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    大空澄人

    Author:大空澄人
    これまで自分の探求してきたものを 「いのちの波動」 というページ上で表現してきましたがPCのトラブルによりこのページに引き継がれました。一時的にご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます。

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    物差しは大きく

    2018.11.30 09:16|インスピレーション
    小瀬の夕焼け 

    動機が純粋で正しければ必ず良きに計らわれる。目先だけ見ていてはわからない。物事は短期的に見ていたら見誤ることになる。普段の自分の物差しを大きく取ることが必要である。


    この世の閉塞感

    2018.11.26 09:46|インスピレーション
    顔

    霊性が目覚めてくるに従いこの世の環境を息苦しく一種の閉塞感を感じるようになるはずである。それは自然な事であり、自分が肉体に閉じ込められ不自由な状態であることがわかるからである。


    生命形態の変換

    2018.11.22 09:59|インスピレーション
    赤と緑のコントラスト 

    人間は50も過ぎれば、それまでの肉体中心の生き方から霊中心(自分の内面中心)の生き方に切り替えるべきである。限りある肉体に生き方の中心を置くべきではない。人もその他の自然界のものも全ては生命形態の変換が行われていることを知らねばならない。

    老齢期に及んで尚、肉体を中心とする生き方をしている者もいずれは気付くことになるが、その切り替えに戸惑い、苦労することになる。霊的覚醒に長い時間を要することになる。

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    悟りのレベルに応じた世界に住む

    2018.11.17 16:20|インスピレーション
    層雲檀

    この世においても人間は一人ひとりが異なった波長の世界に住んでいて違う波動の中で暮らしている。悟りのレベルに応じた世界にいる。同じ道を志す者同志においても同様である。


    地上が7割、霊が3割 

    2018.11.13 16:50|インスピレーション
    岩と紅葉

    地上に居る間は地上の事7割、霊に関する事3割くらいで丁度良い。霊の事3割であってもそれぞれの重みが違うのでそれで充分である。地上の事は時間と労力を要するので大きなエネルギーを必要とするからである。それが地上生活の義務でもあり、その為に人はこの世に生まれてくるのだから。

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    母を偲んで

    2018.11.09 17:30|親族、友人の霊界便り
    紅葉の道

    母がこの世を発って丁度5年になるので家族三人と犬とで母を偲ぶ催しをすることになった。世間一般には法要なのだが、中身を重視して形式に捉われない我が家独特のやり方である。一応仏壇の前で妻と私で読経をして次には妻が詠歌を捧げた。

     

    前回もそうだったが催しを始める前から母が現れた。特にこちらからは何も知らせていないにもかかわらずちゃんと知っていたようである。ちなみに母は最近めっきり姿を見せなくなっていた。母は青っぽい衣服を着ている。続いて叔母が現れた。叔母は白っぽいゆったりした衣服を着ている。二人とも若々しく、とてもにこやかな表情であり、年老いた頃とは別人になっている。こちらの額に霊的エネルギーを感じるのは何時もの事である。

     

    次に叔父が現れたが相変わらず恰幅がよく威厳に満ちている。彼もにこやかで縦じまの背広のようなものを着ているようであった。同時に父も現れたが昨日に面会してメッセージをもらっているので今日は特に伝えたいことは無さそう。そして叔父からは次のメッセージがあった。

     

    「こちらの世のことはお前たちが考えて良いようにすればいい。我々のこちらの世での使命はすでに終わっているから」。

     

    約30分の法要の内で彼ら四人が出現していたのは最初の半分くらいであり、途中から退席したようだ。彼らは長くはこの世に留まる事が出来ないようである。葬儀などで故人が現れることもあるがその場合もせいぜい数分くらいである。地上と波長を合わせるためにはあちらも色々と工夫をしているようだがエネルギーを消耗するので長い時間は無理なのだろう。またこの世の環境はすでに旅立った彼らにとってはあまり愉快なものではないのかもしれない。

     

    ともあれ法要などの席には大体において故人は出現しているのではないかと思う。今回のように当人だけではなく縁のある者がその場に集まってくることも多いのではないだろうか。何も知らないのはこの世の人間だけであろう。また自分自身が読経など声を出すことをしていると霊的波動を捉えることは難しい。私自身を例にとっても読経中に霊が現れることは一度もなかった。現れても読経する事にエネルギーを費やしているので感知することは出来ないだろう。私自身最近は殆ど読経はしなくなったが霊的波動を捉える為には肉体の活動をできるだけ停止させる必要がある。瞑想のことを考えてみればよくわかる。


    人生の付属品

    2018.11.05 07:12|インスピレーション
    こううん亭 

    日常生活上の殆どの悩みは些細なもの。物質世界特有のものであり、底の浅いものであって、死後は消えていく運命にある。それを証拠に一つの事を片付けたらその事は忘れているはず。その程度のものである。故にそういうものはあくまでも付属品、人生の主要なテーマとは別のものなのである。

    人生はこの世で終わるのではない  (父より)

    2018.11.01 16:46|親族、友人の霊界便り
    石門もみじ

    人間は大体においてこの世では思っていた事の半分も出来ないものだ。 殆どの事が未達で終わるかもしれないがそれで良い。 やり残した事はこちらに来てから続きを出来るから。 道は続いているのであり、人生はこの世で終わるのではない。