09 | 2017/10 | 11
    1 2 3 4 5 6 7
    8 9 10 11 12 13 14
    15 16 17 18 19 20 21
    22 23 24 25 26 27 28
    29 30 31 - - - -
    最新記事

    カテゴリ

    プロフィール

    大空澄人

    Author:大空澄人
    これまで自分の探求してきたものを 「いのちの波動」 というページ上で表現してきましたがPCのトラブルによりこのページに引き継がれました。一時的にご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます。

    リンク

    最新コメント

    メール宛先

    名前:
    メール:
    件名:
    本文:

    検索フォーム

    カウンター

    知識と実証

    2015.08.10 12:05|インスピレーション
    漁


    知ることによって世界が広がる。知らなければその範囲のことしかわからない。

    知識を得る、そしてそれを実証することによってそれは不動のものになり、信念として根付くようになる。

    知らずにいることは闇の中にいる事である。

    コメント

    大空さん、いつもお世話になりありがとうございます。

    今回のコラムについて、出来れば補足をお願いしたいと思います。
    霊的真理、今の人生を終えたのちも永遠に続く魂について、知識を得ようとすれば自分から霊訓を読むなどして得ることは出来ます。
    それを実証するのは、わたしが積極的に行動するとしたら、具体的にはどのようなことがありますか?
    祈りと瞑想を続けることは何度も教えていただいたのでわかるのですが、他にもあるのでしょうか。日々の生活の波動を上げるというようなことでしょうか。

    旅立った娘からのメッセージを受け取ったり、様々な方法で存在を表してくれることはありますので、これ以上にというのは欲張りかもしれませんが、日常でどんな心がけが実証を得やすくなるのでしょうか。

    神を知ること (補足として)

    mm mama さん

    この世の人生の究極の目的は神を知ることではないかと私は思っています。

    神は摂理として人生のあらゆる場面において顕現しているはずです。私達が直接それに気づくことはあまりないと思いますが人生の重要な局面においてその摂理の働きを実感出来ることがあります。

    一方で肉体の働きにも摂理が機能していて、肉体を酷使すればどこかが故障します。
    また精神的ストレスが自分の耐えられる限度を越せば心に変調を来しますがこれも摂理が働いた結果です。

    こういうふうに私達の日常生活の全てにおいても摂理が働いているわけで私にとってはそれを知ることによって実証を得ることになっています。

    知識として神の摂理というものを知っていても実体験が伴わないものはまだ本物ではないと思います。実体験を伴って初めて確信が生まれ不動のものとして根付くのではないかと思っています。

    実証を得ることを目的として行動するのではなく、すべての出来事に神の摂理が働いていて、偶然起こったことではないということを深く理解することによって、自ずと実証を得ることになるのですね。

    取り立てて大きなことは出来ませんが、日々の暮らしの中で自分の良心に正直に、人を喜ばせることが出来るように心がけたいと思います。
    心が揺れる日も無くはありませんが、神の摂理を不動のものとして心の底にとどめていけるように頑張ります!
    お返事ありがとうございました。
    非公開コメント