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    実相と五感 (父から)

    2014.09.25 14:41|親族、友人の霊界便り

    P1030730.jpg
    自分の出来る事をした後は全てを神にお任せするという心境になれたら一番良い。簡単なことではないかもしれないが、そうすれば物事はスムースに運ぶ。

    仏壇や位牌は実際に霊の世界に通じている人間には唯の飾りに過ぎないことがわかると思う。我々は自由自在にどこにでも行けるし、そういうものに宿っているのではない。お前たちが呼びかけてくれたら何処であろうとすぐにその場に行くことが出来る。

    多くの人にとってそういうものはシンボルに過ぎないことを知るにはかなりの時間がかかるだろう。必要がないと思えばそれで良いし、必要と思って大切にしていてもかまわないが、あくまでもそういうものは人工的なシンボルであり、他界した人そのものではない事をもっと多くの人が理解する必要があるだろう。

    地上の人間には実相が見えないが五感でそれを感じ取ることには無理がある。 五感で分かったと思っているものは真実の一部ということになるがこの世にいる間は無理もないことだろう。


    追伸
    このコラムの出だしと後に続く内容は繋がりがないかもしれません。この時私は仏間に入り精神統一していました。神棚を眺めたとき最初のものが、視点を仏壇の中の位牌に移した時に後に続くものが感得されました。なぜそれが父親からのものとわかるのか、と問われればその時は父のイメージが目の前一杯に広がりあたかも自分がその人物になったような感じがします。相手が自分に乗り移ってくるような感じです。決して神がかりになったりするのではありません。

    彼岸なので義父(妻の父)やこの間他界した叔母の墓参りにも行きました。墓前で手を合わせると彼らは現れます。頭頂部や眉間のあたりに意識を集中してその人のイメージを放射します。時間にして数秒であり読経をするわけでもありません。私の場合は読経をしてもしなくても同じです。むしろ長い読経をしていると意識を集中することが難しくなります。

    あちらの人は読経に惹かれて現れるのではありません。そういうものに関係なくこちらの思念はストレートに伝わっているのです。誰でも墓前や仏壇で手を合わせれば直ちにあちらに伝わっているはずですが向こうからの反応に気がつかないだけなのです。また交流の場所は必ずしも墓や仏壇である必要はありません。自分が精神統一出来る場所ならばどこでもいいということになります。ですから彼岸に墓参りに行かないと先祖が怒ったりバチが当たるなどということはないのです。

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    No title

    Bさん
    死後の世界での環境は一人ひとり違うでしょう。
    霊的覚醒までの時間はそれぞれだと思います。
    でもBさんは何かを感じ取っておられるようですから、半年くらいはどうこうという話の通りではないと思います。地上の人間がそういう時間を決めたりすることは不可能だと思います。

    No title

    Tさん

    そういうお話を聞くと嬉しくなります。
    何かのお役に立てるということは幸せです。
    ありがとうございました。
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