.09.28 12:58|日々の暮らしの中で

    P1020876_convert_20120927104719.jpg
     

    無人のビーチ

    学生時代に流行った「誰もいない海」を思わず口ずさみたくなってくるような風景だ。
    この浜辺(鹿島海水浴場)では昔からよく遊んだ。子供たちもここでよく泳いだものだ。

    9月も後半になったのにいまだに日中は30度近くまで気温が上がる。でも真夏のような湿気がないので
    木陰に入ると涼しい。本当は真夏よりも今の季節のほうが快適なのだが誰も寄り付かない。

    ビーチは人影がなくなり今ではここに来るのは犬の散歩に来る人くらいだ。
    私も夕方チョコさんを連れてここに来ることがある。




    P1020875_convert_20120927102101.jpg 


    引き潮になると島と島が繫がる。ここはエンジェルロードと名付けられ週末は若いカップルが多い。
    満潮になると水深1m以上になり、その上を水上バイクやシーカヤックで通過できる。

    ここは意外に潮が速くて水泳達者なものでないと流される。奥の大きな島は余島でYMCAの
    野外施設などがあるが昔は民家もあった。




    P1020880_convert_20120927103240.jpg 

    ここは島の西南端でこの岩から沖に真っ直ぐに水面下の岩が100mくらい伸びている。

    この辺りは潮の流れが速く岩は走っている漁船の内側にあり先端には目印の浮標が置かれている。
    漁船のはるか向こうには瀬戸大橋があり空気の乾燥する冬場はよく見える。
    ここは今は廃校になった小学校があったところで校庭の一部が写っている。

    右手の大きな島は豊島で高齢化と過疎化が進み今は人口が1000人くらいである。
    産廃問題で全国的に名が知られることになったが小豆島より一層素朴で静かな島である。

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    霊障、祟りは作り話

    2012.09.26 09:34|真理を求めて
    夕日 

    先祖の祀り方が悪いと霊障が起きて家が不幸になったり誰かが病気をしたりするという話がまことしやかに信じられているようですがそれは迷信に過ぎません。他界した人がかつての自分の子や孫を不幸に陥れるようなことをするでしょうか? それはよほどの憎しみでも持たない限りあり得ないでしょうし、もしそういう事をすればそれは自分の霊的成長を阻害する事は明らかです。

     

    あちらから地上の人間に対して直接何かを行使するということは非常に難しい事だと思います。相手が相当に霊的エネルギーの操作に熟練している場合、位牌をカタカタ動かしてみたり停電を起こしたりという物質現象を演じてみせるくらいの事は出来るかもしれません。出来たとしてもその程度の事です。ましてや地上の人間に病気や怪我をさせるなどということは出来るものではありません。原則としてあちらの世界にいる人は地上に対して直接手を下すことはできません。

     

    私の経験でも他界した親族は殆どインスピレーションや夢で自分の思いを伝えてきますが、ある程度霊感のある人間でなければ容易には受け取ることは出来ないでしょう。殆どの人は何も気づかずに毎日を過ごしている事だろうと思います。

     

    私は思春期の頃よく祖父の言う事に逆らって怒られたものです。ある時など「わしが死んだらお前に取り憑いてやる」とまで言われました。実際、ここに書くのはためらわれるような出来事もありました。でも家の中で祖父の気配を感じることは全くありません。祈りの時にも現れるのは父と祖母だけです。父とは今までよく交信してきましたがその内容は主に旧いのちの波動の「死後の世界」に掲載しています。祖母は時々仏壇で気配を感じますが静かにこちらを見ているだけです。娘は子供の頃祖母がドア越しにこちらを見ていたのを目撃しています。我が家ではそういう話は少しも珍しいことではなく日常的な出来事になっています。

     

    あちらの世界に行った人達は肉体と物質の束縛から解放され遥かに豊かな世界で暮らしています。そういう環境にいる人たちにとってこの物質世界は魅力のある所ではないはずです。中には分からず屋もいていわゆる地縛霊化した者もいることでしょうがそういう者も何時かは悟ることになるでしょう。とにかく先祖が自分の子孫に対して祟るなどということは余程特殊な事情でもない限りあり得ないと思います。何かのサインを送ってくることは当然あるでしょうがそれは子孫の為を思っての事でしょう。

     

    墓や仏壇をはじめ先祖供養をきちんとしないから先祖が子孫に対して復讐するなどということはあり得ないことです。他界した人のその後のことは霊界主導で行われるので地上の者が先行きを心配する必要はないと思います。霊障とか祟りなどというものは自分の心が作るものではないでしょうか。人の想像力は豊かなので心が不安に傾いていると自分の想像力でそういうものを作ってしまうのです。

    先祖は祟るのか

    2012.09.24 13:43|インスピレーション
     

    先祖はあなた達と同じ人間であり、違うところは肉体を持っていないという事です。もし先祖の誰かが地上のかつての家族に対して何らかの要求(物的要求)をしているとすれば、それはまだ地上生活から抜けきっていないということです。

     

    しかし地上の家族が真理を知り精進の日々を続けているならば、彼らは自分の認識に誤りがあったことに気づいて反省することになります。形式的な供養よりもあなた達の普段の心がけがそういう先祖に対して指導的な力を発揮する事になります。地上の家族の心の波動は地上の人間同士よりもはるかに速く正確に彼らに伝わるからです。

     

    あちらの世界に行けば最初は当惑したとしても必ず自分の置かれた状況を正しく認識するようになります。その為の指導者が控えていて正しい道に導いてくれます。故に先祖が祟るとか他界した人の行く末を心配したりする必要はありません。

    誰かを憎むこと

    2012.09.21 11:10|インスピレーション
     

    相手を憎むことによって自分を傷つけることになります。昔からある呪いの儀式などで相手が傷つくことはありません。万一そういうもので相手に何らかのダメージを与えたとしたら自分の罪は一層深くなり、後でそれ相応の償いをしなければならなくなります。人間は皆同胞、人を傷つけることは自分を傷つけることです。人間には良心という神のモニターが一人残らず備わっていると同時に一つ一つの思いや行為は神の裁定を受けています。神の摂理に反することをすると必ず後で責任を取らされることになります。神の目を誤魔化すことは絶対に出来ないのです。何故なら人も神だからです。




    補足
    呪いの儀式、呪術などは実際は効果はなく自分を傷つけるだけでしょう。思念(エネルギー)は無意識のうちに相手に伝わることがありますが鈍感な人であれば何も感じないでしょう。私の経験ではふと相手の事が意識に上ってくることがあります。運転中にその人の事が思い浮かぶと少したってからその人物と車ですれ違うとか、スーパーで何気なく相手のイメージが浮かんでくる。時間差をおいてその人が現れるということがあります。これなどはサイキックな能力の一つで犬などは日常的に感じていると思います。思念がある程度伝わったとしても相手はちょっと嫌な感じがするなと思う程度で実際に相手に危害を加えるようなことは出来ないでしょう。自縛霊を操って相手に害を与えるなどということも出来るものではありません。呪い、生霊の祟りなどこうしたものは迷信にすぎないのです。

    私たちがすることの全ては宇宙の深奥まで筒抜けであり本当は何一つ隠すことはできないのです。人はそれぞれが宇宙生命系の一つの構成部品であり、あたかも人間の肉体を構成する一つの細胞のようなものです。ある一つの細胞の変調はすぐに全身に伝わるように、一人の人間の状況もすぐに宇宙全体に伝わってしまうということです。

    素敵な時間

    2012.09.17 15:18|随筆集
    DSC_0326.jpg 

    私にとって他界した父や叔父や義父との触れ合いは素敵な時間である。幸いにも私には少しばかり彼らと触れ合うことのできる能力があるようで、それがこのブログやかつてのホームページを開く原動力になってきたようである。私にはそういう能力が与えられている反面、物欲や権勢欲などが極めて少なくこの物質の世界で何事かを成そうという野心に乏しい。

    誰でも何らかの集団に属していると思うが私の場合、次は自分がそこの会長とかリーダーの役目が回って来そうになると不思議に状況が変わりその役が回避される。避けられないからやるしかないと決意していても土壇場でクルリと状況が変わる。この春も自治会長の役が回ってくるのは自然の流れだろうと思っていたら自分が病気になってしまい、結局そうならなかった。

    そういう法則が働いているのだろうと思う。誰しもこれまでに築き上げてきた思いや行為というものによって人生のパターンが出来る。そのパターンと親和性のないものとはお互いが共鳴しないのだろう。

    この間NHKのクローズアップ現代で「お迎え」の話をしていた。番組では死に面した人の40%以上が霊界の親族のお迎えを見ていることが統計上分かったという。現状では結論としてそういう現象は脳内の生理現象ということで片付けられてしまうかもしれない。それ以上は踏み込めないだろう。それでもNHKがそういう特集を組んだことは意味があると思う。僅かずつ生命の実相についての知識が浸透しつつあるのだろう。

    ところで素敵な時間とは言葉で言い表わすことは難しい。死に面した人たちも実は私が感じているのと同じように素敵な時間を過ごしているのだろうと思う。もちろん個人差はあると思うが、総じて死後ある程度浄化が進んだ人たちは清浄でこの世の穢れというようなものを感じない。そういう人たちと対話が出来るという事は何と幸せなのだろうと思う。それは本当に私にとって素敵な時間なのである。

    追伸
    以前の「いのちの波動」には魂の対話を載せた「死後の世界」「葬式仏教」があります。興味のある方はご覧になってください。

    予定されていること

    2012.09.14 09:32|インスピレーション
     

    人生において予定されているものを避けて通ることは出来ません。よけて通ると後で違った形のものを体験することになります。先延ばしにしても結局同じことです。逃げずに自分の課題として受け入れるのです。一つずつ課題を片付けるごとにあなたの魂は強化され深みを増していきます。

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    人生は自己責任

    2012.09.11 10:54|インスピレーション
     

    自分の人生は原則自己責任です。他の誰かのせいで自分の人生がそうなっているのではありません。人生においては自分がしたことに対して自分が責任を持つ、これが原則です。誰か他の者が代わりを務めることは出来ません。


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    他人を変えることは出来るか

    2012.09.07 11:07|インスピレーション
     

    他の人の考えを変えることは非常に困難で時間がかかることです。人間は皆頑固者です。基本的には自分が気づいて納得して変わるしかありません。つまり成長していくということですがそのスピードは極めて遅いものです。他人を変えようと祈ってみても効果はありません。何故なら人の成長は個人の自由意思に委ねられているからです。

    人は何故生まれてくるのか

    2012.09.03 09:37|インスピレーション
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    自分に足りないものを補うために自ら求めてこの世に生まれてきます。偶然に生まれてくることはありません。地上世界でしか得られない貴重な体験を求めて自分が望んでこの世に来るのです。地上世界はある意味で穢れの多い所ですがその穢れに曝されるリスクがあるとしてもそれ以上に得るものがあるからです。この世に生まれてくることは自分の大きな意識(大我)が決めた事であり、一旦この地上世界で肉体に宿ってしまうとその事は分からなくなっているのです。


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