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    2014.01.31 13:01|真理を求めて
      あちらの世界に行っている人と実際に通信が出来たらと考える人は多いでしょう。霊的真理を学んだ人ならそう思うのが自然かもしれません。ところがこれが簡単なことではないのです。実際には夢の中で会っているはずなのに皮肉なことにその体験は顕在意識には現れてこないのです。

    日常の物質の世話に追われている時の意識は到底霊界から来る霊妙な波動はキャッチ出来ません。私達は朝から晩まで肉体の世話をはじめとする物質的な波動に占領されています。そういう環境の中で例え僅かな時間でも自分の意識をそういうものから抜けだして清らかで崇高なものを感じてみることが必要でしょう。

    それが祈りであり瞑想なのですがそれをやってもあちらの世界の人と交信することは、多くの人にとって容易ではないでしょう。でも霊的真理を学んだ人はそれ以外の人たちよりもより近い位置にいることは間違いありません。理屈の上で霊的な世界があることを知っているからです。

    実際にあちらの世界にいる人と通じるためには自分の意識の中に一つのイメージを作り上げることが必要だと思います。その人の姿や声、独特なしぐさ等を思い出し、あたかも一つのエネルギー体のようなもの(ふさわしい表現でないかもしれませんが)を自分の中に作っていきます。その人のことを思うと自動的にそれが立ち上がって作動するようになります。

    そのイメージを立ち上げることは霊界に対して送受信の準備ができたことになります。焦点を定めるためにも漠然と祈りの言葉を繰り返すよりも具体的な意志を表現する手段として意味があると思います。漫然と読経を繰り返しても自分の意思表示をしていることにはなりません。私がよく感じるのは法要の席で経本を目で追っているだけの人が多いことです。そういうことをしても霊的な波動は出ません。ただその場に座っているだけということになります。

    私の場合はその人がこちらに気付き近づいてきたことを感じる一つのサインとして指先がチリチリしてきます。それから頬を羽のようなもので撫でられたような感じもします。感じ方は人それぞれでしょう。

    コメント

    No title

    大空さん

    平易な文章で当たり前のことが書いてあるのですが、なぜか心に刺さった文章がありました。

    ☆★☆★☆★

    死別の悲しみは不要


    霊界通信を読み、理屈のうえでは死後の世界の実在を認めたものの身近な人間の死に臨むと、つい周りの人々の嘆きや悲しみに巻き込まれてしまうようになります。

    しかしそれでは、霊的真理を手にしたことの意味がありません。

    身近な人間の死を迎えたときこそ、霊的真理を知った者としての真価の見せどころであり、霊的知識を実際に活かす時なのです。

    霊的真理に照らしてみるなら、たとえ愛する人との死別であっても、決して悲しむような出来事ではありません。

    霊界に入っていく人間にとって“死”は、肉体の重苦しさから解放し、より大きな自由を与えてくれる喜ばしい時なのです。

    (中略)

    もし身内の死に遭遇して悲しみに打ちひしがれるようなら、それは霊的真理を十分に体得していないということなのです。

    “死別”という現実の問題を、真理の観点から眺めるようにしなければなりません。

    いまだ真理を知らず、地上的な目でしか死をとらえることのできない一般の人々と同じような間違った感情の発露をしてはなりません。

    高級霊がいとも簡単に「死ぬことがどうして悪いのですか?」と言うように、あっさりと他人の死を眺めるべきなのです。

    (スピリチュアリズム入門 第3章 葬式と墓について)

    ☆★☆★☆★

    『高級霊がいとも簡単に「死ぬことがどうして悪いのですか?」と言うように、あっさりと他人の死を眺めるべき』
    と言っているように

    あっけらからんとあっさりと妻の他界を感じるべきなのですね。

    私は悲しむのが当たり前で悲しむことがこの地上界では許されているのでそれに甘えて悲しんでいたような気がします。


    『いまだ真理を知らず、地上的な目でしか死をとらえることのできない一般の人々と同じような間違った感情の発露をしてはなりません。』

    これは厳しい言葉ですが、こうならなくてはいけません。

    妻の他界をあっけらからんとあっさりと感じるようになって、妻の笑顔がいつもイメージできるようになった時 妻と交信できるような気がします。

    そして 前回の大空さんのコメントのように

    『コバチャン本舗さんの奥様も大きな視野からやさしく見守ってくれているでしょう。
    奥様の懐に抱かれたような気持ちになることはありませんか? 』

    このような感じをいつも感じられるようになったらサイコーです。



    No title

    コバチャン本舗さん

    奥様は着実にこの世の汚れを浄化する作業を進めておられるでしょう。

    他界した人との霊的接触はとても心地よいものです。大きな愛に包まれているような感触がします。皆が皆、そうではありませんがその辺が地上の人とは違います。

    煩悩から解放されて幸福を味わう事の出来る世界に行くことを極端に恐れているのが殆どの人たちです。真理を知った人にはそれを縁ある人に伝える義務が生じてきます。

    それは易しい仕事ではありません。変人扱いされたり宗教者から敵視されたりするでしょう。私がそうです。ですが背後には強力な霊の勢力が控えています。それを信頼して頑張りましょう。道具の一人として。

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