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    山と霧

    2016.08.17 15:17|インスピレーション
    1000乗だけ 

    地上での生活は山に霧がかかったり晴れたりするのと同じです。霧がかかると山の姿は見えません。霧が晴れると山の姿が見えるようになります。

    いつも山が見えるわけではありません。しかし霧に隠れて見えなくなっても必ず見えるようになります。視界が閉ざされている時期は慌てずに晴れるのを待っていれば良いのです。山はいつもそこにあります。地上人生はこの繰り返しです。


    霧がかかって見えなくなるのを人間の力ではどうすることも出来ません。様々な日常生活の中の小さな出来事に一喜一憂する必要はないのです。


    追記
    山と霧とは地上人生における視界良好と視界不良の状態を表したものです。
    常に視界良好ならどんなに良いかと思いますがそうは行きません。
    視界不良な状況のほうが多いと思いますが、その時に取り越し苦労が始まるようではまだまだということになります。

    どれだけ神の摂理を信じているかということが試されます。
    自分が良心の声に従って考え、行動しているならば何も恐れることはないということになります。

    コメント

    No title

    大空さま

    いつもありがとうございます。
    まだまだ暑い日が続いていますね。
    ずっとRead only memberでしたが、久しぶりにコメントさせていただきます。

    山は変わることなく悠然とそこにあるのに、霧がかかって視界が悪くなると
    人は途端に不安になり霧を払いたくなりますよね。
    それは山の全体像が見えることで安心したいからなのでしょう。
    先が見えていると頑張って走り続けることができるのですが、
    見えないゴールを目指すのはかなりの忍耐力と持久力が必要になります。

    人生は霧がかかっている日のほうが多いようです。
    そんな時の対処法は、慌てずにひたすら待てばいいのですね。
    せっかちな私は、人間の力ではどうしようもないことが解っているのに
    ついついどうにかしたくなってしまいます(笑)

    見えないものを信じ通す難しさ、理屈ではなく感性で物事を捉える難しさ、
    霊的視野で物事の全体像を見ることの難しさは、人間が抱える根源的な「業」
    なのでしょうか。
    日々、神の摂理を信じているのかどうかを試されていますよね。
    日常の雑音や出来事に惑わされることなく、自分の良心に耳を傾けていきたいです。

    No title

    ルナさん

    瞑想の時には物事を霊的視野から見ることが出来ます。
    その時には肉体の束縛から離れています。

    ところがそこから覚めて五感が働き始めた途端に肉体のエネルギーに飲み込まれてしまいます。それほど肉体のエネルギーは強いです。

    我々は肉体という船に乗って地上世界を旅していますが、自分と思っているものは実際には大きな自我の一部に過ぎないので大きな自我に戻れば今体験していることの意味も行く先もわかっているはずです。

    あえて目隠しをしてこの世でウロウロしているというのが我々の姿でしょう。
    わからない事に意味があるのだと思います。初めから答えが分かっていたら学びになりませんから。試練には必ずそれなりの理由があるのでしょう。そして目には見えなくても導きの糸が通っています。

    この世では肉体に宿らない限り何も出来ませんが宿っている時間はわずかなものだと思います。最近私は時間の経過が一段と早く感じられるようになりました。少しずつ身辺の整理をしていますが何しろこの暑さですから進みません。無理すると熱中症になるのでそろそろです。ルナさんも無理なさらず日々ゆったりと過ごしてください。

    お盆を過ぎても、私の住む所では、連日最高気温が35度を超え、まだまだ暑さが厳しいです。


    若い頃は、どうでもよいことに捕らわれ、物事の本質が全く観えてなく、愚かだったと思います。
    その愚かさに愕然とするほどです。

    真理をもう少し早く知っていたら、と思いますが、時期が来なければ素通りだったでしょう。

    そのための様々な体験だったのかな、と思います。
    手痛いしんどい体験も多かったですが。

    しかし、同じような体験をしても、それでも素通りをする人もいて、さまざまだな、と思います。

    No title

    ゆきこさん

    この暑さは私も初めて体験するものです。
    こちらも連日35度以上という日が続き、ギラギラの太陽が恨めしくなります。
    夕立もなく畑もカラカラ、もういい加減にしてよと言いたくなりますね。
    子供のころはよく夕立が来て雷が鳴り雨が降っていたように思いますが今は入道雲が湧いても雨が降りません。このあたりだけかもしれませんが。

    同じ体験をしてもそれをどう受け止めるかはその人次第ですね。
    やはり魂の年輪がものをいうのでしょう。
    私も若い頃を思い出すと穴があったら入りたいと思うことがあります。
    よくあれで恥ずかしくなかったなと思います。

    でもそう思えるようになったということは若い頃に比べて成長しているということでしょう。10年やそこらでは人は学ぶことは出来ないから60年以上の年月が必要なのかもしれません(例外もありますけど)。自己満足かもしれませんがそう思う事にしています。


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