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    知性に偏りすぎること

    2016.06.09 11:05|インスピレーション
    吉田ダム 2

    自分の知性に偏りすぎると次第に我が強くなる。自分中心の世界に住むようになり、もっと大きなものがある事を理解できなくなる。自分への自惚れ、こだわりが強くなり自分の理解できないものは認めたくない。人の本体は霊であり、霊が人体を動かし、機能を統制しているがそれがわからない。また彼らは神の存在も理解することが出来ない。

    神とは何かということは知性のみで理解できるものではない。宇宙は人の目には見えない大きな力によって動かされている。身の回りには霊的エネルギーが溢れているがそれに気が付かない。そして霊的エネルギーの流入を自ら遮断している。霊的エネルギーを受け入れられるか否かが真理理解の鍵である。

    自分の本質は霊であることを知れば自然に霊的エネルギーが流入するようになって霊的覚醒が起きる。

     



    追記
    真理探求の究極は神を知ることではないかと思います。神とはなにかを知ることによって数々の人生の疑問は解けることでしょう。シルバーバーチが「理解の及ばないところは信仰心によって補いなさい」と言っていますが信仰心なしに神は理解出来ないでしょう。知性に偏りすぎると信仰心は湧いてきません。また森羅万象わからないことだらけであり、人間がわかったと思っているのはわずかのことです。




    コメント

    No title

    大空さま

    知性がとても重要と考えていた頃がありました。

    ずっと以前に、幼くして父親を亡くした男の子に対して周りから「これからはお父さんの代わりにあなたがお母さんを支えるんだよ」と言われた子供は、親から保護されて愛される子供時代を犠牲にしてしまう危険性があるとの児童心理学者の説に「なるほどなあ」と共感したことがあります。

    けれども霊的真理を学ぶにつれ、「幼くして父親を亡くし母親を支える」という辛い境遇を自ら計画して生まれてくる魂だっているはずと思えたのです、あるいは「母親を頼ることで、母親の魂を強くする」という計画をした魂だっているはずです。

    霊的真理を学んで初めてこの世の道徳観念や心理学、学説などだけでは理解に限界があることに気がつきました。

    逆に、この世の固定観念にとらわれなくてもよいという自由さがありがたいですね。

    No title

    ラピスさん

    人は霊であるということを理解出来ない限り発想に限界があると思います。
    理解すると言葉で言うのは簡単ですが一生かかっても人は霊であることを理解することが出来ない人のほうが圧倒的に多いと思います。

    自分は霊であることを理解すれば人生や生命現象の様々な疑問点は解読できるでしょう。

    例えば立花隆氏の臨死体験を解読しようとした試みは結局霊の存在を認めることなく終わったようです。最初から彼は霊や死後の世界を認める気はなく、死後の世界は無いことを証明するための証拠を探して歩いたように思えます。彼は自分で築いてきた知的構築物の中を行ったり来たりしていたという事でそこから出ることが出来なかったのでしょう。

    霊界通信で自分を知的牢獄に閉じ込めてしまっている霊の話が出てきます。頑固な霊ほど真実を認めることが出来ないわけです。認めようとしないのですから目が覚めるまでその状態が続くようです。


    そうならない為には知性と感性のバランスが取れていることが大切でしょう。もちろん知性は大切ですが真理を深く理解する為には感性が欠かせないと思います。それは信仰の土台にもなると思います。
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