05 | 2017/06 | 07
    - - - - 1 2 3
    4 5 6 7 8 9 10
    11 12 13 14 15 16 17
    18 19 20 21 22 23 24
    25 26 27 28 29 30 -
    最新記事

    カテゴリ

    プロフィール

    大空澄人

    Author:大空澄人
    これまで自分の探求してきたものを 「いのちの波動」 というページ上で表現してきましたがPCのトラブルによりこのページに引き継がれました。一時的にご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます。

    リンク

    最新コメント

    メール宛先

    名前:
    メール:
    件名:
    本文:

    検索フォーム

    カウンター

    母から愛を込めて

    2014.11.21 10:17|親族、友人の霊界便り
    母から愛を込めて

    こちらはうんと楽に暮らせるよ。余計な心配事がない。そちらとの大きな違いは人の心の中が見通せる事、皆何を考えているのかわかるので、いちいちあの人は何を考えているのだろうと勘ぐる必要がないから気が楽だ。謀をしたり悪いことをする人間もいない。

    それから毎日の炊事や掃除など家事をする必要がないからとても楽だ。こっちに来るとそういうものから開放される。そっちで苦労が多かった人程、こちらでは幸せになれるよ。

    そちらの人たちも皆それぞれにこちらから守られているからね。誰でもしっかり守られているから。だから本当は心配などする必要はないんだけどね。皆わざわざ自分で心配事を作っているんだよ。心配するのは身体に悪いよ。私も昔は心配性だったけどね。

    私は今はこうして時々家族の様子を見に来ることにしている。これからの人生心穏やかに暮らせよ。お前はこちらから一杯見守られて幸せだよ。


    追伸
    母が他界して一年が過ぎました。一年経つと感触が違ってきます。それを言葉で表現するのは難しいですが死後日の浅い頃は私が子供の頃に感じていた肌が直接触れ合う温もりのようなものを感じていました。今はそうではなく伝わってくるものの質が変わってきました。霊妙という言葉がふさわしいのかもしれません。そして少し距離を感じるようになりました。

    コメント

    No title

    大空さん いつもありがとうございます。

    妻が亡くなったばかりの時に霊的真理に出会い、妻が霊的世界に幸せにしていることがわかり、私は救われました。

    当時 私を救ってくれたスピリチュアリズムに感謝しました。

    しかし、妻が亡くなって1年半以上たった今、自分が救われたことが霊的真理の全てではなくて、救われたことはスピリチュアリズムの始まりだったことがわかってきました。

    今考えると妻との死別が私にとって最大の苦しみになるように設定されていたような気がします。

    1回離婚して妻と出会ったこと、子供ができなかったこと、親類縁者から離れた土地で二人きりで生きていたこと、事業に失敗したこと 妻のことが大好きだったこと

    もっとたくさんありますが、とにかく 妻を失うことだけを一番恐れていた私にそれが起きるのは最大限の苦しみを私に与えるために違いありません。

    スピリチュアリズムに出会うためには私にはこの最大限の苦しみが必要だったのでしょう。


    妻との悲しみを癒されたことだけをスピリチュアリズムとの出会いにしてはいけないし、私を癒すことだけがスピリチュアリズムではありません。

    それは単なるきっかけにすぎないんです。

    そんなことがわかってきて 最近は妻との関係が変わってきたようない気がします。

    生前の妻を思い出して悲しんだりして 妻の霊界での成長を邪魔してはいけないんだなという気がしてきました。

    最近 生前の妻ではなく 霊的存在としての妻を意識できるようになってきました。


    No title

    コバチャン本舗さん

    人は普通、自分の奥底にある霊的自我はなかなか自覚できないと思います。
    離別の体験はそれが目覚める為の触媒ということですね。それ以外にも事業の失敗など一度奈落の底を見ないと物質の殻が取れないというわけですね。最近のNHKの朝ドラなどにもそういうものが表現されているようです。霊的に見ればそういう試練に出会うことは本当は幸せなことなのでしょう。

    大きな意識(霊的自我)と日頃の小さな意識の間には大きなギャップがありますね。
    霊的な目で見たら大したことはないようでも肉体に宿るとそれが大変なことのように映ってしまうのだと思います。私も一日の内に何度も両方の自我の間を行ったり来たりしています。こんなに行ったり来たりはもう沢山と思うことがあります。

    娘の旅立ちから三年を過ぎて

    大空さん、いつもお世話になり有り難うございます。ブログに書かれている内容に、いつも前向きに生きる勇気を頂いています。

    先日、次女未南の旅立ちから丸三年を迎えました。
    昨日は高校、大学の仲の良かった親友たちが集まってくれて、賑やかに楽しい一日を過ごしました。
    みなそれぞれに社会人となって、学生時代とは違って大変な思いをしているようです。

    娘は何もかも計画通りに今世を全うし、私たち家族や友人たちそれぞれにとって、強烈なものを残して早々と卒業していきました。
    そして今は新しい環境で快適に羽ばたいているようです。
    人それぞれの今世は、永遠に続く魂の成長のほんのひとコマにすぎないのですよね。

    その事を知っているにも関わらず、友だち達の話を聞いていると、あの子にもこんな苦労や達成感や楽しみやらを体験させてやりたかった…とつい思ってしまいます。
    けれどもそれは、そんな我が子を側で見守ったり支えたり、一緒に喜んだり楽しんだりしたかったという、母親である自分の欲望なのです。

    わたしは既に大切な真理を知っているのですから、くよくよ思い悩む訳にはいきません。
    今では逆に、娘の方からわたし達家族の成長を見守ってくれているのでしょうね。

    心配事や暗い気持ちを持たずに、今日一日を頑張りたいと思います。

    No title

    mm mamaさん

    未南さんは大勢のお友達に慕われ、信頼されて学生時代を過ごされたのでしょう。何周忌とかの行事は若い人の場合は特にそういう形で自然に行われるのが一番いいでしょうね。かしこまって決められた形のものをやっても本当の心の交流はできないと思います。

    この返信を書いているとパソコンの隅に引っ込めていた未南さんの写真が突然立ち上がってきて画面いっぱいに広がりました。ハッとしましたが、「その通りですよ、私は元気にしていますよ」というサインでしょう。

    この世での人生は永遠の人生という尺度で見るとほんの一瞬ということでしょう。用事が終わったらさっさと引き揚げて本来の住処に帰っていくのがこの宇宙生命の営みの姿だと思います。この世は終の棲家ではないわけですから。

    真理を知った人には義務が生じてくるのは本当だと思います。お互いにこの世の雑事や迷いごとに右往左往しているわけにはいきませんね。

    昨夜NHKで高倉健の追討番組をやっていて珍しく最後まで見ました。すると目が冴えて寝付きが悪くなってしまいました。健さんは結局映画を通じて人間の心と生き方を表現してきたのでしょうね。信念を持った人のようでした。

    寝付かれずに悶々としていると友人や母が次々と現われて増々眠れませんでした。友人によるとあちらではいくら飲んでも酔わないのだそうです。だからつまらなくなって最後には飲むのを止めるでしょう。
    非公開コメント