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    波長のレベル

    2015.11.02 10:05|インスピレーション
    IMG_0029.jpg    

                 (木の行者)


    真理は波長の違う者には伝わらない。同じ波長を持った者に伝わり、共鳴するがそれより低いレベルの者には伝わらない。


    この世はそれぞれに違う波長を持つ者が集まっているので共通の波動を持った者同士が響きあい、違う者には響かない。それがこの世の特徴である。誰にでも伝わるものではない。伝わらない者のほうが多い。



    補足
    これは結局、時期の来た人は真理を受け入れる事が出来るが、時期の来ていない人は受け入れることが出来ないということです。今は時期の来ていない人の方がまだまだ多いようです。


    コメント

    No title

    まったく仰る通り、まさに日々実感しています。
    以前は波長の違う相手からの攻撃にガッカリしてはまた立ち向かい、またガッカリの繰り返しでしたが
    最近はガッカリするのをわかっていてガッカリしている自分への自己嫌悪が
    大変にひどく辛く感じるようになりまして
    耐えられないほどの自己嫌悪を感じるようになりました。
    ということでこれからはもうガッカリしない、ガッカリするのをわかっているのだからガッカリせず、受け止めてやろう!という気持ちになってきました(笑)
    ガッカリするよりもその後の自己嫌悪の方がひどかったという訳ですが
    なんとかしばらく、受け止めてあげよう!という慈愛全開にもっていけるよう
    努力してみるつもりです~玉砕するかもしれませんけど(笑)試行錯誤ですね^^
    がんばります~

    No title

    そらさん

    霊的エネルギーを取り入れることによってその種の悩みは次第に消えていくと思います。
    理屈だけでなく心の奥深い所で納得出来るようになるでしょう。その心境に到達するのは容易ではありませんが可能だと思います。

    祈りと瞑想によって自分の奥底に眠っている霊的自我が目覚めて来ます。そうなると物事の捉え方が違ってくると思います。先は長いですがご精進を祈ります。

    No title

    大空さん いつもありがとうございます。

    私には 読書会で知り合った霊的同胞がたくさんいて下さり、その方々とお話する機会が定期的にありますので、その時をいつも楽しみにして日常生活を送っています。

    2年前 初めて読書会に行った時 他界した妻に対して多くの方が 「奥様は霊界で痛みや苦しみから解放されて 幸せにしていらっしゃいますよ。」と言って下さってとても嬉しかったことを覚えています。

    ただ 霊的真理を知って2年経って思うのは 霊的真理を知って、いろいろな実践を行うように努力している方と 知識のための知識を求めている方とに分かれていることです。

    霊的知識は霊的実践を行うためにあり、知識のための知識ではないと思っています。

    今 不思議で分からないことは霊界に行って 自分の成長とともに少しずつ分かるはずです。

    その分からないことにエネルギーを使うなら利他愛の実践のための努力にエネルギーを使った方がよいだろうなあと思っています。

    必要以上の知識より利他愛の実践ですね。


    霊的真理に目覚めた方が陥りやすい知識偏重を自戒を込めて気をつけたいと思います。

    世俗に負けました

     先祖の墓の「墓じまい」をしました。江戸時代からのもので、管理が行き届かず、長年心にひっかかっていました。お墓は先祖がお墓にいるわけでもなく、メモリーに過ぎないことは、スピリチュアリズム(霊的知識)で学んでいても、僧侶を招き、陀羅尼経を上げ、魂抜きを、これまでのしきたりに従って終えました。知識よりも霊的実践がいかに難しいか、身をもって体験しました。結局、私の霊的レベルがまだまだだという証左でしょう。
     「墓じまい」に引き続き、今度は亡き父母の土地家屋の始末があります。民法で言う『囲繞地(いにょうち)」(袋小路)にあるため周囲からの理解は一切ありません。それどころか「どうして人のために協力しなければならないのか」の声も聞こえてきます。八方塞がりですが、スピリチュアリズムを信じ、良心の赴くままに片づけようと心に決めています。

     気づかせてもらい、ありがとうございます。

    No title

    小林さん

    知識と実践が並行して進めば理想的ですね。でも大概のケースは知識が先行して実践が後からついてくることが多いような気がします。私もそうだったように思います。

    家族の中ではごまかしが効きません。偉そうに知識をひけらかしてもすぐに足元を見られてしまいます。「お父さん、でも自分は出来てないじゃない」と言われたらどうしようもありません。思い当たることがいくつもあります。

    一時点を見ると偏りがあっても長い目で見れば実践が追い付いてきてバランスが取れるのだろうと思っています。

    No title

    kuny さん

    無理することはありませんよ。現時点で出来る事をしていけばいいのではないでしょうか。形式をなぞったとしても自分の本質が影響を受けることはありません。

    我が家ではこの間子供達全員と孫も揃ったので夕食の時に部屋を暗くしてろうそくを灯し、クラシックの静かな音楽を流しながら母の3回忌をしました。私が母に語りかけるという形で進めました。家族全員精神的に満たされて幸せな時間を過ごしました。
    母もその場に現われました。娘も霊感があるのでおばあちゃんがセレモニーを始める前から来てくれていたと言っています。

    でも誰もがそういうやり方で故人を偲ぶというのは容易な事ではないでしょう。
    出来ることをやっていればいいのだと思います。
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