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    大空澄人

    Author:大空澄人
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    仕事の有り様 (父から)

    2014.11.29 10:16|インスピレーション


    こちらの世界では自分がしたい事、心からやりたい事が出来る。そちらの世界では様々な条件に制約を受けるがこちらではそういう障壁が無くなる。そこで自由に自分のやりたいと思うものを選ぶことが出来る。地上時代よりもはるかに恵まれた環境にある。地上時代にはやりたかったけど出来なかった、その願望が叶うのがこちらの世界であり、存分にその道を追求することが出来る。

    地上時代には自分の気に染まぬ仕事をしなければならない事も多い。しかしその仕事をすることによって自分や家族を経済的に支え、それは世の中のためにもなっているはずである。それで良しとしなければならない。それが自分の努めを果たしたことになっているのでそれを不満に思ったり悔やんだりする必要はない。


    愛と導きを感じて

    2014.11.25 11:01|インスピレーション
    紅葉と仏


    一旦こちらと照準を合わす事が出来たら通路が開かれます。世の雑事にまみれても必ずそこに帰ってくることができます。あなたは行ったり来たりしながら向上の道を進むのです。

     

    霊界からの力は何より確かなものであり決して裏切ることはありません。それは愛と導きの力であり、これからもずっとあなたを導き守ってくれるものです。





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    母から愛を込めて

    2014.11.21 10:17|親族、友人の霊界便り
    母から愛を込めて

    こちらはうんと楽に暮らせるよ。余計な心配事がない。そちらとの大きな違いは人の心の中が見通せる事、皆何を考えているのかわかるので、いちいちあの人は何を考えているのだろうと勘ぐる必要がないから気が楽だ。謀をしたり悪いことをする人間もいない。

    それから毎日の炊事や掃除など家事をする必要がないからとても楽だ。こっちに来るとそういうものから開放される。そっちで苦労が多かった人程、こちらでは幸せになれるよ。

    そちらの人たちも皆それぞれにこちらから守られているからね。誰でもしっかり守られているから。だから本当は心配などする必要はないんだけどね。皆わざわざ自分で心配事を作っているんだよ。心配するのは身体に悪いよ。私も昔は心配性だったけどね。

    私は今はこうして時々家族の様子を見に来ることにしている。これからの人生心穏やかに暮らせよ。お前はこちらから一杯見守られて幸せだよ。

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    幽界の友 3

    2014.11.17 10:29|真理を求めて
    中山の池

    あちらでも色々なコミュニティーが形成されているのだろう。そしてそれは同じ意識のレベルのものが集まってくる。この世でもそういう傾向はあるがあちらでは物質の壁がないので顕著にその傾向が現れるであろう。

    彼の働いていた市は必要に応じて開かれるようであり、何時もあるわけではなさそうである。そこにはこの世にいた時に馴染みのもの、親しんでいたものが置かれているようである。子供には玩具やお菓子類、大人にはうどんやお好み焼き(関西風のものであり関西出身の人向け)などが並べられていてもおかしくはない。それらは地上世界のものととても良く似ているはずである。

    何故そういうものが存在しているのか?幽界では多くの人がまだ地上臭が抜けず時々その雰囲気を味わいたくなるから自然発生的にそういうものが生まれてくるのではないだろうか。朝市などが必要であるとそこの住民が望んでいるから開かれるということになるのだろう。シルバーバーチによれば基本的にあちらにはこの世にあるものはすべてそのレプリカがあるらしい。

    要するにあちらでは心に思うことが形を取って現れるのである。やりたいと思うものは大体存在しているようである。私が見た光景はあちらの世界(幽界)の一部であり、それも垣間見たに過ぎない。死後の世界のほんの一部分ということになろう。そしてまだそこは霊界ではないようだ。これは直感でそう感じる。それにしても死後の世界のことを何も知らずに死んだ場合、自分がいる環境は生前と何も変わらないように感じるかもしれない。恐らく自分が死んだとは気が付かないのではないだろうか。

    ここで数日前に彼と少し問答をすることが出来たので取り上げてみたい。

    私) そちらでは食べたり飲んだりするのか?
    彼) うん、実際に食べたり飲んだりしているよ。

    私) 味は?
    彼) 人によって違うみたいだ。ある人は美味しいと感じ、ある人は不味いと感じるようだ。

    私) トイレには行くのか?
    彼) トイレには行かなくていい。初めは行かなくてはいけないのかと思うがそれは必要がないことがわかるようになる。

    私の解釈
    あちらに行っても暫くの間は地上生活の習慣が残るのであろう。霊と肉体が合体している地上生活を続ける内に霊の部分(霊体)も影響を受けて死後もその感覚が残っていると考えられる。食べなければいけない。するとトイレに行って排泄しなければいけない。夜は寝なければいけない。そういう習慣はやがて時間の経過と共に消えていくのであろう。

    幽界の友 2

    2014.11.13 13:58|真理を求めて
    岩山2

    ここでは私が感得した友人の様子とシルバーバーチ他の霊界通信の内容と照合しながら平均的な人が辿るであろう死後の世界の環境について話を進めたい。

    人は死後も生前していた事を続けようとする。長生きした人ほど地上での生活習慣から抜けるのに時間がかかるだろう。例外的なケースを除いて人は死後にいきなりそれまでと違うことをするのではなく、暫くは同じようなことを続けようとするのではないだろうか。そしてその為の環境が用意されているというわけである。そもそもあちらの環境というものは人間の思念によって作られたものだからである。

    そういう意味ではこの地上世界も同じであるが物質に囲まれているために自由度が低いというわけである。結局地上世界は物質の束縛を受ける世界なのである。

    学生は勉強、芸術家は芸術活動、教育関係出身の者は教育を、職人はその仕事を継続しようとするであろう。職種によっては無いものもあるかもしれない。金融関係の仕事などは恐らく無いだろう。あちらではお金は必要がないのだから。風俗業なども無いと思うが幽界の下の方には肉体が生む煩悩から抜けていない者もいるだろう。そこから連想すると何らかのものがあってもおかしくはないと思う。

    私の友人は生前から働き者であり、じっとしてはいられない性分であった。絶えず動いていないと気が済まない人間であった。そういう人は身辺を見渡しても結構多いと思う。そして彼は商売が好きであり市場のようなところで人を相手にするのを得意にしていた。私のビジョンで見えたシーンの中で彼はとても生き生きと働いていたし、じっくり話をする暇などなかった。その場には彼と似た人たちが集まり市場を作ったり物を生産したりしているのだろうと思う。

    あちらの世界でも物を生産しているなどという話は一般の人には信じがたいことに違いない。地上のものとは内容に違いはあるだろうがあちらの環境に相応したもの(非物質といった方が良いか)が存在しているのではないかと思う。元来原型はあちらにありそれが地上世界に顕現していると考えたほうが正しいかもしれない。

    波長の似たもの同志が自然に集まってくるのが死後の世界の特徴であり、この地上界のような障壁がない。為に思念が現実化するまでに時間がかからない。思念が形を伴って現れる世界においては何かを作ろうと思念を集中すれば地上のような労力なしに何かを創造することが出来るようである。ところが地上では大きな労力と時間を要する。

    去年の夏に私は以前に霊場めぐりをしていた頃、観音様や不動明王を本尊とする寺に近づくとその像が浮かび上がってくる、見えるというコラムを書いた。それは人間の思念はそういうものを創造する力があるという話である。人の思念の力はあちらに行くと直ちに現象として現れるのではないかと思う。例えばお茶やコーヒーが飲みたいと思っただけで目の前にそれが現れる。この話はよく霊界通信で聞かれるものである。我々が夢で何かが欲しいと思うとそれがすぐ現われることを多くの人は体験していると思う。またどこかに行きたいと思うとそこに行っているということもあるはずである。夢の中の現象を思い浮かべてみたら理解しやすいと思う。

    ここから先は主に多くの霊界通信で語られている幽界の様子になる。
    家を建ったり集会所を作ったり、また樹木を剪定して庭を綺麗にしたり果物や野菜を栽培したりすることが出来る。家を建てるのは地上で大工や左官をしていた者が携わるし、庭は元庭師が手入れをする。あちらでは地上でしていた仕事が存続していくのである。故に地上での努力が無に帰するということはないのである。そしてそれらの仕事は全て善意であり無償で行われるのでお金の心配がない。各自がそれらの技術者に望み通りの家を建ててもらい快適に生活することが出来る。



    次回に続く


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    幽界の友 1

    2014.11.11 09:38|真理を求めて
    重ね岩

    私は昨日、朝の祈りとそれに続く瞑想において今年初めに他界した竹馬の友が忙しく働いている様子を見た。ビジョン(霊視)の形で見えたものであるがそれは通常肉眼を通して見る映像とは違いがある。内容は以下のようなものである。

    彼は何かを作って市場のようなところへ出してそれを売っている。売ると言ってもこの世のようにお金をもらうのではない。欲しい人に無償で与えている。彼は忙しくしていてこの世のことを思い出すことが少なくなっているようだ。それを心から楽しんでいるのである。

    彼には生前からそういう仕事が性に合っていて夏祭りの時などは張り切って働いていたことを思い出す。出店が何件も出ていて賑わっている。日本の各地で見られる朝市のような光景を思い起こさせる。そこを人々が大勢歩いていて自分の欲しいものを探しているようである。おそらくそこは幽界の一部であろう。

    彼は何を作っているのか?直感で麺類のようなものを作っているような感じがする。生前は製麺業を営んでいたのでそれに近いものを作っているに違いない。しかしその内容はこの世のものとは少しばかり違うだろう。この世にいる時、麺類が好きだった者は死後日の浅い時はやっぱり麺類が欲しくなるだろう。私もうどんやラーメンなどの麺類がとても好きなので最初のうちは麺類が恋しくなるかもしれない。出来れば彼が今何を作っているのか聞いてみたい。今回は彼は忙しくしていてまともに対話する余裕は無かった。

    こういう話は死後の世界のことなど今までに一度として考えたこともないような人には到底理解し難いかもしれない。立花隆氏なら脳の中の変異現象の一つと解釈するであろう。脳が人の意識を生むという発想しか出来ない人たちにはこんな話は妄想としか思えないだろう。唯物的発想では霊的な世界は理解できない。しかし人は死ねば終わりではなくこの世で学んだことを基盤にしてそこから新たな生活が始まるのである。人の本体は肉体ではなく霊であり永遠に生き続けるのだから。死は唯住む場所が変わるというだけのことなのである。
     
    次回に続く

    自分を必要とする場所

    2014.11.08 12:39|インスピレーション
    P1030729.jpg

    誰にも自分を必要とする場所があります。そこで自分を活かすことです。そうでないところで頑張ってみてもらちがあきません。直感的にそこが自分の進む道というものがわかるものです。


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    母の一周忌

    2014.11.01 11:13|親族、友人の霊界便り
    弁天島

    家族3人と犬で母の一周忌をした。正に家族水入らずの行事である。思い立って今日の夕方一周忌をしようということになったのである。その前に犬の散歩を済ませる必要があり、私は犬を連れていつもの海岸に出かけた。よくあることだがそういう場合歩いているとその人が一緒に付いてくる。母のイメージが眼前に広がり自分と母が一つに溶け合うような感覚がしてくる。それは双方のオーラが融合するという状態かもしれない。母はすでにこちらの思いを察知しているようだ。

    娘がまだ家に帰っていないので暫くの間仏間で帰りを待った。今日は最後に皆で抒情歌を歌おうと思いつき、秋なので「もみじ」 と「里の秋」の歌詞を3部コピーして机の前に広げておいた。
    すると母からのメッセージが入り始めたのである。

    「皆が毎日を元気に暮らしてくれる事を願っているよ。それが一番だからね。こちらに来る前は死んだら一体どうなるのかと不安に思ったけど来てみたら何の問題もないことがわかったよ。世間の人は死んだらどうなるのかと心配しているけど全然そんな心配は要らないからね。

    私は毎日安らかな気持ちで生活しているから。普通に生活してきた人は楽しい生活が待っているよ。私は常に家族のことは気にかけているよ。家族の皆の気持ちは直ぐにこちらに伝わっている。
    皆が考えていることはよくわかっているよ。

    今日は私の1周忌か?もう1年が経ったのか、早いものだね。私は100年もそっちの世で生きてきたけどよく100年も生きたものだと思う。そちらの人生は本当に気苦労が多くて大変だ。でもそういう苦労は必ず報われるから。我慢していればきっと良い事があるよ。

    私も最初この家に来た時は大変だったよ。でも今振り返ってみれば懐しい思い出になっている。今、辛いことやしんどい事は後で振り返って見ればいい思い出になっているよ。全部自分のためになっていることがわかるから。

    今日は私のために一周忌をしてくれるんだね、ありがとう!
    私も一緒に歌いたい。それは私が昔よく歌った歌だね。(机の上の歌詞を指している)今は秋だね。「里の秋」か?懐かしいね。お前はまだ眩暈がしているんだね。気をつけて、大事にしないといけないよ」。

    その日の行事は最初私の母への語りかけで始まり型通りの読経をして次に妻の詠歌を、最後に3人でもみじと里の秋を歌ったのである。母のメッセージは始まる前に来たものであったが妻の詠歌の合間に再びメッセージが来た。

    「さとみさんは詠歌の先生をしているんだね。素晴らしく上手だね。いい声をしているね。こちらに直接響き渡ってくるよ。ハルミも来てごらん、一緒に聞こうよ。(そこでこの夏他界した自分の妹、私の実母を呼んでいる) ヒロシ、お前を育てることは私の人生の目的の一つだったのだよ」。

    今年の8月に叔母が他界してからは母は彼女(妹)の面倒をみているようである。今は父とはちょっと違う階層にいるように感じる。同様に叔父も少し違う階層にいるようだ。父と叔父は先に他界した分高い境遇にいるのかもしれない。

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