08 | 2017/09 | 10
    - - - - - 1 2
    3 4 5 6 7 8 9
    10 11 12 13 14 15 16
    17 18 19 20 21 22 23
    24 25 26 27 28 29 30
    最新記事

    カテゴリ

    プロフィール

    大空澄人

    Author:大空澄人
    これまで自分の探求してきたものを 「いのちの波動」 というページ上で表現してきましたがPCのトラブルによりこのページに引き継がれました。一時的にご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます。

    リンク

    最新コメント

    メール宛先

    名前:
    メール:
    件名:
    本文:

    検索フォーム

    カウンター

    幽界の友 3

    2014.11.17 10:29|真理を求めて
    中山の池

    あちらでも色々なコミュニティーが形成されているのだろう。そしてそれは同じ意識のレベルのものが集まってくる。この世でもそういう傾向はあるがあちらでは物質の壁がないので顕著にその傾向が現れるであろう。

    彼の働いていた市は必要に応じて開かれるようであり、何時もあるわけではなさそうである。そこにはこの世にいた時に馴染みのもの、親しんでいたものが置かれているようである。子供には玩具やお菓子類、大人にはうどんやお好み焼き(関西風のものであり関西出身の人向け)などが並べられていてもおかしくはない。それらは地上世界のものととても良く似ているはずである。

    何故そういうものが存在しているのか?幽界では多くの人がまだ地上臭が抜けず時々その雰囲気を味わいたくなるから自然発生的にそういうものが生まれてくるのではないだろうか。朝市などが必要であるとそこの住民が望んでいるから開かれるということになるのだろう。シルバーバーチによれば基本的にあちらにはこの世にあるものはすべてそのレプリカがあるらしい。

    要するにあちらでは心に思うことが形を取って現れるのである。やりたいと思うものは大体存在しているようである。私が見た光景はあちらの世界(幽界)の一部であり、それも垣間見たに過ぎない。死後の世界のほんの一部分ということになろう。そしてまだそこは霊界ではないようだ。これは直感でそう感じる。それにしても死後の世界のことを何も知らずに死んだ場合、自分がいる環境は生前と何も変わらないように感じるかもしれない。恐らく自分が死んだとは気が付かないのではないだろうか。

    ここで数日前に彼と少し問答をすることが出来たので取り上げてみたい。

    私) そちらでは食べたり飲んだりするのか?
    彼) うん、実際に食べたり飲んだりしているよ。

    私) 味は?
    彼) 人によって違うみたいだ。ある人は美味しいと感じ、ある人は不味いと感じるようだ。

    私) トイレには行くのか?
    彼) トイレには行かなくていい。初めは行かなくてはいけないのかと思うがそれは必要がないことがわかるようになる。

    私の解釈
    あちらに行っても暫くの間は地上生活の習慣が残るのであろう。霊と肉体が合体している地上生活を続ける内に霊の部分(霊体)も影響を受けて死後もその感覚が残っていると考えられる。食べなければいけない。するとトイレに行って排泄しなければいけない。夜は寝なければいけない。そういう習慣はやがて時間の経過と共に消えていくのであろう。

    コメント

    No title

    大空さん いつもありがとうございます。

    妻が亡くなった後の地上界での私の役割がわかりました。

    私を救っていただいた霊的真理を他の方に知ってもらうことです。

    自分自身も神の摂理に沿ったストイックな日常生活を実践したいです。

    そして 霊的真理を知っていただくのが一番の利他的なことだと思います。

    そのために私なりにできることをしていきたいと思います。

    私が霊的世界に行って、したい仕事はこの地上界での仕事の続きです。

    地上界では肉体があるがゆえに他との壁になり「個的」なことや「私心」に悩まされましたが、肉体が無くなり、「個的」なことや「私心」が薄くなる霊界では、もっとやりやすくなるのではないかなと想像しています。

    妻との再会も楽しみですが、妻との再会は仕事ではありません。

    でも このような仕事をしたいと思えるようになったのは妻のおかげですから、再会した第一声は「ありがとう」のお礼の言葉ですね。



    No title

    幽界の様子をお知らせくださり有難うございます。

    似た者同士が集まり、欲しいと願うものが何でも手に入る状態が幽界のようですが、そこにいらっしゃる方たちは全く寂しくないという状態となっているのでしょうか?家族と一緒に過ごせないことを寂しいと、もはや感じないのでしょうか?
    それとも、寂しさはあるけれど、あちらからはこちらの世界をのぞき見ることができるとのことなので、それで紛らわされているのでしょうか?
    まさか、家族まで思念で作り出せるということはないのですよね?(申し訳ありません、変な質問で)

    私は故人があちらでさびしくない状態であるということを知ったとしても、魂として存続していてすぐ傍にいるということを信じていても、やはりさびしい気持ちから逃れられません。
    まだまだ、真理の勉強が足りないのだということなのでしょうが・・・。






    No title

    コバチャン本舗さん

    気付いた人は幸せです。気付けば霊界からのエネルギーが入ってくるようになります。大きな援助の力を感じられるようになると思います。また霊界に進むとその継続の仕事があるでしょう。奥様とも再会出来るし楽しみですね。

    この世にいる限りは雑事から開放される事はありません。しかしだからといってそれを疎かにしているわけにはいきません。悩ましいことも多々ありますがそれも一時的なものでしょう。

    少しでも真理を理解する人が増えて欲しいものですね。これは忍耐を要する仕事でもあります。私は出過ぎることなくあちらからの示唆を待つようにしています。元来霊界の計画のもとに真理の普及活動が進んでいるわけですから。



    No title

    BUN さん

    次の一言が離別の悲しみや寂しさを味わっている人たちの心の奥底を表していると思います。シルバーバーチの本に出てくる言葉でよく知られています。

    「あなたは亡くなった人本人の事を悲しんでいるのではなくその人に会えなくなった自分自身の身の上を嘆き悲しんでいるのです」。

    おそらくこれまでに耳にされたことがあると思います。
    但し心の奥深くに浸透するには時間がかかると思います。
    そこはやはりシルバーバーチの霊訓を得心するまで読まれることをお勧めします。

    この間ある若くして他界された人からメッセージが届きました。それをご紹介します。

    「この世を去った人たちは最初は元の家族や友達と会えない寂しさを感じます。ところが時間が経つとそういうマイナスのものよりも現在の環境が気に入るようになってきます。
    快適で前のような苦労がないのです。そうなるともう前のところに戻りたいとは思わなくなるものです」。

    あちらでは別れたと思っていた人との再会の喜びがあり、また新しい出会いがあるでしょう。BUN さんにもいずれはご主人との歓呼の再会が待っているはずです。
    非公開コメント