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    幽界の友 2

    2014.11.13 13:58|真理を求めて
    岩山2

    ここでは私が感得した友人の様子とシルバーバーチ他の霊界通信の内容と照合しながら平均的な人が辿るであろう死後の世界の環境について話を進めたい。

    人は死後も生前していた事を続けようとする。長生きした人ほど地上での生活習慣から抜けるのに時間がかかるだろう。例外的なケースを除いて人は死後にいきなりそれまでと違うことをするのではなく、暫くは同じようなことを続けようとするのではないだろうか。そしてその為の環境が用意されているというわけである。そもそもあちらの環境というものは人間の思念によって作られたものだからである。

    そういう意味ではこの地上世界も同じであるが物質に囲まれているために自由度が低いというわけである。結局地上世界は物質の束縛を受ける世界なのである。

    学生は勉強、芸術家は芸術活動、教育関係出身の者は教育を、職人はその仕事を継続しようとするであろう。職種によっては無いものもあるかもしれない。金融関係の仕事などは恐らく無いだろう。あちらではお金は必要がないのだから。風俗業なども無いと思うが幽界の下の方には肉体が生む煩悩から抜けていない者もいるだろう。そこから連想すると何らかのものがあってもおかしくはないと思う。

    私の友人は生前から働き者であり、じっとしてはいられない性分であった。絶えず動いていないと気が済まない人間であった。そういう人は身辺を見渡しても結構多いと思う。そして彼は商売が好きであり市場のようなところで人を相手にするのを得意にしていた。私のビジョンで見えたシーンの中で彼はとても生き生きと働いていたし、じっくり話をする暇などなかった。その場には彼と似た人たちが集まり市場を作ったり物を生産したりしているのだろうと思う。

    あちらの世界でも物を生産しているなどという話は一般の人には信じがたいことに違いない。地上のものとは内容に違いはあるだろうがあちらの環境に相応したもの(非物質といった方が良いか)が存在しているのではないかと思う。元来原型はあちらにありそれが地上世界に顕現していると考えたほうが正しいかもしれない。

    波長の似たもの同志が自然に集まってくるのが死後の世界の特徴であり、この地上界のような障壁がない。為に思念が現実化するまでに時間がかからない。思念が形を伴って現れる世界においては何かを作ろうと思念を集中すれば地上のような労力なしに何かを創造することが出来るようである。ところが地上では大きな労力と時間を要する。

    去年の夏に私は以前に霊場めぐりをしていた頃、観音様や不動明王を本尊とする寺に近づくとその像が浮かび上がってくる、見えるというコラムを書いた。それは人間の思念はそういうものを創造する力があるという話である。人の思念の力はあちらに行くと直ちに現象として現れるのではないかと思う。例えばお茶やコーヒーが飲みたいと思っただけで目の前にそれが現れる。この話はよく霊界通信で聞かれるものである。我々が夢で何かが欲しいと思うとそれがすぐ現われることを多くの人は体験していると思う。またどこかに行きたいと思うとそこに行っているということもあるはずである。夢の中の現象を思い浮かべてみたら理解しやすいと思う。

    ここから先は主に多くの霊界通信で語られている幽界の様子になる。
    家を建ったり集会所を作ったり、また樹木を剪定して庭を綺麗にしたり果物や野菜を栽培したりすることが出来る。家を建てるのは地上で大工や左官をしていた者が携わるし、庭は元庭師が手入れをする。あちらでは地上でしていた仕事が存続していくのである。故に地上での努力が無に帰するということはないのである。そしてそれらの仕事は全て善意であり無償で行われるのでお金の心配がない。各自がそれらの技術者に望み通りの家を建ててもらい快適に生活することが出来る。



    次回に続く



    追記
    観音様や不動明王が見える現象について去年(2013年)の8月13日付けの真理を求めて「神の摂理と信心2」 というコラムで自分の体験に基づいたものを書きました。人間の思念の力は想像を超えるものを持っています。この世ではなかなか実感しにくいと思いますが、死後の世界では物質という邪魔者がないので思念は実在そのものとして感じられるのではないかと想像します。

    コメント

    迷える老境

    この夏、我が家の庭を紫色に染めてくれた耐寒宿根草の紫蘭の葉が落ち始め、冬到来を告げています。この底冷えする日常に今回は「人の死後たるべき霊界の環境」についてのブログ、ありがとうございます。
     地上を去ってあちらにない職業についての「金融業」は普段口にするもっとも卑近な例でしょう。あちらの環境から類推すると、航空機、鉄道、自動車などの運転士も必要ないことでしょうし、裁判、税理など法曹関係も必要ないでしょう。そしてお友達が今夢中で取り組んでおられる製麺業も、ホントはあちらでは「食べる必要にない世界」だそうですので、どのような経過をたどって進化されて行かれるのか、興味が尽きません。
     地上世界に長く居続けたせいか、気付いてみれば私にはアカが付きすぎた感じです。「自分以外の人のために‥」とは分かっていても、地上界では活躍の場はなく、また体力もないため、思いを果たせません。家族、友人、知人ではなくても、例えばスーパーでたまたま見かける人に対して「お幸せに」との愛念を送ることが、「人のための行動」と言えるのでしょうか。まさに「迷える老境」と言えます。生まれ変われば自覚もできますが、もう、生まれ変わりたくはないものですから‥。

    No title

    kuny さん

    寒くなってきましたね。着るものが間に合わなくてあわてています。
    昼間の時間が短く毎日が早く過ぎ去っていきます。

    そういう風に感じておられるということはかなりの霊的自覚が進んでいることの証ではないでしょうか。私たちは自分が思っているよりもこの世で何かの役に立っていると思っています。

    今後はできるだけ楽天的な気持ちになり神の摂理に身をお任せという気持ちで余生を過ごされたら如何でしょうか。

    幽界の住人のなかにも様々な人がいて自分の心の描いた世界のなかで生きているのでしょう。肉体としての自分から霊としての自分に目覚めるまでの時間は一人ひとり違うでしょう。この世にいる間に霊的自覚が目覚めていれば進歩は格段に早くなると思います
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