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    試しの場

    2015.09.19 09:24|インスピレーション
    大山遠望

    何があっても自分の信念がぐらつくことのないように心がけましょう。この世の生活では強さが試されます。それを体験するにはこの世の環境がふさわしいから、あなたは望んでここに来ているのです。この場所で鍛えられる必要があるからです。

    自分が嫌なことが実は為になっているということを忘れないようにしましょう。そしてこの地上世界にあっても半分は霊界を感じて暮らすことが出来たら理想的です。何故なら霊界があなたの本来の棲み家であるからです。あなたは一時的に肉体に宿って地上の生活を体験しているのです。

    コメント

    No title

    大空さま

    いつもありがとうございます。
    ひとつ山を越えれば、その向こうにはさらなる高い山が待っている。
    人生は、試練に次ぐ試練の連続ですね。
    でもその体験は自分で望んだことであり、鍛えられる必要があるからこそ。

    ともすれば信念が揺らぎそうになりますが、つらい出来事こそ自分を鍛え
    自分の成長を促すありがたいことであるということを忘れずに
    霊界を感じながら生きていきたいと思います。

    まとっている肉体から離れたときに、「この人生は、辛い体験のほうが
    多かったけれど、すべては私に必要なことで、何一つ無駄な事はなかった」と
    感謝できるといいですね。

    いつも希望を贈って下さり、ありがとうございます。

    No title

    大空さん いつもありがとうございます。

    霊的真理に目覚める為に一番恐れていた嫌なことを2年前に体験しました。

    そして 現在、霊的知識に恵まれた者としてどんなことがあっても 霊的真理を確信として首をうなだれることなく、脇目もふらずに前向きに進んでいけるように努力してまいります。

    神の摂理を知った霊的存在の私は取り越し苦労とは決別し、背後霊の援助をいつも感謝しながらこの地上界での役目を果たしていきたいと思います。

    時にはくじけそうになり 一進一退を繰り返すことになりそうですが、この地上界から卒業させていただくまで何とか頑張りたいと思います。






    No title

    ルナさん

    肉体を捨ててあちらに行けば肉体から生じていた精神(主に煩悩)というものが自然に消失するのでものの見方は違ったものになるでしょう。煩悩によって私たちは常に揺さぶられているので何が真実かということがわからなくなっているのだと思います。

    フィルター越しに見ているから正しく見ることが難しくなっていてその時は気づかないけど何年後かに振り返ってみたらそうだったのかということがよくあります。

    後で分かるより今わかったほうがいいですね。この世にいる間に少しでも精進したいものです。そのためには正しい知識を持ちそれに対する信念を持たなくてはいけません。
    波間に揺れる小舟と同じで揺さぶられ度に信念が本物かどうか試されているのでしょうね。

    No title

    小林さん

    人間は常に弱さを抱えて生きていくのでしょうね。弱さのない人は世界中さがしても一人もいないでしょう。この世の中では何をやっても自分の強さが試されます。NHKの朝ドラを私も家族と一緒に見ますが(熱心なほうではありません)前回のマッさんのストーリーは正にそういう話でした。実話に基づいたドラマでしたが、あんなに頑固に信念を通さなくていいのに、もっと融通を利かせたらいいのにと視聴者は感じたかもしれません。私も感じました。

    霊的真理を人にわかってもらうという事もあのドラマの主人公の生き方と共通する部分があるかもしれないと思いました。でもわからない人に無理にわかってもらおうとする必要はありません。わかる人だけに伝えたらいいのです。そしてその人は連れてこられるのでその意味で受け身であることが求められます。霊界主導の事業なので我々が出しゃばっては失敗します。気楽なところもあるなと思っています。こんなこと言ったら叱られるかもしれませんけど。

    このところ、親知らずが炎症起こしてひどく腫れて、激痛になり、歯医者通いをしていました。(智歯周囲炎といわれました。)

    熱はでるわ痛くて食べられないわで、一本の親知らずに振り回されました。

    このことでもいろいろ学ぶことがありましたが、歳を重ねるごとに肉体を健やかに保つ匙加減が難しいなと痛感します。
    一人一人肉体は違うし、人と比べても仕方ないことで、元々頑強でないので素直に肉体の声に耳を傾けないと、と思いました。


    世の中も矛盾だらけですが、ある人は、尊敬に値することをされているのに、一方で、納得できないことをされていたりで、自分も含め人もまた矛盾だらけだと思います。

    この世に修行に来ている身、完璧でないのは当たり前なのかもしれません。

    親不知

    ゆきこさん

    親不知は抜いてもらったのですか? 智歯周囲炎になると腫れたり口が開かなくなったりして結構つらいですね。抵抗力が落ちた時に罹りやすいです。

    私は現役時代一体何本の親知らずを抜いたでしょうか?覚えていません。
    仕事でしたからね。今思えばよくあんな神経質なことができたなと思います。
    やるほうも実は大変なんです。

    自分のことは見えないのに他人の事はよく見えてしまいますね。
    本当に皆、欠点があります。自分はもっとあるかもしれません。
    完璧すぎると逆におもしろくないでしょうね。そんな人はいませんけど。

    本当に

    お陰様で、この世での人間の悲喜こもごもについて
    一歩引いて、冷静に観察できるようになってきました。
    自分の境遇に対して恨んだり悲しんだり怒ったりすることもなくなってきました。
    怒りを手放すと、毎日がとても楽であるということをもっと多くの人が知れたらいいのにな、と思うようになりました。まだ、他人の喜びのために骨を折るということができているかは、不安で、ここのところをもっと実践してかなければならないと思う昨今です。
    そこで、人間関係を客観的に見るようになって、友人の様子などを見ていて思うことは、人間関係の難しさとは、我欲の強さのぶつかり合いから生じるのではないかということです。
    「~して欲しい」「~したい」という強い欲求がお互いにぶつかるなかで、欲求の通らない自分の状況を悲劇と感じて怒りや悲しみに転じる、そういうことが多いように思いました。
    その結果愚痴も多くなります。

    最近、仲のいい友人が、別の友人(ちょっと我が強いのです)の素行について、反発する気持ちが強くて愚痴も多くなっていて、愚痴を重ねることで自分で自分の首を絞めて辛くなっているように思たので、私は、二人とも可哀想に思え、愚痴らずに、相手をそういう人だから、とあるがままに認識してそれ相応に付き合ったらどうか?愚痴はやめたほうがいい、とアドバイスしたのですが、逆に怒られてしまい、友人の愚痴くらい聞けないのか、とスネられてしまいました(笑)
    この世で愚痴ぐらい言うのは当然だと言う主張でした。しかし、友人は私にとってとても大事なので、今後良い人生を歩んでもらいたいと思っていますので、聞き入れられず残念でした。
    しかし、突き詰めて考えれば、友人同士の衝突は、お互いの我欲の衝突でもあり、
    相手のありのままを受け止められないところに原因があります。一歩引き、自分の要求を通すよりも相手を受け入れることに努力する、ということは自分にとって何も損ではないのに、「損」と無意識に考えてしまうようで、そこから考え直す必要があるのだなと教えられました。
    衝突し、愚痴れば愚痴るほど、それが原因となって、その後に大変な問題山積みになっていくということを、怒りに流されず、冷静に考えてほしいと思いました。

    他人のフリみて我が振り直せ、とあるように、日々勉強なのですね……

    しかし、タネも仕掛けも分かってしまったこの世の悲喜こもごもには疲れます。
    我欲と怒りに振り回されている友人や家族をなだめるのにも疲れました(笑)無価値なものを奪い合い、怒り悲しみ迷い、滑稽です。
    しかしこれも、試されているのだと思って、寿命つきるまでとりあえずがんばります。
    他者への無償の奉仕こそやるべきことであると肝に銘じがんばります。

    長々とこんな話を失礼いたしました。
    これも愚痴ですね(笑)

    No title

    そらさん

    そのお友達もいつかは分かってくれるでしょう。内心は言われたことが図星だったので感情が反発したのでしょう。人間関係は難しいですね。

    人間は容易には変われません。とても時間のかかる事です。
    一人一人が自分が造った世界に生きているわけですから。

    その人間の思いや行いの中に魂の年輪というものが表現されていると思います。
    深みがある人と浅い人がいます。

    全人類の半数は初めて人間をやるケースのようです。動物の類魂の進化したものの中から人間としてこの世に生まれてくるとのことです。もしかして以前にこういう事を書いたかもしれません。どうも最近忘れっぽくなっていますので。

    何回かこの世に再生している場合と初めて人として生まれてくる場合では大きな差があるでしょう。それらの魂が混然として同じ場所で生活しているわけですから問題が起きて当然です。

    そらさんは達観されているようです。無償の奉仕はご自分の霊性を高める道ですね。
    ご精進を!







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    Re: タイトルなし

    ゴロゴロさん
    呼んで聞こえるならいいですね。そこは距離的には近いですがここからは交通手段がありません。
    前島の小豆島寄りですね。向こうは牛窓ですが昔はボートやヨットでよく行きました。
    そこから心の中で呼んでみてください。テレパシーが届くかもしれません。

    No title

    近隣の人の勝手な誤解と執着に苦しんでいます。
    いろいろな学びから、やられて嫌なことはしないということを心に留めて
    生きてきました。
    自己主張をしないためなのか、ありもしないことを好き勝手に言われることに
    納得できません。
    陰で嫌なことをしているのは、その人たちなのに周りはそれを知らず同調しています。
    半分は、仕方がないという気持ちもあります。
    これは周りのことに影響されないように、という学びのための試練なのでしょうか。
    冷静に俯瞰でみれないので、アドバイスを頂けると嬉しいです。

    大衆に付くより神に付く

    さとさん

    よくある話ですね。
    近隣の人たちは幻想と迷いの世界に生きているのです。ありもしないことを勝手に作り上げているのですから。そういう行為は自分を貶めていることになります。

    貴重な人生の時間をそういうことに費やしてしまったことを死後には後悔することになります。そしてあなたに対して謝りたいと思うようになるでしょう。

    永遠の人生という視点で見れば現在は一時の現象です。将来は立場が逆転します。その人達は将来の苦しみを作り続けている気の毒な人達ということになります。

    大衆に付くより神に付くことです。
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