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    これまで自分の探求してきたものを 「いのちの波動」 というページ上で表現してきましたがPCのトラブルによりこのページに引き継がれました。一時的にご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます。

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    精一杯生きること

    2015.12.31 07:23|日々の暮らしの中で
    映画村風景

    壺井栄さんの言葉 (壺井栄文学館にて)  11月2日

    私のことをこういうふうに偉人のごとく扱われるのは気恥ずかしい思いがします。私は唯、自分の思いを小説の中で素直に表現しただけです。昔はものは乏しかったけど心は今の人より豊かだったと思います。今の人はものは豊かになっているけど心は貧しくなっています。


    あの頃は食べるものさえ不自由していた時代です。今はものが溢れていて人はそれに埋もれ惑わされて人としての道を外している人間が多いようです。大切なものを見失っています。心が物に占領されてしまっています。人間本来の姿に戻って欲しいです。

     

    何時の時代も人間は何か足りないものを抱えて生きるものですね。自分の遺品をこうして展示しているのは何だか照れくさい気がします。私はあの時代を精一杯生きました。あなたもこの時代を精一杯生きてください。


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    裸足で歩く

    2015.12.27 11:19|夢の話


    私は昔から裸足で歩きまわっている夢をよく見る。この間の夢は自分の出身校である大学の附属病院の中を裸足で歩き回っているものであった。

     

    久しぶりに大学病院を訪れてみた。中に入ると学生時代とは全く様子が違っていたが大学病院は私の卒業後に建て替えられているので違って当然であろう。誰か知っている人間はいないか一生懸命探すが知らない人間ばかりである。忙しそうに行ったり来たりして誰一人私の事を相手にしてくれない。相手にしてくれないどころか私がそこにいることに気が付いていない様子である。

     

    そして気が付くと私は自分が裸足であることに唖然とする。そこで履物を探すがいくら探しても見つからない。いくらなんでも病院内を裸足でうろうろするのは格好悪すぎる。人が見たら何と思うだろうか、困ったなと思うがどうしようもない。しかし実際は誰も私がいることに気が付かないのだからどういう格好をしていようが関係がない

     

    それから渋谷駅のあたりの雑踏を歩いている夢も何度か見たことがある。中国かどこか外国の街中を歩いている夢も見たことがあるがいずれも裸足であり、まずいなと思っているけど誰も私がいることに気が付かないのである。どこかの駅の裏にある商店街の通りを飲食店を探して歩いたこともある。あちこちの店を覗いてみるが気に入ったところがなかなか見つからない。やはり裸足であった。普通裸足で外を歩くと色んなものが落ちていて怪我をするし、第一痛いはずだがそういうことは一切ない。冷たさを感じることもない。考えて見ればこの物質世界から離れると靴は必要が無いのかもしれない。しかし必要と思えば靴を履いた状態になるのではないかと思う。

     

    それから最近私は目の前の水の入ったグラスを掴もうとしてもどうしても掴めない夢をみたことがある。グラスが動かせないのである。これは死後に肉体を離れると物質世界のものは動かせなくなるということの体験であろう。夢で体験しておけば実際の場面であわてる必要が無いからである。その夢はあちらに行くのが近いからだろうという話を家族にしてみると、その前にきちんと身辺整理しといてねと言われてしまった。

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    神性を見出す

    2015.12.22 10:16|インスピレーション
    西の浜

    この世で自分の心を禅定の状態に保って生きていくのは容易な事ではない。一人一人が皆違うからである。自分と全く同じ考え方をする者はおそらく一人もいないであろう。だからこの世はザワザワして落ち着くことが無い。


    しかし自分の落ち着き先を他者に求めるのは間違いである。自分の落ち着き先は自分の中にあってそれは深い所に眠っている。それを見出すことによってのみ人は悟ることが出来る。それが自分の中の神性を見出すということである。様々な人生の試練を体験することによって人はようやく神性を見出すことが出来るのである。

    母より(三回忌に寄せて)

    2015.12.17 09:25|親族、友人の霊界便り
    木の行者 1

    人間はしっかりと自分の生き方を持ってこの世を生き抜くことが大切だ。そうしないとこの世で自分を全う出来ないし正しく学ぶことが出来ないから。お前は小さい頃身体が弱かったけどその後は今の歳になるまで大きな病気をすることもなく生きてこられてよかったね。そのことを感謝するべきだよ。

    私達こちらの者がそちらの世の人を思い出してその人のことを心に描くとそれが届く。それを受け取れる人は少ないが実際には届いている。気がつかないだけだよ。

    またそちらの人がこちらの人のことを思えばそれは必ずその人に届いているよ。ほとんどの人は自分の思いが他界した人に届いていることを知らないだろうけどね。

    実際に言葉を交わさなくてもこちらの人はそちらの人の心の中が分かる。地上の人が良い感情を投げかけてくれたらこちらも嬉しくなるけどその逆の悲しみや苦しみの感情が伝わってくるとこちらも影響を受けることになるからね。

    私達こちらの人間がそちらの人のことを一切気にしなくなればそういうこともなくなるだろうけどそういうわけにもいかない。地上を去った後の何年間かは地上に残してきた人のことは気にかけているだろうね。

    良くない感情を抱くことは自分の周囲の人だけでなくこちらにも影響が及ぶから気をつけなくてはいけない。皆がゆったりと心静かに生きてくれたらと願っているよ。

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    大衆に付くより神に付く

    2015.12.14 16:07|インスピレーション
    IMG_0030.jpg

    真理を知った人間はそれを実行しなければいけません。先駆けとしての義務が生じるからです。世間一般はまだまだ理解の及ばぬ人で溢れています。真理を学ぶほどにそういう人たちとの乖離が進んできます。そして孤独感を味わうことがあるでしょう。でもそこで挫けたり後戻りするようなことがあってはなりません。

    あなたはかけがえのない霊的財産を手に入れたのです。この世の事は一瞬ですが霊の財産は神からの贈り物であり未来永劫続きます。大衆に付くより神に付くことです。

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    霊として見れば

    2015.12.11 09:29|インスピレーション
    カエル岩  

    今、あなたが対面していることはさぞ大変なことのように感じているかもしれません。しかしそれも地上人生の一つのエピソードとして処理されていきます。霊のレベルで考えると今あなたが感じているほど重大なことではありません。肉体を脱ぎ捨てて霊としての自分に帰ると見方や感じ方が違ったものになるのです。

     

    人は地上人生の数々のエピソードを携えて新しい環境に入ります。そこで振り返って見るとどれもこれも懐かしい思い出の一ページとなっていることがわかるでしょう。


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    限界

    2015.12.08 09:44|真理を求めて
    悟りの顔


    人は今の姿が限界であり、それ以上のものを表現することは出来ない。装うことは出来ない。社会的地位や職業に関係なく現在表現しているものがその人間の本来の姿である。

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    様々な姿

    2015.12.04 14:34|真理を求めて
    個性

    我がまま人間とは自分に都合の良い世界を作り上げてその中で生きている者。愛に乏しく、後でその修正を迫られる。


    とげとげしい人間は自分も周囲の環境もとげとげしいものになり、心穏やかに過ごせる時がない。


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