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    神性を見出す

    2015.12.22 10:16|インスピレーション
    西の浜

    この世で自分の心を禅定の状態に保って生きていくのは容易な事ではない。一人一人が皆違うからである。自分と全く同じ考え方をする者はおそらく一人もいないであろう。だからこの世はザワザワして落ち着くことが無い。


    しかし自分の落ち着き先を他者に求めるのは間違いである。自分の落ち着き先は自分の中にあってそれは深い所に眠っている。それを見出すことによってのみ人は悟ることが出来る。それが自分の中の神性を見出すということである。様々な人生の試練を体験することによって人はようやく神性を見出すことが出来るのである。

    コメント

    No title

    いつも霊性開発をテーマとしたブログを、ありがとうございます。心の禅定を、と分かってはいてもラジオニュースで中庸ではあらねばならない気持ちが「怒」に移り変わり、すっかり世の雑音の渦中に放り込まれたりします。

     「家庭にあっては“昔はそうではなかったけど、あんたボケたよ”と言われ、無言で反応すると“老醜だよね、アンタ臭いよ”」と言われるに及んで、もう「生きる資格もないな」と落ち込んだりします。
     
     ですが、そのような雑事に反応するということは、まだまだ修行が足らないことの裏返しでもあります。それこそ禅定を心得ていれは、そう言う相手を憐憫に思い、また自分自身にも「感謝」の念が足りない、と反省もするものです。

     自分本位では霊性開発も「行ったり来たり」でちっとも成長したとは感じられません。「自分以外の人のために‥」ともう半年以上も前から外出のときポケットにポリ袋を忍ばせ、ゴミ拾いを続けています。なにげなく続けていて、ゴミ拾いをしなければ感じられないことが分かりました。

     それはゴミの中に不思議なことに使い捨てのマスクが意外に多いことです。捨てた人の自己本位の気持ちが手に取るように分かるのです。こうして小さなことの積み上げが霊的成長になって行けば‥と思うのですが、「イヤ、それも思ってはならない淡々と続けなさい」と内面の声がしました。ありがとうございます。  
     

    No title

    kuny さん
    コメントありがとうございます。良い事をされていますね。なかなかできない事だと思います。イエスの言葉に次のようなものがあったと記憶しています。

    「あえて人に知れないように善行や奉仕をしなさい」であったと思います。字句はその通りではないかもしれません。仏教では陰徳と表現しています。kuny さんの内なる声も同じことを言っているのですね。そういう行為は死後の世界での貯金になります。

    家庭は煩悩がまともにぶつかり合う場所です。私の両親も生前はよく喧嘩をしていましたよ。ここでこんなことを言うと叱られるかもしれませんが。

    そういう諸々の出来事は車窓を流れる景色のようなものでそこに捉われているうちに消えていき、また別の景色が現われるものです。いちいち気にしてはいられません。(これは実は昨日の朝インスピレーションで感得したものでいずれはブログに載せるつもりです。つまらないことに捉われている私に対する諌めでした。)

    要は自分の大目標を見失わなければいいのだと思っています。


    今年も残すところあと一週間ほどになりましたね。暖冬とはいえ冬は自然のエネルギーも枯れて体調を崩しやすいので十分にご自愛ください。


    最近、因果律について思います。

    自己中な行いには、自己中な結果が返ってくるなと。

    それは、必ず自分で刈り取らないといけないし、他の人のを私が刈り取ってあげることもできないと。

    仏教で、『身、口、意を正しく』という教えがあったように思いますが、常に心掛けるようにしないと、つい、易きほうへ流されてしまいます。


    話は変わるのですが、息子の事故の刑事裁判が、とうとう最高裁判所で審議されることになりました。
    こんなことは、1パーセントにも満たない極めて稀なことだそうで、何か意味があるのか、とも思いますが、うんざりするほど裁判が長引いています。

    No title

    ゆきこさん

    因果律を理解する人が一人でも増えて欲しいと願っています。因果律を知るということは神を知ることでもありますから。

    裁判も最終ステージに進みましたか。これまでの心労お察しします。
    今後の事は神に委ねるという心境でおられたらと思います。
    裁判にも因果律が働いているでしょうから。
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