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    衝立地獄

    2015.04.21 09:07|親族、友人の霊界便り
    猿

    (別の友より)
    自分はそちらでの生き方についてひどく反省させられた。どっちを向いても衝立で囲まれて出ることが出来ない。迷路のように道はあるけど行けども行けども出口がないのだ。どのようにあがいてみても外に出られない。もう泣きそうになってしまうけど出られない。これを地獄というのだろう。

    僕は生前は素直でなかった。挫折してからひねくれてしまったのだ。素直に生きていればどうってことはなかったのに自分でおかしくしてしまったのだ。そしてその罰を受けたというわけだ。

    今はやっとそこから脱出することが出来た。何年間も衝立の中に閉じ込められていたわけだ。自分の利己的な生き方を猛反省させられた。わがままな生き方をしていると後で大変な目に合うということだ。そういう人間は一杯いるだろう。そういう者は後で嫌というほど思い知らされることになるよ。

    追伸
    このメッセージの内容は17日の「日に一度は誰かに喜ばれる事を」の内容とは対照的に死後に自分のしたことを痛く反省するものとなっている。どちらも私の友人でありこの記事の彼は今では反省の時期も終えて穏やかな雰囲気になっていてにこやかに語りかけてきている。

    これら友人からのメッセージは人がこの世で築いたものがあちらの環境を作るという実例であり、貴重な教訓ではないかと思う。

    地獄とは自分の心が作るものであり個人個人で感じ方が違うのであろう。宗教の世界で言われてきたような閻魔大王やその手下の鬼や各種の地獄絵図などは人間の想像が生んだ産物であり実在しているわけではない。

    死後、肉体を捨てて思念の世界に入るとそれまでに存在していた肉体を含めた物質の覆いが消えるので素の自分自身と向き合うことになる。それまでの人生で築き上げてきたものが実感を伴って感じられる。我儘な人や利己主義を通してきた人は知らず知らずの内に身の回りにバリアーを作っている。あちらでは文字通り思念が形を取って現れてくるのである。

    それまでに自分の心が作ってきたバリアーがこのメッセージの中の衝立や迷路として感じられるのだろう。地上世界では嫌な奴と思われていても事務的な人間関係が存在しているのでそれなりに人との交流がある。それがあちらに行ってしまうとそういうものも途絶えるから誰も自分に近づいて来ない。近づこうにも近づけない。そういう人間は自分で壁を作ってしまっているから完全に孤立してしまうことになる。まさに孤地獄である。

    それは自分の心が作る世界であり、誰かにやらされるのではなくあくまでも自業自得ということになる。利己主義が通用するのはあくまでもこの世だけということになる。

    何時の日か改心した時にバリアーは消えてそこから脱出することが出来る。それまでの期間は人それぞれ、他人に与えた迷惑や苦しみの度合いによって変わってくるのであろう。ある霊界通信によれば千年以上もの間、神に逆らい続けた豪の者もいたらしいがそういう者でさえ何時かは自分の間違いに気づいて改心するようである。どうあがいても人は神の摂理に逆らうことは出来ないのである。

    結局は我々は摂理に反することをすれば苦しみをもって償わなければならなくなるし、摂理に叶ったことをすれば幸せと進歩が得られるのである。 全てにおいて神の摂理が働いていることを知るならばどう生きればよいか自然に答えが出てくるだろう。

    ちなみにこの二人の友からのメッセージは同じ日の夕方に受信したものである。

    コメント

    私の関心事

    今回の衝立地獄の苦悩といい、前回の素麺を作り続けられているお友達といい、幽界は地上で身に付けた思念が具象化する「界」と理解していいでしょうか。お二人についてですけど、幽界での暮らしには指導霊の助力もありましょうし、衝立のお友達についてはこちらから愛念の波動はなかったのでしょうか。愛念のあるなしと本人の自覚、そして指導霊の援助という三位一体の支援があれば、幽界も小さくなって、霊界への過程が短縮するのでしょうに―。

     それと、お友達に聞いてほしい問題があります。初歩的な質問ですけど、幽界からこの世は見れるのでしょうか。肉の目はありませんので、零体からの目になると思われます。零体から地上の人間を見る場合は地上の人間の零体を見るので、いわゆる肉体の人間を見るのではない――と読んだ記憶があります。その際は当然、人間を守護して頂いている守護神様は見えないのでしょう? そして幽界からかつて暮らした地域や自然は肉の目でみるのと同様「くっきりと見れるのでしょうか? すべて物質も波動から成り立っているそうですので、波動を翻訳して見れるのでしょうか。

     シルバーバーチは行きたいところへは一気呵成にとコメントしています。「なぜ、あなたは旅に行かないの」と家人はよく言います。私は「死んでから行くからいい」と返事しています。私にとっては最大の関心事です。

      最後になりました。お導き、そしてブログ更新、ありがとうございます。
     
     

    No title

    大空さん
    ありがとうございます。

    私たちは霊的真理をこの地上界で知ることが出来て本当に幸せです。

    この地上界では我儘で利己的な方に理不尽な目に合うこともありますが、その方を恨むことなく、霊的世界で辛い思いをすることにお気の毒だなあと思えるように霊的視野で物事を見ることができるようにしたいです。

    神の摂理に沿った生き方に近づけば 近づくほど幸せと成長が約束されていることを知っている私たちはそれを時期の来た方に手渡していきたいです。

    人の喜びが自分の喜びになることをこの地上界では目指していきたいです。

    今回の大空さんのお話を身につければそれだけで大きな霊的成長が遂げらると感じました。

    ありがとうございました。

    No title

    kuny さん

    霊界と幽界というふうに分けて考えるのではなく、全部の界層は重なり合っているので厳密な境界はないと思います。進歩すれば自動的に上の界層に行くということです。

    幽界(あえて言えば)に何十年も何百年も留まる者もいるかもしれませんし、それは人それぞれでしょう。

    今の友人の状況から判断するとこの世の様子はほぼ生前のように見えているのだろうと思っています。まだそんなに年数が経っていないからです。肉眼はもちろんありませんが眼球を持っていた名残のエネルギーが残っているので同じように見ているのだろうと思います。

    進化した霊になるとバイブレーションが異なってくるので我々の肉体は見えずにそのオーラが見えているのだろうと思います。霊体と言ったほうが適切かもしれませんが。

    衝立の友人は自分で寿命を短縮してしまったので指導霊も時期が来るまでは援助の手を差し伸べることはできなかったはずです。地上からの愛の念も送る人がいればもちろん慰めになったでしょう。いずれにせよそういうことには摂理が働いていますからその働きに手出しはできません。

    どの界層も思念によって出来ているともいえるのかもしれません。しかしその環境は主観的であり、かつ客観的でもあるとシルバーバーチは言っています。神によって作られた環境でもあると言えるのではないでしょうか。この世もその意味で同様ではないでしょうか。物質が介在してくるということを除けば。

    No title

    コバチャン本舗さん

    本当に霊的真理を知っていると知らないでは大きな差だと思います。

    利己主義を通している人は実はかわいそうな人なのです。後で必ず後悔する事になるからです。

    この世での苦しみや悲しみは一時のものです。それに耐えていればいつかは必ず光明を見ることになっているからです。イエスの言葉に次のようなものがありましたね。
    間違っていたらごめんなさい。

    「悲しむものたちは幸いです。その人たちは慰められるから」。

    そしてその逆も真なりということですね。

    こんばんは。こちらの桜は散ってしまった所もありますが、まだまだお花見ができます。今まで何度となく耳にした地獄の話しで何故か今回のこのお話しは前向きに受け止める事ができています。それはいつか必ずその状況から抜け出せると確信が持てているからのようです。以前は娘の事だけに囚われてとても悲しくショックだったのに不思議に穏やかなのです。大空様の言霊の力でしょうか…

    No title

    ゴロゴロさん

    お元気でしたか。

    2年前に初めてコメントを頂いた時に比べると随分落ち着かれましたね。
    良かったなと感じます。
    あの頃は迷信や世間の風評に束縛されておられたように思います。

    真実はどうなっているのかを知る事、正しい知識を持つことが何よりも大切だと思います。それが唯一の基盤です。

    自分の行為を精算すれば必ず復帰できるようになっているのですから取り返しのつかないものはないのです。それが神の大愛だと思います。

    秋田のほうはまだお花見ができるのですね。私は秋田県と山形県には行ったことがありません。そのうちにと思っています。

    非公開コメント