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    しがらみと自由

    2013.07.20 11:39|日々の暮らしの中で
    IMG_0124.jpg

    私は今バンクーバーに来ている。時々こうして強度の田舎の村社会から自分を開放しなければいけない。
    夕方ダウンタウンの海辺の公園に来てみるととても気持ちがいい。北国なので日本のような蒸し暑さは全くなく夜は9時になってもまだ明るいので人々は自由にそれぞれの時間を楽しんでいる。

    カナダの人達は全く他人のことは構わない。日本の田舎の人間はまず他人が自分のことをどう思うかということが価値判断の基準になっている。自分をその規範で縛り点けているので殆ど精神的自由がない。物事の善悪よりもそちらのほうが優先するので、時々自分では間違いではないかと感じつつも右へ倣えをしてしまうことがある。金魚のフン式になってしまうのである。

    それは昔、権力の支配を受けて何一つ自分の意見を言えなかったような時代から続いてきているのではないかと思う。
    そういう精神構造は私には理解し難く何かの折には苛立ちを感じてしまう。

    この地域を良くしたいなら自分が正しいと思うことをきちんと言いましょう。黙っていては何も問題は解決しませんよ。陰で愚痴っているだけじゃダメですよ。

    こういう感じで言うと一段とそういう人達は黙り込んでしまう。極度の村社会ではこういうことを言っていたら異端児扱いを受けてしまうのである。私は正義感が強いほうなので人々が理不尽な扱いを受けているのを黙って見ていられなくなるのだが、皆のためにと思ってやったことも正しく理解されない。情けないという状況を通り越している。

    高齢者が多いこともありもう環境を改革しようなどという気力も発想も浮かんでこないだろう。
    この先も沈滞していくしかないだろう。悲しいことだがそれは自らが招いていることである。

    昨日素晴らしい夕焼けを眺めていると次のことが閃いてきた。

    人は死後もそれまでに抱いていた心の状態が続くことは間違いない。
    長きにわたって自分の心を抑圧してきた人達は死後もずっとそのような状態が続くであろう。

    指導霊からもっと心を開放して今までのしがらみから解き放たれましょうと言われても出来ないと思う。
    この世で他の者からそういうことを言われても理解できないのと同じであろう。
    人はあちらに行ったからといって急に変われるものではない。
    人々がそういう環境のなかで生活しそれに相応した思考性を持つようになるということも摂理の働いた結果であろう。









    コメント

    大空さん、おはようございます。


    自分のことは、案外、わかっているようで、わかっていない、見えていないものかな、と思います。
    長年の心のクセというものは、なかなか直らないものだな、と思います。

    直そうと、自覚しても、四苦八苦です。

    最近、『諦念』という言葉が、浮かぶことがあったので、改めて、どういう意味だっただろうと思い、調べてみました。
    1.道理をさとる心。真理を諦観する心。
    2.あきらめの気持ち。

    そうありました。
    当然、私が思い浮かんだのは2番の意味ですが、なかなかあきらめ切れない想いもあり、揺れ動きます。

    もうすぐ、天国に帰ってしまった息子の、22回目の誕生日です。


    バンクーバーは、とても美しい街と、聞いています。

    ご滞在、楽しんで、お過ごしくださいませ。

    No title

    ゆきこさん
    人のことはわかっても自分のことが一番わからないと思います。
    灯台下暗しですね。

    自分のことがわかってしまうなら、もうこの世で苦労する必要がないんじゃないかと
    思うことがあります。

    諦念とは諦めという意味に取られることが多いように思います。
    諦めることも大切ですが何でもあっさり諦めてしまうわけにはいきません。
    人間の向上心がこれまでの人類の進歩の原動力になってきたのですから。
    言葉というものは難しいですね。

    テレパシーによって一瞬で意思の交換が出来るなら言葉を操る必要がありません。
    遠い将来、地球人類もそうなっていくのでしょうか?
    日本語、英語、フランス語など言葉の壁もなくなりますね。
    ここカナダにいるとそういうことも頭に浮かびます。

    今は夜の10時です。ようやく外が暗くなってきました。
    ベランダでこれを書いていましたがキーボードが見えなくなりました。
    夕焼けがとてもきれいです。

    おはようございます。 バンクーバーでの快適な暮らし羨ましく思います。 そうです。どうして日本人は金魚のふん みたいな人が多いです。右になおれ 長いものに巻かれろ!! 楽ですからね!! あとで文句、愚痴!! 馬鹿馬鹿しくなります。上司にペコペコ…。部下に厳しい。自分に甘くて人に厳しい人…。 考えをコロコロ変える…。 利益だけで動く人…。 私は、孤立してもいいです。そんな貧しい心にだけは…なりたくないです。なので、人との迎合は、最低限に抑えています。 イライラしたくありませんから!! 自分を支えに生きていくしかありません…。 迷わない…ぶれない…。真っ正直に進む…綺麗な物だけ見る…。 バンクーバーでの エネルギーまた楽しみにしてます!!

    No title

    静さん

    静さんも信念の人ですから自分をごまかして周囲に合わせるよう生き方は出来ないでしょう。

    このページを見てくださっている人からのメールで、真理を知れば他人の思惑を気にすることなく本当の自分の声を聞くようになります。ということが書かれていました。
    その通りだと思います。

    もし自分が正しいと思うことをして、その事で相手が離れていくようならその相手は初めから信用に値しない人間だったということになるでしょう。でも必ず理解してくれる人がいるものです。そういう人間を大切にするべきだと思います。例え一人でも理解してくれる人間がいたら嬉しいものですよね!

    静さんのパワフルな生き方は私も学ばされます。

    ところで昨日孫を抱いていたらふっと父が現れて私と一緒に孫を抱っこしていました。
    父にとっては自分のひ孫ですから可愛いのでしょうね。地上の距離は関係ありません。
    霊界の人達とは世界のどこにいようと通じ合え、同じ思いを共感できるのですね。宗教はそういう場に出る幕はありません。本当にもっと多くの人に真の宗教とは何かということを知っていただきたいと思うのです。

    こういう現象を体験するにつけ、この世の穢れがうっとうしくなります。
    でもこの世の穢れの最前線にいる時は自分を鍛えているのだと思うことにしています。
    この世で苦しければ苦しいほど将来得るものが大きくなることでしょう。

    一昨日はサイクリングで市の中心部まで行き、昔通った語学学校の周辺を
    散策してみました。快晴で日本のような蒸し暑さはありませんが紫外線が強く
    強烈に日焼けしてしまいました。





    目の保護をしてね 昼間車の運転には、サングラスが欠かせないです。 沢山楽しんでくださいね~ お孫さんの日々の成長に目を細める大空さんそして お父様の見守る姿。 正しくつながれていく命ですね!!
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