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    真の安らぎ

    2015.08.22 08:32|インスピレーション


    この世は波長の違う者があちこちで活動するから常に落ち着かない。真の調和はなく、問題が尽きることもない。一人ひとりが違うレベルにいるのだからそれは当然のことである。この世は混然として心安らかに過ごせることは少ない。

     

    玉石混交のこの世であなたはどう生きるかを常に問われている。試されている。

    そしてあなたは自分で望んでこの世に来たのである。

     

    そこでの勤めをやり終えた時、あなたはかつて体験したことのない真の安らぎを覚えるだろう。

    そしてその世界は一時の滞在場所であった事を理解するだろう。

    コメント

    No title

    大空さま

    いつも、ありがとうございます。
    波長の違う人と話していると、もどかしさとか違和感を感じ
    ストレスになることがあります。
    もちろん、人の価値観は違っていて当たり前、差異を認め合うことの大切さも
    解っているつもりですが、調和を求めようとするとどこかで無理が生じて
    くることがあります。
    でも、この世が玉石混淆のトレーニングセンターである以上
    それも試練と受け止めないといけないのですね。

    18日の「摂理は神の働き」にコメントをしそびれてしまいました。
    この宇宙のすべてにおいて摂理が働いていて、摂理に調和して生きるならば
    艱難辛苦も季節が移り変わるように変転し、やがては通り過ぎてゆく。
    とても力強く的確なアドヴァイスをありがとうございました。
    遅ればせながら感謝の思いをお伝えします。

    No title

    ルナさん

    コメントありがとうございます。
    わからない人たちの間に長い時間いる事は私にとって大変疲れます。
    それでも一人の分かり合える人と出会うととても嬉しくなり、それまでの鬱積したものが吹き飛んで行きます。

    今日の朝、犬の散歩の時に顔見知りの人に出会いました。散歩の時に時々会っていたのですがあまり立ち入った話はしたことがありませんでした。その人とは霊的真理の話になり私は色々と例を上げてお話をしました。

    「今までにうすうす感じてはいたけど確信が持てずにいました。でもその話を聞いて自分は間違っていなかったことがわかりました」と彼女。

    「そうですよ、それで間違っていません。信念を持って進んでくださいね」と私。

    私はとっても嬉しくなり足取りも軽く家路につきました。

    私の住んでいる地域に霊的真理に理解のある人は殆どいませんが、たまにでもこういう人に会うととても嬉しくなるのです。

    この世には波長の合う人よりも合わない人のほうが圧倒的に多いと思います。
    あちらに行くと合う人に囲まれることになるでしょう。

    ここ2、3日よく母が現れます。その都度とても幸せな気分に浸ることが出来ます。あちらの人とは言葉でごちゃごちゃ言わなくていいので本当に楽です。いい所にいるなと感じ思わずあちらに行きたくなりました。しかしこう言われました。

    「お前はお嫁さんや子どもたちの為にも、そしてそれ以外の人たちの為にもまだそっちにいなくてはいけないよ」。

    まだまだ私のこの世の修行は終わりません。

    結局私達が様々な障害に対する受け止め方でポイントになるのは自分の物差しではないかと思います。これについてはこの間啓示を受けているので改めて記事を書く予定です。


    No title

    大空さん いつもありがとうございます。

    過去世での体験等で必要な学びがわかり、この世に生まれてきたのですが、それが何なのかなかなか顕現されません。

    地上世界での通常の日常生活ではなかなか霊的覚醒がなされないので霊的覚醒の為に苦しみに出会います。

    家族との死別や病気や経済的な破綻などのほかに人間関係の苦しももあるでしょう。

    地上世界だからこその波長の合わない方との苦しみによって霊的覚醒されることもあるでしょう。

    波長の合う方ばかりがまわりにいる霊界では決して体験できないことなので、この地上世界での人間関係からの苦しみの中にはかならず大事な学びがあるようです。

    でも 人間関係の苦しみの無い霊界に戻ったら 本当にホッとした真の安らぎがあるんでしょうね。


     最近 この地上世界で私のやらなければならないことの意識が強くなってきていますが、その私の使命は波長の合わない人たちがたくさんいるこの地上世界で波長の合う人と出会えるからこそ意味があるんだろうなと思っています。



    No title

    コバチャン本舗さん

    「人のふり見て我がふり直せ」という言葉がありますが他の人が悪い例を示してくれていて自分はああなってはいけないと反省の材料になるということでしょうね。

    出来の良い人ばかりの環境だったら比較対象のものがないのでその心地よさやありがたさがわからない。

    真理の理解のためには両極を見る必要があるから出来の悪い人間を見る必要がある。その意味でこの地上はトレーニングセンターと言えるのでしょう。

    波長が合う、合わないとは違った意味になってしまったかもしれませんが波長の合わない人に囲まれていると少数の波長の合う人に出会うと喜びを感じるものです。それは次のステージを示唆してくれているような気がします。

    No title

    いつもありがとうございます。
    振り返ればここ一年ほど、波長の違う人々、つまり自分と学びの進度の違う人との付き合いについて
    わたしは、面倒だ、できれば避けて通りたい、という気持ちが強くなっていました。

    はじめてこちらにコメントさせて頂きましたときは、まさにその渦中で、
    その進度の違う人が家族だったり身近な人々であったりして
    面倒の一言で過ごすわけにもいかず、避けて通ることもできず、
    そのたびに、分かっていながら、気持ちが突っかかってしまう自分に自己嫌悪しては反省し、また突っかかっての繰り返しでした。
    その後、前回、コメントさせて頂いた頃には、だいぶ、突っかかったりイライラしたりすることが減ってきて、より広い心で穏やかに、その人たちを少しだけ受け入れることができるようになってきたところでした。
    そして、現在、昨日のことですが、
    こちらの記事を拝見していて、ある重要なことを忘れていたことに気が付きました。
    それは、「赦す」ということでした。
    わたしがこの世の真理を知ったきっかけは、三、四年前に「極限の憎しみと怒り」をどうしても「赦さねばならない」と思うことがあり、それを実行したことでした。
    それがきっかけで我知らず、真っ暗な混沌とした己の内面に光が射しました。それから一年、赦しを学ぶことは自分のこの世の目的の中のひとつだということがわかりました。そしてさらに多くの霊的なサポートを頂くことができました。それを、最近はすっかり忘れていた!ということに気づきました。
    波長が合わない人がたくさんいて、心休まらない世の中ですが
    わたしが遭遇し、関係を持つ人々は、すべてわたしの学びにとって必要であり
    その一人一人を赦し、彼らに誠意をもって対処できるように考え、行動すること。
    それこそが自分のすべきことであろうかと思います。
    また明日から、がんばります。

    ありがとうございます!

    この世では、真の安らぎを体験することがないので、どんなものかわからず過ごしているのでしょうね。


    そもそも波長も違うし、人は自分の思うように動いてくれるはずがない、と思えば少しは楽になるのかもしれません。


    年をとっておばさんになったら、少々波長の違う人たちとも図々しくベラベラ話ができるかと思っていましたが、世間話をするのさえ難儀をすることがあるくらいで、まあこれは性分でしょうか。

    赦しは魂の成熟度の指標

    そらさん

    ご自分の心の中をそれだけ観察できるのは素晴らしい事だと思います。

    誰でも自分の姿が見えないものです。

    赦しは魂の成熟度を表していると思います。

    それは容易に出来るものではありません。

    今後もより一層のご精進を。

    達観して生きる

    ゆきこさん

    図々しくベラベラ話を続けていると自分を見失ってしまうでしょう。
    自分を誤魔化して生きていることにもなるからです。やはりどこかで線引きをしておかないといけないと思います。

    人は人、自分は自分。
    この世ではある程度、達観して生きることが必要でしょうね。
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