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    意識の焦点

    2013.10.15 09:32|インスピレーション
     

    人は何かを失うと急にそこに意識の焦点を合わせるようになります。日頃から自分の周囲にあるものの殆どは実際は意識の外に置かれています。それが当たり前の状態になると無いのと同じで気になりません。失って初めてわかる親のありがたみという言葉で昔から表現されてきたように普段はその有難味がわからないのです。

     

    人間の意識の焦点は限局されているので実際は僅かな範囲しか見ていないのです。特に肉体に宿ってこの世にいるうちは物的な視点から物事を見ているので一層視野が狭められています。

     

    失ったという状態を正しく認識するまでの時間はそのつながりの大きさに比例します。

    時には失っているのにそれを認めたがらないという態度で表現されることもあり、本当に認めるようになるまでは時間がかかるのです。



    追伸
    私たちが持っていると思っているものは本当は何もないのです。
    この世にいる間の一時的な借り物です。肉体もそうです。

    土地も家もお金も車も意味があるのはこの世にいる間だけです。
    期間限定つきのものでありこの世を去った後は無用のものとなります。

    ところが人間同志の愛で結ばれた関係はこの世を去った後も続きます。
    離れ離れになってしまったと嘆いているうちに再会することになります。
    本当は束の間の別れであり霊的にはつながっているのです。

    コメント

    大空さん、こんにちは。

    肉体の眼でみるのは、牢獄の中から外をみるようなもの、と確かシルバーバーチが言っていたと思います。
    その位、制限されているのですね。


    先日、息子の事故の刑事裁判に行ってきました。

    不完全な人間が裁くのですから、公平には遠いものなのは、仕方がないのかもしれません。

    交通事故は、故意ではなく、過失ということで、死亡させても、刑ともよべないようなもので終わってしまいます。

    生命を奪うものは、その責任をとらねばならないと、思いますが、過失だとどうのか。この世に偶然とか偶発事故はないのなら、どう捉えればよいのか、わからないことばかりです。

    闇を知らなければ、光がどんなものか解らず、霊性の低いのを体験しなければ、霊性が高いとはどういうことかわからない。体験のためにこの地上にきているのでしょうが、なかなかその最中にいるのは、たいへんだな、と思います。

    No title

    ゆきこさん

    裁判の勝ち負けに関係なく人間は神の裁きを受けるのです。

    裁判で逃れても神の裁きを逃れることはできません。
    人間のすることが不完全でも神の摂理は完璧です。

    後で振り返ってみれば公平に裁かれていることがわかるでしょう。

    確かにこの世をうろうろするのは大変なことですね。
    でも後で振り返ればあっという間だったということになるのでしょう。

    離れ離れになったと嘆いてるうちに・・

    大空さん、こんばんは。

    とても、うれしい言葉をありがとうござます^^

    >離れ離れになってしまったと嘆いているうちに再会することになります。
    >本当は束の間の別れであり霊的にはつながっているのです

    あちらの時間は、この世とは違う感覚ですよね。
    だから、きっとむこうにいる息子には、あっという間なんでしょうね。

    でも、物質界に住んでいると、なかなか長いです。
    それでも、魂はつながっていて、交信していますね^^
    息子とまた会える日を楽しみに生きていきます。
    ありがとうございます。

    PS:ソウルはいいお天気でしたi-194

    大空さん、こんばんは。
    私もねこうさぎさんとまさに同じ気持ちです。
    救われました!大空さんの言葉に。

    このところ気持ちのコントロールに苦しんでいた私にとってタイムリーな元気の出る言葉をいただけてうれしいです。
    そうですね、娘に逢える日はきっとあっという間やってくるのでしょうね。
    大空さんに言っていただくと心にストンと落ちます。ありがとうございます。

    No title

    ねこうさぎさん

    ソウルは快適でしたか?
    海外に出て異文化に触れるのは自分自身のリフレッシュになりますね。
    カナダではすれ違ってもほとんど相手の顔をストレートに見ることはありません。
    ソウルに来てみたらまともにこちらの顔を見る人がいます。
    日本の田舎に帰ると人々は相手の顔ばかり見ています。車ですれ違った後、バックミラーを見ると相手がまだこちらを振り返って見ています。

    この世は長く感じますがこう考えてみたら面白いです。
    私たちは何回かこの世に再生している人が多いでしょう。過去の生で自分が地上界を去る時、家族を悲しませたかもしれません。そして今は家族の他界を見送っている自分がいる。本当は霊界と地上世界を行ったり来たりしているのに地上世界にいる時は目がふさがれているのだと思います。

    人生は今に焦点を当ててみると長く感じますが過ぎ去ってみれば短いと思います。
    長さを測る物差しがこの世にいる間においても変わっていくようです。
    お互いに後で後悔することのないように生きたいものですね。

    No title

    さあやさん

    結局はいかにこの世にいる間に自分の視野を広げていくかということだと思います。子供の頃にさも重大な事に思えたものも大人になってみたら些細な事のように思えるものです。

    後で振り返って見れば以前に悲しかったり苦しかったことが自分の血となり肉となっていることがわかると思います。後でならわかるのに今はわからないことが多いですね。それは私も同じです。

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    No title

    まねき猫さん

    それは大きな人生の転換点でしょう。離別の悲しみは心を浄化します。
    この世の人生には何一つ変わらぬものはないという教訓でもあるでしょう。

    この先、いくつもの浮き沈みがある事でしょう。でも信念を持って生きれば
    乗り越えられないものはありません。霊的真理を基盤にした信念です。

    あちらに行った人の成長は早いです。将来息子さんに再会したとき私はこれだけの事をしてきたよと自信を持って言えるようになれたらいいですね。

    大空様
    こんにちは
    いつもありがとうございます。

    霊的に愛情で結ばれた絆は、永遠に消えることはない。

    亡くなった者との再会、それはすごくうれしい事だと思います。

    でも、私はまだ今は会いたくはないです。
    自分がまだ、生きていく意味を達成できてないからです。
    未完成のまま、再会することを、私は望んではいません。

    人様の暖かいお言葉に慰められ癒される。それはすごく、いい事だと思います。

    ですが、それはその時だけの一時的な感情であって、時間が立てばまたその思いに、戻り、また癒しの言葉で元気になり。
    それの繰り返しだけだと、私は思います。

    それも悪いことでは、ありませんが、気持ちの上で、同じ事を繰り返してるだけでは、真から心が癒され、満たされる事はない、と思っています。

    すみません、否定してるのではありません

    人、それぞれでしょうから、それで心が落ち着き、元気になれるのであれば、私はそれでいい、と思います。

    ですが、人様の言葉に頼らず、そこを拠り所や、救いの場にせず、強く生きていく力を自らが持つこと。
    それが、自己への最大の癒しになる、と私は思います。

    自分が確信を持てる生き方、生きて行く意味、それがわかれば、迷うこともなく、気持ちの上でも、安定してきます。
    はっきり申し上げれば、寂しさや悲しみを癒しで求めるという感情も
    特に必要性はなくなってくる、と思っています。

    暖かいお言葉は、そのままありがたく受け止め、それだけで満足するのではなく、
    そこから、自らの道を見つけなければ、
    お言葉に依存する自分を変えていかなければ、せっかくの暖かいお言葉も、虚しいものになってしまいます。

    どなた様も、決して1人ではありません。
    支えて下さる方、励まして下さる方、目に見えない、様々な力。
    当然、実感できてることでございましょう。

    自分を信じ、その見えない力を信じ、自分で自分を癒す力を信じ、確信が持てる生き方を信じ、全てに感謝を忘れず。

    生身の人間ですから、最大の悲しみはなかなか、心から消えることはないです。
    ですが、その最大の悲しみさえも、生きる喜びに変えれるものが、必ずあると思っています。

    それに気づくことができれば、苦しまずに生きて行け、逆に癒されることを望むより、
    ずっと有効であり、近道でもあると思います。
    苦しみを繰り返すのは、つらいですから。

    私は、強い人間ではありません。
    ですが、信じる気持ち、信念は強く持ちたいと、それだけは強くありたい、と。
    その気持ち一筋に、毎日を過ごせることが、感謝でもあり、生きる力でもあります。

    読んで頂きありがとうございました




















    No title

    ローズさん

    私は今から6年前、自分が気づいたことを他の人にも知ってもらえたらと考えて旧ページを立ち上げました。見る人はそれぞれ自分の理解の範囲内で受け止めてくれます。

    中には全くわかってくれない人もいます。私たちはその時点での理解能力を超えて理解することは出来ないのです。また一見、一人一人が違う方向を向いているように思えるかもしれませんがそれはその時点での姿であり、長い目で見れば皆魂の成長を目指して進んでいるのです。ゴールは一つです。

    それはずっと続くのでしょう。これで到達した、完成したという時は来ないでしょう。人は皆、自己発見の終わりのない旅路の最中です。自己発見とは自分の中にいる神を見つける旅です。

    このささやかなページが闇を照らす灯明になってくれたらと思っています。
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