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    何故苦しみがあるのか

    2013.06.21 15:36|人間は永遠に生きる

    P1030118.jpg 

    誰の人生も苦しみの多いものです。楽しい事や嬉しい事ばかりの人生であればいいのにと思うのが人情ですがそうはいきません。人は神の配慮によって苦しみを体験しそれを乗り越えて行くことによって成長するようになっているのです。歳を取ったから解放されるということもなく、何の悩みも苦しみもない人生はあり得ないのです。本当はこの世に誕生する前からどういう苦しみを体験するかということを自分で決めて承知の上でこの世に生まれてくるのです。そういう人生のコースを辿ることを指導霊のもとで決め、その人生を送るにふさわしい両親のもとで生まれてきます。生まれる国や場所も当然考慮に入れられています。日本人であったから再び日本人として誕生してくるということもありません。

    過去世において何か神の法則に逆らう事をしていた場合、そのカルマ(業)の清算がこの世でしか出来ないことが分かると自発的に再生(生まれ変わり)を望むようになるのです。勿論その事は今この世で生きている間は記憶に上って来ないので何故自分はこういう事で苦しまなければならないのだろうと疑問に思うのです。今地球上で生活している人の中でカルマの清算を必要としていない人はいないでしょう。特殊な使命を持っている場合は例外として何のカルマもなければわざわざこの地上世界に誕生してくることはないと思います。

    このように私達には苦しみの原因は容易にはわかりませんが何の意味もなく苦しみが生じる事はありません。もちろん明らかに自らの行為が招いたものであると分かるものもあるでしょう。深遠な神の法則が働いた結果、さらなる成長の為に苦しみを体験する必要があるから今の苦しみがあると捉えるべきでしょう。人は時間の経過とともにいつしか苦しみを苦しみと感じなくなってくるものです。そうありたいと思います。

    お釈迦様は苦しみの種類を分類し、根本的にそれらは人の執着の心から生まれているとして執着を絶つための方法を考えたようで、それが仏教の骨格になっているようです。すべてのものは実体がなく、移り変わっていくのでそういうものに執着しても仕方がありませんという論法のように思えます。

    しかしそういう論法にこだわり過ぎると何か新しいものを生み出そうという気力が失せてしまいます。新たな発明や発見は飽くなき追求心や情熱なくしては生まれません。またある程度の競争心も発奮材料として必要でしょう。時には衝突や闘争も生まれますがこれは人類がまだ成長途上で未熟ゆえの事でしょう。

    般若心経では無という文句がくどいほど繰り返されます。そんなに何もないんだったら生きていたって仕方がないじゃない? 人生にはあらゆるチャレンジすべきものが用意されていてそれらは成長のための材料だと思います。それらも本当は無いのです。人間が執着するからそういうものがあるように思えるだけなのだという態度は逃避的に思えてしまうのです。

    それは宇宙の深淵の声であり、極めて高度なものだから凡人には容易に理解できないのですよと言ってしまうと、なるほどと思う人もいるかもしれませんが本心から理解できないものが人の心を深く捉えることは無理があると思います。確かに般若心経には唱えていると鎮静作用はありますが最初から般若心経ありきで絶対的なものとして考えるべきではないと思います。

    こういえば熱心な仏教徒からお叱りを受けるかもしれませんが、それは本当にお釈迦様の言葉なのだろうか? お釈迦様の死後400年経って弟子たちがその思想をまとめ上げたというがそれは事実なのだろうか?内なる自分の心から湧き出る素直な疑問があるはずです。何事も先入観に支配されることなく疑ってかかることが人の進歩につながると思うのです。

    コメント

    こんばんは。 全ては自分が選び、自己責任だと思えばいいですね。 今までの人生、いろいろありました。 よく知る友人の、年配の知り合いの方からは、苦労の時過ぎだとも…。今回のことは、年配の方には伏せてますが、賀状欠礼により、解ってしまいます…。 当時の苦労は、今思えば苦労だなんて思いません。今回の経験が、マックスです。 乗り越えられる壁、それぞれにありますが、辛いだけの人生にしたくありません。

    No title

    静さん
    自分の人生はすべて自己責任、これは事実だと思います。他の誰かのせいで今の自分の人生がそうなっているということはありませんから。苦しい時は本当に辛いものです。何年か経ってあの時の苦しみのおかげで自分は成長できたと思える時が必ず来るでしょう。

    私も実は悩みや苦しみがあります。ああ、もう嫌だなと思うことが何度もありますよ。
    リタイアしても同じじゃないか!むしろ仕事をしていた頃のほうが楽だったのにと思います。仕事をしていたら気が紛れますからね。苦しみを持って生きるのは年をとっても変わらないことがわかりました。出来れば楽に生きたいのですが。こんなことを言うと叱られますね。ブログで分かったようなことをことを書いているくせにと思われますね。

    私は苦しい時は瞑想します。すると大抵父や、叔父が現われて大丈夫だぞ、大したことじゃないよ、気持ちをしっかり持ちなさいと励ましてくれます。それは本当にありがたいことです。それが私の心の支えになっています。どんなときにも霊界から見守っていてくれて自分は一人じゃないんだと実感できます。でも反面責任を感じています。いい加減なことが出来ませんから。

    瞑想ですか。羨ましいです。じっとしてられません。笑い事ではなく、いい歳して情けないです。 主人いわく 寝ていても、手足が跳んでくるそうです!! ここは、笑えます~ 大空様が瞑想され、他界された方々との交信により、導かれ、励まされ、子どもを失ったものからすれば、羨ましい限りです。 大空様の瞑想されるお姿を見られる故人の方々も、安心されるのではないでしょうか。 私のような人間のほうが、ハラハラさせてます。 例えば会社の昇級試験のように、年を重ねるのと比例し、難しくなるなるのも、人生なのでしょうか。シワの深さのように。 でも、いつも いつも 最高の自分ではないですね~ もうこれが、自分なんだと思うようにしました。 もうなんでもこい!! 受けて立ちますよ!! ですね~。 想いのまま打ちました…。すみません。

    おはようございます。

    苦しみ、悲しみを経験して、振り返ると、なぜ、あんなどうでもよいことにいろいろと、こだわっていたんだろう、とか、こんなものに夢中になってたんだと、我ながら、あきれてしまうことがあります。


    その時、その時で、悩みはつきないですが、とらえ方は、少しずつ、変化しているのでしょうか。


    以前にも書き込みさせてもらったのですが、息子の事故の2番目の加害者は、私撰弁護人をつけて、反省どころか、あらゆるいい逃れを、しているようです。


    彼が何を言おうと、真実はねじ曲げることはできないし、神の摂理は狂いなく働き、ごまかしはきかないということなのかな、と思います。(この世では、ごまかせることもあるかもしれませんが・・・)

    これは、息子の問題でも、私の問題でもなく、加害者の人たち自身の問題かなと、この頃は思うようになってきました。

    No title

    静さん
    人それぞれですから誰かのまねをするより自分のありのままに生きるのが一番と思いますよ。一人ひとりが違う個性を持っているのですから。
    そうですね、年齢に相応しい課題が現われてきますから昇級試験のようなもので若い時より年を取ったときのもののほうが難易度が高いということかもしれませんね。

    基本的に自分の身の丈以上のものは来ないようになっていると思います。
    背負いきれないほどのものは負わされないということでしょう。それも神の法則ということになるのでしょう。静さんらしく生きるのが一番ですよ!

    No title

    ゆきこさん
    過去を振り返ってみると私も自分の至らなさばかりが目について恥ずかしくなることがありますが、そう思えるという事はその当時に比べて進歩しているという事でしょう。
    私は過去の出来事も自分の人生の一つのエピソードとして大切にしておきたいと思っています。

    この世では必ずしも正義が勝つようにはなっていないようですが、それは必ず神の法則が働いて将来何かの形で正しいものには報酬を、不正なものには罰が下されるでしょう。ゆきこさんの言われる通りだと思います。それにしても自分自身の問題ではなく、加害者自身の問題として捉えられるということは素晴らしいことですね。あちらの息子さんもそういうお母さんの姿を見て誇りに思っておられることでしょう。

    No title

    大空さん、お久しぶりです。

    二、三日前、偶然あるブログから、 ●室問題について言及している複数のブログに辿り着きました。一部写真も添付されていることを見ると、信憑性は高いと思われます。
    単に●室のみならず、政治や外交にまで及んでいるその深刻さに、私は、日本人として生きていく気力を少し失っています。

    新興宗教の大半は、地●霊に侵されていると聞いていたのですが、●室までとは.......。今思考停止状態です。

    これも、霊界では、日本という国が進化していく過程のひとつとして捉えているのでしょうか。

    No title

    天使リダさん
    低級霊の影響を受けているケースはあらゆるところにあると思います。
    人間は基本的に自分オリジナルの思想はわずかで、殆どは守護霊その他の霊界の人や地上世界からの思念を受信したり送信したりしているはずです。しかしそのことに気が付かないのです。

    宗教人で低級霊のグループの手先になっている者もいます。私は今までそういう者との戦いを続けて来ました。一般の人は何も知らずにそういう者の餌食にされているのです。私は背後の支援を感じてたった一人で最前線で戦ってきました。

    新興宗教、伝統宗教に関係なく自身の志が良くなければ当然程度の低い霊に付け込まれることになるでしょう。宗教人はどういう形であろうと霊界や幽界に向けてエネルギーを出すわけですから自分に応じたレベルの霊が反応してきます。自分の霊性が高ければ高級霊が、低ければ低級霊が感応してきます。

    低級霊の影響を受けている者の特徴は尊大にふるまう、我儘、陰湿なことを企む、物欲、名誉欲につかれている等です。その人間の目を見ればわかります。

    ブログで政治その他の分野が地縛霊に支配されつつあるようなことが書かれているのですか? いつの時代にも終末思想にかられている人たちがいますが、そういうことには決してなりません。なぜならこの地球も社会も大きな力が働き恒常性が保たれるようになっているからです。大きな力とは天地自然の法則でありそれを守って行使するのは天使や高級霊です。ですからそういう騒ぎは一時的なものです。心配する必要はありません。
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