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    努力は報われる

    2014.08.31 17:02|インスピレーション

    IMG_0021.jpg 

    他界した人は殆どが地上時代に途中になっていた事の続きをやっています。ですからそれまでに積み上げてきたものが無に帰することはありません。努力はいつかは報われるのですがそれは必ずしも地上世界にいる時とは限りません。地上を去った後でより完成度を高める事になるのです。

    コメント

    No title

    大空さん いつも ありがとうございます。

    妻は 今 幽界で何をしているんでしょうか?

    にこにこしながら暮らしているんでしょうね。

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    No title

    コバチャン本舗さん

    あちらでは基本的に肉体から来る様々な煩悩からは解放され、霊的に覚醒した人であればそこからどんどん向上の道を進むでしょう。

    逆に地上時代の諸々の事を引きずっている人も結構いるだろうと思います。それでもやがては霊的意識の目覚めと共に上の階層へと進んで行くでしょう。

    奥様が今どうしているか? それは何となく感得できるのではないでしょうか。
    葬儀や法要などの時、一人で遺影に対面するとき(これが一番間違いがないと思います)重苦しいものを感じるようであればまだ浮上までには至っていない霊、軽やかでこちらの気持ちが明るくなるような場合は浄化が進み、あちらで良い境遇にいると考えていいと思います。しかし自分の心が作る靄のようなものがあるのでまずはそれを払いのける必要があると思います。

    No title

    Gさん
    もしあの時にこうしていたら等と我々はつい考えてしまうものですね。でもあることが起こってしまった後ではどうしようもありません。時間を後に戻すことは出来ません。この世で出来なかった事はあちらで何らかの形で継続されるでしょう。

    旅立った人の消息がわからないから悲しいということになると思いますが人間をはじめすべての生き物は同じ場所で同じ形で留まることはできません。この世での人生は魂の永遠の旅の中のほんの1ページだと思います。それを理解することが残された人たちの課題だと思います。Gさんのこの世での人生にも必ず終わる時が来ます。私も同じです。

    No title

    れんかさん

    昔から人間は人間の形をした神を考え、信仰してきましたがそのような神は実在しません。神とは全宇宙を支配する法則です。それは人の想像をはるかに超えるものです。

    そして私たち一人ひとりに神の一かけらが宿っています。私達もミニの神なのです。人生のあらゆる体験を通じて自分自身に目覚め、成長していくために私達はこの世に来るのだと思います。

    もういやだ、うんざりだと思える出来事の中にそれぞれの人生の課題が現れていることがあります。

    れんかさんは60ですか?私はもうすぐ66歳になります。
    私もこの世の出来事にうんざりして早くあちらに行きたいと感じることがあります。
    でもその時がくるまではこの世に留まり自分の人生の課題を勤め上げなければ後で後悔することになります。やり残したことがわかりちょっと困ったことになるでしょう。やり残したことを成就するために再び苦労の多いこの世に生まれ変わってこなければならないかもしれません。

    そうはなりたくないので残された時間を有意義に後悔のないように過ごしたいと思っています。残った時間はそんなに長くはないと感じています

    大空様 初めまして‥

    私は大空様の初期ブログ「いのちの波動」のころからの隠れファンです。1932年、屋台が傾きかかった北部九州の紺屋の5代目として生を受けました。東京駅設計者・辰野金吾や太平洋戦争激戦地硫黄島守備隊の市丸利之助・海軍中将を母校とする進学校に進みました。当然、大学進学を夢見、父と進学相談をしましたが、父は首を縦に振ってくれませんでした。ならばと、苦学を覚悟で日本武道館がある警視庁警察学校(千代田区代官町)へ入校しました。学科は憲法や警察官等職務執行法といった実務向きでしたが、訓練では宮城一周(所要時間40分)の駆け足があります。残念なことに当時、私は心臓に異常をきたしね駆け足が苦痛になっていました。結果はいきなり退職を強要され、以来、素浪人の生活。同級生が大学を卒業するころ、やっと私は九州をブロックとする新聞社の通信員になりました。マスコミが私の性分に一番適していたのでしょう。一般社員の月給が6万円のころ、私は3千円の手当で過ごしました。身分差別と学歴差をイヤというほど味わいましたが、やがて実力を認められ、人並みの生活が送られるようになり、34歳で妻帯もできました。
     在職中の活動は省略しますが、その間の生き様は法を正義と思い、悪を実在と信じて対処してきたことです。家庭を顧みず、恥ずかしい行いもありました。反省することばかりですが、本日の大空様のブログの最初の一行を読んで、ハッとしました。「他界した人はほとんどが地上時代に途中になっていたことの続きをやっています」という下りです。
     大空様のブログでは叔父様が生前の続きを修業されていること、武本昌三様の御子息もそうのようです。私の在職中も地域の恵まれぬ人に光を差して上げたり、国を動かすきっかけをつくったりしたことが、未完成ですけど、気にかかってしょうがありませんでした。
     大空様同様、もう生まれ変わりたくはありませんが、おなじテーマを次の世でもできるなら、こんなにうれしいことはありません。
     死後の世界は紹介せず、死によって振り分けられる階層を脅しのように説教じみたブログを展開する人もいます。その点の大空様には一切なく、幾重にも感謝しても感謝しきれない、と思っています。長々と駄文をありがとうございました。重ねてこれまでの隠れファンとしてのお礼を申し上げます。

    No title

    kunyさん

    初期のホームページから見ていただきありがとうございます。そう言っていただけるのは身に余る光栄です。私は学生時代、大学が千代田区富士見町にあり、靖国神社や武道館は歩いていける距離でした。皇居のまわりを走られたと聞き、懐かしさで一杯になります。

    私は学生時代は空手をやっていて試合に負けると監督が罰として皇居3周を命じていたのです。裸足で皇居のまわりを走り回っていたのです。3周終わる頃には日も暮れてあたりは暗くなっていました。今では青春時代の一つのエピソードになりました。

    私は他界した人は間違いなく地上時代の続きをやっていると思います。それが自分が情熱を注いできたものであれば尚更です。もちろん自分が生活のために嫌々ながらやってきたようなことはあちらではやる必要がないでしょう。私の父、叔父、母、皆地上時代の続きをやっていると確信しています。父は教師でしたが、あちらでは更生施設の教官のようなことをやっているようです。あちらでは若くして自ら命を断ってしまった若者を立ち直らせるための施設があるようです。若者はそこで教育を受けて再出発するようです。

    死後の世界の階層は無数にあり、それも自分の心の成長次第で自ら趣くようになるので誰かの脅しによってそこに振り分けられるようなものではないと思います。自分がそれまでに積み上げたものが自動的に行く場所を決めることになると思います。

    コメントをありがとうございました。

    大空

    No title

    大空さん、おはようございます。


    しばらく前に見た夢です。

    真っ白い壁の真新しい家の玄関のアプローチの階段のところに座って、ペンを片手に、息子がなにやら熱心に本を読んでいます。

    「勉強してるんだ?」と私が訊くと、「うん」だったか、「ああ」だったか、生前とかわらないぶっきらぼうな答えがかえってきました。


    息子は勉強に目覚めるのがとても遅かったので、まだまだ勉強したかったのではないかと思います。

    そして、その続きは、向こうの世界でやっているのかな、と・・・。


    『単なる夢』なのかもしれませんが・・・。

    No title

    ゆきこさん

    それは意味のありそうな夢でしたね。

    他界した私の竹馬の友はあちらで落語をもっと追求したいと言っていました。
    彼は生前から落語が好きでよく皆の前でやっていました。

    あちらには生前有名だった落語の師匠が何人もいるでしょうからその人達から直接指導を受けているかもしれません。

    あちらでの落語はこの世のものとは少し違うかもしれませんが、きっとこの世でやっている原型のようなものがあると思います。きっと楽しみながらやっていることでしょう。
    この世のような過酷な競争はないでしょう。ちょっと羨ましい話です。
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