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    これまで自分の探求してきたものを 「いのちの波動」 というページ上で表現してきましたがPCのトラブルによりこのページに引き継がれました。一時的にご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます。

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    悪とは未熟な魂の表現

    2015.10.29 09:11|真理を求めて

    顔


    悪事を働く者(摂理に逆らう者)を憎む必要はありません。そういう者達には必ず神の裁きを受ける時が来ます。彼らにもあなたの目にもそれが見えないだけです。神は決して悪事を見逃すことはありません。


    そういう人間を待つ悲惨な運命を知れば、むしろ哀れみの感情が湧いてくるはずです。彼らは将来どういう境遇が自分達を待っているか少しも知らないのですから。


    悪とは未熟な魂の表現です。人間は神の一分子である故に未熟な者もいつかは向上して行かねばなりません。そのため摂理に逆らった罰として神のお仕置きを受けねばならないのです。それは神の大愛の表現です。


    瞑想と自分の居場所

    2015.10.26 14:05|インスピレーション
    IMG_0013.jpg  

    瞑想をすることによって自分の本来の居場所がわかるでしょうか。今あなたがいる場所は仮の棲家であることが実感出来ればかなりのものです。あたかも雑踏のような環境も比較検証の対象に過ぎないと思えるようになります。自分の意識の波長を調節することによって高い所にも低い所にも自由に行けるようになります。

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    予測と現実

    2015.10.21 08:55|インスピレーション
    ハロウいーん
           (煩 悩 君)

    先に何か計画されている事があると普通の人はまずそこでどういう事がありそうか予測するでしょう。しかしその多くは人の想像力が作ったものであり、実際に起こる事とは違います。用意、心積もりをしていたものが必要なかったということが多く、あまり役に立たなかった事がわかるでしょう。

    実際にその事が起きた時に対応すれば良いことであり、人間にはその能力が備わっています。起こりもしない事を前もってあれこれと想像するのは時間の無駄であり、それが取り越し苦労というものです。取り越し苦労は心を曇らせます。そういう暇があったら心を澄ませて自分を取り巻く神の摂理に身を委ねる努力をするべきです。

    本流を知る

    2015.10.17 20:08|インスピレーション
    IMG_0062.jpg

    人の人生にも世の動きにも大きな本流があることを知らなければなりません。本流を見ることなく表面に現れた小さな動きだけを見ているからどこまで行っても自分が定まらないのです。自信が持てないのです。

    人間の煩悩が生む小さな流れの中を行ったり来たりすることなくもっと大きな流れを把握することです。
    それは神の摂理を理解することに他なりません。それが出来なければ表層をウロウロするだけになってしまいます。  

    音の伝わり方 (父より)

    2015.10.13 09:20|インスピレーション
    昌徳宮

    地上の音は何でもこちらに伝わるわけではない。人間の思念をこちらに向けて音を出すと一緒に伝わってくる。音だけ立てても伝わらない。

    例えば仏壇のリンを叩いた時の事を考えてみよう。こちらに意識が向かっていなければそれは地上界に響くだけ。人間の意識をこちらに向けて叩けばその意識の波動に乗ってこちらに届く。しかし音は地上の音そのままではない。

    思念が実体を伴ってくるのがこちらの世界の特徴だ。そちらの世界では思念は実体として感じられないだろう。逆になっているわけだ。

    地上の世界はうるさい。その騒音が全部こちらに伝わってきたら困ることになる。
    霊界から地上界に意識を向けるとそちらの音を捉えることが出来る。向けなければ聞こえない。
    それは波長が違うからだ。要するに思念が伝導路となるのであり、閉ざせば地上の音は遮断される。

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    位牌の話

    2015.10.09 09:29|インスピレーション
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    位牌はこの世の人間の価値観から出来たものであり、そこに他界者のエネルギーが宿っているのではありません。あくまでも人間の地上的価値観から作られたものです。それを眺めるこの世の人間と実際の霊界の環境とでは大きなギャップがあります。

    位牌にはこの世の人間の悲しみや寂寥感などネガティブな感情が溜まっています。位牌に接すると暗いものを感じるのはその為です。実際はそのエネルギーは霊界の人のものではないのです。

    位牌を見る時どうしても暗いイメージが入りがちであり、それは地上の者が霊界を感じる時の障害物となっています。それは地上人の心の裏返しであり、霊的に無知で暗い地上世界がそこに表現されているのです。

    地上の人は死んだ人イコール位牌と見なしていないでしょうか。しかし真実は全く違うことを知らねばなりません。

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    自分にとって嫌な事

    2015.10.05 09:30|インスピレーション


    自分にとって嫌な事は過大に、実態以上に感じられますがそれは何故でしょうか?

    意識がそこに集中してしまうから他の事が見えなくなってしまうのです。

    自分にとって都合のいい事はあって当然であり、あることに気が付かなくなっているのです。

     

    人は何時しか自分を取り巻く環境を自分と同一化してしまいます。自分のものと錯覚してしまうのです。

    そこで周りの環境が自分にとって好ましくなくなると不快感を覚えるのです。

    本当はその環境は自分のものではありません。自分の持ち物ではないのです。

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    自分のかつての姿

    2015.10.01 10:44|インスピレーション

    チベット

    霊的に向上していくにつれてこの世で理解のない人達に囲まれているとある種の不快感を覚える様になるかもしれません。彼らのしていることを見ると腹立たしくなる事もあるかもしれません。

    しかしその時期を過ぎればそういう人たちに対して憐れみを感じる様になるでしょう。何故ならそれはかつての自分の姿かもしれないのです。その頃は自分のしていることがわからなかったのです。

    人間は向上していくに従って同じところに留まっていることは出来ません。