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    摂理の中で

    2014.09.17 14:32|インスピレーション
    1000乗だけ 

    あなたは何でも出来るわけではないことはお分かりでしょう。人間に出来る事には限界があります。各自の霊性の成長に応じた摂理の枠が定められています。成長すればそれだけ範囲が広がります。

    摂理の枠を超えることをすれば必ずそれに応じたペナルティが科せられます。人間に好き勝手なことが許されるなら神の定めた宇宙の秩序が保てなくなってしまいます。今、わがまま放題に振舞っている個人や国家は何時かは必ず代償を支払わなければなりません。それを理解するならばそういうことは出来ません。理解できないから一時的に神の摂理を侵しているのです。

    追伸
    もし我々がもっと広い視野から、また長期的に物事を見渡すことが出来るとしたら今のような間違いを犯すことは無くなるにちがいありません。そこが肉体に宿っている我々の宿命的な欠陥かもしれません。どうしても物質的な見方が先に来てしまいます。

    この世の中は目にするものはほぼ物質的なエネルギーに覆われています。最近は山岳遭難が一段と増えていますが人は近寄り難い険しい山を見る時、汚れのない崇高なものを感じるのでしょう。山は汚れたこの世との対比として存在するのかもしれません。

    最近わがまま放題に振舞っている国やグループがいて目に余ります。しかしそのうちに彼らには神の裁きが下されることは間違いありません。それは短期的に見るとわからないでしょう。我々がこの世にいる間ではないかもしれません。神の摂理の働きは長期的視野で観察出来て初めて理解できるものだと思います。

    コメント

    長期的視野で物事を視れたらどんなにいいでしょう。

    どんなに自分が馬鹿で愚かなことをしてるかわかって愕然とするでしょうね。

    なんてみんな欲張りでわがままなんだろう(もちろん自分も含めて)と、思ってしまいます。

    負けるものかとばかりに、そんなに何もかも欲しがらなくてもいいのに、と思うこともあります。

    自分の命でさえ明日はどうなるかわからない、どうすることもできない身であるのに…。

    わかっていても止められないのが、人間の愚かさ、未熟さなのでしょうね。

    自戒を含めて、そう思います。

    No title

    ゆきこさん

    同感です。

    そもそも今この世にいる人間はごく一部を除いて出来が悪いからそこを直すために来ているのだと思います。

    ごく一部というのは特殊な使命を持って高級霊が降臨している場合でしょう。それは稀なケースでしょうね。そんな場合は長生きすることなく用が終わればさっさと帰ってしまうでしょう。

    その時は気づかず後になって気がつく....。自分を振り返ってもこういう事が多いですね。
    その時は自分のしていることがわからないとは悲しいですね。でも後で気が付くのはまだ良い方でしょう。後になっても気がつかないのはもっと悲しいです。

    「黙然」の厳しさ

     「私を寺の家系に納骨しないで‥」「納骨は“樹木葬”がいいわ」
     「樹木葬は最近すっかり有名になって、あの寺には7000人もの申込みがあるそうだよ」「お参りに行ったって誰が誰かわからないけどね」
     左下顎肉腫癌で二度にわたる大手術を体験した連れ合いは私よりも早く逝った
    ときの始末について自分の希望をこう述べます。
     父の時代、田舎から中都市に移り住んで、私がまた中都市から政令都市に移り住みました。墓地は70㌔も離れた田舎にあり、もうほとんど無縁墓地状態です。私が生存しているうちに墓地整理だけは、とかつての菩提寺に整理をしてもらう業者を探し、見積もりをしてもらったところ、年金生活者には負担できないような金額を提示されました。
     こうして課題が山積している上に連れ合いからの一言が心の重しになって、滅入ってしまいました。
     私は連れ合いの一言に沈黙せざるを得ませんでした。いえ、沈黙というより維摩経で言う「黙然」です。黙っていることは、お話ししないことは、無量百千万億語をしゃべったことと同じ―という意味でです。
     私のようなケースは現世では特異なものではない、と思います。夫婦、家族の在り方が戦後の占領政策により替えさせられていますから‥。
     シルバーバーチは霊訓で「魂の成長は地上の苦難をプラス思考で乗り越えことによってなされる。苦しみを避けてはいけません。ありがたいものとして受け入れなさい」と述べています。
     このような心境を背景に大空様のブログがいかに私の心の支えになっていることか。感謝を申し上げます。無理をなさらずブログ更新をお待ちします。
     

    つれづれなるままに

     申し訳ありません。私のコメントが大空様へご心痛を与えたのでは、と反省しております。大空様は私にとって「霊界からの家族のたより」など霊界に旅立った親族の初期の姿を的確にお示し頂いていると納得しています。究極の家系(家族)のありようは、天照大神をはじめ弟神の月読命の月読神社、天照大神の孫に当たられる瓊瓊杵尊の妻・木花咲耶姫様、そしてお父上の大山祇尊など、現世の人々もやがては親族、家系ともどもに個々に自立した神界の存在となり、神の摂理に則り導びいて行くような存在に進化していく、と思います。
     10代のころ、S誌のT総裁が「自分はない」ときっぱりとおっしゃっていました。「おかしいなぁ~、自分は個人で個性もあるのに‥」と寂しい思いもしていましたが、T総裁は一刀両断に肉体の自分を切り、究極の、霊界に生きる姿を描かれていたのですね、後になって理解しました。
     しかし、個性があり自由が与えられている限り、究極の進化を遂げるためには現世利益ばかりではない、悲しみも不幸も乗り越えねばなりません。そのための地球学校とも思います。現に霊界でも菩薩と呼ばれる仏様があらゆる人の苦悩を聞いて修業をなさっています。大空様のお父上の霊界でのお仕事もその一端であろう、と理解します。霊界を説明するに当たって類魂の世界へ郭個人は分けられ、家族、家系が どのようなありようになってるか、十分に説明できていない面も現にあります。その点でも大空さまの記述は明快です。ありがとうございます。

    No title

    kuny さん

    色々と悩ましいことがおありのようですね。私も似たようなものです。
    悩み事がなければどんなにいいだろうと思うことがありますがそうはいきません。

    現在シルバーバーチの言葉は人が知りうる範囲において最高のレベルの真理であると思います。私も今までどれほどシルバーバーチの言葉に助けられて来たことかと思っています。

    現在疎ましいと感じられることも将来振り返ってみれば懐かしい思い出になっていることでしょう。私は数々のエピソードは人生を構成する一つの要素だと思うことにしています。あの時はつまらぬことで悩んでいたと思える時が来るでしょう。

    墓や寺、骨などとの付き合い方をこの場において説明する余裕はありません。それは各自の理解に応じた付き合い方があるでしょう。こうしなければ神の摂理に反するなどというものはありません。自分で納得できるものであればどのようなやり方でも結構だと思います。

    ごく稀に他界後も物的なもの(墓や寺、その他)にこだわるケースもあるとは思いますが、あちらに行った人は早かれ遅かれ真理を学び、そういうものにはこだわらなくなるでしょう。
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