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    幽界の救済施設

    2013.05.22 16:01|真理を求めて
     


    近頃青少年の自殺がよくメディアで報道される。原因はいじめが多いようだが青少年は情動が不安定で何かあると気持ちが振られ易い。自分の若い時を思い出してもそうであった。それなりに人生経験を積むと何か壁に突き当たった時に他の選択肢を考える余裕も出てくるが、経済的にも自立していない青少年の場合は自分の進路が塞がってしまったように感じられるかもしれない。

     

    心の世界のことは世の中で未だ理解されているとは言えない。この種の事件において当人以外に他の何者かが関与していたと言っても社会的に理解されないかもしれないが、私はある霊界通信においてその事を実感することが出来た。

     

    人間は気持ちが落ち込んでいる時には霊的なエネルギーが枯れて心に隙が出来る。もう死んだ方がましだと考えるようになると自動的に見えない世界からその力が働くようになるのである。一度思ったくらいでは実行するには至らないだろうが慢性的にそういう思考に支配されるようになるとリスクが高まってくる。自身の心の波長が低いところをさまようようになると似たような波長を持った者が寄ってきて影響を及ぼすようになる。最後には背中を押されて実際にやってしまうのである。

     

    それが地縛霊である。浮遊霊、不成仏霊といってもいい。この種の者が多くの青少年の自分で人生に終止符を打つ陰の原因になっているのではないだろうか。通り魔事件の犯人の背後にもその種の地縛霊が暗躍していると思う。日頃から世の中を恨み復讐心に燃えていたりするとそういう者に憑依され、電撃的にやってしまうのである。以前から似たような事件が繰り返されているが、背後には憑依という現象があると思う。

     

    これまでは自分で人生を短縮してしまうと長い間暗黒の境涯に置かれて自責の念に苦しむという解釈がなされてきたようだが、それも動機や状況によって変わるだろう。根本は自己責任ということになるが誰かにそそのかされたり、やむを得ぬ動機の場合は反省の期間は短縮されるようである。特に若い人の場合は積み重ねた人生の業が年齢を重ねた人よりも少ないこともあり立ち直りは早いようである。

     

    そして霊界(幽界)にはそういう人たちを立ち直らせる救済(更生)施設のようなものがあるようである。似たような境遇の青少年を集めて再出発させるための教育が行われているようだ。あちらの世界には病院や図書館、集会所、コンサート会場など大体地上と似たような施設があるらしいから当然更生施設もあるだろう。そしてそこで教官のもとで指導を受け十分反省した後には奉仕活動に出るという。その内容は主にかつて自分がやった過ちを他の者が繰り返すことのないように働きかけるのだという。

     

    人生途上で終わった場合は霊界でその続きが行われることになるだろう。あちらでは類似体験をすることが出来るようである。もしどうしてももう一度この世に生まれ変わってきて人生をやり直したい場合はこの世に再生してくる場合もあるだろう。私の友人の場合は2年ほど経ってかなりはっきりと存在が感じられるようになっている。以前はぼんやりとしか彼の事が感じられなかった。これからやることを見つけなければいけないと思っているようなので立ち直ってきているのだろうと思う。神は絶対に私たちを見捨てることはないし私たち自身が神の一分子だから神との縁が切れることはないのである。

    しかし自分で人生を短縮してしまうことは神の意志に反することなので、当然それに相応する罰を受けなければならないのである。若い人が安易に自分の人生を閉じることのないよう祈って止まない。若い人も霊的真理の知識と、ものに動じない強い心を持って欲しいものである。





    やはりこのコラムを書いた夜、夢を見た。この記事との関連はわからない。
    最近この狭苦しい田舎の人間関係がうっとうしいと思い始めたのでそのせいかもしれない。
    自分を率直に出すことなくその時の状況や相手に合わせてコロコロ変わる人たち。まるで2重人格者のようで
    気持ちが悪い。言う事とする事が違うというのはとても付き合いにくい。

    さて夢の話。
    私と姉の夫、その他に姉も含めて何人かがそこに居た。
    その場所は山の上で下を見ると断崖絶壁になっている。そこでまず姉の夫が空中に飛び出した。
    そして私も後を追って空中に飛び出した。スーパーマンのように前に手を伸ばして姿勢を
    コントロールするのである。下を見ると目もくらむような高さなのに下に落ちずに我々は
    まるで羽が生えたみたいに空中を遊泳しているのである。しかしよく考えてみるとおかしい。
    普通なら真っ逆さまに落ちていくはずなのに、これは夢じゃないか?
    そう思い始めたところで夢は終わっていた。

    私は子供のころからこういう自由に空を飛ぶ夢をよく見てきた。鳥のように自由に空を飛べたら
    どんなにいいだろうと思っていたのである。潜在意識の中にこの物質世界の重さから自由になりたい
    という願望があるのかもしれないが、もうしばしの間この物質世界で暮らしていかなくてはいけないようだ。
    姉たちが夢に出てきたのも面白い。去年の秋には未来都市を姉と一緒に旅行している夢を見た。
    海の上をモノレールが走り丘陵地帯に高層ビルが立ち並んでいる風景が出てきて今でも印象に残っている。



    コメント

    こんにちは。 親として、とても救われます。 どの本にも、地獄の暗闇から二度と戻って来れないや!!遺族として、耐えがたい言葉が並べられ、心痛ばかりでした。これらは、生きてる人に対しての戒さですね!! ありがとうございます。あの世の子供たちにエールをおくります。

    No title

    静さん
    どんな場合でも二度と立ち直れないということはあり得ないのです。
    必ずやり直すチャンスが与えられます。それが神の法則です。
    確かに自死をすると云々ということが書かれていますがそれは
    少しばかり脅し的なものも含まれているようです。
    こういうことを言えば叱られそうですが。今晩夢で怒られるかもしれません。

    何故かといえば霊界でもそういう世話に追われて忙しいというのは
    歓迎すべきことではないでしょうから。
    シルバーバーチも地上が心の準備の出来ていない者を幽界に一杯送り込んでくるので困ると
    言っています。更生施設はケアーセンターと呼んでもいいかもしれませんね。

    そうですね!!救われますね。霊界の計らいというものは、愛で満たされていますね。シルバーバーチの霊訓、去年読んでもちんぷんかんぷんだったと思います。今の状況だからこそ、理解できます。少しですが…。人生観も変わりました。子供たちも反省し学んでいるのですから、邪道を棄て、私も踏ん張る時がきました!! 大空様が夢で叱られないことを祈ります。

    No title

    大空さん、こんばんは。(少し長くなります私の雑談をお許しください。)

    霊界から見ると、地球全体の波動は上がっているようですが、逆に物とお金がある日本人の心の波動が特に落ちて歴史上最悪の状況であり、憑依現象が多くなっていると10年前にお聞きしたことがあります。

    魂は、電子を持たない原子核で、複雑な構造をした円形で、愛と調和のかたまりの陽子と中間子でできており、意識と情報を持ち波動数(振動数)を出しているようです。
    一般の人の魂の波動数は、一秒間に10の60乗ヘルツで、本物の霊能力を得るには、10の80乗ヘルツ以上が必要であり、7次元におられる菩薩クラスは、10の100乗ヘルツの波動数だということです。
    魂の外側を心の波動が包んでおり、心の波動数は上下します。どんな時高くなるかというと、人に親切なとき、明るいとき、感謝するとき、謙虚なとき、素直なとき、奉仕したときなどで、心の波動数が高いほど神に近付く状態になるようです。
    逆に、悲しみ、イライラ、不平不満、強欲、恨み、憎しみ、怒りなどの心のときや、人の悪口を言ったときは、低い心の波動数になり、地獄界に近付くようです。

    憑依というのは、人間の心の波動数と、地獄霊・地縛霊・浮浪霊などの波動数とが単に同じというだけでおこる極めて物理的な現象のようです。
    低い心の波動数の状態が何カ月も続いているとき、浮浪霊などが多く集まっている寺、神社、古戦場などへ行ったり、拝んだりすると、憑依される危険性が高いようです。
    精神病者の9割が、憑依現象だと聞いております。

    人間は、死んだ時点での魂の波動数(心の波動と魂の波動は連動していて、心の波動が高いほど魂の波動の透明度が高くなる。)によって、50~60人ごとのクラスに選別され、高級霊による霊界のしくみ、神の法則などの講義や反省と瞑想による人間界での垢を落とす作業に平均2年間(何十年も続ける落ちこぼれもいる)費やすようですが、この世で生きているうちに、霊界のしくみや神の法則を勉強して、死ぬまでに心の波動を高い状態にもっていくと、死んだ時高いレベルのクラスに選別され、2年間かかるところが1週間ぐらいで飛び級して次の段階に進級できるようです。

    現在、私の魂の波動は、おそらく高いとはいえず、またアフリカあたりの困難な地域に転生することになるかもしれません。
    できることなら、つらいこの世には二度と生まれてきたくないのですが........。

    No title

    天使リダさん

    私も日頃からこの世はもういいと感じています。しかし自分のレベルがまだそこから卒業できるところまで到達していないから、こうして性懲りもなくこの世で毎日を過ごしているのだろうと思っています。確かに今の日本は限りなく物的波動の中にあるようですね。

    しかしここにコメント頂いているようなわが子を失い悲嘆に暮れている人たちは次第に霊的視野が開かれているように感じられます。子供さんとの離別が霊的視野を開くきっかけになっているわけです。むしろ知ったかぶりをしている宗教人より深い所で真理を捉えるようになっていると思います。そういう人たちが少しづつ増えてきていると思います。一部にそういう現象が現われていますが全体としてみればまだまだという事でしょう。限りなく時間がかかる事でしょう。

    憑依現象といえば私が日ごろから感得しているメッセージなども憑依現象の一つと言えるかもしれません。一時的に相手が自分の意識に感応してきているわけですからそれが何時までも続いたら憑依ということになるでしょう。心のバイブレーションを高い状態に維持できるように日頃から努めなければいけません。それを怠ると私のような体質の者は危険ということになります。

    誰でも自分の思想は独自に考えた事と思っていますが実際は殆ど自分独自のものはなく守護霊やその他の霊の影響を受けて自分の思想というものが出来上がっていくようです。無意識のうちに受信、送信が行われていますが私たちは気が付かないのです。もちろんこの世の者の影響も受けます。書物を読んで深い共感を覚えると作者の思念の影響を受けるでしょう。そしてこの世とあの世の思念の違いはまず分からないでしょう。

    日頃から自分を高める意識を持って生活の中でそれを実践していくことが大切だとしみじみ感じています。コメントありがとうございました。







    やはり、夢を見られたのでしたか…。 確かに田舎の人間関係煩わしいですね。将来主人の実家へ帰るので、覚悟してますが!!どんどん介入してきますね!!島国根性が強いというか?干渉されますね…。人の話しばかりで、私には、合わないです。田舎の風習も馴染めませんし、自由がきかない、いつも監視されてるようで。たまに帰るのでまだ今は、いいですが…。カーテンの明け閉めで、主人か、私が帰って来てるか判断されたり…。対して用もないのに、突然来たり…。様子うかがいですね!!のどかなのですね!!二重人格沢山いますね!!中々自分の意見も通りませんしね!!娘のお骨は、先祖代々のお墓に納骨したので、仕方ないですが。地方は、どこも封建的ですね!! いいことは、引き継ぎ…。少しずつ変えていかないと、若い人がどんどん出てしまっているようです。そのいいことの線引きが、難しいようですね!!我が家は、転勤族なので、よその飯食ってこい!!と思う事もありました。放射能持ち込んでないかとか!!近県から行くものですから。 すみません。レベルの低いコメントになりました。 少しずつ元気になってきました。

    No title

    静さん
    田舎は治安はいいです。犯罪が少ないのは取り柄ですね。
    村社会の構造は日本中似たり寄ったりでしょうね。
    時には正しいことが通らないことがあります。一つの集合意識が出来ているので皆が無意識のうちにそれにしたがってしまうのです。何か問題が起きた時 お前ら、正義感というものがないのか! と怒鳴りたくなることがありますね。何も決められない、何もできない、どうして? 情けないです。

    葬儀や今の仏教のありかたについての記事を旧ホームページで
    「葬式仏教」http://ww81.tiki.ne.jp/~okwhiro/D3_22.htm#22
    として載せていますので興味ありましたらご覧ください。

    しっかりと信念を持たれておられる大空様は、田舎の人間関係で目に余ることも多々ありますね。物事を人任せに決めさせておいて、陰であ~でもない、こ~でもないですよね!!たちが悪いです。八方美人というか?私は、一匹狼が楽です。何か意見を言いたければ、同じ立場に立って言いますね!!そんな生き方をしてきました。敵も多いですが、味方も居ます。今は、狼にはほど遠いですが…(笑) いつも人を気にし、自分を見失っている人が多いです。惑わされたくないためには、自分の波長を常に上げていることですね。葬儀の模様何となく想像つきます。僧侶のお経独特ですし、故人を偲ぶ体勢ではないです。 坊主丸儲け!!の方々には、わからないと思いますね!!高額なお布施…。大空様の記事でもありましたね。 心のこもった言葉のほうが、故人は安らぎますね。今は、直葬の形をとる方も居ます。実際子供の友達のお母様が亡くなり、生前から直葬を望まれ、そのような形にしていました。無宗教で戒名も要らないと、心筋梗塞で呆気なく、逝かれたのですが、ご本人は、今度発作が出れば覚悟されており、亡くなる一ヶ月前から家の片付けや、書類整理を進めていたようです。ここまでできる人って、私の年齢では、考えられません。 話がまた反れましたが、何事にも心を通わす…心を込める!!ですね。ありがとうございます。 主人にも、感謝を私なりに表しています。娘には、心配かけられませんから。 まだまだ学ぶ課題は、沢山あります。色々気づかされております。

    No title

    静さん
    周囲に惑わされることなく自分の波長を高く保つことが修業ですね。
    私も常にそれを意識しています。そのためにも祈りの時間は大切です。
    それによって霊的エネルギーを取り入れるようにしています。
    周囲の乱れたエネルギーが入ってくると一時的にその影響で視野が閉ざされた
    ように感じることがありますが、やがては自然に視界が開けてきます。
    その繰り返しですね。

    最近は直葬が増えているようですね。よく考えたら大げさな葬儀は必要がないことが
    わかると思います。ほとんどが世間への見栄だと思います。
    内心そうだと気付いていながら。

    その知り合いの方は立派ですね。悟っておられたのでしょう。

    私は葬儀に出るのが好きではありません。
    空しいのと香典やら供え物やらそういうことに神経を使うことが嫌なのです。
    でも最近は一切香典を取らないという葬儀も増えてきて私の地域でも次第に簡素化が
    進んできたようです。

    こんにちは。梅雨入りしましたね… 。意識を高めるですね。 魅力的な言動 のできる方は、波長が高いですね。私は、許せない心に終止符を打ちました。うまく言えませんが、因果をこの世で使い果たし、そのような心とは、今世限りにし、決別しなければ、持ち越さなくていいと思い始めました。そうしないと…善い波動に乗り遅れてしまいそうでして… 。 来月義母の法要があります。 お供えで、菓子箱のみ、頂戴し、あとのお心付けは、お返しします。引き出物や、その他品物に、供養御膳を用意し、昔の結婚式の引き出物騒ぎです。なんだか変な感じです。見栄の固まり… 地域では、うちが初めてこの形をとったものですから…前例をつくるな!!の声があがっています。主人も亡父母も非情に見栄とプライドが高くて、常に人の前を歩いていないと、嫌なタイプです。義母に、叱られるかも知れないですが…法要は、赤字です。儲けなんて考えていませんが…姉妹以外は、みんな義理です。食事の間も、故人を偲ぶには、全く感じない話題ばかり… 本来の姿ではないって毎回思います。目に余る 田舎の冠婚葬祭です。見栄もここまでくれば…。心から合掌し、思い出話しをしてあげる!!それでいいと思います。憂鬱なのです。娘のこれからの法要もそんなだと思うと…。 田舎の風習 今の世の中の社会情勢からしても、若者を苦しめるだけではないでしょうかね!! お金が勿体ないでは、なく、もっと実のある使い方があると私は、思います。普段から、故人に手を合わせ、祈ることのほうが…供養になりますね…。間違いだらけの田舎の常識に馴染めない、長男の嫁です。直葬は、段々と浸透していくのでしょうかね…。無駄を省き、シンプルに生きたいものです!!

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    静さん
    よく一時の葛藤を乗り超えられましたね。素晴らしいです!
    自分の気持ちの整理さえつけば後をひくことはないでしょう。いつか
    自分の心の波長が低くなっている時に何か外部から余計な情報が入ってきたりすると
    ちょっと心が揺れることがあるかもしれませんが、もしそういうことがあったとしても
    一時的なものでしょう。必ず復元力が働きます。

    田舎のそういう風習、私も好きではありません。そういう場に出席して世間話の輪に入りはしますけど心は覚めています。親族だけが集まってお茶でも飲みながら静かに個人の思い出話でもするような法要であってほしいですね。酒を飲んで赤い顔して故人そっちのけで関係ない話をするというパターン、典型的ですね。日曜になると喪服に黒タイ、引き出物の袋を下げてマイクロバスで送られて帰る人達をよく見かけます。旅館やホテルにとってはビジネスになっていますね。結局本人そっちのけで仏事産業に乗せられているようです。

    去年の5月14日付「法要のあり方」という題でコラムを載せていますので興味ありましたらご覧ください。

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    大空さん…初めまして。
    旧ページから拝見させて頂いています50歳男性です。

    私は25歳の時、病気で母を51歳で亡くしその頃から人の死と死後の世界に関して考え始めました。

    「死んだらどうなってしまうのか?」

    小学生の頃、ある本で『死後の世界』が書かれたモノを読んでそんな所があるのかな?
    くらいの感覚ではありましたが、一番身近な母の死からまた改めて死後の世界を考え
    始めました。母っ子だった私は数年間…母の死を現実の事と受け止められずにいました。

    当時は聞く人も無くインターネットも無い時代でしたので、死後の世界を調べるには書籍しか手立ては無かったのですが、この世は仮の世界(修行の世界)であちらが本当の世界という記事で納得し、母はそういう世界に旅立ったんだと心の区切りをつけました。

    結婚し、子供が出来き仕事も忙しくして暫くその事から遠ざかっていましたが、母が亡くなった51歳という年齢はいつも心のどこかにありました。

    私も来年、母がこの世で最後の年齢と同じ年齢になります。ここ数年…人生の意味・
    人の死と死後の世界について考えるようになりました。真理を自分なりに学ぶ中、こちらのHP・Blogと出会う事になりましたが、やはり大空さんが仰る通りと納得させて頂いています。と同時に今までの人生を振り返り…自分はなんて小我のカタマリだったんだろう?って反省しています。

    私は特殊な能力は無くまだまだ未熟ですが、人に対し愛をもって接し、利他の心で一日一日を過ごそうと心がけています。
    最近は欲も無くなり…人生やり尽くした感が自分の中であります。これも真理を学んでいるがゆえの変化なのでしょうか?


    とりとめのない文章で申し訳ありません。
    これからも楽しく拝見させて頂きます。。。


    No title

    ひでおじさん

    ホームページやブログを見ていただきありがとうございます。
    素朴な疑問が真理探求の出発点というわけですね。探求の旅は際限のないものですがこの世にいるうちに神とは何かを知ることが出来れば一応の目的は達せられるのではないかと思っています。神を知ることは自分を知ることであり、宇宙の全ての生命現象も神の現れだと思います。

    私も50歳を過ぎてから真理探求の旅が始まりました。ご精進を祈っております。
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