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    学んでいる友 4

    2015.02.06 17:20|インスピレーション
    道祖神 2

    僕は今本当の自分を見つけ出す作業をしている。そこで暮らしてきた垢を落としているところだ。ずっとそこに染まってきたからね。世の中の塵に埋もれていたから本当の自分が出てこられなかった。

    人間は長く生きると心が濁ってくる。あんまり誰とでも合わすようにしていたら何が本当の自分かわからなくなってしまう。そういう生き方は良くない。そのままでは進歩できないことがわかったのだ。もっと広い視野を持って他人に左右されない生き方をしなければいけない。


    追伸

    「和して同ぜず」 この言葉は叔父からよく聞かされたものである。その時はまだ若かったからそんなものかなと思っていたが社会に出て人間社会の穢れを受けるようになってやっとその言葉の意味がわかるようになった。

    意見の対立を避けようとして相手に合わせている人は多いがずっとそれを続けていると自分を見失ってしまうだろうし相手から尊敬される事もないだろう。

    「和して同ぜず」 口に出して言うのは簡単だがその機知は奥深い。

    コメント

    この世のアカ

     お友達があちらでこの世のアカ落としをされているご様子、身につまされます。「意地を通せば窮屈だ。とかくこの世は住みにくい」――夏目漱石の世界そのものです。善と悪。本来神の世界には相対などないものを、こちらの世界では陰陽にまみれ、そのまみれの中で教訓を受け取り、一歩一歩高めていかねばならないようです。
     随分昔の話です。若い部長が定年間際の老兵に向かって「若者向けの編集責任者になるよう」声を荒げて説得していました。
     「オレはできん」と老兵。
     「これは業務命令だ」と威たけだかの部長。
     結局、老兵は自分の意志を通し、部内での配置を拒否しました。
     その結果、数か月後の人事で老兵は閑職に追いやられてサラリーマン人生を終えました。
     老兵は今、お呼びがかかれば各地の公民館などで時事問題の講師としての老後を送っています。
     「神の世界は相対ならず、受け手が被害ならば悪である」と神道系の神様がおっしゃっているのを最近ブログで拝見しました。
     今、こちらで大事なのは、厳しいですが、あちらに逝く前に学び終えることだろう、と思います。
     お友達がそうしてこちらから離れ、向上を目指して修業なさっているご様子、何より参考になります。ありがとうございます。
     
     

    No title

    kuny さん

    あちらに行ってしばらくすると物事の価値観が変わってくるようです。物質的なものが意味をなさなくなるのですから当然でしょう。その場ではそれまでに後生大切にしてきたものが実際は大して意味のあることではなかったと気付くことの連続でしょう。

    その辺の価値観の変換がその後の進歩のスピードを決めるのだと思います。いつまでもそれまでのことに固執していたらそこに留まってしまうでしょう。

    人間どうしても譲れないというものを持っているはずです。一時の利益を捨ててでもそれを貫き通さねばならないことがありますね。それも自由意思が決めることです。
    その時自分が正しいと思う事を実行するしかありません。動機が正しければいつかは報われる時がくるでしょう。

    No title

    大空さん いつもありがとうございます。

    霊的真理を知った恵まれた私達。

    霊界があることは知りました。

    ただ 詳しいことはわかりません。

    地上界からよくわからない霊界を無理に詮索しても意味がありません。

    どうせなら 霊界から今の地上界の私を見ようと思います。

    とても 難しいことですが、その視野を持たないとせっかく霊的真理を知っても宝の持ち腐れですね。

    霊的視野で1時間でもいいから自分を見れたらなあと思っています。

    No title

    コバチャン本舗さん

    一言で言って霊的な自分を見出すことが出来ればこの世での目的はかなりの部分達成できたと言えるのではないかと思っています。

    霊的視野から物事を見るということは霊界の人と価値観を共有することになるでしょうしそれ以上の事は必要ないでしょう。この世にいる私たちは霊界のことが分かったとしてもごく一部にすぎないでしょう。この世の事さえ一部しかわからないのですから。

    昔から行われてきた様々な宗教の行も霊的な自分を見出すことを目的としているはずです。そうでなければ意味がないでしょう
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