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    日暮れの墓地で

    2012.06.24 15:26|体験集
     


    2007年の10月に入ったばかりのある日暮れ時、私はふと散歩に行きたい衝動に駆られて家を出た。歩いているといつの間にか海辺の墓地の横の道にさしかかった。折から東寄りの風が吹き、それは先月50過ぎで亡くなった人物の墓に立ててある銘記(故人の名前を書いた旗で確かこの辺りは49日が済むまで立てる風習がある)を大きく横にたなびかせていた。そのシーンがいかにも何かを訴えているかに見えたので私はちょっとそこに立ち止まり、いつもの感性を集中してみたのである。彼は先々月病気で亡くなったが以前からの知り合いであり、道で会えば会話を交わす程度の関係であった。

    その場で伝わってきた彼の念は 「僕は残念だ、悔しい! Oさん、僕はあなたがうらやましい。自由に生きられるあなたがうらやましい」。というものであった。

    すると向こうから彼の妻が夫の墓参りするために歩いてきたのである。私がそこに気を引かれて数十秒後くらいだったろうか。その人はまるで示し合わせたかのようにその場に現れた。私は積もる別離の悲しみで泣き腫らした彼女の顔を見つめて型通りのお悔やみの言葉を述べた。そして一瞬躊躇したが今聞いたばかりの彼からのメッセージを彼女に伝えたのである。

    すると「ええ、彼は死期が近いことを知って悔しい、残念だとよく言っていました。彼もあなたみたいに自由に生きたかったのです。その生き方がうらやましいと日頃から言っていました。そうですか、彼は今もそう言っているのですか? あなたはそういうものが分かるのですね」と彼女は答えた。

    彼女は夫の死後毎日のように墓参りに来ているようでこれまでの深い悲しみが心身に刻み込まれているようであった。そして続ける。

    「お寺の坊さんは葬式に来て、さも分かったような顔をして拝んだりしているけどそういう事が分かった上でやっているのかしら?」

    「多分わかってないんじゃない」と私。

    「もっと生きたかっただろうに、私は彼が可哀そうでなりません」と彼女。

    「でもこれから彼はちゃんと導かれていくから心配ないよ。あなたが悲しそうにしていることが彼を悲しませることになるからね。あなたが毎日元気に暮らしていけば彼も元気になるよ。あなた次第だから」と私。

    等々私はその場で霊的真理を語った後で彼女の家に「シルバーバーチのスピリチュアルな生き方 Q &A 」という本と自分がこれから立ち上げようとしていたホ-ムページの材料の一部を持っていき何かの役に立てばと渡したのである。

    それから幾度か墓地で彼女と会ったが会うたびに彼女は元気になっているように感じられた。数か月後にシルバーバーチの本を返してくれて“ちょっと内容に難しいところもあったけどよくわかった”とのことであった。ある時彼が夢に現れたそうで「もう僕はこっちで結婚したからお前も好きなようにしたらいい」と言われたそうでサバサバした様子であった。「うん、その通りじゃない?これからはあなたも好きなようにしたら」と私。

    その後はたまに彼女の顔を見る程度だが、今では悲しみの痕跡は殆ど感じられないようになり元気に自分の人生を邁進しているようである。尚、他界した彼女の夫が私の事をうらやましいと感じていたのは私はこの村社会の中で周囲に染まることなくある程度自分の生き方を通してきたように見えたからであろう。この辺の人たちは常に他人からどう思われているかという事が価値判断の基準になっており、自分の信念を曲げてでも周囲と合わせている者が多い。それは自分を偽ることであり自らの魂の成長を阻害することではないかと思う。

    日本の田舎はどこに行っても大なり小なり相互監視、他人の生き方に干渉するような風潮があり息苦しさがある。都会に行けばそういう束縛感は少ないものの隣人は何処の誰だかわからないという不気味さがあって治安も良くない。昔父から聞かされた次の言葉をよく思い出す。

    「智に働けば角が立つ。情に竿させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。住みにくさが高じると安いところへ引っ越したくなる………」。夏目漱石の草枕である。


    追伸
    私がふと散歩に出たいと思うようになり自然に墓地のほうに足が向き、そこで彼の墓の前で何かを感じているとその場に彼女が現れるという一連の出来事は偶然ではなく明らかに一つの流れの中にあると感じざるを得ないものであった。それはかなり綿密に計画されていてそのストーリーの中で自分の役割を少しでも果たすことが出来ていたとしたら幸せな事である。私はこの出来事によって自分がそれまでに感じていたものは本物であったと確信しそれは自分のホームページを立ち上げる根拠にもなったのである。

    離別の悲しみは当人にしかわからないものであり他の者が変わって背負うことは出来ない。ありきたりのお悔やみの言葉などは何の意味も持たないことだろう。他界した人は違う次元で生きているという確かな根拠を得ることが出来ればそれに勝るものはないと思う。

    人間はもう60も過ぎると頭が固まってしまい新しいことを吸収するのが難しくなってくる。この例のケースは当人(彼女)がまだ若くて柔軟な発想が出来る人だったので立ち直りが早かったように思う。むしろそういうケースは少ないようである。人間の理解度というものは一人ひとり皆違うので闇雲に霊的真理を説いても無駄に終わるであろう。そこはやはり霊界のほうから手引きされてそういうケースに遭遇するようになっているようであり、結局我々は霊界の道具ということになるのかもしれない。

    その辺のところを表現したのが旧ページのインスピレーション集10番の 配慮と役割分担 である。

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