10 | 2017/11 | 12
    - - - 1 2 3 4
    5 6 7 8 9 10 11
    12 13 14 15 16 17 18
    19 20 21 22 23 24 25
    26 27 28 29 30 - -
    最新記事

    カテゴリ

    プロフィール

    大空澄人

    Author:大空澄人
    これまで自分の探求してきたものを 「いのちの波動」 というページ上で表現してきましたがPCのトラブルによりこのページに引き継がれました。一時的にご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます。

    リンク

    最新コメント

    メール宛先

    名前:
    メール:
    件名:
    本文:

    検索フォーム

    カウンター

    道は続く

    2015.02.27 09:21|インスピレーション

    道は続く

    友より

    そこはいつまでも暮らす世界ではないよ。君の事はとてもなつかしく思っている。今も離れたところにいる気がしない。前と同じかそれ以上だ。何処にいようと通じ合えるし電話やメールも必要がない。

     

    こちらにも同じように住む世界が広がっている。前には想像したこともなかった。そんなことは少しも知らずに皆あくせくして毎日を過ごしているけど死後も同じように道が続いていることを知るべきだ。君にはこうして他の人々に知識を広めて欲しい。これは大変重要な事だから。

     

    僕はそちらにいた時はそういう事を知ろうとはしなかった。その事実を知れば生き方は根底から変わるはずだ。自然にどう生きるべきかがわかるだろう。変に宗教など信仰するよりそれを知る事のほうが余程意味がある。


    コメント

    No title

    大空さん いつもありがとうございます。

    地上人を死後の世界の存在を信じている人と信じていない人に分けることができます。

    死後の世界を信じている人が増えてきたと言っても、まだまだ 圧倒的に信じていない人の方が多いです。

    地上人を霊感や霊的現象を感じることができる人とまったく霊感などの無い人に分けることもできます。

    これも霊媒的な霊的現象を感じることのできない人が大多数です。

    そうすると 死後の世界を信じていなくて、霊的現象を感じることのできない人が地上人のほとんどです。

    私の身の回りの方々もほとんどがこのタイプですが、霊的真理に導かれるのはその時期が来るのをじっと待つしかありませんね。


    そのような現状の中、私は死後の世界の存在を信じていますが、霊的現象を感じることができないという分類の人間です。

    私は魂を大きく揺さぶられる出来事があったので、霊的現象を感じる能力がまったくなくても霊界の存在が信念となっています。


    しかし さらにその信念を確固としていくために大空さんのブログは私にとってとても大切なものになっています。

    私のような霊感などがまったくない人間の役割も 最近は感じています。

    ありがとうございます。

    No title

    コバチャン本舗さん
    新聞などの調査を見ると死後の世界の存在を信じる人のほうが信じない人よりも多いという結果になっています。唯これは何となくあるような気がするという段階の人が多く確信を持つまでには至っていないということではないかと感じています。

    もし死後の世界は無いならば昔から行われてきた葬儀や法要など死者の供養をすることに意味はないことになります。もちろんこれは霊的真理を理解した上でそういうものの必要性を認めないという事とは次元の異なる問題ではあります。

    葬儀その他の行事を執り行ったり参加したりするということは一応死後の存続を認めているからだと私は解釈しています。しかしながら死後の世界の実態がわからない。一部の人が本を出したりしているけど何やらウソ臭くて信用できない。でも死後は何かあるのだろうと感じている人が大半かもしれません。

    そういう人たちは霊的真理を理解する予備軍と考えていいのではないかと思っています。受け入れる時期を待っているということかもしれません。そこは摂理が働き霊界主導で進んで行くでしょう。

    霊的感性があれば確かに霊界の存在を実感を伴って感じることが出来ます。しかし常に他の人がわかってくれないというジレンマと孤独感を味わいます。そして責任が伴ってきます。背後に霊界を感じられることからその期待と信頼を裏切るようなことがあってはならないと常に意識しています。

    スピリチュアリズムに導かれた人たちはそれぞれの役割があると思います。その人でなければできないことがあります。お互い自分の個性に応じた努めを果たしましょう。

    この歳になって、「ああ、そうだったのか。知らなかった」ということが、いろいろあります。

    もっと若いうちに、わかっていたら、愚かな間違いばかり繰り返さなかったのに、と思いますが、過去はもうどうしようもありません。

    若い頃、まわりの雑音に惑わされず、人と比べてどうだとかくだらないプライドにも捕らわれず、もっと真摯に生きていれば、少しは物事の本質を理解することができたのでは、とも思いますが、やはりそれは無理だったのでしょう。

    今だって、ともすれば、まわりの雑音に惑わされそうになってますから。

    日々、学びですね。

    No title

    ゆきこさん

    物事の本質を見ると口で言うのは簡単ですが実際は容易なことではありません。

    他人の事なら見えるのですが自分が当事者となると途端に見えなくなってしまうのです。お金が絡むと一層その傾向が強くなります。悲しくなりますね。

    私も60代後半ですが反省の毎日です。ここでこんな偉そうなことを書いているけど自分は本当に分かっているのだろうか? 勝手にそう思っているだけかもしれない等と自問自答しています。この世にいる間はそれが続くのかもしれません。

    でも何の反省もしなくなったらどうしようもないですね。反省しているということは向上心の現れなのだろうと勝手に解釈しています。
    非公開コメント