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    霊的な自分と肉体としての自分

    2016.04.09 10:52|インスピレーション
    IMG_0050.jpg

    慣れてくれば日常の雑事をシャットアウトすれば自然に霊的な自分に戻れるようになる。力まないことが大切である。力みは肉体的な自我から来る。霊としての自分には本来力みはない。

    霊的な自分の表現を妨げているのは実に肉体としての自分である。互いに相反する者同士(霊と肉体)が合体しているのが地上の人間の姿である。肉体は物質に引き付けられ霊は大きな束縛を受け、不自由な状態に置かれている。

    本当は自由になりたいのだが肉体に引っ張られているのでそれは叶わない。様々な悩みはそこから発生している。一部の者に見られる自殺願望もそこから発生してくるのであるが、それをやると霊が自分に負けた事になってしまう。

    この矛盾を感じながら人は地上人生を生きていくのである。


    追記
    地球上で生活している私達は物質でない霊が物質的要素の強い肉体に宿るという言わば異質なもの同志がくっついているという状態にある。そこから様々な問題が起きてくることになり、人の心は右に行ったり左に行ったりして揺さぶられる。それでも地上での体験を求めたのは霊としての自分である。

    しかしあれこれと言っている間に肉体の寿命は尽き、霊としての自分に戻るのである。肉体に宿る状態は一時期に過ぎず永遠の霊としての人生の中では点のようなものであろう。

    コメント

    いつもありがとうございます。

    大空さんこんにちは。

    私も一日の最後に静かな時を過ごす時間を設けています。
    そしてその日一日を無事に過ごせた事に感謝する毎日です。

    かつて自身も【霊が自分に負けてしまいそう】な時期もありました。
    自分は何のために生きているんだろう?と。

    その時が霊的心理を学ぶきっかけになった時でもありました。
    学んでいく中で人間は死なないって事が解り…今は実践の中で、いつも
    見守られているんだなという実感を感じます。

    人生50年を超えこれから少しずつ終盤にさしかかっていきますが、霊としての
    自分に戻るまで今後も自身を鍛えたいと考えています。。

    No title

    大空さま

    永遠の霊としての人生の中では点のようなものでも、その体験を求めた霊としての自分。

    子供のころからあの世の存在は信じていましたが、甥の死でまざまざとその存在を実感しました。
    それでも心から救いを求めて霊的真理を学び始めたのは、それから数年後に経済的破綻から自宅の売却、そして一家離散したときでした。

    住む所がなくなり、その時初めてこの苦しい人生を生きることの意味を学びたいと心から思ったのでした。
    そんな時に霊的真理が側にあったのは人生最大の幸福でした。

    この世ではまだまだあの世があるかないかを思うところで止まっています。
    あらゆる種類の不幸がこの世にはありますが、この不幸が霊的真理を学ぶことに繋がった人は本当に幸福だと思います。

    あの世では学びがたい、忍耐力や感情のコントロール、自分と他との違い、寛容と思いやり。
    これら大切なことのどこまでを学んであの世に帰ることができるのでしょうか。。

    この世の重さの中で、だからこそ学べることをおろそかにしたくありません。
    でも、身体も疲れるし楽もしたいし、なかなかです。。。

    上の、ひでおじさんのコメントを拝見して、こんなことを考えました。

    No title

    ひでおじさん

    毎回瞑想の時に感じるのは背後の霊の愛に包まれていることです。
    この世では味わえない幸せを感じることができます。
    もっと多くの人がそういう感じを味わう事が出来れば良いのにと思います。

    常に見守られ支えられていることを知るとそこに盤石の信頼を置けるようになり、少しずつ小さな我が消えていきます。するとこの世の揉め事や雑事など取るに足りない事に思えてきます。そういう過程を一歩一歩踏んで行って霊的覚醒が起きるのだろうと思います。

    No title

    ラピスさん

    色々あったのですね。おっしゃる通り障害や苦しみがなければ人間は学ぶことができないでしょう。毎日極楽のような生活をしていたら人は深く考えることをしなくなるでしょう。苦難は学びの為の触媒ですね。

    この世の特徴は何と言っても自分と考え方が違う人間が多く、嫌でもそういう相手と付き合わねばならないということでしょうね。瞑想の時に爽やかな気持ちになったかと思えば、るつぼのような中でうろうろしている自分に気が付きます。

    でもいつの間にか霊的な自分と肉体的な自分を使い分けるようになりました。この世では寝ている時は別として霊的な自分で通せる時間は僅かです。あちらに行けばずっと霊的な自分で通せるのですから楽しみにしています。

    日々、霊の自分と肉体の自分のせめぎ合いです。

    ともすれば、肉の自分が勝ってしまい、修行のためにここにいることをすぐ忘れてしまいます。

    いつもありがとうございます。

    大空さん、こんばんは。

    ワタシ自身↓この記事にどれだけ助けられ…勇気づけられたか…。
    http://ww81.tiki.ne.jp/~okwhiro/C5_18.htm#18
    http://ww81.tiki.ne.jp/~okwhiro/C5_19.htm#19

    本当に感謝しています。。

    No title

    ゆきこさん

    そういうものですよ。何かあって直ちに霊的視野で判断出来る人間はまずいないでしょう。

    少し時間を置けば肉の自分が収まり、霊的な自分が現れてくると思います。

    No title

    ひでおじさん

    懐かしいですね。あれを書いたのは2009年だったと思います。
    あの時はこれを理解してくれる人は果たしてどれくらいいるのだろうと思っていました。

    しっかり理解してくれた人がいたことを知ってすごく嬉しいです。
    ありがとうございます。今夜は気分良く寝られます!
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