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    最高の自分で

    2016.02.07 09:32|インスピレーション


    常に最高の自分を引き出せるようにしましょう。その自分で様々な事と向かい合えるようにしましょう。そうすれば必ずうまくいきます。こうなったらどうしようなどと考えるべきではなく必ずうまくいくという信念を持って進むことです。そういう状態の時に霊界からのサポートを受ける条件が整います。




    コメント

    No title

    大空さん いつもありがとうございます。

    前回 取り越し苦労が無くなったという話をさせていただきましたが、正確にいうと霊界の導きにより 現在 取り越し苦労をする要素が無くなったということです。

    有難いことに現在、取り越し苦労のない環境にしていただきました。

    この恵まれた環境にしていただいたので私を救っていただいた霊的真理を時期のきたかた一人ひとりに手渡しをしていくという一番大切なことをしていきたいと思います。

    No title

    大空さま


    初めてこちらにコメントさせていただきます。

    いつも心(肝・・・)に響くメッセージを伝えてくださりありがとうございます。
    そして、皆様のコメントにもいろいろ学ばせていただいております。

    「自作自演・一人芝居」のお話がすごく肚に銘ずる言葉になりました。そして本日のメッセージは、上手に表現できないのですが・・・(汗!)喜びのエネルギーが肝から沸いてきました。

    そんな単純な私ですが、今後ともよろしくお願いいたします。


    霊主肉従⇔肉主霊従

     大空様 いつもありがとうございます。

     タイトルにありますように私の日常は霊主肉従と肉主霊従を行ったり来たり。とてもコメントで大空様のご意見を頂戴できるような日常ではありません。スパッと切れないのです。スピリチュアリズムの基本中の基本を、もう数十年にわたって右往左往しています。
     
     ただ一つ、なぜ不自由でみじめなな環境の家系を選んで誕生したのか、天井から青空が見えるようなあばら家の実家のために、自分の家の新築よりも実家の新築をしなればならなかったのか。職業としてはいつの間にか学歴社会に身を置かされ、身分差別をイヤというほど体験し、苦しみと困難に耐えねばならなかったのです。そんな苦難の半生が、スピリチュアリズムを学ばせてもらった結果、それが神の叡智による配慮だった、と最近になって自覚できるようになりました。

     さんざん学ばせてもらいましたが、まだ学びが不十分なのでしょう。霊的成長のプロセスである「霊主肉従」か道半ばなのです。日暮れて道遠しが実感です。

     

     

    霊に戻れば

    小林さん

    このところバタバタしていて返信が遅れて申し訳ありませんでした。

    何事も自分の心が作っているのですから自ら作らなければ取り越し苦労という嫌なものも生まれようがないわけですね。先の事を案じるのは私たちの祖先から持ち越されたものかもしれません。人はその前は動物に宿っていたでしょう。動物は自分の身を守るために恐怖心が植え付けられています。取り越し苦労はその名残でしょう。

    霊に戻れば身に危険が及ぶことはないわけですから自然にそういう余分なものは消滅していき平安寂静の境地で生きられるようになるのでしょう。それが霊本来の姿なのだろうと思います。

    かぼちゃ君

    ふくのあんさん

    お名前がこの写真と一致していますね。この写真はかぼちゃ君です。
    顔を書いてジャムの瓶の蓋に被せてあったカバーを帽子にしました。
    癒しを感じて頂けたらと思います。

    これらのメッセージがお役にたてているなら嬉しいことです。
    ありがとうございました。

    No title

    kuny さん

    額面通り霊主肉従を実践するのは容易なことではありません。出来ないからこの言葉があるのでしょう。あちらに引っ越しすればこの言葉は死語となります。


    私もこんな偉そうなことを書いていますが自分はといえば霊的な自分と肉体的な自分を行ったり来たりしています。肉体の壁は厚いものですが行ったり来たりすることがなければ学びにならないでしょう。肉体は強いエネルギーで私達を縛り付けていて嫌でも様々な苦しみに付き合わされます。でもそれは地上世界にいる間だけです。

    霊的に見れば次々に現れる出来事は車窓の景色のようなものであり執着している暇はないのかもしれません。それが肉体の目でみるとさも重大なことのように感じられます。その辺のギャップは大きいと思います。


    お写真は、かぼちゃ君ですか。
    ユーモラスですね。
    ジャムの帽子もかわいいです。


    今回の記事、今の私に足りないものだなと思い読ませて頂きました。


    話は変わるのですが、おととい最高裁判所で弁論が行われました。

    裁判があると、事故直後に引き戻されるようで、自分では少しは前に向かって進んでいたつもりだったのに、違ったのかしら、と思い知らされます。

    判決期日もまた後日ということで、まだまだ長引きます。


    人間の作った法律やさまざまな思惑とは関係なく、神の摂理は、寸分の狂いなく間違いなく働くでしょうから、心配することは何ひとつないのでしょう。

    No title

    ゆきこさん

    裁判の心労は想像を絶するものだと思います。どうか心身を労り適度な気分転換をしてください。霊界では国会も裁判もなくあるのは神の摂理だけのようです。それだけあちらの住民は神の摂理を直に感じて生活しているのでしょう。

    一人ひとりが摂理に叶った生き方をしていれば法律は必要がないのでしょう。この世もそうであってほしいですね。
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