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    過去を引きずらないこと

    2012.06.12 10:16|随筆集
    朝夕の犬の散歩は娘の入院以来、私の仕事になった。我が家の犬は室内犬なので散歩を済ませる毎に足を洗ってやらなければならず、雨の時は濡れて足が一層汚れてしまう。妻の手が空いている時は犬の足を洗ってくれるが、今は半々というところだろうか。しかし手がかかるとはいえ、私にとって犬の散歩は運動にもなり日課の中で楽しみの一つである

    月、木の朝は燃えるゴミを出す日である。ゴミ袋を下げ(これが結構重い)犬のリードを引いて酒に酔ったようにふらつきながら歩いていく。どうしてもまだメニエールのふらつきが取れない。この状況は若い頃なら大きなストレスになることだろうが、私の場合は年齢的なものもある上に、元来が野心のようなものが薄かった。人と争ってでも自分の野望を果たすなどというような生き方とは無縁の人間であったと思う。また若いころから結構自分のやりたいことをしてきたので今では特に何かをやりたいというものも無い。あるいは無気力状態と受け取られるかもしれないが。このまま死んでも思い残すことは無いなどと言えば他人には理解されないだろうが本当にそうなのだから仕方がない。世の中は何が何でも死にたくない、とにかく生きたいと考える人が大半だろうと思う。

    朝は家の近くを回ることにしていて歩く距離は数百メートルほどだろうか。以前は早足で1km以上は歩いていた。今は速く歩くことが出来ずゆっくりしか歩けない。夕方は車で少し離れたフェリー乗り場の公園や林道に連れて行くことにしているが犬もゆっくり歩くペースに慣れてきたようである。林道は高いところにあるので眼下に私の住む地域が見渡せる。去年まで校医をしていた中学校や歯科医師会の奉仕活動の会場になっていた建物がよく見える。最初に見たときは懐かしさがこみ上げてきたが、そのうちにそういう感情は薄れてしまった。人は人生のある時期を過ごした場所には特別の思い入れがあるかもしれない。その思いの強さは人それぞれだろう。

    全ては一つの通過地点であり人間はいちいちそういうものにとらわれていては前には進めない。何年も前、西国巡礼で京都の善峰寺で「人間は過去のものを全て持っていては前に進めない。不要なものは捨て去らねばならない」というインスピレーションを受けたことがある。

    青春時代に流行った歌を歌って感慨に浸るのも悪くないかもしれないがそれも一時のものである。私は林道から見えるかつて自分が活動していた場所を眺めて数秒の間瞑想してみた。人間は個人差もあるが死後に振り返る生前の思い出というものは一つのエピソードとしては残るが次第に風化していくものであるということを直感した。以前のホームページで妻の父のメッセージがあった。”死後の世界”の中の 35 愛の心 というテーマで掲載したものであるが正にその通りだと思う。人間というものは常に新しい体験を求めて前進していくものであり、いつまでも過去を引きずっていては前には進めない。

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    まとめtyaiました【過去を引きずらないこと】

    朝夕の犬の散歩は娘の入院以来、私の仕事になった。我が家の犬は室内犬なので散歩を済ませる毎に足を洗ってやらなければならず、雨の時は濡れて足が一層汚れてしまう。妻の手が空い...