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    この世の人生は一瞬

    2014.12.16 09:32|真理を求めて
    大麻山

    人がこの世に生まれてくるのはこの地上世界でしか体験出来ないものがあるからに違いありません。地上世界は貴重な教訓を得る為の場と言えるでしょう。ある人にとっては修羅場のように感じるかもしれません。幸せを感じてもそれは一時的なものであり長続きはしません。アップダウンを繰り返し、揺さぶられながらも一歩一歩前進していくのがこの世における我々の姿なのでしょう。

     

    霊が肉体に宿って過ごすという形態は宇宙生命系の中では低い進化のレベルなのかもしれません。シルバーバーチも地球は全宇宙の中でもビリから2番目に進化の遅れた惑星であると言っています。一旦肉体に宿ったら最後、肉体の寿命が尽きるまでこの地球の引力に引き付けられてしまうので逃げ出すことが出来ません。そこであらゆるものに否応なく付き合わされることになります。

     

    流産は胎児に宿った霊がこの世に出てくるのが怖くなって脱出しようとして起きるという話を聞きます。最初は覚悟を決めてある母体に宿ったけれども出産が近づくとやっぱりこの世に生まれ出て苦労するのは嫌だというわけです。それ程この世は霊界に比べて大変な所なのでしょう。霊界人の中にも臆病な人がいるということです。

     

    しかしこの地上世界で過ごす時間は永遠の人生という尺度で見れば一瞬ということになるでしょう。何十万年、何百万年、そして何億年も霊として宇宙での人生を過ごすと考えれば私の母のように100年生きたとしてもその期間は点のようなものでしょう。


    それを考えたら今の人生などあっという間に終わってしまうのです。何時までも現在の問題に関わっている必要はないのです。関わろうにも関わり続けることは出来ないのです。

    コメント

    No title

    大空さん いつもありがとうございます。

    命が永遠であることを知っている人はまだまだ 少ないですね。

    私たち(私とこのブログをご覧になっている皆さん)がそれを知っているのは地上界に降りてくる前に守護霊と相談して導かれるように決めたんですね きっと。

    ほんと 導かれてよかったです。

    せっかく計画通り霊的真理にたどり着いたのですから、この短い地上界での人生を大事に生きていかないといけませんよね。

    肉体という重いものを持ちながら神の摂理に沿った生き方をするのは大変ですが、地上界でないとできないことですから、何とか努力していきたいです。

    No title

    大空さん、おはようございます。いつも、ありがとうございます。

    いつもは温暖なこちらの地方でも、今日は雪が積もって降りしきっています。


    霊的視野でみたら、この肉体に宿って地上で生活している期間は、ほんの一瞬のことなのだと思うと、少し気が楽になります。
    でも、わかっているつもりでいても、ああでもないこうでもない、悩んだりして・・・。

    まだまだです。

    今、この状況で、この体験ができるのは、今回限りでしょうから、しんどいですが、貴重な体験なのかもしれないですね。


    以前教えて頂いた、才能は霊の資産ということで、なるほどと、納得したのですが、努力し続けることができるのもひとつの資産といえるのでしょうか。

    だいぶ前になりますが、画家の東山魁夷さんが、画業はひとつの生では終わらない、生まれ変わって画家になって精進努力して、また生まれ変わって画家になり、精進努力しないと、というような内容のことを言われてて、東山魁夷さんくらいの大家でもそうなのかと、とても印象に残っています。



    疑問に思うこと

    人がその境遇を選んで生まれてくるとしたら、親に虐待で殺される子たちも、それを選んで生まれてくるのでしょうか。その親たちもまた虐待の被害者だったりするのですが。
    自分もまた被害者で、中年になった今も親の虐待、暴言を思い出し、吐き気などに悩まされることがあります。しかしながら、大空様の記事を拝見し、自分の亡き親にもまた、今度彼らが生まれてくるときは、良い家族に恵まれるよう、祈る気持ちになってきました。自分は、生まれてきて申し訳なかったと思うばかりです。
    今、虐待を受けている子たちにどこかで救いがあるよう祈ります。

    No title

    コバチャン本舗さん

    本当にこの世で生き抜いていくのは重い荷物を背負って山に登るようなものだと思います。重い荷物とは自分の肉体をはじめ物質界の自分が関わっているものです。その上に前世からのカルマもついてくる人がいるでしょう。

    でも無事にやり遂げたらご褒美がもらえるでしょう。重荷を降ろしそれまでの霧が晴れて清々しい気持ちになれると思います。その為にはそれまでにやるべきことをやっていなければなりません。小林さんが常に言われる霊主肉従、利他の精神で生きること。それに尽きますね。

    No title

    ゆきこさん

    努力することは向上心があるということですからそれは当然、霊の資産ということになるでしょう。

    悩むのは自分の進むべき道を模索している状態ではないかと思います。それは自然な精神の働きと言えないこともないと思います。悩みは向上のためのエネルギーという見方もできるでしょう。この世では、あるいはあちらに行っても何一つ悩みのない人生はないでしょう。でもあちらでは悩みの性質が違ったものになるでしょう。

    芸術家は本人が気付いているか否かは別として一般人以上に霊界から指導を受けていると思います。そこで無意識的に神の摂理の働きを理解しているのかもしれません。

    No title

    希望さん

    コメントをありがとうございます。
    近頃は虐待の事件が目につきますね。以下は私の想像です。

    法則の働きは完全であり、一人ひとりの人間に原因とそれによる結果をもたらします。そういう観点からもし自分が家族や子供を虐待したとしたら当然マイナスのカルマができます。自分の死後そのカルマがあるために向上できないことがわかればもう一度生まれ変わって過去の罪を償いたいと考えるでしょう。そこで将来自分が虐待される環境を選んで生まれてくると考えられます。

    結局加害者は将来の被害者になるのです。
    独裁者で多くの人を苦しめれば必ずそれに相応した苦しみを味わうことになります。精神的、肉体的障害者として生まれ変わったり、誰かから虐待されたり、人に与えた苦しみを自ら味わって償いをすることになります。

    神は絶対に見逃すことはありません。神の法則がすべてを支配していることを知るには何回か転生を繰り返す必要があるのかもしれません。

    親御さんに愛の念を送るのは慰めになるでしょう。恐らく今頃はあなたに対してしたことを後悔しておられるでしょう。しかしだからと言って自分のした事の償いから逃れることはできません。自分のしたことは自分で始末をつける。これが神の摂理です。

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