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    愛と導きを感じて

    2014.11.25 11:01|インスピレーション
    紅葉と仏


    一旦こちらと照準を合わす事が出来たら通路が開かれます。世の雑事にまみれても必ずそこに帰ってくることができます。あなたは行ったり来たりしながら向上の道を進むのです。

     

    霊界からの力は何より確かなものであり決して裏切ることはありません。それは愛と導きの力であり、これからもずっとあなたを導き守ってくれるものです。





    追伸
    私自信のことを考えても日に何度も心の波動が上がったり下がったりしています。朝の祈りの時は霊的エネルギーに満たされて神聖な気持ちになり、幸せと生きる喜びを味わいます。ところが何か浮世の迷い事に遭遇するとその時の神聖なものは何処へやら思わず巻き込まれそうになることがあります。

    それは一時的に視野が閉ざされてしまった状態なのでしょう。そういう時はちょっと時間を置くと冷静な自分に帰ることが出来ます。あわてて行動しないことでしょう。

    このように人間は行ったり来たりしながら少しずつ向上の道を進んでいくのでしょう。この世にいる限り行ったり来たりの状況からは逃れられないのだと思います。シルバーバーチの言葉に「スパイラルを描きながら人は進化を続ける」というものがありますが、人生には長期的にも短期的にもそういう振幅があるようです。

    霊界からの愛と導きの力を感じることが出来たらそれに身を任せることでしょう。それは神の大愛であり自分を生かしてくれている力でもあるのです。

    コメント

    No title

    大空さん いつもありがとうございます。

    霊的真理の導きを経てまだ1年半しか経っていない私は霊的な状態と物質的状態の振れ幅がまだまだすごく大きいです。

    1年たつまでは妻は霊的世界で幸せなんだと思う日と自分の利己的な悲しみで号泣する日が繰り返し繰り返し交互に来ました。

    1年半たった今 生前の一緒に暮らしていた妻と別れる事がやっと出来ました。

    今は霊界で幸せにしている妻だけしかいなくなりました。

    何年も何年もかけて 知識として理解している霊的真理ではなく、すべてが腑に落ちて心から実感できるようになりたいと思います。

    No title

    コバチャン本舗さん

    瞑想などによって霊的自我のひとかけらを実感している時はなんとも言えぬ幸せと陶酔を感じるはずです。そしてこの世の現状に引き戻されるとやれやれと思います。その間のギャップは大きなものです。

    自分の心は思い通りにはなりませんがやはり時間の経過とともに落ち着くところに落ち着きます。それまでは不要なこと、余計なことがビールの泡のように湧いてきます。それもいつの間にか整理されて過去のエピソードの一つとして自分の引き出しにしまい込まれるのでしょう。早い遅いの個人差はあるでしょうがそれも摂理の働きでしょう。




    わたしも一日に何度も心の波動が上がったり下がったりします。
    特に体が疲れているときは波動も下がり、気持ちも暗くなってしまいます。

    昨日の夜なんかは疲れていて落ち込んでしまい、家族にも当たってしまって最悪でした。今朝もあまり元気が出なかったのですが、職場に着いて患者さまと接するときは、それまでの気持ちが嘘のように明るい応対ができます。

    それは、相手の方に気持ちよく受診して頂きたいという利他の心なのか、感じのいい受付と思われたいという、自分への評価のための自利の心なのか境界がよくわからないのですが。

    とにかく外に出て人と接すると、自然と笑顔になり、心の波動が上がるようです。
    仕事に就くのはもちろんお給料を得るためですが、体が動く限りは、自分の体を使って、人のために動ける人間であることが、わたしの波動を上げることになるように思います。

    No title

    mm mama さん

    私達は人や社会との接触の中で生きがいや喜びを感じられるようになっていますね。社会との接触は同時に嫌なものと対面しなければならない事もありますが、それでも必要だと思います。

    他の誰かのために役に立っている、自分は必要とされていると感じることが出来なければ人生はつまらないものになってしまうでしょう。

    心の波動が上下しない人は世界中探しても一人もいないでしょう。内外から様々な影響を受けますからね。でも自分を例に取ると、その切り替えの時間が年齢とともに少しづつ短くなってきたように感じています。若い頃はもっと引きずっていました。

    どのみちこの世での人生、残された時間は限られているわけですからなるべく愉快な気持ちで生きていきたいと思っています。

    No title

    人は自分のちからで生きているように思っているけど、自分自身の体ひとつ思うようになりません。

    頭痛がするから止めようと思っても止まらないし、血圧が高いと言われたから下げようと思ってもさがらないし・・・。

    そんな思うようにならない地上でかろうじて生きていけるのは、お導きがあるお陰ではないか、と思います。

    年を経るごとになお一層謙虚にならないと、と思いますが、実際には逆の人も多いような気がします。(自戒をこめて)


    この世は思うようにならないからこそ意味があると思うのですが、幽界は思いが実現するところと聞きます。

    例えば、才能のようなものも、欲しいと思えば手に入れることができるのでしょうか?

    それとも才能はこの世とあの世とで精進努力して得られるものなのでしょうか?

    おかしな質問ですみません。


    No title

    ゆきこさん

    おはようございます。
    本当に肉体は自分の思い通りになりませんね。私も年齢とともに痛感しています。

    人にもよりますが人間は歳とともに頑固になり新しいものが吸収できなくなります。
    傍から見るとそれが分かるのですが当人はわかりません。自分もそうならないようにと思っていますが、すでに周囲からそう思われているかもしれません。

    才能はその人に宿る霊の属性だと思います。ですから今生だけでなく未来永劫それを携えていくでしょう。偉大であった音楽家は霊界ではさらに成長しているでしょう。またこの世で才能を発揮している人は前世や霊界時代から受け継いだものを表現しているのでしょう。

    幽界に進んで欲しいものが手に入りやすくなるのは間違いないと思いますが、霊の資産である才能を手に入れることは出来ないでしょう。
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