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    朝の散歩で

    2013.05.13 11:08|日々の暮らしの中で

    P1030591.jpg 

    朝は時々この場所に愛犬を連れて散歩に来る。知った顔ばかりの小さなコミュニティーの中を散歩していると何かとうっとうしいこともあるが、ここを早朝散歩しているのは殆ど観光客なので気楽である。このように潮が十分引いていないときは向こうには渡れない。ここに来ると必ず昔、ヨットに乗った友人が現われる。と言っても彼は2年前に他界しているのだが。彼とはヨットで大阪に行ったり岡山県の牛窓に行ったり、とにかく海で一緒に遊んだ。

    ヨットを売ってボートに乗り換えた後にも彼はよく乗りに来た。彼は生前から海が好きで特にこの場所を好んでいた。彼は元来わずらわしい世の中を嫌って一人の時間を過ごすのが好きな男だった。
    彼の面影が眼前に現われたと思うと私に話しかけてきた。

    以前に乗っていたピオンというヨットが一番好きで思い出深かったらしい。今は生前に自分が好きだった場所に来て時間を忘れてのんびりするのを日課にしているらしい。しかしこれからは生前の反省もこめて何か自分の為すべきことを見つけなければいけないと思っている。

    彼は2年前に自分で人生の終止符を打ってしまったので、しばらくの間は私の前に現われることはなかったが、去年あたりからこの場所やその他彼がよく通っていた海辺に行くと気配を感じるようになっていた。しかしぼんやりした感じで今一つ自分の意志というものを表現できないようであった。今年になってからは相当クリアーに彼の意志が伝わるようになってきている。
    2年経って反省の期間もほぼ終わりこれからは前に向かって進もうとしているようである。

    チョコ 

    散歩中の愛犬

    私は家に帰りいつものように祈りの間に入った。するとそこでも彼は現われた(私について来ていたのだろう)。彼は今私がそういうことをしているのに驚いたようであった。昔の私は祈りなど考えられなかったのである。するとそこににこやかな表情で父が現われた。彼は終生、父が乗っていたヤマハメイトを譲り受け、乗り続けたので縁があるというわけである。私は両者が会話している様子を感じたので父に頼んだ。
    彼の今後の事お願いしますよ。

     





    追伸

    夕方、展望のよい場所で暫しの間、彼のために祈ってあげた。

    彼が自分の人生を成就できますように、本分を尽くせますように、お導きください。


    人間に一時的な過ちがあったとしても神は決して見捨てたりはしないのである。時期が来れば必ず救済処置が施される。あちらではそういう人たちのために更生施設が用意されているようで、そこで十分反省した後に再出発できるようになっているのである。

    自分で寿命を短縮するようなことをすれば、長い間暗黒の世界に置かれるかのように考えられているようだが実際はそんなことはないと思う。必ず立ち直れるのである。

    祈りの後、私はとても爽やかな気持ちになって帰宅した。


    P1030474.jpg

    コメント

    おはようございます。

    潮風や寄せては返す波の音…
    海は心が癒やされますね。

    私の住むところでは、埋め立てで、海はどんどん遠くなり、汚染されてしまいまた。

    話しは変わりますが、肉体という機械は、ストレスに弱いですね。

    よく『乗り越えられない試練は与えられない』と聞きますが、私の小さな頭では、そう思えない時もあります。

    でも神の摂理の中では、帳尻はあっているのでしょうね。

    交通事故や事件などの場合、被害者と加害者がいますが、大きな視点からみたら、被害者も加害者もない、と読んだことがあります。逆に、そういう考えは、凶悪な犯罪すら、正当化するようなことになっておかしい、というのも読みました。

    このようなことも、神の摂理は、狂いなく働くということなのかな、と思います。

    おはようございます。何度も何度も追伸の文章読みました。救済されるのですね。切に願います…。先日のお言葉も頂き、本当に私達遺族の救済にもなります。反省し、二度と同じ過ちをしない幸せな人生を願います…そして娘と必ず会う時が訪れると信じ、今を生きるしかないですね…。心を静め、穏やかに穏やかに…許す心、慈しみの心につきます。反省することは、私にも言えることです。 まだまだ毎日毎日自然に涙が出て、また苦しい想いをさせてしまい…娘も泣いてるのでしょうね…。いけないと思っても…止みません。まだまだ私は、修行がたりません…まだまだ娘に近づけません。至らない母でごめんなさい… こんなことになるなんて…選んだ人生だったのでしょうか?娘も私も…また泣いてる姿に、娘を苦しめ…。

    No title

    ゆきこさん
    毎日見ていると感動がわかないのですが、改めて見ればそれなりの景色ですね。
    肉体は思うようになりません。年齢と共につくづくそう思うようになりました。
    心と肉体はそれぞれ別の法則が働いているらしいです。

    試練の真っただ中にいるときは果たしてこんな事が乗り越えられるのだろうかと思います。
    自分の人生を振り返ってみるとそんなことばかりでした。何年、何十年も経ってみてあの頃
    の試練が自分を大きくしてくれたことがやっと理解できるということでしょうか。

    そうですね。神の摂理は人の視野からは見えません。人の視野があまりに小さくて短期でしか物事を捉えられないということでしょう。それでも人生経験を重ねると少しずつわかるようになっていくのだろうと思います。

    No title

    静さん
    娘さんは今、保護のもとで自己反省を続け、将来の奉仕活動のことも考えておられるようですよ。娘さんの身の上を過度にご心配なさる必要はないと思います。60過ぎの友人も2年後にはこの記事のように今後のことを考えるようになってきているようです。若い人は再出発が早いと思います。

    離別の経験のない私には偉そうなことをいう資格はありませんが、後は静さん自身の心の処理、理屈でわかっていることを心の深いところで理解していくという作業が続いていくということになるのでしょう。娘さんとはいつかは必ず会うことになります。

    この件でもう少し詳しいことをお知りになりたいと思われるのでしたら一度メールを頂けたらと思います。

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