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    神の摂理と信心 2

    2013.08.13 08:32|真理を求めて


    熱心にある神仏を信仰していくと実際にその神仏の姿が現れることがある。私の場合を例に取ると過去何年にも渡って観音様を信仰していた事があった。西国巡礼は観音霊場で歴史があり今でも多くの巡礼者があって全国的にも名の知れた寺が揃っている。巡礼の時、次の霊場が近づいてくると観音様の姿が見えてきたものである。

    どこの寺でも本尊があり不動明王を祀っているところも多いがそこに行くと不動明王の姿が見えていた。見えるというのは肉眼(五感)で見るのとは違う。五感は物質を感知するものなのでそれ以外のもので見ていることになる。目を開けていても見えるし閉じていても見える。

    私の娘や姪にもそういう能力があるようで、姪はある寺に入ったら大蛇が見えて恐ろしかったと言う。その寺は昔から蛇にまつわる伝説があるらしい。事実日本には蛇を祀っている寺社も多い。
    なぜそういうものが見えるのだろう。本当に神仏やその他動物の化身のような存在がその場にいるのだろうか?

    今から9年前の夏、私は無謀にも次男とともに北穂高岳に登ったことがある。山登りに慣れていないので自分のペースを掴めずに高山病にかかってしまった。昼前後に山頂に着いたが頭痛と吐き気が治まらず水も飲めない、食事もとれないという状態が翌朝まで続き、素晴らしい山の景観(北穂高岳からの景観は北アルプスでも最高)に浸る事もできず山頂直下の山小屋で寝たきりの状態が続いてしまったのである。次男はこの時もう救助のヘリでも呼ぶ以外方法がないのではと思っていたらしい。

    夢うつつの状態で私はひたすら観音経を唱え続けた。一晩中それを続けたのである。翌朝、台風接近のために全員山を降りなければならなくなった。私といえばその朝も水はおろか米粒一つも喉を通らない。脱水もひどく相当に危険な状態になっていたと思うがここで休んでいるわけにはいかない。意を決して私はガスがかかって視界も悪くなった山を下り始めた。岩場なので一つ足を踏み外せば大怪我につながるし転落死の可能性もある。再び観音経を心のなかで唱えながら下山を続けて何とか涸沢までたどり着いた。標高が下がり高山病の症状も嘘のように消えていた。

    涸沢の山小屋で山菜そば、コーヒー、アイスクリームなどを食べてやっと生気を取り戻すことが出来たのである。あんな状態で山を下りられたのは観音様に守られていたからに違いないと思わざるを得なかった。そして家への帰路、滋賀県の大津にある三井寺(観音霊場で西国巡礼の札所)に寄り、観音様にお礼参りをしてそれを契機に西国巡礼を始めることになったのである。

    極限の状態で観音様など神仏を心に思い描き、祈りを続けると自分の中に一つのイメージが焼き付けられることになる。この時の体験で私の潜在意識には観音様のイメージが一層深く植え付けられたと思う。そしてそれが最初に挙げた神仏が実際に見えるという現象を起こすエネルギーの基になったのであろう。 それは今の科学では解明できないだろうが、当人には確かに存在していると言うしかない状態であり、その説明は次の機会に譲りたい。

    次回に続く

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