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    神と宗教

    2013.06.12 09:23|人間は永遠に生きる
     

    世界にはキリスト教、仏教、イスラム教、ヒンドゥー教など様々な宗教がありますがこれらの大元は同じものです。それはこの大宇宙を創造、支配している原理であり、言い方を変えれば大自然の摂理なのです。天地自然の法則、神の法則と言い換えてもいいでしょう。その法則をインスピレーションを通して感じ取ったものをそれぞれの開祖が独自に体系付けたものが今地上にある宗教ということになります。

     

    それはそれぞれに違う事を教えているように見えますが根本は共通です。民族の気質や気候条件によって宗教の個性というものが出来上がっています。昔から宗教の対立が戦争に発展してきましたが、本当は違う事を教えているわけではないのです。

     

    仏教が発生したのは2500年前、キリスト教は2000年前、イスラム教はキリスト教の少し後です。その時代から比べて人類はどれ程進歩したでしょうか。釈迦がいた頃は教えを書き記す紙さえありませんでした。それよりさらに後の時代でさえ人は地球を中心に他の天体が回っていると思っていたし、船でどこまでも航海を続けていけば地の果てに到着し、そこは滝になっていて落ちてしまうと考えていました。

     

    今や地球人類は宇宙船を使って他の天体にまで到達できるようになりました。乗り物が発明され人は地球上をどこへでも移動できるようになりました。インターネットや携帯電話が出来て世界の誰とでも瞬時に情報交換が出来るようになりました。医療技術も飛躍的に進歩し昔は不治の病と言われたものでも治せるようになりました。我々は今そういう時代にこの地球上で生活しているのです。

     

    そこで今ある宗教というものを振り返ってみれば仏教にしろキリスト教にせよその当時から進歩というものが止まってしまっているのです。その宗教が説いているものは今でも間違っているわけではありません。しかし人類の知識の量と質はその宗教が出来た当時に比べて飛躍的に進歩しています。今の人類の求めるものははるかに高度なものになっているわけです。何かの疑問に対し小学生なら満足できるようなレベルの回答でも大人はそれでは満足しません。いわゆる伝統宗教というものはその伝統と格式にこだわるあまり新しい知識の吸収を拒んできたのです。

     

    死後人間はどうなるのか? 人は何のためにこの世に生まれてくるのか? なぜ人生に苦しみがあるのか?それに的確に答えられる宗教はありません。宗教も人類の進歩とともに進歩していかなければならないのです。基本は正しい事を言っているのですからその上に新しい知識を付加していかなければ時代から取り残されてしまうのです。

     

    実は20世紀に入ってから霊界から人類の意識改革の為に地上の世界に向けて啓示が降ろされるようになってきました。それは霊界の上層部で綿密な計画が立てられた大掛かりなものです。すでにそれらは書籍として発売されその気になれば誰でも読むことができます。「シルバーバーチの霊訓」はその代表的なものです。その特徴はこれまでと違って一人の教祖が現れて教えを説くのではなく私達一人ひとりに直接もたらされるようになっています。

    魂に受け入れ準備が出来た人から一人ずつ真実に目覚めるようになっています。目覚めてくれば自然にそういう書物に巡り合うように導かれていきます。また霊感のある人には直接啓示が入ってきます。一人一人が進化向上をしそれが世界規模で広がり全人類が成長、進歩していくように計画が立てられています。今やその教えは静かに世界中に広まりつつあります。決して目立つことなく少しずつではありますが確実に人の心の中に育ってきつつあるのです。

     

    このコラムはこの霊界からの教えを基にして私自身の人生体験を通じて実証された誰にも分かり易いものを取り上げて編集してみました。ここに書かれていることはその教えのほんの一部にすぎません。生前のお釈迦様や弘法大師の教えは絶対的なものでしょうか? 残念ながらそうではありません。彼らが活躍した時代においては先鋭的で偉大な人間でした。しかし彼らが活躍した時代の人々の知識のレベルに相当したものでした。

     

    時代が進んで人間が進歩してくるとさらに進んだものが求められるようになります。すると新しい時代に応じた知識が霊界から啓示されるようになります。それはその時代の人々の理解力より少し進んだものになります。進み過ぎたものは人間には理解できないのです。

     

    例えば釈迦や弘法大師の霊はこの世に再生していなければ霊界にいるでしょう。彼らは現在、霊界で当時に比べて飛躍的に進歩しているはずです。彼らは地上の人達が今も尚、当時の姿の自分を崇拝しているのを見てどう感じるでしょうか? いい加減で真実に気づいてくれよと思っていないでしょうか。

     

    人類は永遠に進化向上していきます。それは終着駅のないものです。これで終わりというものはありません。宇宙は際限のない進化向上を目指しているからです。その機構を作ったものが神ということになります。神とは人間の理解力をはるかに超えた無限の叡智です。目には見えず触れも出来ず、すべてのものに顕現し、人間の一つの細胞から巨大な天体まで、そして全宇宙のものを支配、統制しているのです。そして私たちが真に信仰の対象とすべきものは個々の偉人ではなく、ここに表現されている存在であり、それが唯一神と呼べるものなのです。

    コメント

    No title

    大空様とても気になっている事をわかりやすく教えて頂きありがとうございます。
    自分が直に話が聞けたのは実家の浄土宗の僧侶と1000人ほどの信者を抱える
    キリスト教の牧師でした。
    でもやはり違うのですね。話を聞いてみるとスケールが小さいのです。
    神の存在がなんか人間的な範囲内、神が地球を人間を創ったとかの存在ぐらいにしか理解出来ません。
    彼らもその範囲内で説いているのでしょうが?
    でも神のスケールが小さいと永遠の命とか因果律とかとても理解出来ませんね。
    近頃は神を想像する時、宇宙の銀河の数とか星の数とか果ての果てとか考えています。
    地球上の砂の数は数えられないけど無限ではないですよね。星の数は無限?
    もうそのスケールの大きさに圧倒されてます。
    永遠の命とか因果律とかそれぐらい大きな自然の法則である神からしか伝わらないとおもいます。
    (少し分かって来たと思う自分も傲慢だと思いますが)
    これからもこの人生勉強させていただきます(妻の指導の元に)ありがとうございました。

    大空さん、おはようございます。

    私は、一時期、お釈迦様の大元の教えは、どういうものだろうと思い、原始仏教、上座仏教、テーラワーダ仏教の本を何冊も読んだ時期があります。

    スリランカのテーラワーダの僧侶の講演会を聴きに行ったこともあります。

    何でもありのような日本の僧侶と違って戒律を守って生活されているようでした。

    内容は、平和についてでしたが、「戦争反対」と叫ぶのではなく、まず、自分の心を平和にする、整えていくことが、真の平和に繋がっていく、というようなお話だったと思います。

    でも、仏教国と言われる国が、長い内戦の歴史があり、たくさんの犠牲者を出していたり、治安も日本より悪いのは、なぜなのかが、わかりませんでした。


    大空さんの言われる通り、お釈迦様は、2500年も前にこの世での生涯を終えられ、あちらの世界に帰られた方、私たちの想像もつかないくらい進化されてますよね。

    『目からウロコ』です。


    それらの本を読んでいた頃は、その数年後に、さらなる大きな試練に遭うことになるとは、全く考えられないことでしたが、必要なことだったのかな、と思います。

    No title

    シゲルさん、ゆきこさん
    神とは何かということを本当に理解するのは簡単なようでいてその実、無限の奥行を持つものだと思います。今私がわかったと思っているのは、ほんの入り口に立っているだけではないかと思います。人間の能力では理解できる範囲は極めて限られていると思うのです。

    唯、焦点を外さないようにすることが最も大切であろうと思います。個人崇拝や伝説の世界のことを信仰したりしていてはピントがずれてしまうことになります。

    お釈迦さまはこう言っているけどそれは本当に本人の言葉なのだろうか? 聖書にはこう書かれているけどそれは果たして事実なのだろうか? そういうことを現代人の知識と理性に照らして疑ってかかることも大切ではないかと思います。盲目的な信仰はとんでもない回り道をしてしまうことになります。私たち一人一人が自分の理性が受け入れられるものを受け入れていけばいいのではないかと思います。

    この地球上で、肉体をまとって生きている私たちが、わからないことがいっぱいあるのは、当然のことかもしれないですね。


    盲信は、確かに怖いです。

    おかしいな、と思っても、無理やりこじつけてしまったり、自分で判断するのを止めてしまったり・・・。


    永遠の進化の道を思うとき、広大無辺な広がりと奥行きの神の世界を思うとき、謙虚になれるように思います。

    No title

    私の住んでいる横浜は私鉄の一駅散歩すると色々な宗教の建物が信じられない数あります。
    キリスト教系でも一駅に10ぐらいの違う宗派の教会があります。
    その一つ一つの建物のなかで違う解釈で説教がありどれだけの人がそこから抜け出せなくなっているのか
    と思うと本当に辛いです。
    私はもう神について人が集まる場所へは行きません。言われるようにシルバーバーチの本を読んでいれば間違いないと心から思います。

    No title

    シゲルさん、ゆきこさん
    大勢の信者が集まる場所に行くと一つの集合意識が出来てそれに支配されやすいと思います。人間は一人一人が神の属性を持っているのですから神と自分との間に第三者は必要がないのです。神との対話は普段の生活の中で直接的、自動的に行われています。一つ一つの思いや行為に対して機械的に神の摂理が作用しているわけですから。特別な祈りの言葉(読経も含め)を使おうが使うまいが、神の摂理はそれに関係なく働きます。

    宗教の教義はどうしても人の心を束縛します。そういうものから自分を解放しないと真実は見えてこないと思います。私も昔横浜の根岸に住んでいたことがあります。当時は若かったこともあり宗教施設がたくさんあることに気が付きませんでした。20代の頃でしたが殆ど物的視野で物事を見ていました。
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