12 | 2013/01 | 02
    - - 1 2 3 4 5
    6 7 8 9 10 11 12
    13 14 15 16 17 18 19
    20 21 22 23 24 25 26
    27 28 29 30 31 - -
    最新記事

    カテゴリ

    プロフィール

    大空澄人

    Author:大空澄人
    これまで自分の探求してきたものを 「いのちの波動」 というページ上で表現してきましたがPCのトラブルによりこのページに引き継がれました。一時的にご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます。

    リンク

    最新コメント

    メール宛先

    名前:
    メール:
    件名:
    本文:

    検索フォーム

    カウンター

    霊界の通信網

    2013.01.28 15:44|真理を求めて
     

    この間他界した親戚のおじさんの中陰供養と、少し早いが49日法要も終わった。生前はめったに顔を見ることもなく、ここ何年かは会話をしたこともなかったが彼の死後は急に今までよりも彼の存在が身近に感じられるようになった。地元の詠歌のグループによる中陰供養の場においても彼は祭壇の前に現れ頭を下げて皆にお礼を言っていたし、私に彼の家族へのメッセージも伝えてきた。そこで私は後で彼らにそれを伝えることになるが、そういう場合一番気を使うのがそういう霊的な事に理解がない人にどうやってそれを伝えるべきか思案するのである。他の人達が一緒にいるような席では言えないので後でタイミングを見て知らせたり、あるいは後で電話で伝えたりする。我が家では普通になっていることでも理解のない人には安易に言えないのである。それが今の私の悩みの一つであるがそういうものを聞いた以上は何とかして伝えなければならない。聞いた人間にはそれを伝える義務が生じてくるのである。

     

    今回はすでに数回メッセージが来たがそのいずれも家族に伝えてきた。それはとてもスムースに運び家族もとても喜んでくれたが、仕事を辞めた今はそういうことが私の大きな喜びとなっている。向こうでは相手がメッセージなどを受け入れてくれるような人間かどうか考慮に入れた上で私に通信を送っているのだろうと思う。そこで振り返ってみれば、殆どのケースでそのおじさんと共に父が現れていた事を考えてみると父がおじさんからの通信を仲介していたのではないかと思うのである。生前から霊的な知識が全くなかった場合、地上の家族に自力でメッセージを伝えるということはまず無理だろう。いくら肩を叩いても大声を上げても霊感のある人間がその場にいない限り誰も分かってくれないと思う。

     

    父は昔からそのおじさんや家族を色々と援助したりして面倒を見ていた。おじさんの子供達の名付け親でもあり、父は彼らから尊敬されていたのである。今も他界したばかりのおじさんの指導霊として色々と面倒をみているに違いない。そう考えるとこの世で築いた心の絆はあちらの世に行っても途切れることなく続いているのであろう。死後は物的なものが全て消滅し、残るのは愛、あちらに持っていけるものは愛の心なのである。

     

    霊界の通信網は通常の地上の人間には到底理解しがたいと思うが、彼らはこういう通信網を通して地上に意志を伝えてくるのであろう。私の場合も霊界通信を感得出来るケースは限られているので誰でもというわけにはいかない。何らかのつながりがなければ通信は成立しないのである。

     

    今回は通夜と葬儀の場においては何も感じ取ることはできなかった。おそらく彼は眠りについていたのだろう。今まで通夜の席で故人からの思念を感じたケースは一度もないところをみると通夜では当人は眠っているのだろう。葬儀においては半数以上は覚醒しているようだ。その場合当人の親やその他指導霊に付き添われて葬儀を見ているようである。祭壇の前で出席者にお礼を言っている光景(肉眼で見えるのではない)はよく見てきた。

     

    何百万円も使って大々的に葬儀をしても当人はそれを知らないかもしれないという事実を知ったら遺族は果たしてどう思うだろうか? 葬儀やそれに伴う一連の風習は霊的事実に基づいたものではなく殆どが世間体など地上的な価値観によって行われていると思う。借金までして葬儀をしたり、遺族がやっとの思いで差し出した寺への布施料が実は高級志向の寺の人間の贅沢に使われている事を知った時、他界した人はどう思うのだろうか。

     

    ともあれ彼は今はあちらで幸せそうである。朝の祈りの場で父とともに現れたことがあるが二人ともニコニコしていてとても良い雰囲気だった。そういう場合はこちらもとても幸せな気分になれるのである。


    新たな体験と成長

    2013.01.25 14:32|インスピレーション
     

    理解度の深さに応じて見える世界が変わってきます。ある人には見えるものもある人には見えません。人間は実は成長に応じて次々と自分の住む環境が変わっているのです。物質的には変化がなくても心の世界において自分を取り巻く環境は変化していきます。過去の事はすでに過ぎ去ったのです。過去の事を振り返って悔んだり、再び怒りの感情を呼び起こしたりすることは何の意味もなく自分を蝕むだけです。人生は次々と新しいページが開かれていきます。それはこの世においても霊界の住民となっても同じです。先にはあなたを成長させる為の新たな体験が待っているのです。


    小さな冒険

    2013.01.20 15:43|日々の暮らしの中で
     

    今年も寒い冬、全国のスキー場はどこも雪が一杯らしい。
    そんな折、私は果たしてスキーがもう一度できるかどうか試してみる機会を
    待っていた。本格的に寒くなってからはメニエールの症状が治まってきていたので
    思い切って先週半ばに一人で車を運転して山陰への一泊旅行に出かけた。
    温泉とスキーを求めて。

    写真は蒜山高原の風の家という道の駅。朝の岡山市内の混雑を苦労しながら
    通過してついにここまで来た。高速で眩暈が起きたら危ないことになるがついに
    運転中眩暈は起きなかった。ここまでくればもう大丈夫だ。



    P1030244_convert_20130120101058.jpg 

    昼前についにスキー場にたどり着いた。
    上は大山スキー場のスロープ。平日なのでガラガラだ。
    ここはリフトの接続が悪くやたらと歩かなければいけない。登行リフトの乗り場の横が
    墓になっていて雪に埋もれた墓石がこちらを見ている。登行リフトを降りると次のリフト乗り場
    までまたスキーを担いで歩かなければいけないがそれもエキササイズと思って黙って歩く。

    向こうに見えるコースが大山国際で中上級者向きのコースが3本ほどあり国体もここで
    行われる。しかしここまでリフトを乗り継いで行くことが出来ない。テクテク歩いたおかげで
    体が暖まった。私はそのコースを滑ってみることにした。

    最初は慎重にそろそろと滑ってみたが目まいが起こる様子はない。次第に板はスピードアップしていつしか以前のペースで滑っている自分に気が付く。出来るじゃないか!
    嬉しさがこみあげてきた。もう無理かと思っていたスキーが出来たぞ!
    そう何回もコースを攻める必要はない。今回はスキーが出来るかどうかの試しだから。
    私はそのコースを5本だけ滑って早めに山を下りて予約してあった麓の皆生温泉の宿に向かった。麓へと向かうここの道は快適で心も弾む。



    P1030260_convert_20130120101313.jpg 

    ホテルの部屋の窓から日本海を。
    冬型の気圧配置で西風がまともに吹き付ける。じっと見つめていると波に
    飲み込まれそう。この景色を眺めながら入るここのホテルの露天風呂は快適だ。
    3年ほど前にチョコを連れて泊まったことがあるがここはペット同伴で泊まれる。
    皆生温泉は塩水の温泉である。


    P1030270.jpg 

    このスキー板が私を甦らせてくれた。
    長女は道中の私の無事を霊界の父と神に祈ってくれていたらしい。ありがとう!
    最初は無謀かと思われたがそれをやってみようと考えるようになる事自体
    すでに願望実現への道筋がついているということなのだろう。
    久しぶりに爽快な気分に浸ることが出来て幸せだった。



    幽界からの便り

    2013.01.14 11:38|親族、友人の霊界便り
     

    朝、いつものように仏壇の前で瞑想していると2週間前に他界した親戚のおじさんが現れた。近頃私は仏壇の前で読経は殆どやらない。やるとしたら虚空蔵菩薩の真言(空海が室戸岬の御蔵洞でそれを唱えていたら明けの明星が口の中に飛び込んだという伝説のあるもの)くらいだろうか。

    その目的は音響効果によって意識を日常の雑事から浮上させることにある。普段はそれも殆どやらずに鐘を1回だけ叩く。その音が例の清水寺の観音様の御札に吸い込まれていくように感じられたら自分の意識が一時的に日常生活のレベルから離れ、見えない世界からのエネルギーを受け入れる体制が整う。

     

    差し障りがある内容ではないのでその通信をここに紹介したいと思います。

     

    「今は体が楽になった。家族が私の面倒を見てくれたことに感謝している。酒は時々飲みたいことがあるがここでは誰も飲んでいる者がいない。家族の事は少しも心配していない。あんたのお父さん(私の父)に色々とお世話になっている。彼はこちらで人の世話をしている。今までに多くの以前に亡くなった人たちに会った。娘の婿(2年前に他界)にも会ったが彼もこの世の家族の事は心配していない」。

     

    彼は酒好きであり葬儀の時は息子が御棺の中に酒を入れていた。晩年は体調を崩し長い時期ではないが家族の手を煩わせた。

     

    私の体験の範囲では殆どの他界した人はこの世に残した家族の事を心配していないようである。これは次のように考えてみると分かり易いかもしれない。我々が旅行に出る時、色々と家の事が気になる。戸締り、火の元、電気器具のこと等々。中には一度かけたドアのロックを再確認する人もいる(中には3回)。後ろ髪をひかれるようにして家を出ていくが一旦乗り物に乗って新しい環境に入ってしまうとすっかり気分が変わり旅行を楽しめるようになる。

     

    海外にでも出て一月程したら家や自分の住んでいる地域の事が別世界のように感じられてくるはずである。他界した人も同様の感覚を味わうのではないだろうか。金の心配をしなくていい、病気の心配がない、鬱陶しい人間関係がない。そんなところに行けたのにうじうじとこの世の事を心配するのは少数派であろう。

     

    先祖供養と称していつまでも慣例的な行事を繰り返すことはこのような観点から見るとある意味滑稽なことではないだろうか。あちらに行った人は実際は楽しく暮らしているのに残された者だけが暗い顔をして喪服を着て線香を供え坊主に高い布施料を払う。それは今も日本中で繰り広げられている光景であろう。

     

    中には例外がありいつまでもこの地上界をうろうろしているケースもあるだろう。だが一般的には残された家族が旅立った人の行く先を案ずる必要はないのである。そんな暇があれば日々自分を向上させることに努めるべきである。それが本当の先祖供養だと私は思う。




    各自が目的と役割を持って

    2013.01.11 09:55|インスピレーション
     

    一人一人が明確な目的をもって生まれてきますが目的は一人ひとり違います。この世で事業を営んだり、競争社会の場で限界に挑戦するなど自分を目に見える形で表現する人もいれば、人知れず自分の本当の自我を探りながら静かに日々を過ごしている人もいます。

     

    それぞれに目的が違うので一概にどちらが優れていると評価できるものではありません。前者は主に人類社会に物質的に貢献することであり、後者は主に精神的かつ霊的世界において何らかの役割を果たすことになります。両者は車の両輪のようなものであり、どちらも人類の進化発展に必要なものです。


    未来の予測

    2013.01.05 16:00|インスピレーション
     

    人間は初めから目標を持って生まれてくるのでそれを達成するために潜らなければならない関門が自動的に決まってきます。その意味で人の一生の主要なイベントというものはほぼ定まってくるのです。自身の性格、体質や生活環境などの要因が複雑に影響し合って将来の結果が生まれてきます。従って現在の状態が未来に起きる出来事の原因になるので、ある程度未来を予測することが可能になります。

     




    補足

    未来予知が出来れば将来に起きる望ましくない出来事を避けられるのに。先の事は何が起きるかわからない。だから不安になる。全く不安に襲われたことがないという人はおそらくいないでしょう。自分が下した決断によってそれに相応する結果が返ってきて、またそれに対して反応するという原因と結果のプロセスが永遠に続いていくのが人生です。

     

    結果に対してどう反応するかということもあらかじめ決まってくるようです。各自の霊的成長度や性格がその時取る行動を決定するのですから、ある人がその問題に対してどう反応するかということも自然に決まってくるでしょう。

     

    一番分かり易いのは不健康な生活を続けると病気になるということ。これは誰にでも予測できる原因と結果の働きでしょう。また良くない(利己的)思いを抱き続けると自分の霊性を汚し、自分のみならず周囲に不和をもたらす事になります。そして結果的に自分が代償を支払わねばならなくなります。

     

    誰でも自分以外の人がそれに対してどう反応するか予想するということを日常生活でやっているはずです。予想通りになると“ああやっぱり”と思うし、相手が思いもかけぬ反応をすると驚くということになるのでしょう。但し何を予測するにせよ五感に頼って生活している私たちの狭い視野から分かることは限られているでしょう。
    大空