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    南国土佐

    2012.11.29 17:25|日々の暮らしの中で
     

    10月も残り少なくなった頃、長女の運転で高知まで日帰り旅行をした。
    高速を運転中に眩暈が起きたら危険なので私はハンドルに一切触れなかった。

    ここは高知市から西へ数十キロの横浪半島である。四国遍路をしていた当時
    オートバイで2度この半島に沿う道を走ったことがある。横浪黒潮ラインと呼ばれる
    ワインディング路で眺めもよくバイク好きには絶好のところである。



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    よさこい鳴子踊りの歌詞と鯨と海の看板が立っていた。
    よっちょれよ、よっちょれよ、よっちょれ、よっちょれの文句で始まるよさこい鳴子踊りの歌だ。
    よっちょれとは、高知の方言でどいてろ、という意味である。

    歌は”よっちょれ”の後に、高知の城下へ来てみいや じんばもばんばもよう踊る よう踊る 鳴子両手によう踊る よう踊る。
    と続いていく。

    高知の城下へいらっしゃい。おじいさんもおばあさんもよく踊る。という意味だ。
    徳島の阿波踊りに比べると全国的な知名度は及ばないが、エネルギッシュな祭りである。
    今年のよさこい祭りは残念ながら大雨に見舞われたらしい。




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    横浪半島を西に走り須崎市に出ると「かわうその里」という道の駅がある。




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    そこでは目の前でわらに火をつけて焼いた鰹のタタキが食べられる。
    安くて美味しい。高知の鰹のタタキはいける!
    本当はタタキを肴にビールでも飲みたところだが。



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    横浪半島の先端部に青龍寺という四国88か所の札所があり、その近くに「国民宿舎土佐」
    がある。バイクで遍路したときに泊まった宿である。今回寄ってみたら地中海風の別館が建てられて
    いた。向こうは太平洋の海原、この宿にはこの大海原を眺めて入れる露天風呂があり、海に沈む
    夕日を眺めながら入る露天風呂は良かった。

    歩き遍路に人気がある宿で前に行ったときは露天風呂で歩き遍路同志、話がはずんでいた。
    こちらはバイクなので会話の輪には入りずらかった。


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    駐車場の隅に行くと猪が悠然と寝ていたので驚いた。

    ぐっすり寝ていて近づいても起きようとしない。


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    話を聞くと宿の支配人が猪が子供のころに水害で親と離れて流されてきたのを助けて育てたらしい。
    1年後の今は体重が60kgほどあり時々山に散歩に連れて行くのだそうだ。

    山で離しておいてもちゃんと帰ってくるらしい。
    その人が猪を撫でている様子を見ると大層可愛がっているようで猪も彼になついている。
    猪もこうして見ると可愛いものだ。

    土佐の国はやはり南国。四国山脈を南に抜けると太陽の光が違う。
    西南端の足摺岬まで足を延ばせば亜熱帯植物が見られる。
    私は足摺にある金剛福寺に2度行ったがここが四国88か所の中では
    一番好きなところだ。広大な太平洋と亜熱帯植物の林、自然環境が何と言っても
    素晴らしい。また遍路では高知が一番良かった。札所の間隔が適度に距離があり
    バイクで回るとツーリングをしているような感じになれる。

    旧ページの「遍路の話」で四国遍路体験記を載せていますので興味がありましたらご覧ください。

    マウス右クリックで「新しいタブで開く」という操作をして頂いたほうがいいかもしれません。

    http://ww81.tiki.ne.jp/~okwhiro/CI15.htm


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    夕方高松港まで帰ると港に飛鳥が停泊していた。日本郵船の長距離クルージング用の
    豪華客船である。こうして見ると巨大だ。こういう客船の旅では衣装が何着も必要だろう。
    フォーマルなディナーには正装で臨まなければならない。

    私は夏はTシャツ短パン、冬はフリースのジャケットに楽な防寒ズボンという出で立ちが好きなので
    堅苦しいのは苦手だ。大体ネクタイも肩がこるので好きではない。職業柄ネクタイをする必要がなかったので
    スーツなども殆ど持っていない。

    もしこういう船でクルージングに行くなら気楽に行ける南の島がいい。






    晩秋に思う

    2012.11.26 17:20|随筆集
     

    家の近くの防火用水の中で育っていた蓮も晩秋とともにこのように枯れてきた。
    自然は秋から冬にかけて急速にそのエネルギーを落としていくので人間も
    影響を受ける。訳もなく物寂しい気持ちになったりしがちだ。

    今の季節は年中で一番亡くなる人が多いようだ。ここ小豆島でも毎日のように
    葬儀がある。


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    この蓮も9月にはまだこんなに生き生きとしていて壁の上まで届く勢いがあった。
    蓮はよく”泥沼に咲いても清らかである”と観音様とともに表現される。

    穢れたこの世にあっても心はその影響を受けることなく観音様のように清らかであるべき。
    それには強さも必要だ。


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    海岸の景色もこのように移り変わってきた。山の上の雲が暗くて重そう。
    最近になって私は二人の友人が時々夢に現れるようになってきた。
    一人は3年半ほど前に他界した大学時代の友人、もう一人は1年半ほど
    前に自分でこの世の人生を終わらせた地元の友人である。

    今までに夢に現われなかったのは多分出てこられない理由があったのだろう。
    私が夢で船や電車などに乗っていると知らぬ間に彼らが隣に座っているのである。
    しかも全く不自然さがない。こちらもその時は夢であるとは気がつかない。
    恐らく彼らは自分が元気でいることを知らせたくて現われたのだろうと思う。
    実際私は毎晩のように夢を見てしかもそれを覚えている。

    夢を見ない日は少なく誰かが夢に出演してくるので、寝る前は今晩はどんな夢を見るだろう
    と楽しみである。今は行動が前のように自由自在ではないので一層夢を見るのが楽しみなのである。
    夢の中では全くそれは関係がない。多分病気そのほかで肉体的に不自由な人が霊界に行くと自由になれる
    のと同じ原理が働いているのだろうと思う。


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    エンジェルロードの様子もこのようになってきた。水が冷たそう。数日前に高倉健主演の「鉄道員」
    という映画のDVDを見た。12年前に一度見たが今回見てみたら彼が演じている”音松”?という人物
    が死ぬ何日か前から、幼くして亡くなった彼の娘が幼少時と12歳頃、18歳頃と姿を変えて計3回現われる。

    それは結局お迎えを表現したものだろう。3回目に娘がセーラー服を着て現われた後で彼は雪の積もった駅のホームで倒れて死ぬというフィナーレになっていた。12年前に比べてその時分からなかったものが理解できた。霊的な世界を上手に表現した映画のようだ。私などは夢やそのほか、常に父やその他のあちらの世界の人を身近に感じているが、常時お迎えが来ているということになるのだろうか?









    病気と付き合いながら

    2012.11.23 14:55|日々の暮らしの中で
     

    ここⅠ週間ほど午前中はよく目まいが起きる。おそらく季節の変わり目だからだろう。
    一般的にも11月下旬は体調を崩しやすくこの時期に亡くなる人も多い。

    昼前に目まいが治まってから亀山神社に来てみた。
    樹齢400年のこの神木はとても良い。
    穏やかな癒しのエネルギーが出ていて手をかざすと温もりを感じる。

    今までに時々この場所でインスピレーションも受けてきた。
    この木はメニエール病のような自律神経の変調を調整してくれそうである。
    私はその前でしばしの間そのエネルギーを受けてみた。



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    昔からこの木によく雷が落ちていたそうだ。そのせいか上部は枯れていて
    鳥のとまる場所になっていた。2年前に神社庁の指導で上の枯れた部分が
    切り取られた。枯れ枝が参拝者の上に落ちてはいけないということらしい。          



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    神木本来の姿。先端には鳥がとまって周囲を観察している姿を
    よく見かけたものだが。ここから見渡すのは気持ちが良かった
    だろう。昔から私は鳥のように空が飛べたらどんなにいいだろうと
    思っていた。そのせいか昔からよく空を飛んでいる夢を見てきた。


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    自分の体調の良い時を狙って蒔いた大根が成長して収穫できるようになってきた。
    もちろん家族の協力がなければ一人では無理だ。皆の努力の結果である。



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    蕪もこんなに成長した。蕪の種はとても小さいので蒔くのに苦労する。
    蒔きすぎると無数の苗が密生して出てくるので間引きが大変だ。



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    収穫した野菜たち。向こうから蕪、大根、小松菜。



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    あまり気が進まなかったが、というのはブロッコリーやキャベツには蝶が飛んできて
    卵を産み付ける。それが青虫に成長して葉っぱをかじってしまう。それを防ぐために
    網をかぶせて守らなければいけない。しかし近所の親切なお婆さんが毎年苗をくれるので
    断るわけにはいかない。2日ほど前に網を外したところだ。こうしてみるとやっぱりやってよかった
    と思う。人間って勝手なものだ。




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    これは2年前に自分で付け替えたテレビアンテナ。テレビが地デジ放送に変わるのでそのままだと
    テレビが見られなくなる。近所のホームセンターでセールになっていたのを買ってきて自分で屋根に
    上がって取り付け作業をした。そして電波に合わせ位置を調節してテレビが見られるようにした。
    今では屋根に上がっての作業は危険だ。

    去年の夏は川べりの壁の修理、一昨年はこのアンテナ付け替えと、気が付けば今では出来ないことを済ませている。
    自然の摂理の流れはうまくできていると実感させられる。私は今メニエール病でいろいろと制限された生活
    を送っているがあまりストレスは感じない。若い時に思い切り自分のやりたいことをしてきたので特にこれが
    やりたいというものがない。

    定年まで仕事一本で過ごし、仕事を辞めてから好きなことをしたいという話をよく聞く。しかし定年後は体がいうことを
    効かなくなっているので出来ることは限られてくるだろう。つくづく自分は恵まれていると思う。

    こういうブログを更新する作業も根を詰めてやろうとすれば目まいを起こすので少しずつしかできない。
    長い文章を書くよりこうして写真を載せるほうが楽だ。片方の耳の聴力が落ちて音がどちらから聞こえてくるのか
    わかりにくい。人との会話も少し不自由でジェット機の轟音のような耳鳴りも度々だがそれにも慣れた。

    何事もゆっくり、少しずつ、その時できることをしていけばいい。

    2月の発病以来島外に出たのは3回きりだが、今の望みは今シーズンのスキーに行けるかということである。
    もう信州のスキー場では一部がオープンしているようだ。





    自分の本心に忠実に

    2012.11.19 15:55|インスピレーション
     
    (写真はシアトルのSafeco field.イチロー選手がマリナーズからヤンキースに
     電撃的に移籍した日。丁度長男夫婦が試合を観戦していた)

    人は自分の本心に忠実に生きるべきです。周囲に合わせようと自分を曲げて生きるのは悲しいことです。そうするうちに自分自身を見失ってしまいます。それは自分の心の成長を阻害してしまうのです。一人一人が豊かな個性と役割を持って人間社会を構成しているのですから。


    紅葉の季節

    2012.11.14 14:22|日々の暮らしの中で
     

    今年の紅葉はほぼ平年並みでここ数日の朝の冷え込みで一気に色づいてきた。
    ここ石門は裏寒霞渓と呼ばれ、日蔭なので少し紅葉が遅くて赤、黄色、緑色のコンビネーションが
    美しい。



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    岩ともみじのコントラストがここの特徴で観光客が少なく静かである。
    時々岩の中の洞窟から読経の声が響いてくる。この場所は島88か所
    の札所の一つで石門洞と呼ばれている。



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    岩に彫られた不動明王。なかなか迫力がありここのシンボル的な存在である。ちなみに石門洞の
    本尊は勝軍地蔵菩薩と呼ばれる極めてユニークなものである。小豆島には山岳霊場が多く、
    弘法大師が洞窟にこもって修業をしたことがあるという伝説を売り物にしている。




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    石門洞から少し登ったところにある岩のアーチ、独特な景観が楽しめる。
    以前ここに来た時は何十匹という野生の猿の群れが私の横を走って通過して行っ た。





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    岩のアーチから眺めた幟岩ともみじ。このあたりの地質は火山性であり大昔は海底であったらしい。

    隆起したのちに浸食されてこういう形になったという。その奇岩と紅葉がここ寒霞渓の特徴である。






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    静かにたたずむお地蔵様。ちょっと幽玄な雰囲気がある。ここに勤めて寺院の世話をしている人物がいるが
    自分でヒノキの棺桶を作って出たり入ったりして来たるべき時の準備をしているそうだ。

    彼は少しばかりここの不動明王 に似た風貌をした好人物である。
    ここの住職も彼に勧められて棺桶の中に入ってみたとか。私も勧められたがまだ入ったことはない。




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    岩のアーチから45分くらい石の階段を上ると三笠山というロープウエイの山頂駅に着く。
    シーズンは観光客で混雑しているので静かに紅葉など自然を満喫するには石門のほうが良い。
    我が家では殆どどこに行くにも愛犬がお供をする。大切な家族の一員であり皆の愛を一身に受けている。


    正しく見ること

    2012.11.12 16:33|インスピレーション
     

    自分の我(エゴ)が出過ぎると物事を正しく見ることが出来ません。我を減らすほど真実が見えてきます。今までに見えなかったものが少しずつ見えるようになってきます。人はどうしても自分の我というフィルターを通して見てしまうので真実をありのままに見ることが出来なくなります。

     

    この世で肉体を持って生きている以上我を無くすることは出来ませんが一時的にでも我を滅却することは可能です。たとえわずかな時間であっても自我滅却に誘導する為に祈り、瞑想は欠かせません。それを続けていくことによって自分を導く守護霊や指導霊との繋がりが強化されることになります。また霊界の親族からのメッセージも受けやすくなります。


    祈りの時間

    2012.11.07 16:31|真理を求めて
     
               (双子浦から見る瀬戸内海)

    私にとって毎朝の祈りは欠かせないものになっている。その日の条件によっては祈りをする部屋に入っただけで違う次元に入ったなと感じることがある。ここ数年は読経など形式的なものはあまり使わずに自分に自然に出てくるものを使うようにしている。以前は必ず般若心経や観音経を仏壇の前で唱え、神棚の前では祝詞を奏上することにしていたのだが、今はその時の自分の感性に従うようにしている。また長い祈りはやらず、時間のない時は口に出さずに心の中で祈るだけのこともある。祈りよりもその後の瞑想の時間の方が長くなっている。

     

    何か重要なことを決断しなければならない場合、果たして自分が今こうしようと考えていることは正しいのか(神の摂理に叶っているか否か)を判断する確証を祈りの後の瞑想から得ることもある。自分の計画している事と瞑想によって導き出されたインスピレーションが一致した場合は安心して行動に移すことが出来るが、もう一つすっきりしない場合は計画を考え直すことにしている。但し、すっきりしないからと言って何度も確証を求めるようなことをしても意味がない。

     

    五感を超えた霊的な自分というものを少しでも感じることが出来たらそれだけで祈りの価値があると思う。神聖で崇高なものを感じ取ることが出来れば自分は肉体だけの存在ではないということが身を以て分かると思う。そういう感じを掴むことが出来れば死んだとされている人たちが身近に感じられるようになる。彼らはこの感覚と似たような環境にいるのだなとわかり、死というものは怖がるものではなくむしろ希望をもって見られるようになると思う。要するに祈りは霊的世界との交通路であり、それによって生命エネルギーを貰うことが出来る。人は意識するしないにかかわらず全生命の始原(神)から霊的エネルギーを受けているので、地球生命系の頂点である人類として存在していられるのである。

    素の自分で生きる

    2012.11.03 14:59|インスピレーション
     

    飾らず、強がらず自分のありのままで生きることです。自分を大きく見せようとする必要もありません。虚飾は人や世間の目にも分かるものでメッキはすぐに剥がれてしまいます。素の自分で人生を生きていく、それに勝るものはありません。