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    大空澄人

    Author:大空澄人
    これまで自分の探求してきたものを 「いのちの波動」 というページ上で表現してきましたがPCのトラブルによりこのページに引き継がれました。一時的にご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます。

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    精神が引き継がれる(父から)

    2012.12.30 10:57|親族、友人の霊界便り
     

    こちらの世界の者が地上に残してきた人々に何を期待するか。それは必ずしも地上の人が先人の残した型や形をそのまま引き継ぎ、維持していくということではない。肝心なのはそこに表現されている精神だ。物の表現形態は時代に応じて変化していくのが自然の流れであり、本質を見ることなしに昔の型にこだわり続けることは意味がない。

     

    その時の人の心が形となって現れるのであり、人の心も物も共に向上を目指して止まないものだ。故に先祖がいつまでも自分の残した土地や家などにこだわっているなどと考える必要はない。周囲をよく観察すればいつまでも同じ形を留めているものは何一つないということがわかるだろう。

     

     

    追伸

    昨日、二男が帰省して夕食の前にぼんやりしていると父の気配を感じました。ああ二男が帰っているので様子を見に来ているなと思いました。メッセージはわずか数分の朝の祈りの時に受けたものですが、あちらの世界の人からの思念を受ける時は自分がその人物になり切っているような感じがします。その相手が自分に乗り移っていると表現してもいいかもしれませんが、その感覚はうまく言葉で表現出来ません。それはその時だけのことで自分の意識が日常の事に移るとすぐに消えていきます。

    大空


    目覚めること

    2012.12.26 15:35|インスピレーション
     

    人間が霊的に目覚めるのは容易ではありません。よほどの体験をするか霊界からの指導を受けるか、そのどちらかが必要です。日頃の生活で物質的波動に浸りきっている現代人にとって自分の本質(自分は肉体ではなく霊であること)に気づくことは簡単な事ではないのです。

     

    肉親との離別など極限の体験をすると、それまで自分を覆っていた物質の殻が取り払われ霊的な自分と言うものが顔を出してくるようになります。一方、直接霊的な世界を体験することによって霊的視野が広がってきますが、それには霊界からの波長を受信できる先天的要因を必要とします。そして一旦霊的な通路が開かれるとそれを維持するにふさわしい生き方が求められるようになります。それなりの責任が生じてくるのです。

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    観音様の御札

    2012.12.21 16:33|真理を求めて

    P1030202_convert_20121202100008.jpg   

    写真は
    2004年のちょうど今頃、西国巡礼で京都の清水寺にお参りをした時に買った御札である。
    清水寺の本尊は十一面千手千顔観世音菩薩でありその本尊の姿が描かれている。

    清水を訪れた夜のエピソードは聖地を訪ねて(鳴る鐘というテーマで以前のホームページに載せているが師走の京都はとにかく寒くてその日は疲労困憊したことを覚えている。

     

    以前のページのインスピレーション集の中の観世音菩薩の名で載っているものは殆どこの御札を観想して得たものである。仏壇で祈りの後この御札を見ながら静かに瞑想していると額(真ん中から少し左より)や頭頂部がジーンとしてきて五感を超えた見えざる世界からの通信というものを私は感じ取ってきたのである。

     

     

    神仏(昔から神仏と表現されてきたものは実際は自分の守護霊や指導霊)に対して祈ったり指導を仰ぐ場合、何か意識を集中できるシンボルがあったほうがやり易い。自分が心から敬えるものであれば、お守りや御札、あるいは写真であろうとそれは関係がない。また海や山など清々しい環境の中に身を置くのもとても良く、要するに自分に合ったものを選べばいいのではないだろうか。伊勢神宮の正宮の写真も良い。

     

    この写真の観音様の御札こそが長きにわたり私の心の支えとなってくれ、これまでに貴重な啓示を一杯もたらしてくれたのである。

    それはこの御札自身が特別な力を持っているというよりも、あちらとこちらの世界を結ぶ通路となってきたのであろう。今もこの御札は仏壇の一番奥の真ん中に置かれていて先祖の位牌を従えているような配置になっている。しかしよく見ると位牌というものは暗く感じられる。昔の位牌は黒いものが多く一段と陰気臭い。昔から人は先祖をこういう形で位牌や墓に閉じ込めてきたのである。それは他界した人に対する自分の心を閉じこめているだけなのだが。少しずつではあるが人々は真実に目覚めその視野も広がっていくであろう。

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    2012.12.17 15:40|夢の話
     

    最近私は一段と夢をみるようになってきた。昨夜の夢は興味深く心に残った。私は一人で両側に木の塀が立ち並んだ道を歩いている。東京の神楽坂や京都の祇園に行くと芸者置屋が並んでいる所があるが、丁度そういう感じのところである。ふと見ると見知らぬおばあさんが立っていて私に話しかけてきたのである。「あなたに会いたがっている人がいますよ」と言う。

     

    するとそこに年齢は定かでないが若い女性が立っていた。そこで彼女と色々会話を交わしたがその内容は一部しか思い出せないがその人は私の来るのをずっと待っていたらしい。彼女は長い間とても悲しい事があってそれを理解してくれる人を探していたように思えた。そこで私は彼女の手を引いてそのあたりを一緒に歩いたり乗り物に乗ったりして楽しい一時を過ごしたのである。その乗り物は自転車のようでもありオートバイのようでもありどこにでも自由に行ける。私は後ろに彼女を乗せて方々を走り回り二人は時を忘れて楽しんだのである。しかし彼女の手がやけに冷たかったことが印象に残っていて明らかにこの世の人ではないなとその時自分ながらに確信していた。

     

    それは最近の寒さで自分の手が冷たくなっていることを常に意識しているのでその影響かもしれない。そうするうちに彼女は私の傍からいなくなっていて夢もそこで終わっていたようであった。これは自分が勝手に思っているだけかもしれないが、私は幽界にいるその女性と会って慰める役を与えられたのかもしれない。色々と楽しく遊ぶことは若い時から得意だったから。これは遊ぶことが得意だったお前にふさわしい役だから行きなさいという事だったのか。今は仕事もしていないしこういう楽しい役ならいくらでも引き受けますよと言いたいところだが、あまり調子に乗ると叱られそうである。

     

    こういう夢ではなく寝入り際や、朝布団の中でまどろんでいる時に人々の姿や顔が非常に鮮明に見えることがよくある。彼らは今までに全く見たことのない人達であり、その場も非常に明るくて輝いている。そこは光線の種類が違っているようで、その光景を言葉で言い表わすことは難しい。そしてそれに焦点を合わせようとすると見えなくなってしまう。とにかくそこに意識を集中しようとするとピントが合わなくなってしまう。そういう操作をするということは五感を発動してしまうようである。五感で捉えられないものは無理に見ようとすると見えなくなってしまうのである。多分霊界がちょっと見えているのだろうと思う。一般的に霊界といえばぼんやりと薄暗い所をイメージする人が多いだろうが実際はこの世よりもはるかに明るく清々しい所のようである。しかし一瞬でもそういうものが見られるのは幸せなことである。自分が次に行くところが実感出来、死は恐怖ではなくむしろ希望として感じられるからである。

     

    あまりこういう話を公表すると医学界はもとより識者とされる人達から精神病者扱いをされかねないので注意を要する。私は理解してくれそうと感じる人以外にこういう話はしない

    自然体が一番

    2012.12.13 14:17|インスピレーション
     


    普段はリラックスして自然体でいることが一番です。それが神の摂理に調和しやすい生き方です。
    他の誰かが考えた知識を詰め込んでいる人が多過ぎます。そういうものを一杯取り入れてもそれを本当に理解し実践できるまでは自分のものにはなりません。自分の身に付くまでには時間がかかります。少しずつ、少しずつでいいのです。急いでも身に付きません。

     

    補足

    精神世界の本などでは誰でもが安易に高位の霊的世界にアプローチできるかのように書かれたものがありますが、それは容易なものではなく実体験を基とした自分自身の向上というもの無しには不可能ということです。
    大空

    この世も霊の自己表現の場

    2012.12.08 09:48|インスピレーション
     

    その人の心に思う事、語ることや行為がそのまま自身の霊性を表します。それぞれの容姿や表情にもそれが表れます。それらも霊的表現なのです。この世においても人は直観力でお互いの霊性を無意識のうちに判断し合っています。この世も霊の自己表現の場なのです。

     

    人間同士の交流においては本当は言葉の内容そのものよりも霊的直観力が大きな影響力を持っています。霊的な事に理解がない人でも実は霊的な能力を使っているのです。それぞれの人の肉体を通して霊が自己表現しているのであり、肉体が自己表現しているのではないのです。



    補足
    丁度、今NHKの朝ドラ「純と愛」でそういうことが表現されているようです。主人公のパートナーは相手の言葉の裏に隠された本心を見抜く能力がありますが、それが霊的直観力です。通常ならば彼はこの世の汚れに負けない強さをこれから身に着けなければならないでしょうが、主人公がそれを補って余りある強さを持っているので二人で一つということなのでしょうか。これはあくまでもドラマの話です 。

    霊という言葉に抵抗がある人もいるかもしれませんが霊とはその人間を生かしめている本体であり、この物質世界においてその人間を通じて自己表現をしているものです。肉体の寿命が尽きるとそこから離れて非物質の世界で自己表現し始めます。この物質の世界での人生経験を通じて学んだものが次のステージでの生活の基礎となるので疎かには出来ないのです。 霊という言葉に馴染めないならスピリットと表現しても差し支えないでしょう。       大空

                  


    内なる声に従って

    2012.12.03 09:53|インスピレーション
     

    人生は決断の連続です。その時自分の心の奥底から湧き出る声(内なる声、良心の声)に従いましょう。例え逆風であっても目先に障害物が立ちふさがっていても必ずいつかはそれは取り除かれます。将来振り返ってみてあの時の決断が正しかったのだと喜びに浸れる時が来ます。人間は自分で決断、実行することによって磨かれるのです。