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    自分の人生を全うするには

    2016.09.02 16:21|インスピレーション
    帆船

    自分が一旦心に決め行動した後はごちゃごちゃと余計な事を考えてはいけない。後は神の摂理にお任せする事である。必ず良きに計らわれるであろう。自分が心から正しいと信じて行動したことは概ね間違っていない。それは良心の声に従ったから。

     

    自分がやったことを他人がどう思うか等と考える事から雑念が生まれ迷いが起きる。他人があなたの事をどう思おうが関係がない。人生のその時その時において自分の為すべきことをしていくことが大切である。そうでなければ自分の人生を全うすることは叶わない。


    コメント

    No title

    今朝、ふと思いました。
    今日の内容とはそぐわないコメントかもしれませんが、書かせて頂きます。

    いつものように仏壇に向かい、主人の霊にお供え物をしていました。
    甘い物が大好きだった主人なので、饅頭系は欠かしません(賞味期限切れもあるけど)
    今日も『このク○暑いのに、こんなもの食べるんかい』と言いながら供えました。
    ふと、味はわかんないでしょうけどね。。。とも思いました。
    昔読んだ本の中に、欲しい食べ物はいつでも出現できるけど、味はない、とかそんな事が書いてあったのを思い出しました。
    あと、天使がおしゃべりしてる内容の本では、暑さ寒さ等も感じないとも。
    こんな事から、今日のこの暑苦しさも人間やってる間しか感じられないのかと思い至りました。
    ある意味貴重な感覚ですね。
    昨日たまたま隣人に対して、『このバ○タレがぁ〜』(言葉汚くて失礼)と思う事がありましたが、同時に、この感情も味わい愛でねば、なんていう思いにもなり、それ以上の感情はなくなってしまいました。
    今まで以上に広角で見てるみたい、私、という気づきもありました(自画自賛?)
    私の場合、まだまだ高級霊の階層には行けないかもしれませんが、そういう高みに行ったら、五感の感覚も含めて、こういう邪念も感じなくなるんだろうかと思うと、これまた貴重な感覚だと思えて来ました。

    てことで、日々どうしたらいいのか迷いがありましたが、ちょっとだけわかった清々しい(暑いけど)朝です。

    大空さん、いつもありがとうございます。
    娘を亡くしてから2年が経とうとしています。
    この季節になると、最後に帰省して来ていた日々を思い出し、いろんな後悔が蘇ってきて辛くなります。
    娘はあちらの世界で、幸せに過ごしているのだとわかっていても、まだまだダメですね。

    娘を亡くしてすぐくらいに、ある人から、
    「せっかく頑張って大きくしたのに、えらい損したなぁ。」
    と言われたことがあります。
    どういう心境でそんなことを言ったのか?
    よくわかりません。
    でも、きっと大学まで行かせて、こんなことになって‥‥って、半分あざ笑っているんじゃないかなと感じました。
    そんなこと気にしなくていいのに、きっと近所の人みんながそう言っているんだろうと思えてなりませんでした。
    今でもその思いは消えていません。
    先日も、その思いが蘇ってきて、何とも言えず落ち込みました。
    なんの確信もないのに、それこそ私の取り越し苦労です。
    普段なら、大丈夫!大丈夫!と切り抜けるのに、この時期はダメでした。
    そんな時に、今回の大空さんの記事が更新されていました。

    こんなこと気にしていたって、どうしようもないんですよね。
    過ぎてしまったことは仕方ないんだから、それを受け入れて前に進むしかないんですよね。
    他人様に迷惑をかけず、神の摂理に反したことをせず、淡々と生きて行ったら良いんですよね。
    この記事で、そのことを再認識させていただきました。
    ありがとうございます。

    余談ですが‥‥。
    「亡くなった娘が、そんなこと気にしていてどうするん?って言っているようです。
    もっと強くなってよって‥‥。」
    って、こんな話をすると、みんな少し引いてしまいます。
    この人、頭おかしいんちゃうん?って感じで‥‥
    こんな話を普通に出来るようになったら嬉しいんですが、まだまだそんな時代は来ませんね。

    No title

    guremi さん

    肉体を捨てるとそれまで肉体を通して感じ取っていた地上世界のものは以前のように味わう事は出来なくなるでしょう。お茶を出されても飲むことは出来ないし饅頭を出されても食べる事は出来ません。

    私が前に見た夢の話です。出されたお茶を飲もうとしましたが湯呑を持ち上げる事すら出来ませんでした。湯呑の感触がフワフワで掴むということが出来ないのです。睡眠中は霊体が肉体を離れて活動するので死後の状態と同じであり違いはシルバーコードで繫がっているかどうかだけです。

    というわけで死後は通常地上世界のものを以前のように味わうことは出来ません。結局供え物をするのはその人物を偲び変わらぬ愛を表現しているということになるでしょう。他界した人が自分に対する愛を感じ取ってくれたらいいですね。理想を言えば他界した人の今後の向上を祈ってあげることが大切だと思います。

    この世を生きているとどうしても感情の起伏を体験しますね。この世は成長のレベルが違う者の坩堝ですから衝突が起きます。それを達観して生きられたらいいですね。
    どのみち我々はこの世を旅する旅人であり、この世に永住するのではありませんから。

    No title

    ゆめこさん

    頑張って娘さんを育てたのに損したなどというのは子育てという霊的作業を極めて物的観点から見ていることになります。あまりに悲しく心貧しい言葉です。

    その人の事を哀れんであげてください。
    他の人もそういう目で見ているということはないでしょう。それはご自分で言われる通り取り越し苦労だと思います。我々はつい自分の心が勝手に想像してありもしないものを創造してしまいます。それこそ損なことなので決してそんなことを考えないでください。

    他人は気まぐれ、決して自分の人生の責任は取ってくれません。この記事のように信念を持って生きてください。娘さんに「そんなこと言ってどうするん」と言われないように強く生きてください。

    No title

    大空さま

    今回の内容は、叱責にも似た厳しさがありますね。
    もちろん叱責などされてはいませんが、そのように感じるのは自分の心に弱さが生じていたんだなと思います。

    「必ず良きに計らわれるであろう」という言葉に、信念を持つことを励まして下さる温かさを感じます。

    おかげ様で、どう思われるだろうかと他人の思惑を気にしていた自分の背筋がしゃんとしました。

    No title

    ラピスさん

    その時の心の状態によって受け止め方が違ってくるものですね。

    常に「不動心」を維持出来たら理想ですが人間は弱いものです。
    自分を例にとっても弱気になっている時は物差しが小さくなっています。

    でも自然に強い自分に還っていたりするものです。
    人の心は強弱が循環するようです。
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