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    母の一周忌

    2014.11.01 11:13|親族、友人の霊界便り
    弁天島

    家族3人と犬で母の一周忌をした。正に家族水入らずの行事である。思い立って今日の夕方一周忌をしようということになったのである。その前に犬の散歩を済ませる必要があり、私は犬を連れていつもの海岸に出かけた。よくあることだがそういう場合歩いているとその人が一緒に付いてくる。母のイメージが眼前に広がり自分と母が一つに溶け合うような感覚がしてくる。それは双方のオーラが融合するという状態かもしれない。母はすでにこちらの思いを察知しているようだ。

    娘がまだ家に帰っていないので暫くの間仏間で帰りを待った。今日は最後に皆で抒情歌を歌おうと思いつき、秋なので「もみじ」 と「里の秋」の歌詞を3部コピーして机の前に広げておいた。
    すると母からのメッセージが入り始めたのである。

    「皆が毎日を元気に暮らしてくれる事を願っているよ。それが一番だからね。こちらに来る前は死んだら一体どうなるのかと不安に思ったけど来てみたら何の問題もないことがわかったよ。世間の人は死んだらどうなるのかと心配しているけど全然そんな心配は要らないからね。

    私は毎日安らかな気持ちで生活しているから。普通に生活してきた人は楽しい生活が待っているよ。私は常に家族のことは気にかけているよ。家族の皆の気持ちは直ぐにこちらに伝わっている。
    皆が考えていることはよくわかっているよ。

    今日は私の1周忌か?もう1年が経ったのか、早いものだね。私は100年もそっちの世で生きてきたけどよく100年も生きたものだと思う。そちらの人生は本当に気苦労が多くて大変だ。でもそういう苦労は必ず報われるから。我慢していればきっと良い事があるよ。

    私も最初この家に来た時は大変だったよ。でも今振り返ってみれば懐しい思い出になっている。今、辛いことやしんどい事は後で振り返って見ればいい思い出になっているよ。全部自分のためになっていることがわかるから。

    今日は私のために一周忌をしてくれるんだね、ありがとう!
    私も一緒に歌いたい。それは私が昔よく歌った歌だね。(机の上の歌詞を指している)今は秋だね。「里の秋」か?懐かしいね。お前はまだ眩暈がしているんだね。気をつけて、大事にしないといけないよ」。

    その日の行事は最初私の母への語りかけで始まり型通りの読経をして次に妻の詠歌を、最後に3人でもみじと里の秋を歌ったのである。母のメッセージは始まる前に来たものであったが妻の詠歌の合間に再びメッセージが来た。

    「さとみさんは詠歌の先生をしているんだね。素晴らしく上手だね。いい声をしているね。こちらに直接響き渡ってくるよ。ハルミも来てごらん、一緒に聞こうよ。(そこでこの夏他界した自分の妹、私の実母を呼んでいる) ヒロシ、お前を育てることは私の人生の目的の一つだったのだよ」。

    今年の8月に叔母が他界してからは母は彼女(妹)の面倒をみているようである。今は父とはちょっと違う階層にいるように感じる。同様に叔父も少し違う階層にいるようだ。父と叔父は先に他界した分高い境遇にいるのかもしれない。


    追伸
    娘も霊的感性があり、法要の間に母の姿を霊視していたようである。母は背景がブルーで明るく輝くところに立ってこちらを見ていたという。長いスカートのようなゆったりとした服装でそれが風になびいているように見えたという。人は死後は最初にはブルーアイランドと呼ばれるところに行くようだ。

    そこは霊界に行くまでの中間地点でそこはブルーの色で満たされているという。何をしても自由で束縛がない、この世にあったものは何でも用意されている休養の場所でこの世の垢を落とす場所である。幽界の一部と言ってもいいだろうと思う。そこに好きなだけ滞在し、やがては霊界に進んでいくことになる。

    私の竹馬の友もそこには酒も何でもあると言っていたようにこの世とそっくりな環境が用意されているようだ。いきなり霊界に行ってしまうと環境に適応出来ないので神の配慮によってそういう中間地点が設けられているのであろう。

    そこは思念の世界なので心に思い描いたことがすぐに現実化する。そこがこの物質界と違うところで物質界では思念の具現化には時間と労力を要する。何でも欲しいものが努力なしに心に念じたことが手に入る(自分の能力に応じた範囲のもの)ような環境に住み慣れてくると次第に飽きてくる。そういう状況になったら霊界の方に進んでいくようである。人間に備わっている向上心がそうさせるのであろう。

    コメント

    No title

    大空様

    お母様との素敵なやりとり…。何度も読み返しました。

    私は大空様のような力がないので今度ミディアムのセッションを受けます。
    主人が出てきてくれるかわかりませんが、
    何か、自分なりに実感したいと思っており、その日を心待ちにしています。

    心を清らかに感謝してすごすことによって
    大空様のようなメッセージを、片鱗でもいいのでキャッチできるようになれたら・・・
    それは奇跡のようなことでしょうが、願っています。

    お母様との心温まるやり取りを載せてくださり感謝申し上げます。
    大空様のように一周忌なりなんなり、故人のための時間を設けることがとても喜ばれることを学びました。

    No title

    BUN さん

    あちらの人は地上の人間が自分たちを思ってくれることが何より嬉しいのだと思います。無視されると寂しいでしょう。それはこの世と同じことです。形式よりも心のこもったものをやりたいと考え、母の葬儀には最後に「ふるさと」を皆で歌いました。出席した親族からもあれは良かったと言ってもらえました。

    実際にはBUNさんの心に思うことや行動の中にはご主人の意志が混入していると思います。なかなかそれには気付かないものですが。それと夢の中で何度もお会いになっているはずですが目が覚めると思い出せないのです。

    あちらから地上世界に通信を送るのはコツがあって少々の訓練を要するらしいです。誰でも出来るわけではないのと相手にその気がなければどうしようもありません。面白いことに幽界にはその通信施設があるようで、そこに行くとインストラクターがいて通信のしかたを教えてくれるようです。

    あちらから見て地上の家族が自分の通信を受信してくれたら嬉しいでしょう。それは受信する方も同様です。

    ブルーアイランド

    慈愛に満ちた、犬と一緒の「お母様の一周忌」、感動しながら拝読いたしました。そして、大空様の今回のキーワードは「ブルーアイランド」と自分ながら感得いたしました。私には初めて聞く言葉でした。ネットでたどるスピリチュアルなブログは、あちらに行った人が、どのように暮らしているか、また、進化のためどのような活動をしているか、紹介されているものにはこれまで接しませんでした。一切の記憶を消去され、こちらで修業する身にとっては、あちらの世界が大きな関心事です。一番身近な家族関係を交えながらの大空様のブログはいつも大事なヒントを与えられている、と感謝と納得をしながら拝見させてもらっているのです。
     キーワートの「ブルーアイランド」。早速ネットで検索を入れたらエステル・ステッドの著作を発見しました。近藤千雄氏の訳も現代文調ですんなりと読み終えることができました。
     これまでの私の疑問は「心境、進化に応じて各階層に別れ別れになるのに、どうして家族や知人、友人と会えるのだろう?」と思って過ごしてきました。ステットの回答は明快でした。「この宇宙に分かれというのは生じないのです」ときっぱり。個人的存在の次元を超えて‘無’の世界に入ってもかつて縁のあった者のつながりが切れるわけではありません―とありました。そして絶対愛の域へ向かって日々修行を続けなければならないことも理解できました。

     お導き、ありがとうございます。

     

    No title

    kuny さん

    ネットで読まれましたか。「タイタニック沈没から始まった永遠の旅(旧名:ブルーアイランド)」という本はとても読みやすく分かりやすいです。ブルーアイランドの住民であったウイリアム ステッド氏の娘であるエステル ステッドさんが書いたものですね。私は3年ほど前に読みました。

    ブルーアイランドとは天国のように感じる場所のようですが幽界の上部にあり、まだ霊界ではないようです。サマーランドとか極楽と呼ばれることもあるようです。書籍の方はそれに続く実相の世界にも言及していますが真理探究を目指す人には読みやすい本ではないかと思います。

    人間の思念が両方の世界の壁を超えて行き来しているということは一般の人達にとってにわかに信じがたいことかもしれませんがそれは事実であると私は確信を持っています。多くの人はあちらからの思念のエネルギーを受けていてもそのことには気が付きません。自分の思念があちらに届いていることも知りません。殆どの人がそういうことを理解できるのは死後ということになるのでしょう。

    No title

    ご家族だけでの心のこもった一周忌、いいですね。

    お母さまもお喜びになられたようで、なによりです。


    一周忌というと、黒い喪服を着て数珠を持って、お寺に行ったり、僧侶のかたに来てもらったりして、意味の分からないお経を聞き、神妙な顔で焼香をして、その後、飲んで食べて・・・。
    といったような形式ばったことをする必要もないのですね。


    要は、『想い』がつたわれば、というとかと思います。

    No title

    ゆきこさん

    私はもう何年も前から真実を知った者はそれを実践しなければいけないと思ってきました。そのために不要なものを捨てていっております。

    あくまでも両方の世界(この世とあちらの世)をつなぐものは当人同士の心の糸であり直接の交流です。そこに第三者を挟む必要はないという考え方です。その意味で一連のしきたりは長年の習慣と宗教が一体化した介在物と言えるでしょう。本来の仏教は人の道を教えるものであり葬儀などの行事には関わりませんでした。

    法要の席で僧侶の読経を聞きながら故人のことを考えている人がどれだけいるでしょうか。皆ぼんやりと他ごとを考えていたり居眠りしたりしているはずです。その後皆でマイクロバスで墓に行ってお参りし、それから会場を移して飲み食いをしながら世間話をして引き出物をもらって帰り、家に着いてそれを開けてみて内容を評価してみたり。やれやれ今日は疲れたね、早く犬の散歩に行かないと暗くなってしまったよ(犬のことは我が家だけかもしれませんけど)。

    大方そんなものでしょう。

    でも私は他の人もそうすればいいのにとは思っていません。各家庭の事情というものがあります。その時点でこうするべきと思うことを実践すればいいのではないでしょうか。
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