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    2013.11.03 10:26|インスピレーション
    IMG_0003.jpg 

    一旦霊界との回路が開かれると自分の向上のレベルに応じたものが流入するようになります。それはあなたが自分で閉ざさない限り閉ざされることはありません。

     

    自分が向上するか退化するかによって流入の量と質が変わります。すべてはあなた次第なのです。あなたの生き方次第ということです。




    追伸

    祈りと瞑想を続けていくと自分がある力によって守られていることを実感できるようになるでしょう。

    暖かで崇高な愛のエネルギーに包まれていることがわかると思います。そして何があっても大丈夫という安心感が湧いてきます。

    祈りの対象が何であれ私たちの祈りが届くところは自分の守護霊です。常にそれを意識しておくことが大切だと思います。守護霊のほうも自分を意識してくれたら何かと仕事がやり易いでしょう。今ここで私が書いている内容もすべてわかっているはずです。

    コメント

    響きました…。自分次第ですね!! 今のままだと、娘に会えるか不安です。何の役にも立ってなくて…。生きてる充実感もなく、仕事は行っていますが…満足感がなく やっぱりパートじゃダメですね!! 時間も短いですからね!! 長く居るところではないんで、資格を活かしたところをさがします…。まっ それだけ元気になれたのですね!! まだまだダメ人間です。

    No title

    静さん

    写真の景色は小豆島のオリーブ公園から見た田ノ浦半島です。「24の瞳」の小説の舞台になったところです。手前側の集落に大石先生の家があり、向かいの半島の真ん中あたりの低くなった場所に田ノ浦分校があります。

    大石先生は毎朝手漕ぎの船で対岸まで通ったことになっています。
    今は分校のあった場所に映画村が出来ています。ここの景色は島を代表するものかもしれません。遠くにうっすらと見えている山は四国です。

    今の仕事が物足りなく感じるのは気力と体力が回復してきたからでしょう。
    静さんは実際にはもう夢の中で娘さんと逢っていると思いますよ。

    外はモヤがかかって娘が帰ってくるのではと思いたくなる様な幻想的な夜です
    にわか仕立てのドタバタ法要が終わりました
    何に向けてなのかはわかりませんが、なんだか終わりは始まりだと感じています

    わかっているはずなのにまだまだわかっていない(以前お話しされていましたね)

    本命日に向けて心穏やかに過ごせる様に努めたいと思います

    いつも温かいお言葉をいただいてありがとうございます

    管理人のみ閲覧できます

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    夕方、パートの帰り道、暗くなった空をみて思いました。

    もし、息子が事故に遭ったのが、夕刻でなかったら、季節が冬でなかったら、命は助かったかもしれない。あの交差点を通るのが、数十秒遅ければ、加害者の車に合わずにすんだに、と。

    それだけ、天に召される条件がそろってしまったのだな、と。

    その時はまったく気付きませんでしたが、後になって思うと、あれが虫の知らせというものだったのかな、と思うことがあります。

    息子にも、何か、そんな予感のようなものがあったのかどうか、確かめようもないですが・・・。


    うちも、来月三回忌です。

    他のキリスト教圏などの国ではないことですから、これも日本の風習のようなものでしょうか。

    故人がそういうものにこだわっていたなら、意味のあることなのだろうと、思います。

    No title

    ゴロゴロさん

    人生はいかに悟るか?
    これだけだと思います。分かったつもりでいてもいざとなるとあたふたしてしまうものです。それは私も同じです。

    常に自分の心と向き合い、心穏やかに過ごせるようにお互い努めましょう。

    No title

    ゆきこさん

    それは神の摂理の働きと言ってもいいかもしれません。
    すべてが一つの結果に到達するように条件が整えられていたということでしょう。

    故人が習慣にこだわっていた人ならそういうことを気にするかもしれません。
    気にしなければ関係ないでしょう。
    本人がそういうものをどう考えているか、それ次第でしょう。

    No title

    大空さん、おはようございます。

    私は、毎日神に近付く祈りと、朝晩守護霊に心の中で今日一日よろしくお願いします、今日一日ありがとうございました というあいさつをしておりますが、守護霊とつながっているかどうかは、わかりません。

    守護霊と連絡がつくと、この世の価値観でいう悪いことが、色々起きてくるようです。それは、自分でも気付かない至らない点がいっぱいあるため、わざと痛みや苦痛を与えて、本人になぜ悪いことがおきたか、来世まで考慮に入れて反省の必要があることを反省させるのだそうです。
    課題をきちんとクリアできればその後は、良いことが飛躍的に多くなって、悪いことはだんだん少なくなっていくようです。

    守護霊は、5次元(ふつうの人が最終的に行くところ)と6次元(神界における諸天善神で、この世でいうと霊界の世話をする地方公務員にあたる)の中間に位置し、ある程度の修行で諸天善神になれるようです。私たちも、生きているうちにできるだけ心の波動を高くしておけば、諸天善神になれて、この世に二度と生まれてくることもなくなるかもしれません。
    諸天善神になるには、霊界のしくみと大自然の法則などについての簡単な試験があるようです。

    私としましては、課題が来ているのか、クリアしたのかさえわからない状況です。いつになったら大空さんのおっしゃる愛に満たされた境地に辿りつくのか
    死ぬまでその確信は得られないような気がしています。

    大空様
    こんにちは

    この先の人生、良くするのも、悪くするのも自分の生き方次第、ということですね。

    子供が亡くなったこと、確かに無念ではあります。
    ですが、もしあの時に、あと少し何かがズレていたら、助かったのかも。。。

    とかの仮定は、私は、思わないようにしています。思ったところで、何も変わりません。
    起こってしまったことは、もう過去のこと。どんなに、悔やんでも、亡くなった子供は生き返らないのです。

    「死ぬということは、決して悲劇ではありません。むしろ今の地上で生きてることこそ悲劇と言っていいぐらいです。
    死ぬということは、肉体という牢獄に閉じ込められていた霊が、自由になることです。」
    -シルバーバーチ-

    私は、この言葉を信じています。
    亡くなった子供は、今よりずっと素晴らしい所で、幸せに暮らしているのだと。

    ですから、何も心配もしてませんし、そう思って生きて行けば、深い悲しみが自分を襲い、不安になることもありません。

    てすが、これは人それぞれだと思います。
    いつまでも、悲しみに浸って生きていきたいのであれば、そこから脱け出せないのなら、それが、その人の生き方だと思います。
    またそれもその人の、ある意味、試練だと私はそう思っています。

    それは、亡くなった子供もわかっていると思います。

    子供を思う気持ちは、思い出として、また子供が生きた証しも、親として子供にかけた愛情も、決して消えることはなく、誰からも否定されることもなく。

    いつまでも、私達、親の心の中に存在し続け、その輝きも、決してなくなることはない、と私は、そう信じています。
    どなた様も、きっとそう思っていらっしゃるでしょう。

    だからこそ、前向きにもなれ、生きる意味も自覚できるのはないでしょうか。


    読んで頂きありがとうございます。

    No title

    天使リダさん
    お待たせしました。母のあちらへの旅立ちを見送っていました。
    守護霊は基本的には神の摂理にそって仕事をしているはずです。その任務も摂理に外れたようなことは出来ないと思います。本人の自由意思を尊重しながら陰に陽に導きを与えていると思います。

    守護霊の霊的レベルは彼らが指導をしている人間に相応したものでしょう。その人が霊性が高ければ高い守護霊が付くでしょうし、低ければそれに相応したスピリットが任命されるでしょう。

    霊界はヒエラルキーが厳然としてあるので誰が守護霊になるのかということも上の階級のスピリットからの命を受けてということです。その階層は数字で表せるものではなく無限にあるということだと思います。

    No title

    ローズさん
    99歳の母を見送りました。私がカナダにいた8月下旬に夢に現われたり昼間も母のイメージが浮かんできていました。私の帰国当日に転んで骨折、それを機に体が衰弱して今月3日に眠るようにその生涯を閉じました。

    一連の動きを見ているとそれらは摂理の働きと言えるでしょう。人は神の摂理のもとにこの世に生まれてきて去っていくのです。誰もその働きに逆らう事はできないのです。寿命の長短は関係がないのです。短い人はそれで充分であったというほかはありません。

    母は今はすぐそばにいます。かえって距離が近くなっています。認知症であった姿はすっかり消えています。自分が子供時代に帰って母の懐にいるような感じです。シルバーバーチの言葉通り「他界した人はあなたのすぐそばにいるのです」。
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