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    盆に寄せて

    2013.08.05 08:52|真理を求めて
    P1020744.jpg


    今年も盆が近づいてきた。 盆とは何なのか? 私の子供時代、盆の墓参りはこの地方の風習で14日の早朝に行くことが決まりとなっていた。子供にとっては朝早く起きるのは辛いことであり、
    眠い目をこすりながら両親について墓まで歩いて行ったものである。

    先祖が家に帰ってくることを想定して前夜(13日の夜)に家の廊下に灯りのついた提灯を吊るす。 夜中に先祖が帰ってくることになっているので明るくして迎えるというわけである。そして夜が明けた14日の朝墓参りに行く。 しかしよく考えてみたらそれは辻褄が合わないように思える。

    先祖はすでに家に帰っているから墓はもぬけの殻ではないか、では何をしに墓に行くのかという疑問が湧いてくるのが自然であろう。その13日提灯を吊るして先祖を迎えるという夜、私と妻は仏壇の前で読経を始めた。前のホームページでもその夜の出来事に触れたことがある。

    読経をしていると一陣の風が吹いてきて燈明が揺れるとともに目の前を黒い影が横切っていった。
    そしてパキッ、ピシッという大きなラップ音(何もない空間で鳴る音)がそれまでになく連続して響き渡った。
    背筋がゾクッとして鳥肌が立ってくるのを覚えたが読経をやめることなく最後まで唱えた。
    犬が何かを感じて吠えている。

    霊的に鈍感な人の場合こういう現象は起きにくいと思う。そういう音を発生させるためには霊媒体質者が必要でスピリットはその人間からある物質(エクトプラズム)を抽出するのだという。それを利用して何もない空間で音を出すことができるらしい。なんの目的でそうするのか、それはスピリット(霊)側が何らかの意図を持っていることは間違いない。一番多いのは自分たちの存在を知らせようとしているケースだと思う。

    この体験から半年後くらいから私は様々なメッセージを受けるようになった事を考えるとそれは霊界側のある計画に基づいたものではなかったかと今になって思う。そういう現象を起こすことによって霊の実在を身をもって認識させ、次にはメッセージや啓示へと進んでいく為の土台作りであったのかもしれない。其の夜のことは今でも鮮明に覚えているがスピリット側は一人ではなく何人かがいたような気がしている。

    再び盆の習慣の話に戻るが、私は真理の探求を始めるまではそういう習慣の意味を考えたりはしなかった。大半の人はそうだろう。余計な疑問を持ったりすることはなく、今までそういう習慣を続けてきたから続けているだけということになるだろう。それは言い方を変えると関心が無いということでもある。

    人は関心があるから疑問が湧いてくるのであり、無関心であれば疑問が湧いてくることはない。
    何事も疑いの目を向けてみることが進歩、向上の原動力になると思うが、こと宗教的な分野になると思考が止まってしまう人が多い。目に見えない分野なので考えることすら面倒臭いということかもしれない。下手に習慣を変えたり余計なことをしたりすると世間の目が気になる。また先祖が祟ると考える人もいるだろう。

    ともあれ盆が近づき盆休のために帰省ラッシュも起きる。国民的行事ではあるが先祖や近々他界した家族の人たちは実際はこの行事をどのように考えているのだろうか。そういうことを考えてみてもいいのではないだろうか。



    追記
    このページでこれまで再三取り上げてきたように他界した人は盆、命日、法要などをやるやらないに関係なく当人や元の家族のところに帰ってきています。帰るべき理由があるのか無いのかそれ次第でしょう。もちろん盆の時に家族や親戚が自分の墓に参っていてその中の誰かが自分に対して親愛の情を向ければそれは届くでしょう。

    彼らは当然墓にいるわけではなく自由にどこにでも移動できます。墓や仏壇は家族がそれを通して思いを届けるその媒体になっていると言えるでしょう。主体はあくまでも人間対人間であって墓や仏壇が主役ではありません。そしてお互いの親和性が鍵です。この世の人間関係を例に取ると気の合わない者同士はお互いに付き合いを敬遠するものです。あちらの人との関係も同じです。

    永代供養と称して寺に高額な布施料を納めて供養してもらうという習慣があります。それは霊的事実に照らしてどういう意味があるのか、霊的真理を学んだ人たちにはお分かりかと思います。中にはお金だけ貰って朝の勤行もせず、怠けっぱなしで寺の家族の生活臭に満ちた寺もあります。そういうところに他界した人の供養をしてもらっても何の意味もありません。私達と霊の世界にいる人達の違いは肉体があるか否かということだけです。これまでに何度も述べましたように自分が人間として進歩向上していく事が先祖への一番の供養なのです。


    コメント

    おはようございます

    大空さん、お元気ですか。
    いつも学びをありがとうございます。

    新潟も梅雨が明けて、真夏がやってきました。
    息子が突然旅立った日が猛暑で、
    夏の日差しはそのときの恐怖がよみがえり、
    平穏な気持ちでいるのがなかなか難しいです。

    子どもの頃、お墓参りは、亡くなった人を迎えにいくと教わりました。
    提灯に灯りをを消さずに、家まで連れくるんだよと言われていたので、
    道中(40分くらいの道を歩いていきました)子ども心に気を使ったものです^^

    ですので、大空さんのおっしゃるように、13日以後に(14日とか15日とか)にお墓参りに行く人のことが不思議でならなかったです。
    え?だって、家に連れてきたのに・・・と、子どもの考えですが^^

    今年は11日が日曜日なので、お墓掃除とお参りをしようと思います。
    お墓にいるんじゃないけどね・・って思いながらも、
    お参りをして気持ちを落ち着かせてきますi-245

    朝から長くなってしまいました。
    これから仕事いってきます~i-203

    こんにちは。ご無沙汰しております。いつもブログがアップされるのを楽しみにしています。私の実家はお寺には無縁で何宗かも知らず、息子のお葬式の時に弟が調べてくれてわかりました。ずっとそこのお寺にお願いしていましたが、三回忌が終わった時に、檀家に入ってないからこれで終わり、みたいな紙をもらいました。その時は、どうしようかと悩みましたが、大空さんのブログでお経のことなど書かれているのを拝見し、だいぶ心が軽くなりました。でもやっぱり節目だけでもと思い、お寺を探していると、うちは浄土宗ですが、仏はひとつだからと違う宗派でもお経をあげて下さるという曹洞宗の安寿様に出会い、お盆と命日だけ来ていただいています。
    私の実家は、仏壇もお墓もなく何も知らないでいました。
    息子が亡くなり初めての事ばかりです。いつもそばにいてくれると思っているのでお盆が特別とは思っていませんが、日本の風習なので人並みに飾ったり、提灯を灯したり、お墓に迎えに行ったり送りに行ったりしています。まさか息子のためにする事とは夢にも思いませんでした。でも私の根本には、大空さんが教えて下さったたくさんの真理かあります。それはブレる事のない基本です。いつも色んな事を教えて下さりありがとうございます。感謝しています。どうかお体ご自愛下さいませ。

    こんにちは。 お盆ですね~ 知り合いの家族が、墓参りの帰り一家5人タンクローリーにのみこまれ、即死するという痛ましい惨劇にあいました…。お父様だけは、虫の息でした。ちょうど レスキュー隊で勤務していた友人が、管轄外でしたが、応援要請が入り、変わり果てた家族と対面!! ご先祖の墓参りのあとに…。 言葉もかけられませんでした。 今では、国民的行事ですね!! でも故人がどう感じているか疑問ですね!! 彼岸、お盆、命日等 ご先祖さまを忘れずに、「感謝」することですね!! 両親、兄夫婦、姪っ子をいっきに亡くしたのですからね!! 命の重みは、比べるものではないですが…。友人は、5倍の辛さだったんだって でも 辛すぎて…。まだまだ 毎日ブルーですね!!

    No title

    ねこうさぎさん

    新潟も真夏ですか。私は若い頃は強烈な夏の日差しが好きでしたが今は体調のこともありクラクラしてすぐに日陰を探そうとしている自分に気が付きます。

    一旦極限の体験をすると後を引くのは当然でしょう。しかしねこうさぎさんは私達が最初にメールなどをやりとりしていた頃に比べて随分悟られましたね。そう感じます。

    いつの日か息子さんと再会して喜びに浸れる時が来ることでしょう。その時はそれまでの苦難をまた別の角度から眺められるようになるのだろうと思います。

    魂の成長のためにはどうしてもこの世で試練を味わう必要があるようです。それは理屈でわかっていても実際にそういう場面に遭遇すると進路が塞がれてしまったように感じてしまうのですね。平然とそれを受け入れることが出来るような人なら多分この世に来る必要がないのでしょう。

    盆の墓参り、線香の匂いですね。昔は浴衣を着て行ったことがあります。
    夏の風物詩でした。

    No title

    もっちゃん

    思いもかけぬことが起きるのが私たちの人生ですね。つくづくそう思います。
    そうなるのは私達が先を見通すことが出来ないからでしょう。

    しかし必ずしも霊界にいる人たちが先を見通すことが出来るかといえば
    そうでもないようです。霊界にはそういうことを専門にやっているところも
    あるようですよ。でも100%当たるとは言えないようです。

    どうやって将来起きることを予測するかといえば、やはり原因と結果の法則をもとに
    現在ある因子を一つづつ分析していきそれが将来どのような結果を生むのかを
    推測するのだそうです。確定的なものはフラッシュとなってひらめくのだそうです。

    予期せぬ要因が入ってくることもあり簡単なことではないそうです。また地上の時間で
    正確に何年の何月何日などと言い当てることも難しいのだそうです。1,2年のずれが
    あってもおかしくないということらしいです。

    ノストラダムス、マヤの暦で2012年の世界の終わりなどと騒がれましたが実際は
    何も起こりませんでした。これらの信ぴょう性は別として、もしそういうことが起こりそうなら必ずそれを防ごうとする力が働きます。神の法則により常に宇宙は恒常性が
    保たれるようになっているようです。

    話が飛んでしまいましたがお盆は国民的行事になっています。そういうことに関係なく
    息子さんは常にお母さんを見守り愛で包んでくれていると思います。
    これを書いていると少しそれが感じられます。

    No title

    静さん
    墓参りにいく途中で事故に遭う人も結構います。巡礼などでも同じでしょう。
    というのは事故に遭うこともその人と神法(天地自然の法則)との絡みで起きる
    からと私は理解しています。それは機械的かつ自動的に働くので人間の情が入る
    余地がありません。

    一見無慈悲なようですが宇宙の仕組みがそうなっているので仕方がありません。
    浄土真宗の信者は阿弥陀如来の慈悲にすがれば極楽浄土に行けると考えてきた
    のでしょうか。でもそれは残念ながら事実ではありません。こんな事をいうと
    浄土真宗から叱られそうですが。唯そういう仏さまの慈悲にすがりたくなる気持ち
    はわかります。私も以前観音様にすがっていた時期がありました。でもそれは
    幻影に過ぎませんでした。

    そういうケースでは事故で一気にあちらに行かれた人たちは必ずしも
    苦しんでいるわけではないと思います。それは東日本大震災にあって他界された
    大勢の人たちも同様だと思います。残された人たちには大変な悲劇に思える
    でしょうけど。

    静さんは潜在的に強さを持った人ですから必ず今の苦しみを乗り越えられます。
    ブルーがスカイブルーに変わるよう祈っています。




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