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    位牌の話

    2015.10.09 09:29|インスピレーション
    IMG_0084.jpg

    位牌はこの世の人間の価値観から出来たものであり、そこに他界者のエネルギーが宿っているのではありません。あくまでも人間の地上的価値観から作られたものです。それを眺めるこの世の人間と実際の霊界の環境とでは大きなギャップがあります。

    位牌にはこの世の人間の悲しみや寂寥感などネガティブな感情が溜まっています。位牌に接すると暗いものを感じるのはその為です。実際はそのエネルギーは霊界の人のものではないのです。

    位牌を見る時どうしても暗いイメージが入りがちであり、それは地上の者が霊界を感じる時の障害物となっています。それは地上人の心の裏返しであり、霊的に無知で暗い地上世界がそこに表現されているのです。

    地上の人は死んだ人イコール位牌と見なしていないでしょうか。しかし真実は全く違うことを知らねばなりません。


    追記
    位牌や仏壇の前で泣き暮らしている人がいます。そうするとその人の悲しみの念がそこに蓄積してきます。物質は思念のエネルギーを吸収するのです。位牌を見て泣いていると自分のエネルギーがそこに移ってしまいそれが自分に返ってきて相乗効果で一層悲しくなってしまいます。あちらに行った人はそれを見てもういい加減にしてと思っているかもしれません。それは他界した人の足を引っ張ることになるのです。

    前に親戚でのそういう出来事があり体験集のカテゴリーで「悲しみのエネルギー」という題で取り上げていますので興味ある方は御覧ください。2012年8月22日の記事ですが下をクリックして3番目の記事です。

    悲しみのエネルギー

    コメント

    No title

    大空さん いつもありがとうございます。

    「悲しみのエネルギー」も読ませていただきました。

    2013年4月28日に妻のチアキが癌で他界しました。
    チアキの他界後すぐに出会ったシルバーバーチは私に教えてくれました。

    チアキは霊界で痛みから解放され、肉体の束縛が無くなり、幸せに暮らしていると。

    愛している人が幸せにしていると教えてくれているのにそれを疑う必要があるでしょうか。

    私はシルバーバーチの言葉を信じました。
    「チアキは痛みから解放されたんだ。今は痛くないんだ。」
    それは知識として分かっているのですが、どうしてもチアキが痛みで苦しんでいる姿が頭から離れません。そして、毎晩のように泣いていました。

    ところが一周忌が過ぎたある日 急にボクは口走っていました。
    「もういいよね、今のチアキと付き合おう。」

    不思議なことにその日からチアキのことで悲しい気持ちが無くなってきました。
    この地上界で癌の痛みで苦しんでいたチアキと付き合うのではなくて今のチアキと付き合おうと思えるようになりました。

    ボクはチアキが他界しなければ霊的真理に導かれることはなかったと思います。
    ボクがこの宝のような霊的真理に出会うためにはチアキの他界が必要だったんだと思います。

    チアキと暮らしていた人生とチアキが他界して霊的真理に目覚めた今の人生とは全く違います。

    新しい人生が始まったんです。

    チアキも霊界で新たな人生を送っているんですね。

    No title

    小林さん

    小林さんもチアキさんが他界されてしばらくは「悲しみのエネルギー」の女性のような状態ではなかったかと想像します。そこからの立ち直りの速度はどれだけ真理を理解しているかだと思います。結局真理を受け入れる時期がいつ来るのかということですね。

    それは一人ひとり違うのでこればかりはどうしようもありません。それも摂理が働いていると思います。その人の霊的背景によりますね。教養があるなしも関係なくその人間がこれまでに辿ってきた魂の歴史がものをいうのでしょう。

    No title

    いつもありがとうございます。位牌についてもおっしゃる通りですが、戒名、法名についても自分の無知、未熟ゆえに「院号」をつけるべきかに迷ったりしてきました。

     院号についての歴史的考察は別としまして、昭和の50年代、物故者に「院号」をつけるのが習わしでした。院号がついたからと言って物故者の霊格が上がるわけでもなく、みんなは時代の流れのように死者に院号を贈り、葬儀ビジネスの一端を担っていたのではないでしょうか。

     昔の大名には院号も〇〇院殿となり〇〇大居士となります。シルバー・バーチが言う「自分が王様だろうと乞食だろうと関係はありません」とは大違い。我が国では死んでまで、ただのモノにしか過ぎない位牌に格式を与えるのですね――。

     こうした矛盾に苦しながら無知、未熟故の私の霊格の幼さ、低さには慄然とせざるを得ない毎日です。霊的成長も一進一退、遅々として進む気配もありません。

    No title

    kuny さん

    これまでは物質の眼で見てきたものが霊の目で見るとどうであったかという動きが少しずつではあるけど確実に広がっていると思います。その裏には霊界からの働きかけがあると思います。

    人間は霊的に目覚めると不要なものを捨てていくでしょう。寺院も霊的に価値あるものしか生き残れなくなるでしょう。現在「寺院消滅」という本が出ていますが人々の間には生死の実相を考える動きが広がっているからでしょう。寺は生命の実相に関する答えを出すことが出来ませんでした。これからも寺離れが進んで行くでしょう。

    そこにも摂理が働いていると思うのです。
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